EP.131
「少し、私達の話を聞いてくれない?」
クイクイとキティに袖を引っ張られながらそう言われ、私は静かに頷いた。
言われなくても、2人が知っているエクルース伯爵令嬢について、こちらから詳しく聞くつもりだった。
再びクラウスの執務室に戻ると、私達はソファーに座り、淹れ直したお茶を口に運ぶ。
すっかり落ち着いた様子のノワールが、ゆっくりと口を開いた。
「エクルース家は、代々魔力量の高い子供が生まれやすく、魔道士を多く輩出している家柄なんだ。
テレーゼの母上、セレンスティア様はその中においても群を誇る魔力量の持ち主で、正に魔法の天才だった。
セレンスティア様にはご兄弟が居なかったから、婿養子をもらい、爵位を受け継いだんだけど、セレンスティア様もその父上、テレーゼの祖父も、婿になった男に爵位は譲らず、セレンスティア様がエクルース女伯爵となったんだ」
へーーーっ!
そんな女傑がいたんだ。
この国では女性の爵位継承を認めているが、それは殆どが期間の決まった短いものだ。
例えば、まだ幼い弟が成人するまで、とか、婚姻して旦那に爵位を譲るまで、とか。
だが、そのセレンスティア様とやらは、婿を貰ったのに、旦那には爵位を譲らず、自分が女伯爵になった訳だ。
なかなかに珍しいケースだな。
しかも魔法の天才だとか、何かカッコイイのだが。
……んっ?
魔法の天才?
セレンスティア………?
「あっ!まさか、師匠が1番弟子の称号を与えたって言う、あの天才魔道士セレン様っ⁉︎」
驚いて大きな声を出した私に、ノワールがニッコリ笑って頷いた。
「そう、そのセレン様がテレーゼの母上だよ。
セレンスティア様は、大病を患い余命幾許となった父親から爵位を継承する為、ごく短い期間で婚姻を済ませ、父親の意向もあって婿に爵位を譲らず、自分が女伯爵となったんだ。
そして自分の次の伯爵にテレーゼを指名し、陛下からの承認も得ている。
つまりテレーゼは現エクルース女伯爵であるべき人なんだけど……」
ノワールの話に私は首を捻る。
「という事は、セレン様は既にテレーゼ嬢に爵位を譲ったの?」
私の問いに、ノワールは表情を暗くして答えた。
「セレンスティア様はある魔獣討伐任務の際に、帰らぬ人となったんだ……。
それが、僕とテレーゼが10歳の時。
後見人の座ににあの父親が座った時、ローズ家から先んじて僕とテレーゼの婚約を申し込んだんだけど、それより早く先手を打たれてしまってね。
テレーゼは他国に留学に出されてしまった……。
もちろん、婚約の件もテレーゼが留学から帰るまで保留にされ。
折を見てこちらから再三、テレーゼの近況を問い合わせたり、婚約を申し込んではいるんだけど、うやむやのまま誤魔化され続けているんだ」
ノワールの話に、私は驚愕して目を見開いた。
そういえば、昔大規模な魔獣討伐が行われたと聞いた事がある。
北の大国がいつもの如く、国境沿いのローズ領地を攻撃してきたのだ。
だけどその時はいつもと違った。
それまで誰も見た事の無いような魔獣を大量に戦地に放ったのだ。
今ならそれは、北の大国が攫ってきた帝国人を利用し、人工的に作り上げたキメラだと判明しているが、当時は初めて見る魔獣に戦況は混乱し、宮廷魔道士軍も手こずっていた。
その時、魔獣に核が一つ以上ある事にいち早く気付き、戦況を立て直した魔道士がいた。
その魔道士のお陰で戦況は好転し、殆ど被害を出さずその戦いを制したらしい。
「じゃあ、あの大型魔獣討伐戦の時に、セレン様が……」
私の声が掠れている事に気付き、ノワールは傷ましそうに顔を曇らせた。
「そうだね、有名な戦いだから、シシリアも知っていると思う。
