EP.135
「結婚するらしいの………テレーゼお姉様が………」
キティの衝撃的な言葉に思考停止した私の脳だが、いつまでもこの惨状のまま停止している訳にもいかない……。
「とにかく、この状態を何とかしましょう。
ジャン、火魔法でノワールの氷を中和するわよ。
キティはノワールに何でもいいから話しかけて」
私の言葉にジャンとキティが同時に頷いた。
火属性ならクラウスも持っているが、奴のはどの属性の力も強過ぎる上に強弱がド下手なので頼めない。
こう見えてジャンは自分の属性をキッチリ極めていて、繊細な調整も天才的なのだ。
こう見えて。
「いくわよ、ジャンッ!」
私とジャンは同時に熱風を巻き起こし、ノワールを刺激しない程度に繊細に調節しながら部屋中の氷を溶かし始めた。
それと同時にキティがノワールに必死に話しかける。
「お兄様っ!しっかりなさって下さいっ!
その手紙に書いてある事はまだ何も確証がございませんっ!
テレーゼお姉様ご本人からの手紙でも無いのですっ!
お姉様なら、もしそれが本当なら、ご自分で私達に知らせてくれ筈ですっ!」
流石のシスコンノワール、キティの声に無意識に反応したのか、吹雪の勢いが多少弱まってきた。
いいぞっ!妹にしたいご令嬢No.1!
いけいけっ、もっといけっ!
私の声援を、言わずとも感じ取ったのか、キティはキッとノワールを見ると、スゥッと息を吸い込んだ。
「それにっ、お兄様はこのままで本当に良いのですかっ!
テレーゼお姉様はお兄様の事をっ、女の子と勘違いしたままなのですよっ!
もし本当にテレーゼお姉様が結婚を決めたとしても、お兄様の誤解が解けて、男性だと分かって頂きさえすれば、きっとお姉様はお兄様を選ぶ筈ですっ!
お兄様の事を女の子だと勘違いしたままだから、他の男性を選んだんですよ、きっと!」
衝撃的なキティの告白に、皆がピシッと固まった。
……はっ?えっ?なんて?
ノワールを女の子と勘違い?
テレーゼ嬢が………?
ノワールを?
女の子と?
その場がシーーンと静まり返り、私とジャンはつい熱風を起こすのを忘れてしまっていたが、もうその必要は無かった。
何故なら吹雪を巻き起こしていた張本人が真っ赤になって、プルプル震えながらこちらを見ていたからだ。
「…………ぷっ」
その瞬間、クラウスが小さく吹き出して、皆も一気に総崩れとなった。
「ノ、ノワッ……アンタ……テレーゼ嬢に女の子だと勘違いされてんの……ぷっ、ぷふっ」
「お前っ、婚約どうのこうの以前の話じゃねーかっ!」
「アッハッハッハッ!やめなさいよっ!ジャンッ!
ハッキリ言い過ぎだからっ!ナァーハッハッハッ!」
遠慮無くノワールを指差しながらバカ笑いする私とジャンの後ろで、レオネルとミゲルが顔を隠しながら、しかししっかりと肩を揺すって笑っていた。
衝撃暴露をした張本人のキティだけが、訳が分からない様子で周りをキョロキョロと見ている。
ダッハッハッハとバカ笑いし続ける私とジャンに向かって、ノワールがゴゴゴッとデッカい氷塊で攻撃しようとしていたその時になって、やっとキティは自分のしでかした事を理解したのか、アワアワしながら私達の前に立ってノワールに叫んだ。
「お兄様っ!女の子だと勘違いされていたからこそ、妖精さんごっこでテレーゼお姉様と仲良くなれたんですっ!
