EP.134
「それにしてもノワール君はぬかったよね」
急にエリオットが呟くようにそう言ったので、私は顔を上げた。
「そうは言っても仕方ない部分もあるわよ。
いくらローズ家の方が貴族位が上だとは言え、お互い領主である事には変わりないもの。
下手をすれば国を混乱させる可能性だってある。
貴族同士の礼節を超えた事はノワールにだって出来ないわ」
そう、どんなに失礼な態度を取られようと、互いの家庭事情に無理やり入り込まないのが高位貴族の暗黙のルールだ。
高位貴族ともなれば、それなりの領地を所持する領主同士。
言うなれば互いが小国の主ともいえる。
他国への不用意な介入は余計な火種になりうる。
ローズ家としてはそこを超えないように、礼節を持ってサンスに対応してきた筈だ。
勿論、ローズ公爵やノワールという、直ぐに武力に訴えたがる脳筋2人を抑え込んで、そこはローズ夫人がうまくやってきたのだろう。
私の言葉にエリオットはふふっと笑った。
「確かにその通りさ。ノワール君はよく我慢していると思うよ。
だけど、自分の気持ちがもしもテレーゼ嬢に届かなかったら、なんて気持ちもあったんじゃないかな?」
そう言うエリオットに、私は呆れつつ鼻で笑いながら答えた。
「それこそ当たり前の事じゃない。
10歳の頃に別れてそれきりなのよ。
相手が自分をどう思っているのか、そもそも自分を覚えてくれているのか、不安に思って当然じゃない」
私の至極当然の意見に、しかしエリオットはキョトンとした様子で首を傾げた。
「それがそんなに重要?」
はい?
重要ですよ?
いくら想ったところで、相手にその気が無ければどうする事も出来ませんよね?
それどころか相手が自分を覚えてもいないかもしれないのに、邸に押し入ってサンス締め上げてテレーゼ嬢の行方を吐かせれば良かったと?
いやいやいや、いや。
頭おかしい。
えっ………この人、頭おかしい。
ってかそもそも古代遺物魔具の結界のせいで弾かれるし、礼節をかいて相手を怒らせればエクルース領地から反発が起こるかもしれないんだぞ?
「そういえば、エクルース家の所有する領地ってどんなところ?」
私の問いに、エリオットはう〜んとあごを掴み目だけで天井を見上げた。
「エクルース家の所有する領地は、魔石、魔道具の加工、生成が盛んで、国内の魔道具はほぼ全てエクルース領地のものといっても過言では無いね。
そのエクルース家の機嫌を不用意にローズ家が損ねていれば、国に多大な損失を与えていたかもしれないよね?」
アハハッと笑い声を上げるサイコパスに、私は目を見開き、異物を見る目で見つめた。
「いや、笑ってんじゃないわよ。
そらローズ家も強くは出れないでしょ。
本当にノワールはよく我慢したわ……」
はぁっと溜息を吐く私に、エリオットはヒョイッと肩を上げた。
「それはそうだね。ノワール君はよく我慢したよ。
だけど要らない我慢だったかもしれない。
テレーゼ嬢を愛しているなら、彼女から目を離すべきじゃなかった。
どこに行こうと追いかければ良かったのさ。
相手から気持ちを返してもらえるかどうか、そんな事はどうでも良い事だよ。
ただ側に居れば、彼女を守る盾になれたかもしれない。
自分と彼女との関係性なんて、究極それで十分なんじゃないかな。
僕から見ればノワール君の愛はそれくらい深いものに見えたけどね。
だから余計に、ノワール君が何故あんなに我慢してしまったのか、僕には理解出来ないんだよ」
うん、成程。
私はお前が意味不明だよ。
お前もノワールも理解不能だよ、やめて、本当に。
一旦、頼むから一旦。
相手の気持ちを汲もうぜ?
目くらい離して、あとどこまでもついてこないで。
キモいから、重い上にキモいから。
そもそも当時10歳のノワールにどんな無茶言ってんだよ。
テレーゼ嬢だって同い年だぜ?
10歳の頃から何か引っ付いてくる侯爵令息が常に側にいるとか、トラウマだよ。
10歳の少女にどんなトラウマ植え付ける気だよっ!
……まぁ、そんな事を言ったら私なんか、産まれた瞬間からこのサイコパスに常に付き纏われている訳だが……。
いや、私の話は置いといて、ノワールね。
ノワールとテレーゼ嬢の事なんだけど。
そもそも、10歳の頃に別れたきりだってのに、何をもってアイツはテレーゼ嬢が好きだなんだと言っているのか。
エリオットとは違う意味で私には理解が出来ない。
別れてから9年の歳月が経っているというのに、ノワールは今のテレーゼ嬢が昔とは全く違う姿や中身だったとしても、好きだ好きだ言えるのだろうか。
だとしたら、一体何をもって好きだと言っているのか私にはまったく分からない。
魂?そんなレベル?
