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EP.138



それから1週間後、夜になったら報告に向かうとエリクから連絡が来た。


私達は、既に勝手知ったるエリオットの広い執務室に集まり、エリクからの報告を待っていた。



「潜入してまだ1週間程だが、既に我々に報告出来るほどの内容だと言う事なのか?」


眉間に皺を寄せるレオネルは、嫌な予感がするのか顔色が悪い。

それは皆も同じだった。


「……エリクの事だから、中途半端な報告はしてこない筈よ。

十分な証拠を押さえたって事だわ。

後は私達の判断待ちでしょうね」


この短い間で証拠を揃えられたという事は、つまりテレーゼ嬢はルジーの言う通りの環境で生活しているという事だ。

待ち望んでいたエリクからの報告だが、今はちょっと聞くのが怖いと思う自分もいた。


考えている事は皆似たり寄ったりなのだろう、部屋はなんとも言えない空気に包まれている。




ーーーーその時。

音もなくエリクが執務室に姿を現した。


「シシリア様、テレーゼ・エクルース伯爵令嬢についてご報告致します」


ソファーに座る私の側に傅くと、緊張感を孕んだ声で静かにそう言った。


「ご苦労だったわね。報告をお願い」


落ち着いた声で応えながらも、やはり私も緊張を隠せない。

部屋中をピリピリとした空気が走り抜け、シンと静まり返った中で、エリクは立ち上がると淡々と報告を始めた。



「それでは、テレーゼ・エクルース伯爵令嬢についてご報告致します。

今現在、エクルース家の邸で暮らしている人間は4名。

キティ様の描いてくださった姿絵と照らし合わせた結果、一人はテレーゼ様と推測出来ました。

他3名はサンス・エクルース、その愛人と娘で間違いありません。

テレーゼ様は古びた使用人の服を与えられ、満足な食事も与えられていない状態で、随分お痩せになっていました。

恐らく、極度の栄養失調の状態にあると思われます」


エリクの話に、私達の微かな希望さえも早速打ち砕かれた。

食事さえ満足に与えれていないとは、信じられないし信じたくもない。


だが、私達が信じたくない思いでいようがいまいが、エリクの報告はまだ続く。

それがテレーゼ嬢の今の現実なのだから。



「テレーゼ様の1日はまず、家族の朝食の用意から始まります。

それから邸の掃除。洗濯。

それから朝の遅い愛人と娘の身支度を手伝い、朝食を出すと、直ぐにまた洗濯。

終われば朝食の食器を下げ洗い、昼食の準備、また掃除をしてサンス達に昼食を出し、食後の食器を下げ、繕い物をしたり、また掃除をしたり、洗濯物を片付けたりと。

エクルース家の広い邸の、全ての仕事を言い付けられていました。

自分の食事をする時間はほぼ無く、夜になれば毎晩着飾って出掛けていく愛人と娘の身支度を手伝い、サンス達を見送った後、朝食か昼食に残った余り物を仕事の合間に口にするだけ。

……それさえも無い日もありましたが」


淡々と報告しているように見えたエリクだが、それでも言い淀むほどのその内容に、私達は目を見開き、誰もが口を開けない程だった。



「それらの仕事を全てテレーゼ様お一人でこなしている為、どうしても全てを1日で終えられない日もあります。

テレーゼ嬢は何とか終わらせようと夜遅くまで動きっぱなしでしたが、衰弱した体でかなり無理をしている為、気絶するように倒れてそのまま朝を迎えてしまう事も。

そうすると翌朝、邸の仕事が全て終わっていないとサンス達から激しく責められます。

『どうしようもない穀潰し』

『養ってもらっている身で仕事をサボる恩知らず』

『何をやらせても人並みに出来ない屑』

等の罵倒と共に、暴力を受ける事も。

また、テレーゼ様は邸の浴室を使う事を厳しく禁じられており、1日が終わると裏にある井戸の水で身体を拭くのみでした。

こちらはエリーが確認しました」


エリクの報告が一旦止まると、部屋にまた静寂が訪れる。

ノワールは顔を伏せ、今どんな表情をしているのか窺い知れない。



「事は急を要する、という事だね。

一刻も早くテレーゼ嬢を助け出したいところだけど……。

エクルース家を覆う結界の発信源は見つかったかい?」


ややしてエリオットが落ち着いた声でエリクにそう聞き、エリクはそれに静かに頷いた。


「はい。古代魔具と思わしき物をサンスの執務室……いえ、正しくはエクルース伯爵の執務室であった場所で発見致しました。

ただ、私達では魔具を機能停止する方法までは解明出来ず、記録魔道具にて詳細を記録し〝梟〟の魔術師に確認してもらいましたが、やはり機能を停止する方法は不明との事でした」