あの時、魔獣の核が一つ以上ある事に気付いたのが、セレンスティア様だよ。
それで戦況は一気に好転したけど、セレンスティア様が相手をしていた大型の魔獣には核が10以上もあって、流石のセレンスティア様もその魔獣の最後の核を壊した時には満身創痍だったんだ……。
それでもそんな魔獣を打ち倒したと、皆がセレンスティア様を讃えた、その時、その魔獣の腹から別の魔獣が現れた。
その魔獣は大型魔獣の腹を食い破って出てきたんだ。
セレンスティア様は、その魔獣への対処が一瞬遅れて……。
最期はその魔獣との相打ちで終わったそうだよ………」
壮絶なその事の顛末に、皆が口を閉ざし、その場がシンと静まり返る。
ややして、ノワールが辛そうに再び口を開いた。
「セレンスティア様が亡くなって、テレーゼにはあの父親しか頼る者がいなくなった……。
あの父親にぞんざいに扱われる前に、我が家に保護したかったんだけど……」
その言葉に、私は片眉をピクリと上げて首を傾げる。
「さっきから、父親に問題があるみたいな言い方ね。
その、テレーゼ嬢の父親ってどんな人間なの?」
その問いに、ノワールは困ったように眉を下げる。
「実は、僕はまだ幼くてその父親本人については覚えていないんだ。
だからこれは、母上や王妃様から聞いた話なんだけど……」
ほうほう、公平無私な2人の言う事なら、例え伝え聞きだとしても真実味は増す。
私はノワールに気にせず続けてほしいと、手だけで促した。
それに頷くと、ノワールはやっと口を開いた。
「テレーゼの父親は、元々エクルース伯爵であった祖父の古い友人であるバルリング子爵の息子なんだけど。
セレンスティア様が爵位継承の為、婿になる人間を探していた時、偶然バルリング子爵が伯爵を訪ね、爵位を王家に返還して破産宣告をしたいと相談に来たんだ。
ただ、1人息子の行く末だけが心配だから、彼の後見人になってくれないかと頼まれたらしい。
それを聞いていたセレンスティアさまが、丁度良いからその息子をうちに貰おうって言い出したらしいよ。
それが、テレーゼの父親、サンス・バルリングだった」
へぇ。
爵位を返還して破産宣告まで……。
何か大きな事業にでも失敗したのかしら。
お気の毒に。
ふんふんと聞いていた私は、続くノワールの話に開いた口が塞がらなくなった。
「当時、彼との婚姻に、伯爵を筆頭に皆が反対したらしい。
バルリング子爵家が破産に追いやられたのは、その息子のせいだったからね。
彼は無計画に家の金を湯水のように浪費し、至る所に借金して、贅沢と見栄ばかりの生活を送っていたらしいね。
バルリング子爵はその息子に爵位を譲っては、いつか金に替えてしまい、その名を悪用されると危惧した。
そうなる前に王家に返還して、自分達は息子の借金を全て背負い破産するつもりだったんだろう。
そんな男を選ばなくてもセレンスティア様ならもっと良い話がごまんとあった筈なのに、セレンスティア様は頑として考えを変えなかったらしいよ」
自分の放蕩で家を傾かせるなんて、どんな金遣いの荒さだよっ!
これには流石の私も驚きを隠せなかった。
しかも、セレン様はよりにもよって何でそんな男を……。
「セレン様はその男を愛してたの?」
惚れた弱みだとしても、女伯爵になろうという人がそんな男を本当に選ぶのだろうか……。
自分でもいまいち納得のいっていない問いに、ノワールはゆるく首を振った。
「母上も王妃様も、それは違うと断言なさっていた。
そもそも、セレンスティア様はバルリング子爵が来るまでその存在も知らなかったし、婚約もしないで婚姻を結ぶまで、彼の顔も知らなかったらしいし」
えーーーーーーーっ!