変態過ぎない?
私の周り、変態率高くない……?
思わずブルッと身震いする私を、エリオットがニヤリとした笑いを浮かべ見つめていた事に、この時私は全く気付いていなかった……。
いや、そんなもん気付かなくて正解なんだけどね。
その後、無事に陛下からエクルース家に関わる事案に干渉して良いとの許可を頂き、私とエリオットは陛下の謁見室を後にした。
陛下からセレン様の武勇伝をたんまり聞いてきた私は、ホクホク顔でスキップ混じりに歩いていた。
同い年のセレン様とローズ夫人、それに2学年上の王妃様と、3人は凄く仲良しで毎日楽しそうに学園生活を過ごしていたらしい。
そこに陛下が度々ちょっかいを出し、それに付き従う、当時陛下の専属騎士だったローズ侯爵。
まぁ、陛下目線でも伝わってくる程の王妃様の嫌そうな態度が、当時どれだけ陛下が王妃様にしつこく付き纏っていたかを物語っていて、本当にこのストーカー体質なDNAは何とかならんのか……と思わないでもなかったが。
当時から既に師匠に師事していたセレン様は、度々師匠に付き従い、国内外で大活躍していたようだ。
師匠と一緒に、魔獣や魔物が多く住み着き腐り果ててしまった山を一個丸々消滅させた話など、痛快で仕方なかった。
最強の魔道士セレンスティア・エクルース。
喪われた事が本当に悔やまれる。
その一人娘であるテレーゼ嬢。
セレン様が生前、彼女の事はノワールとその仲間が何とかすると言っていたらしい。
その仲間には私も含まれている筈だ。
なら必ずセレン様の憂いを私達で晴らしてみせる。
テレーゼ嬢を必ず見つけ出し、エクルース伯爵として叙爵してもらい、傾いたエクルース家を復興させる。
テレーゼ嬢さえ見つかれば、それは容易な事だった。
そう、テレーゼ嬢さえ、見つかれば………。
「見つからないっ!」
ダンっと実務机に拳を叩き付ける私に、マリーとリゼが驚いて飛び上がった。
腕を組みイライラと歩き回る私を、鎮圧対象の魔獣か何かみたいな目で見ているリゼに、片手を上げて大丈夫だとジェスチャーを返す。
ハッキリ言って、うちの〝梟〟を使えば、テレーゼ嬢は簡単に見つかるものだと思っていた。
それがこうも見つからないとはっ!
あれから既に2ヶ月も経っている。
何の手がかりも無いまま、あっという間に季節は秋から冬になってしまった。
エリーに頼んだサンスの経済状況は、アッサリ暴く事が出来た。
まぁ予想通り、サンス達はエクルースの邸にあった現金や金に変えられるもの、全てを食い潰した後だった。
セレン様の弔慰金として支払われた5億ギルまで丸々全てだ。
生活に困窮し出すと、今度はエクルース伯爵の名を騙り、銀行や貴族から融資を受け始めたようだ。
本物のエクルース伯爵ならその名だけで成功出来るような、それっぽい事業計画で相手を巧みに騙し、多額の出資金を受け取ったのだ。
勿論、王都では面が割れているので、わざわざ地方に出向き、そこでそんな悪事を働いていた。
立派な詐欺罪なのだが、本人はどこまで分かってやっているのやら。
あちらこちらで何年もエクルース伯爵を騙り、地方の領主などから特別な便宜などを受けているうちに、いつしか本当に自分こそがエクルース伯爵だと思い込んでいるような様子に見える、とエリーからの報告にあった。
だがその悪行もやはり長くは続かず、サンスの化けの皮は徐々に剥がれていった。
それもその筈、それっぽく持ちかけられた嘘っぱちの事業計画など動き出す事はなく、出資金は一ギルたりとも戻って来ない。
怪しんだ地方銀行や貴族達が調べれば、サンスが本物のエクルース伯爵では無い事など直ぐに調べが付いた。
なんせサンスは王妃様から、その者はエクルース伯爵にあらず、という有難いお墨付きを頂いているのだから。
この9年間で、王都で少しでも暮らした事のある人間に聞けば直ぐに分かる事だった。
それでもサンスが次期エクルース伯爵の後見人であり一応代理人だというのは事実だ。
(実際はどんな権限も許されてはいない)
騙された人々も、どうするべきか計りかねている段階で、未だサンスが訴えられる事態には陥っていなかった。
これはこちらとしても都合が良かった。
秘密裏にサンスに被害を受けた銀行や貴族に、利子付きで返金し、速やかに事態を収束する事が出来たのだから。
これで、テレーゼ嬢が受け継ぐべきエクルース伯爵という名が、訴訟だらけの見るに耐えないものにならずに済んだ。
勿論、その事実がサンスには伝わらないように、関係各所には厳しく通達してある。