悔しそうにそう言うエリクを労うように、エリオットが優しく頷いた。


「う〜ん、ではその古代魔具をどうにかするのは難しそうだ。

下手に動かしたり持ち出したりしたらどうなるかも分からないしね。

出来る事といえば、僕がスキルを発動して、その魔具を無効化出来るか試すくらいかな。

エリク君の能力が通用したなら、これが1番可能性の高い方法だろうね」


私達が思考停止しそうになっている中、エリオットだけがテレーゼ嬢救出の可能性を見出していた。


駄目だな、いくらショックが大きかったとはいえ、しっかりしないと。

テレーゼ嬢を助ける為には一刻だって惜しいくらいなのだから。


私は皆と顔を見合わせ頷くと、エリオットの方法で行こうと口を開きかけた、その時。

エリクが眉をピクリと動かし、懐から小鳥型の通信魔道具を取り出した。


「エリーから緊急連絡が来たようです」


そう言って私に通信魔道具を渡す。

私はそこに魔力を込めて、エリーからの緊急連絡を再生してみた。

それはどうやら画像付きのものだったようで、小鳥の通信魔道具の目がピカッと光り、空中にスクリーンを映し出した。


『緊急事態が起きました。

一部始終を記録致しましたので、ご確認下さい』


エリーの言葉と共に、スクリーンに画像が流れる。



どうやらそこは、邸内の応接室のようだ。

廊下から男の怒鳴り声が聞こえる。


『この役立たずっ!』

『お前の母親のせいでっ!』

『お前もあの女と同じだっ!』


酷く酔っ払っているのか、呂律の回らない舌でしきりに誰かを怒鳴り付けている。


次の瞬間、扉が荒っぽく開かれ、そこに小太りの中年男が現れた。

その男は痩せ細った女性の髪を掴み、ここまで引き摺ってきたようだ。

そして男はその女性を、物のように部屋の中に放り投げた。


投げられた女性はテーブルの角に肩を酷く打ち付け、痛みにその顔を歪ませている。


許しを乞うように男を見上げるその女性の顔を見て、私はハッと息を呑んだ。


ダスティピンクの髪に、ブラックパールの瞳…………彼女はテレーゼ嬢だ。

テレーゼ嬢に間違いない………。


だが、その姿はキティの描いたイラストから遠くかけ離れていた。

そのテレーゼ嬢は頬が痩け、痩せ細り………いや、痩せているなんてものじゃない。

まるで骨と皮だけのような状態だった……。



「そんな……テレーゼッ!」


ノワールが映像に向かって悲痛な叫びを上げ、

ソファーから立ち上がり、スクリーンの中のテレーゼ嬢に震える手を伸ばす……。



映像は尚も続き、その小太りの中年男、こっちはサンスで間違いないだろう。

サンスは口汚くテレーゼ嬢に向かって尚も怒鳴り続けていた。



『また融資を断られたのですか?』


そこへ、開け放たれた扉の向こうから、1人の女が呆れたような声でそう言い、部屋に入ってきた。

こっちは年齢的にもサンスの愛人だろう。

狐のような吊り目を醜く歪めている。

若い頃なら美女と言われたかも知れないが、その姿はまるで狐の妖怪か何かに見えた。



『そんなっ!私新しいドレスを注文したのよっ!

靴も宝石もっ!支払いはどうするのよっ!』


金切り声を上げて女の後から入ってきたのはフランシーヌだった。

こちらは既に姿を確認済みなので間違いない。



『この娘の母親がもっと国から弔慰金を貰える働きをしなかったせいだっ!

あんな雀の涙の様な金額っ!