何も恥じる事ではありませーんっ!」
再びシーーンと静まり返った室内に、キティの全力のせーんっ!が木霊のようにせーんっ、せーんっ、せーんっと響く………。
ややして、先程は何とか声を押し殺していたレオネルとミゲルまで、ブフッと吹き出し、一斉に笑い声を上げた。
「あ、アンタ……よ、妖精さんごっこって……女の子に間違われてた上に、妖精さんごっこって……っ!」
「や、やめてくれっ!俺の腹筋を試すのは、もうこれ以上やめてくれっ!」
ギャッハッハッハッと笑い転げる私とジャンを、射殺すような目で見つめていたノワールだが、やがて深い溜息を吐いて、諦めたように肩を落とした。
「ごめんね、キティ….…心配させたね。
もう、大丈夫だから、その……昔の事はもうその辺で……」
言いながらプルプルと震えているノワールが流石に不憫になった私は、ハァーハァーと肩で息を吐きながら何とか笑いを抑え込んだ。
いや、死ぬかと思ったけどね。
笑い過ぎて。
これ、トラウマレベルだわ。
絶対に笑っちゃいけない時に思い出しちゃう罰ゲーム的な威力あるわ。
まぁ何はともあれノワールの暴走を鎮めたのだから、キティの功績は大きい。
いや、テレーゼ嬢の功績と言うべきか?
皆、暴走状態のノワールを力で抑え付ける事しか考えていなかったが、まさかキティがそんな秘策を隠し持っていたとは……。
侮れん、妖精さんごっこ……んぶふっ!
つい頭の中でキラーワードを思い浮かべてしまい、また吹き出す私を、ノワールが涙の光る死んだ目で見つめていた。
いや、すまんすまん。
本当にごめん。
「んっ、ゴホンッ!とにかく、何があったのか詳しく教えてくれない?」
何とか笑いを抑え込み、ノワールに向き直ると、ノワールが真っ白な顔で手に持っていた紙をこちらに手渡してきた。
「先日、ローズ家から正式に婚約の申し込みをしたんだ。
もう何度目かになるか分からないくらいなんだけど。
ここ最近は返信さえ無くなっていたのに、珍しく返事が返ってきてね。
それがそれ。テレーゼが異国の貴族と結婚する事になったと書いてある」
少し震えているノワールの声に、さっきあんなバカ笑いしてちょっと悪かったな、と反省しつつ、私はその手紙に目を落とした。
確かにそこには、テレーゼ嬢が他国の貴族と恋仲になり、近々婚姻する為、エクルース家の前権利をサンスに委任した、といった内容が記されている。
いや、待て待て。
どこからツッコめばいいのやら。
よくもこんなデタラメな手紙に惑わされて、一室丸々氷漬けにしたなこの脳筋は。
「あのねぇ、ノワール、この手紙の内容はおかしな事ばかりじゃない。
まず、エクルース次期伯爵の婚姻ともなれば、いくら他国に嫁ぐとはいえ、王国の、つまり陛下の承認が必要になるってのに、そんな話は全くきてないわ。
エクルース家の事に関して、何かあれば直ぐに私達に教えてくれるって、陛下とは約束してあるから、まず間違いないわよ」
その手紙をヒラヒラとさせながらそう言うと、やっと頭が冷えてきたのか、ノワールの顔色が通常に戻ってきた。
「それから、とっくにアンタにも情報共有してある筈なんだけど。
テレーゼ嬢が実際は出国していない説が濃厚なの。
だから〝梟〟の諜報員も今は国内を隅から隅まで捜索してるわけよ。
そのテレーゼ嬢が、実際には出国していないにも関わらず、他国で婚姻?
しかもその国名も、相手の名前さえ書いていない。
お粗末過ぎて、相手にするのも馬鹿らしい内容じゃない」
理路整然とペラペラ説明してやると、ノワールはやっと手紙の内容の違和感に気付いたのか、ハッとした顔をしている。
普段ならいくら脳筋といえ、ここまで鈍い奴じゃないんだが……。
むしろ頭はキレるし、察しも早い。
ただ、解決方法として、その賢い頭を使わず直ぐに物理で何とかしようとするから脳筋と言われているだけで。
そのノワールが、こうも取り乱し、まんまと下らない策に嵌るとは……。
そういや、逆にアホかって程頭がキレッキレのクラウスも、去年まではキティと訳分からんすれ違いばっかりしていたな……。
アレか?
