EP.137
「ルジー、本当にありがとう……。
ずっと貴女がお姉様を守ってくれていたのね。
お姉様は必ずお兄様達がお助けするから、貴女は自分の体調を万全にしておいてちょうだい。
今のままではお姉様が心配してしまうわ」
ルジーの手をギュッと握り、キティがそう言って真っ直ぐに見つめると、ルジーは瞳に涙を浮かべ、何度も何度も頷いた。
「キティ様、勿体ないお言葉を頂き、ありがとうございます。
そうですね、いつでもお嬢様のお世話を出来るように、しっかり体調を取り戻さなくては」
頬の痩せ細ったルジーは、しかしその瞳に希望を浮かべ力強くそう言った。
サンス達に虐げられ、挙げ句廃人同然の状態に追い込まれたまま、二年間もベッドの上で過ごしていたのだ。
ルジーの体は、よくここまで辿り着けたなと思える程痩せ細っていた。
その姿がまだ見ぬテレーゼ嬢と重なり、私はぶるっと小さく身を震わせた。
「ルジー、貴女には私の邸で静養してもらうわ。
そこで証言書を作成したいの。
テレーゼ嬢を助け出した後、サンス達を糾弾する為にね。
ゲストハウスを自由に使ってくれて構わないから、体調を万全にして来たる時にテレーゼ嬢を支えてあげられるようにして欲しいの。
良いかしら?」
大事な生き証人であるルジーを、まかり間違っても再びサンス達にどうこうされる訳には行かない。
王宮を除けば、うちほど安全な場所は他に無いだろう。
私の提案にルジーは見ていて居た堪れないくらい縮こまり、ブンブンと頭を振った。
「そんなっ、私のような者にゲストハウスなど……。
使用人の部屋で十分ですからっ」
そう言うルジーに、今度は私が、それは許容出来ないと力強く首を振った。
「ダメよ。次期エクルース伯爵様の侍女に使用人部屋なんて。
我が家が皆の笑い者になってしまうわ。
貴女は何も気にしないで、しっかり静養しながらテレーゼ嬢を待つの?良い?」
強めにそう言うと、ルジーは申し訳無さそうに頭を深々と下げた。
「そう仰って頂けるのなら、お気持ち有難く頂戴致します。
後程、しっかりとお嬢様のお役に立てるように、証言書の作成に協力致しますので、どうかお嬢様の事、よろしくお願い致します」
震える声でそう言うルジーの肩に優しく手を置いて、私はゆっくりと頷いた。
「大丈夫よ、テレーゼ嬢は必ず救い出す。
我がアロンテン家の名にかけて約束するわ」
ニッコリと微笑むと、ルジーの顔色が見る見る真っ青に変わっていった。
「ア、アロンテン……公爵家ですかっ!
で、では貴女様はっ、アロンテン公爵令嬢様っ!」
ブクブクと泡を吹いて倒れそうになるルジーを、レオネルが慌てて支えた。
因みに今体を支えてんのは、そのアロンテン家の次期当主なんだけど、という言葉は流石に控えておいた。
なんかそんなに驚かれちゃあ、ねぇ?
更に第二王子もいまっせ?