そんな事ってあるっ⁉︎
いくら爵位継承の為急いでいたとはいえ、それまで存在も知らず、婚姻するまで顔も見た事無かったような男、しかもそんなろくでなしと……。
本当に結婚しちゃったのっ⁉︎
何で?どうしてっ?
訳が分からなすぎて奇妙な顔をする私に、ノワールが困ったように少し笑った。
「当時は、いや、今もかな。
誰もセレンスティア様の選択を理解出来なかった。
ただ、母上が言うには、セレンスティア様には昔から不思議な力があったらしくて、誰にも理解出来ない、予言のような事をたまに言ったりしていたらしい。
結婚式の当日、花婿の顔を初めて見たセレンスティア様は、やっぱりな、と言って笑ったんだって。
彼もセレンスティア様の予言の何かだったのかもしれないけど、今になっては全ては謎のままだね。
とにかく、セレンスティア様がそうと決めてから、婚約期間もなく、2ヶ月で結婚。
それからすぐに懐妊して、偶然にも、セレンスティア様と母上、それから王妃様が同じ年に出産したんだ。
つまり、テレーゼと僕、それからクラウスだね」
何だが不思議な話だなぁ。
私は呆気に取られてまだ口を開けっぱなしだった。
今聞いた限りでは、セレン様はまるでテレーゼ嬢を産む為だけに、その男と結婚しちゃったように聞こえる。
その男とじゃないとテレーゼ嬢は産まれないからだ。
だから相手がどうであれ、そんな事は全て瑣末な事と、どこか達観しているような……。
セレンスティア・エクルース女伯爵は、本当に不思議な女性だった。
「で、結局そのサンスって男がどうしたの?」
今のところ、何か種馬扱いされたとも言えなくないその男に、若干同情出来なくもないのだが……。
私の問いに、ノワールは少し顔を険しくして口を開いた。
「サンスという男は、結婚してからも何も変わらなかった。
テレーゼが産まれてすぐに、セレンスティア様のお父上、前エクルース伯爵が亡くなり、セレンスティア様が宮廷の仕事に忙しい事を良い事に、エクルース伯爵家の金を使って遊び放題。
使える金が増えた事で放蕩が以前より更に悪化し、家庭を顧みず、産まれたばかりのテレーゼを気にする素振りも無かったらしい。
昔テレーゼがほんの少しだけ父親について話した事があるんだけど、父親は家に居ないのが当たり前で、たまに会うと厳しく睨み付けてくるだけの存在だったみたいだ」
ノワールの答えた内容に、私はなるほどなぁとやっと分かりやすい人間が出て来て、変な話だがちょっとホッとしてしまった。
どうやら、サンス・エクルースという男は、浅はかで阿呆な貴族らしい男のようだ。
貴族としての責務を理解せず、その地位のみで偉ぶり、その実全てが他力本願。
真の貴族としは本末転倒だが、情けない事にこういった貴族は掃いて捨てるほどいるのが実情でもある。
サンスという男は、自分のせいでバルリング子爵家が爵位を返上し、両親は無一文で平民に降ったというのに、反省するどころか、婿に入ったエクルース伯爵家の爵位が自分に転がり込んでこなかった事に不満があったのだろう。
更に次期当主まで早々に娘であるテレーゼ嬢が指名され、陛下からの承認まで得ている。
自分の立場が、エクルース女伯爵の夫君である事に不満があったところ、娘であるテレーゼ嬢が爵位を継げば、その立場はエクルース女伯爵の父君でしかなくなる。
更に立場が弱くなる事に、納得がいかない、という考えの上、実の娘に辛く当たっていたのだろう……。
うむ、ただの小さい男だ。
実に分かりやすい。
「それでテレーゼ嬢はセレン様が戦死なさって早々他国に留学に出され、そのまま叙爵式も受けないままなのね。
本来なら16歳の社交デビューを終えればいつでも爵位を継承出来るし、父親の後見人という立場もとっくにお役御免になってる筈だもんね。
そうすればもう、サンスにエクルース伯爵家についての権限は何も無くなる。
夫君ならまだしも、父君ではね。
自分個人の財産が無い場合は、隠居の為に援助を貰うくらいが精一杯かしら」
私はふ〜むと顎を掴みながら首を傾げると、話を続けた。
「そんなに散財や贅沢を好む男なら、個人の財産は無いに等しいかもね。
それなら、テレーゼ嬢の後見人としての今の立場を失うのは惜しい。
テレーゼ嬢ももう19歳だし、これ以上叙爵式を伸ばすのも厳しい……。
となると……彼女が叙爵する前に、ある程度の財産をエクルース家から拝借するか、成年後見人としてその座に座り続けるか。
どちらにしても、何かしら動こうとしているのかしら?