恋するとバカになるってのは本当なのか?
えっ?
ナニソレ、怖い。
くわばらくわばら。
私はご遠慮願いたいわぁ……。
だんだんとノワールの顔が恋する男のアホ面に見えてきて、若干引き気味の私に、ノワールは申し訳無さそうに項垂れた。
それを更に追い込むようで悪いが、私は遠慮無く話を続ける。
「それにねぇ、この、婚姻するからサンスにエクルース伯爵家の全権利を委任したって箇所。
過去形で書いてあるけど、勿論そんな事出来ないし、そんな承認下りてないわよ。
せめてこの辺りでサンスの虚言だって気付きなさいよ。
もしテレーゼ嬢が本当に婚姻したとしても、エクルース伯爵位を譲渡される可能性があるのはその結婚相手の男性であって、サンスな訳無いじゃない。
その相手に譲渡しなくても、次に伯爵家を継げる権利があるのは、テレーゼ嬢の子供であって、やっぱりサンスじゃないのよ?
これくらいアンタにも分かる事でしょ?」
ハイハイ、そこの薔薇の貴公子とか氷の騎士とか呼ばれている見た目だけの脳筋さんよぉ?
しっかりしてくれよ〜〜、頼むから。
思わず憐憫の目で見つめていると、ノワールがヘナヘナと膝から崩れ落ちていった。
そして自分の顔を両手で覆い、余りの失態に恥いるように、情けない声を出す。
「……ごめん、テレーゼが僕以外の誰かと恋仲になったとか、婚姻するとか……。
頭がどうにかなりそうになってしまって……。
そんな当たり前の事も冷静に判断出来なかった……」
余りの悲壮感溢れるその声に、流石に私が虐めたみたいな気分になってしまって、それ以上は何も言えず、クラウスに肩を抱かれながらソファーに座るノワールをただ見つめていた。
しかし、私が思っていたよりサンスはエクルース伯爵位に固執しているようだ。
テレーゼ嬢が次期当主である事は曲げようもない真実だと言うのに、何故こうも自分が伯爵位を手にする事に拘り続けるのか。
確かに、エクルース家門から排斥されれば、既に元の子爵位すら失ったサンスは一平民となる。
だからといって、いや、だからこそ。
テレーゼ嬢の父親としてキチンと責務さえこなしていれば、エクルース伯爵父君として、エクルースを名乗り続ける事が出来ると言うのに。
サンスとて、元は子爵令息であった身。
子爵位とはいえ、バルリング子爵家は魔力を正しく引き継いできた由緒正しい古くから存在する家だった。
それをサンスが食い潰した訳だが。
とはいえ、そのバルリング子爵家で育ったなら、必要最低限の貴族としてのしきたりや礼節は弁えている筈だ。
血脈も無く、指名されたわけでも無い入り婿が、エクルース伯爵になど成れる訳が無い。
そんな当たり前の貴族の家のルールさえ無視するこの暴虐な態度。
まるでこれでは貴族の価値観を全く理解していない………平民のよう……?
そこまで考えて、私はハッとして顔を上げた。
「ノワールッ!サンスの愛人は平民だったわよねっ⁉︎」
私の切羽詰まった声に、ノワールはビクリと体を揺らして目をパチパチと瞬いた。
「うん、そうだよ。貴族専門の高級娼館の娼婦だったから、貴婦人の真似事なんかしているけど、生まれも育ちも間違いなく平民だよ」
それがどうかしたの?と首を傾げるノワールを前に、私はパチパチパチと一気にパズルのピースがはまっていくような感覚に落ち入り、目の前が真っ暗になっていった。
バカバカバカバカバカバカバカバカっ!
私の馬鹿っ!
阿呆だっ!私は阿呆だっ!
何で今まで気付かなかったんだろうっ!
前世の記憶があるからって、庶民の感覚を持ち合わせていると慢心していた。
私はこの世界の、この王国の、王家に次ぐ家柄に生まれた超セレブ令嬢で、キティに並んでトップレディーに次ぐ存在。
そうあるべく教育されてきた弊害が、ここで発揮されていると、何故自分で気付かなかったっ!