今まで通り、サンスには返金を求め続けてもらう手筈になっている。
そして新たに融資を受けられないように、地方都市全てに人相描きと共に通達を出した。
これでいよいよ尻に完全に火が付いた筈だ。
ここまで追い込めば、サンスの次の行動は一つ。
テレーゼ嬢を呼び戻し、正式にエクルース伯爵を継がせ、自分の傀儡としようとするだろう。
……と、読んでいたのだが……。
サンスはまだ思う通りに動かない。
更に〝梟〟でさえ、テレーゼ嬢を見つけ出せない。
思ってもいなかった展開に、私は苛つきをうまく隠す事も出来ない状態に陥ってしまった訳だ。
更に、エクルース家の邸に潜入を試みているエリクからも、良い報告がまだこなかった。
サンスは邸に出入りする人間に異常に過敏になっており、エリクはなかなかサンスから承認されないままだったのだ。
どうも思っていたようにうまくいかない……。
何かを見落としているのだろうか……。
「それにしても、アロンテン家の力を使っても見つからない人などいるんですね。
9年前に確かにこの国を出てはいるんですか?」
ユランが首を捻りながら問いかけてきた。
それに私はゆるく首を振り返す。
「それが、他国を捜索してもあまりにも見つからないから、一度テレーゼ嬢が出国した事になっている港を調査したのよ。
9年前の事だから、当然覚えている人間はいなかったんだけど、1人だけ、出国手続きを行った人間が覚えていたの。
彼が言うには、10歳の貴族令嬢にしては随分痩せこけていて、着ているドレスもサイズがチグハグで、それに普段から着こなしているようには見えなかった、と言っていたわ。
まるで貧しい平民の子供のようだったと。
付き添っている侍女も同じような雰囲気で、貴族の侍女にしては品が無かったそうよ。
それに2人はまるで親子のような親しさで、言葉も平民の使うものだったみたい」
私の説明を聞いたユランは、驚愕してパッと顔を上げた。
「では、テレーゼ嬢は実際には国を出ていないという事なのでは?
サンスが金で雇った平民の親子にテレーゼ嬢を装わせ出国させたのでは?」
その言葉に、私は深く頷いた。
「まず間違いなくその通りだと思うわ。
だから〝梟〟も王国内の調査に切り替えて探しているのに、それでも見つからないなんて……」
つい自分の爪をカリカリと無意識に噛んでしまう。
公爵令嬢としてあるまじき所作に、リゼが慌てて私の手をハンカチで包んで口から離した。
「…………ごめん」
そのリゼに頭を下げると、リゼは労わるように少し微笑んで、軽く首を振った。
その時ーーーーー。
「大変よっ!シシリィッ!
エクルース家からとんでもない返答が返ってきたのっ!
お願いっ!早くうちに一緒に来てっ!」
いきなり生徒会室に飛び込んできたキティが、私の腕を急くようにして引っ張った。
「わ、分かったわ、ごめんっ!皆っ!
後はよろしくっ!」
エリクエリーも不在で人手不足なのは分かっているが、私は残ったメンバーに生徒会の仕事を任せてキティについて行く事にした。
「こちらの事はお気になさらず、私達で大丈夫ですからっ!」
その私の背中にリゼがそう声をかけてくれて、私とキティは一度振り返り頷くと、ローズ家の邸に急いだ。
「ああっ!もう皆様お揃いですっ!
キティ様っ!早くノワール様の所へっ!」
私達がローズ家の邸に着くやいなや、キティの侍女であるマリサが慌てたように出迎えてくれて、ノワールの部屋に案内してくれた。
ノワールの部屋は外から見ただけでも分かるくらい、異様な冷気を放っている。
「入るわよ、一体どうしーーーーーーっっ!」
中に入った瞬間、肌を刺すほどの冷気に見舞わられ、まつ毛まで凍りそうな中、いつメンがミゲルの光魔法の結界内で身を寄せ合い暖をとっていた………。
なん?この絵面……?
キティにいち早く気付いたクラウスがチョイチョイと手招きしたので、私達もミゲルの結界内に入る。
あ〜〜〜、あったかい。
部屋中凍り付いている惨状で、この場所だけ唯一人が生き延びられる温度になっていた。
この惨状を作り上げているノワールは、何やら手紙を握りしめ、それを凝視している。
その氷彫刻のような生気の無い横顔に、私はゾッとして身を震わせた。
「本当に、一体何があったの……?」
震える指でノワールを指差し、キティに問いかけると、キティは真っ青な顔で声を震わせて答えた。
「結婚するらしいの………テレーゼお姉様が………」
………はっ?
真っ青なキティの顔を目を見開きマジマジと見つめたまま、私の脳が思考停止したのは言うまでも無い………。