とかも止めといた。
ただでさえ弱っている女性に、これ以上の無体(?)は働けない。
フラフラと足元のおぼつかないルジーを支える為、レオネルも一緒に馬車に乗り込み、アロンテンの邸に向かった。
それを見送った後、応接間に戻ると、皆一様に疲れた様子でソファーに座り込む。
「怖い思いをしたね、大丈夫かい?キティ」
何故か1人だけケロッとしているクラウスが、心配そうにキティの顔を覗きこんでいる。
確かに、いくら咄嗟にクラウスが腕の中に庇ったとはいえ、目の前で他人の顔が爆発したのだから、キティも相当ショックだっただろう。
しかもそれが、昔の知り合いだったのだから、尚更。
「お気遣いありがとうございます、クラウス様。
私なら大丈夫です。
そんな事よりお姉様が心配です……。
どうか、ご無事でいて欲しいと、願うばかりですわ……」
微妙に遠慮がちなキティは、自分にしか抜けない宝刀を抜かないように、最新の注意を払いながら、オドオドとそう言った。
ここで怖かっただの、もうあの野郎ども許せないだの言った瞬間に、エクルース家の邸が木っ端微塵に吹き飛ぶと、しっかり学習してくれたみたいだ。
いくらテレーゼ嬢を無事に救い出したとして、彼女の受け継ぐべき邸が消し炭になってしまっていては、流石にもう合わせる顔も無くなる。
キティにはその辺よく踏まえてもらって、慎重にクラウスを微調整していて欲しいところだ。
「とにかく、後はエリクが上手くやってくれる筈よ。
エリクとエリーは一度侵入した場所なら、後から何度でも転移出来る能力を持っているから」
私の言葉に、ミゲルはカッと目を見開いた。
「それは神の祝福であるスキルですかっ⁉︎」
なんかもう、スキルマニアになるつつあるミゲルに向かって、私はヒラヒラと手を振った。
「違うわよ。エリクとエリーは東大陸にあった、幻の国と言われた場所の出身なの。
その国ではエリクやエリーのような力を隠形術と呼んでいたそうよ。
その辺はミゲル、アンタの方が詳しいんじゃない?
確かにスキルに似ているけど、スキルのように魔力を無効化する力は無いの。
但し、隠形術で内側に入り込みさえすれば、魔法の類をすり抜ける事が出来るのよ。
限定的だけどね。例えばエリクなら自身とエリーだけ。
エリーの場合も同じね。
まぁ今回はエクルース家に張ってある結界が特殊だから、どこまでエリクの力が通じるか、懸念は残るけど……」
そこまで言った時、まるで見計らったかのように、エリクに送った小鳥型の通信魔道具が窓から飛び込んで来た。
「良いタイミングね」
私は魔道具に録音されているエリクからのメッセージを皆の前で再生する。
『シシリア様、お言付け通りにエクルース家の邸への侵入に成功致しました。
古代魔術による結界への懸念がありましたが、無事にエリーを呼び寄せる事が出来ましたので、中からなら我々の隠形術が通用するようです。
エリーはこのまま邸に残し、邸内の調査を進めさせます。
私は一旦業者として邸を出た後、夜になったらエリーと合流します』
エリクからの朗報を届けてくれた小鳥型の魔道具のクチバシに思わずキスをして、私はニヤリと笑った。
「これでテレーゼ嬢の今の状態を知る事が出来るわ。
エリクとエリーなら古代魔術を発動している魔具も探し出せるはずよ。
それを中から破壊出来たら、いよいよテレーゼ嬢救出に向かうわよ」
バンバンッとノワールの腕を叩くと、ノワールは本当に嬉しそうに笑った。
「本当にありがとう、シシリア。
もっと早く皆に相談していれば良かったね……。
遊学中のテレーゼをこの手で捕まえて、口説き落とすつもりでいたんだ。
それがこんな事になるなんて……。
僕がもっと早く彼女の窮地に気付いてあげられていたら………。
僕は彼女を慕い続けてきたくせに、何も見えていなかった」
だんだんと顔を曇らせるノワールに、私はなんて声を掛ければいいのか分からなくなってしまった。
前世の記憶のある私やキティでさえ見抜けなかった。
決してサンスが巧妙だった訳では無い。
むしろ奴のやっている事は杜撰でお粗末なものだ。
それでも誰一人テレーゼ嬢の窮地を見抜けなかったのは、私達が生まれ育った環境からあまりにもかけ離れていたからだ。
貴族の家門にとって、当主として指名されている子供はただの子供では無い。
次期当主として、尊ばれ傅かれるべき存在なのだ。
そうであるべきテレーゼ嬢が、幼いうちに他国に留学に出されたまま放って置かれているだけでも非常識な話だったというのに、まさか邸に閉じ込められ、使用人以下の扱いを受けているだなんて、いくらノワールでも思いもつかなくて当然だ。
それでも、辛い思いをしている彼女に、誰一人救いの手を差し伸べてこなかった現実は変わらない。
テレーゼ嬢がこの9年間、どんな扱いに耐え、どう思って生きてきたのかなど、誰にも分からない。
私達がすべき事は、一刻も早く彼女をその地獄から救い出す事だけ。
今はその事に集中して動く事しか出来ない。
ノワールの後悔や悔しさ、今どれだけ歯痒い思いをしているか、私にも痛いほど理解出来る。
大切な人を助けられなかった後悔は、体を内から焼き尽くすほどに苦しいだろう。
だけどノワールはまだ間に合う筈だ。
いや、必ず間に合わせてみせる。
そして正々堂々とノワールにテレーゼ嬢を口説かせてやりたい。
まぁ、その想いが叶うかどうかまでは預かり知らんがなっ!