慌ててもつれる舌を何とか動かし、私は皆に訴えた。
「サンスの考え方、やり方は、平民のそれよっ!
血脈や指名、国からの承認で決まる貴族の跡取り問題とは違い、平民の家はもっとシンプルなの。
何であれ、男が家長、それだけ。
平民の愛人の価値観で囁かれ、自分の都合の良いようにサンスはそれを信じ切ってる状態なのよ。
最初からテレーゼ嬢に伯爵位を叙爵させる気なんて無かったんだわっ!
更に平民である愛人に貴族のしきたりなんて通用しない。
女が伯爵位を継承するなんて、そんな非常識な事ある訳無いくらいに思っている筈よ。
つまり、その愛人から見て、テレーゼ嬢は非常識で邪魔な存在……。
彼女さえいなければ、サンスや自分の娘がエクルース伯爵位を継げると信じている。
そんな事あり得ないと理解出来ないのよ。
……つまり、だから、テレーゼ嬢は………」
そこまで言って唾を飲み込む私を見て、キティが涙を浮かべて立ち上がった。
キティも前世の記憶と照らし合わせ、全てを悟ったのだろう。
「……お姉様はエクルースの邸にいるのね?
ずっと、ずっとそこに居たんだわ……。
そして、実の父親とその愛人と娘に虐げられている……」
そこまで言って耐え切れなくなったのか、キティはクラウスの胸に抱き付き、ボロボロと涙を流した。
「……うっ、ひっく……どうして今まで気付いて差し上げられなかったのかしら……。
お姉様がどんな目に合っているか……。
クラウス様、お姉様を、お姉様を助けてっ!」
しまったっ!
自分の失態に目が眩んで考え無しにベラベラ喋っちまったっ!
キティに伝家の宝刀を抜かれてはマズイッ!
が、時すでに遅し……。
クラウスは優しくキティの髪を撫でながら、暖かい目で見つめつつ、穏やかに微笑んだ。
「もちろん、キティをこんなに泣かせた奴らは、魂さえも消し炭にしてやろうね。
俺が全てを焼き払ってあげるから、もう泣かないで、キティ」
ふふふっとキティの髪に顔を埋め、ギラリとその瞳の奥を獰猛に光らせるクラウスに、皆が絶望を感じた瞬間、ノワールがその肩を強く掴んで揺るぎのない声を上げた。
「クラウス、悪いけど、その役目は僕のものだ。
テレーゼは僕が救い出す。君には譲れない」
その強い意志の篭った言葉に、クラウスの瞳から狂気が徐々に消えていった。
た、た、た、助かったーーーーっ!
魔王から鬼神にハイタッチしただけだけどっ!
とりあえずは、とりあえずはノワールなら、サンスどころか王国ごと消し炭にするなんて事は起こらないだろう………。
いやマジヤバかった……。
クラウスの様子と私達の様子を見て、自分が抜いてはいけないものを抜きかけた事に気付いたキティは、カタカタと震えながらクラウスを見上げている。
「あ、あの、クラウス様……。
先程は大変失礼致しました……。
動揺していたとはいえ、無理なお願いをしてしまい……も、もぅ大丈夫ですから。
テレーゼお姉様の事は、お兄様にお任せ致しますから……」
カクカクと震える声でそう言うキティに、クラウスが優しくニッコリと微笑む。
「遠慮しないで、キティ。
これからも気に入らない奴がいれば俺に言うんだよ。
その存在ごと、俺が抹消してあげるからね」
そのクラウスの言葉に、キティは床が揺れる程ガタガタと震え、焦点の合わない瞳に涙を浮かべた。
「あ、ありがとうごじゃいましゅ………」
お礼言っちゃったよっ!
そこは奴を上手く諌めて欲しかった……っ!
とはいえ、今回は完全に自分の失点だった為、何も言えるはずも無く、私は乾いた笑いを上げるくらいしか出来なかったのだが………。