何の役にも立たなかったっ!

その娘も役立たずで、邸の仕事もまともに出来ないっ!

全てこの母娘のせいだっ!

私の人生を台無しにしやがってっ!』


愛人とフランシーヌの前で、サンスが真っ赤になって叫ぶと、持っていたステッキを振り上げ、テレーゼ嬢を激しく打ち付けた。


『キャッ!』


ステッキで殴られたテレーゼ嬢は悲鳴を上げて痛みに顔を歪める。




「テレーゼッ!」


ノワールが悲鳴のような声を上げ、咄嗟にテレーゼ嬢をサンスから庇おうと手を伸ばすが、当然映像を掴む事など出来ない……。


悔しさに唇を噛むノワールの顎に、そこから滴った血が伝っていた。




恐ろしそうに震えるテレーゼ嬢を、愛人が見下している。

そして溜息を吐きながら口を開いた。


『この娘をどこぞの好色な金持ちの後妻か妾として売っ払いましょう。

まだ高く売れる歳のうちに。

器量が悪くても若い娘なら良いという好色家はいくらでもいますよ』


女の言葉にフランシーヌが嬉しそうにその顔を醜く歪めた。


『あ〜あ、アンタ、そんな所に売られたら、どんな目に遭わされるか分からないわね。

初めてが好色爺だなんて、まぁ、醜いアンタにはお似合いかもね。

どうせこのまま使う事もなく腐るだけの処女だったんだから、それでも有難いと思いなさい。

………あっ、ねぇ、ちょっと待って!』


クソみたいな戯言を平気でのたまっていたフランシーヌが、良い事を思い付いたかのように、その顔を輝かせた。


『どうせ売るにしても、今から相手を探して婚姻や妾契約なんかしていたら、私の支払いに間に合わないわ。

その間、コイツを遊ばせておくのも無駄な事よ。

ねぇ、売り付け先が見つかるまで、コイツをオークションにかけましょう』


フランシーヌの言葉に、サンスが難しい顔のまま首を傾げた。


『それは、どういう事だ?』


サンスにそう問われたフランシーヌは、悪戯っぽく片目を瞑る。

この女のどんな仕草も、私達には醜く映るだけだった。



『私、会員制の秘密のパーティを知っているの。

そこでは何でも売り買い出来るのよ。

オークションにかけて競りで売る事も出来る。

何でもね。

例えば、伯爵家の令嬢の処女、とか』


そう言って、ニヤニヤと笑いながらテレーゼ嬢を見下ろすフランシーヌ。


途端に、同じようにニヤニヤと笑い出すサンスとその愛人。


『なるほど、ここまで醜くては使い物にならんと思っていたが、少しは役に立ちそうだ』


そう言ったサンスに、ステッキの先で顎を掬われ、テレーゼ嬢は恐怖にガタガタと身体を震わせていた。


『早速明日、そのパーティが開かれるから、コイツをオークションにかけて金に変えましょ。

最初は処女って付加価値があるから、きっとこんなんでも高く売れるわよっ!

次からは……そうね、何とか誤魔化せばいいわ』


ワクワクとしたフランシーヌの様子とは正反対に、テレーゼ嬢はこの世の終わりかのように青褪めていた。



『それじゃ、私はこの娘の売り付け先を探しておきますね。

人に言えないような酷い趣味を持った人間なら、大人しく従順で帰る家の無い娘に、金の糸目もつけないでしょうよ』


楽しそうに顔を歪める女を、テレーゼ嬢は呆然とした様子でぼんやりと眺めていたが、やがて全てを諦めたかのように、その瞳から全ての感情を失っていった。


醜い笑い声を上げる3人を前に、テレーゼ嬢はただ静かに、全てを受け入れるように真っ直ぐと前を見つめている。





そこで映像が途切れ、同時にノワールがドサッと床に膝を付いた。


ジッと床を見つめるノワールから、冷気が漂ったかと思うと、それが一気に噴き出すっ!


咄嗟にミゲルが光の結界を展開して皆を守った。

流石護りの天才、ミゲル様っ!