「反省も後悔も後よ。
私だって、ここにいる皆だって同じ気持ちなんだから。
今はテレーゼ嬢を無事に助け出す事に集中しましょう。
彼女を助け出した後にも、やる事は山積みなんだからね」
バンバンバンッと強めにノワールの腕を叩くと、ノワールは強い力を宿した瞳で頷いた。
「そうだね、必ずテレーゼを救い出し、彼女のものを全て奴らから取り返す。
地位も名誉も、全てを。
そして奴らがテレーゼに行った全ての非道な行為を、倍にして奴らに返してやる」
そのノワールの言葉に、クラウスが意外そうに片眉を上げた。
「倍如きで納得するとは、随分と優しいんだな」
ニヤリと笑うクラウスに、ノワールは満開の花を背負ってフッと微笑んだ。
「嫌だな、クラウス。
何事にも誤差は付き物だよ?」
うん、倍如きで済まない事だけはよぉ〜くっ、分かった。
誤差ね?誤差の範疇でね、何十倍にもして返すって事だよね?
うん、賛成。
私は賛成だな。
いやぁ、本当に今から楽しみだなぁ。
サンスをギッタンギッタンのボッコンボッコンにしてお空の彼方にぶん投げてやるんだぁ。
アハハハハハハハハハハハハァ。
ニコニコと笑い合う私とノワールとクラウス。
……と、密かにキティ。
何気にブチ切れてるキティがレア過ぎて、まだ誰も気付けていないが。
多分、1番怒らせちゃいけない人だと思うの。
なんとなく………。
「そういえば、テレーゼ嬢の姿絵とかは無いの?
あればエリクがエクルース家の邸に戻る前に渡しておきたいんだけど」
私の言葉にノワールが残念そうに眉を下げた。
「テレーゼは自分の姿絵を人に見られるのを恥ずかしがっていて、邸の奥の部屋から出さないように使用人達にお願いしていたんだ。
僕も一枚だけでいいから欲しいとお願いしたんだけど、首を縦に振ってもらえなかったんだよね」
ノワールの返答に、私はう〜んと顎を掴み考え込んだ。
まず間違いなくエリクエリーなら正確にテレーゼ嬢を見つけ出せるだろうけど、それでも姿絵があった方がより正確さが増すしなぁ。
そこで私はキティをピッと指差した。
「描ける?」
短い私の言葉に、キティは興奮気味に何度も頷く。
「任せて。テレーゼお姉様の事なら全部ちゃんと覚えているから」
そこでキティは棚から紙とペンを取り出すと、机に向かって一心不乱に描き始めた。
「へぇ、キティが絵が得意だなんて知らなかったな」
クスクスと楽しそうに笑うクラウスに、何故かノワールが偉そうに胸を逸らして言った。
「キティは絵画の授業でも、独特で味のある絵だと講師を唸らせた程の腕前だからね。
恥ずかしがってなかなか描いてくれないけど、その腕に間違いは無い………」
ノワールはそこまで言って、タラタラと冷や汗を流し始めた。
サラサラと描き上げたキティの絵を目の当たりにしたからだ。
そこには、美しい湖畔を背景に、ふっくらと玉のようにツヤツヤとした少女が、2人の妖精と戯れている、なごみと癒ししかないイラストが……。
「テレーゼお姉様と、ノアとテティよっ!