成年後見人を狙っているなら、今回のエクルース伯爵令嬢の醜聞は持ってこいね。
今回の責任を負う形で、父親が監視役を担うのを条件に付けて叙爵させるつもりかしら?」
う〜ん、しかしどうも釈然としない……。
その私の考えに応えるように、ノワールが口を開いた。
「それだと陛下なら、テレーゼに早く婚姻をさせて、身を固めさせるように動くよう命じるだろうね。
父親が監視役をする条件で叙爵させるなんて、まどろっこしい事はしないと思うよ。
更に、そのテレーゼの婚姻相手には必ず僕を指名する。
ローズ家なら今回のエクルース家の醜聞を打ち消すだけの話題性もあるし、家格も問題ない。
なにより、テレーゼの相手を陛下が指名する事態に陥った時には、僕以外を指名出来ないように根回しは完璧にしてあるから」
ニッコリ微笑むノワールに、また部屋の温度が一気に下がった気がした……。
何が恐ろしいって、女性的で穏やかな美貌を持つこのノワールが、脳筋ってとこだ。
思慮深く冷静ぶっているだけで、中身はただの脳筋….…。
つまり、コイツの言う根回しとは、綿密に立てられた智力的な何かでは無い。
そう、ただの武力、つまり物理的な何か。
コイツ、一体陛下に何をした……?
いや、聞きたくは無いんだけど。
だいたい想像出来るんだけど、やめろよマジでっ!
一国の王様やぞっ?
よく力ずくで脅そうと思ったなっ⁉︎
その発想が怖いし、実際実行しちゃってるとこが更にヤバい。
「な、何にしても、今回の騒ぎを起こしている令嬢がテレーゼ嬢本人なのか、誰かがその名を騙っているのか、だとしたら目的は何なのか……。
そこにサンスも絡んでいるのか。
分からない事ばかりだわ……。
それに、マリーの方は男共の自業自得な部分もあるけど、リゼの方はそうはいかないわよ。
明るみになればその薬物の入手ルートまでしっかり調べなきゃいけない。
その令嬢だって無罪とはいかないわよ。
いくらローズ家とはいえ、罪人を庇えば同罪と見做される可能性がある。
頼むから慎重に動いて頂戴。
分かったわね」
念を押すようにノワールをビシッと指差すと、ニッコリ微笑んで頷いちゃ〜いるが……。
頼むぜ、脳筋っ!
伯爵家の令嬢が婚姻前に多数の男と関係を持っているだけでも十分な醜聞だというのに。
更に相手にしている男は婚約者のいる男ばかり。
そして違法薬物を使用している疑いまで……。
いくらローズ家と婚姻を結んだところで、ノワールの言うように話題性だけでは何ともならないだろう。
しかもローズ家には未来の王子妃になるキティが……。
下手したらノワールはテレーゼ嬢とは結ばれる事は叶わないだろう。
どれだけノワールがテレーゼ嬢を望もうと、許されない場合もある。
その事実をこの脳筋がどこまで許容出来るやら……。
私は深い溜息を吐き、頭を抱えたい衝動を必死に耐えるしか無かった。