ノワールから一気に放たれた冷気は、みるみる内にエリオットの執務室を氷漬けにしていく。



「まぁ、爆破されなかっただけマシかな?」


呑気なエリオットの呟きに、ニースさんがピクピクと眉を痙攣させていた。



「………………ロス……」


床を見つめたまま、ノワールがぶつぶつと何か呟いているのに気付き、私達は耳をそば立てた。


「………サンス……あの女どもも……全員……殺す………殺してやる………」


口調まで変わっているノワールに、皆がヒャッと顔色を変える中、何故かクラウスだけ自分の顎を掴み、うんうんと頷いている。


いや、うんうんじゃねーーーよっ!

肯定すんなっ!

このままじゃノワールが人殺しになっちまうっ!

ヤバイヤバイヤバイっ!


焦ってどうするか頭をぐるぐる回す私の横で、キティが大声を上げた。


「いけませんっ、お兄様っ!

お兄様が罪を犯してしまっては、もうテレーゼお姉様に会えなくなってしまうんですよっ!

このようなお姿になってしまっているお姉様を、お兄様が側で支えなくてどうするんですかっ!

しっかりなさいませっ!お兄様っ!」


凛としたキティの声に、ノワールがゆっくりとこちらを振り返った。

その頬を冷たい涙が伝っている。


「キティ……だけど僕は、奴らが許せない……。

この手で殺してやらないと、気が済みそうに無いんだ……」


僅かに唇を震わせてそう訴えるノワールに、私はキッと鋭い視線を送った。 


「それでアイツらを殺せば本当にアンタは満足なの。

あんなくだらない奴らを殺した罪で牢に繋がれて、あんな状態のテレーゼ嬢を放っておくつもり?

それとも誰か他の人間に任せるの?

そんな事出来ないでしょ?

アンタがテレーゼ嬢の為にするべき事は、自分の感情を抑え付けて、テレーゼ嬢の側にいる事よっ!」


ノワールを真っ直ぐに見つめてそう言うと、隣でレオネルも声を上げた。


「奴らを殺してしまえば、公の場で奴らを裁けなくなる。

そうなれば、エクルース伯爵の名誉を取り戻す事が出来なくなってしまうではないか。

奴らのやった事まで、テレーゼ嬢が背負う事になるんだぞ。

いいか、ノワール。エクルース家は奴らのせいで醜聞に塗れている状態だ。

その全てを公にして、テレーゼ嬢の正当性を皆の前で立証出来なければ、エクルース家に、そしてテレーゼ嬢に未来はない。

それをお前自らが潰してしまうのか」


レオネルの冷静な言葉に、やっとノワールはゆっくりと立ち上がり、冷気を鎮めていった。


瞬時に私とジャンで部屋の氷を溶かし、元の状態に戻していく。



「ごめん………皆………。

僕はまた我を見失い、大変な間違いを犯すところだった……。

キティ、シシリア、レオネル、止めてくれてありがとう……」


苦しそうに顔を俯かせるノワール。

頭では私達の言う事を理解しているが、心がついてこないのだろう。

ギュッと自分の胸の辺りの服を掴んでいる手が激しく震えている。



「バッカ、お前、惚れてる女があんな目に遭ってんの見て平気な男なんていねーよ。

さっさとあんなとこからテレーゼ嬢を助け出そうぜ」


そう言ってバンバンとノワールの肩を叩くジャンに、ノワールは微かに微笑んだ。


「体の傷は私が必ず治してみせるとお約束します。

だからノワールは、テレーゼ様の心の傷を癒やして差し上げて下さい」


穏やかに微笑むミゲルに、ノワールは静かに頷き、その瞳に涙を滲ませた。



どうやら納得してくれたらしいノワールに、私達は心の底からほっと胸を撫で下ろした。



………1人だけ、物凄く不思議そうな顔で首を捻っている奴がいるが………。


そのクラウスが口を開こうとした瞬間、キティがギュッと抱きついて、その口を閉じさせる事に成功した。


ナイスッ!キティッ!

今コイツからの助言とか、死ぬ程必要無いから。

黙らせとこうか。

折角良い感じに収まったものを、再噴出させそうな発言する気満々のそこのド阿呆を。

是非、キティ責任でっ!オナシャスッ!





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