ノアとテティは姉妹の妖精なの。
ノアがお姉さんで、テティが妹ね。
こっちのボトルグリーンの瞳の妖精がノア。
エメラルドの瞳はテティ」
ドヤァッと紙を片手にふんぞり返るキティに、クラウスがニコニコと手を叩いている。
うんうん、上手上手。
イラスト描きは腐女子の嗜みだもんな。
いやぁ、相変わらず上手いよ。
特にその、なんだっけ?ノアだっけ?
真紅の髪に、ボトルグリーンの瞳の妖精ね。
薔薇の花びらで作ったスカートがお似合いの、その妖精さんね。
特に良いんじゃないかなぁ?
いや、ホント。
ぶ、ぶふっ……違和感なさ過ぎて逆に凄いんだけど、それノワールだよねっ⁉︎
イラストでデフォルメされていても一目で分かるくらいノワールだよねっ⁈
ギャッハッハッハッハッ!
おまっ!マジで妖精にされてんじゃね〜かっ!
あかんっ!
面白すぎるっ!
事あるごとに思い出しては急に笑いだす不審人物になっちゃうじゃないかっ!
やめ、やめてくれーーーーーっ!
もう、やめてぇっ!
堪えきれずに笑いながらのたうち回る私とジャンを、こめかみに青筋を立てながらプルプルと震えるノワールが睨み付けていた。
「………二人とも、氷漬けになりたくなかったら、今すぐそのバカ笑いをやめた方が良いね」
フリージングされた薔薇を背後に背負ったノワールにニッコリ微笑まれ、私とジャンは直ぐにピッと立ち上がり、背筋を伸ばして真っ直ぐに立った。
おぉう、ヤバいヤバい。
フリーズドライされちゃうよ。
「んっ、ゴホンッ!妖精さんはともかく……。
これがテレーゼ嬢なのね」
キティから紙を受け取り、マジマジと見つめ、私は思わず頬がニヤけるのを止められない。
テ、テレーゼ嬢っ!
何て嫋やかでふくふくとした神々しさなんだっ!
ああっ、か、可愛いっ!
マシュマロみたいっ!
可愛すぎて食べちゃいたいっ!
キティの記憶の中にあるテレーゼ嬢なので、10歳の正真正銘のロリッ子。
プルンプルンのほっぺにふにふにの体付き。
ふっくらとした体躯。
こ、これはっ!ぽっちゃり系ロリキターーーーーーッ!
可愛いっ!白いっ!ぽっちゃりっ!
ぽちゃぽちゃむにむにっ!
可愛いが大渋滞を起こしてるっ!
ハァーハァーッと血走った眼で、涎を垂らさんばかりにそのイラストに食い付いている私から、ノワールがそっと紙を抜き取った。
「シシリア、キティの貴重な絵に涎がついちゃうから……」
代わりにハンカチをそっと差し出されて、私は無意識に垂らしていた涎をそれでササッと拭いた。
すまんすまん、本当に涎出てた。
「しかし個性的な絵だな。
俺知ってるぜ、こんな感じのをマンガ絵って言うんだろ?」
同人界隈でしかお目にかかれない筈のものを、何故ジャンが知っているのかと言えば、あれだね、マリーだね。
マリーが持ち歩いていた物を、ふざけてジャンがパラパラ見たりしてたからなぁ、夏合宿の時に。
自分が無理やり押し倒されて美味しく頂かれる寸前のヤツね(ニッコリ)。
本人気付いてないけど。
それからノワールは、愛おしそうにそのイラストを見つめた。
恋しいテレーゼ嬢に想いを馳せているのだろう。
本当なら今頃、テレーゼ嬢はノワールの隣でその絵のように朗らかに微笑んでいたのかもしれない。
テレーゼ嬢の記憶の中に、妖精のノアが少しでも残っていますように……。
その横顔を眺めながら、そう願わずにはいられなかった。




