EP.120
「学園を卒業した後の事を言っているのなら、私は冒険者になりないな〜とかって」
「無理だな」
バッサリと被せ気味に希望を断たれて、私はガックリと項垂れた。
「お前は我がアロンテン家の子女だ。
貴族家としては歴史が浅いが、我が家は前国王の王弟であるお祖父様が起こした家門。
実質、王家に次ぐ地位がある家だ。
お前とて、その権威と恩恵を享受してきた1人だろう?
皆がお前を敬い、年端もいかない少女に腰を折るのは、お前に、じゃない。
その生まれた家に、だ。
そして何不自由無くお前が生活出来ている事も、当たり前の事では無い。
我がアロンテン家の有する領地で暮らす、領民一人一人がお前を支えているんだ。
それには責任が生じる、お前がアロンテン家の一員として、恥じない生き方をする事、それがお前の成すべき責務だ」
レオネルの厳しい表情の中に、アロンテン家と領地を想う気持ちが込められている事くらい、見なくても分かる。
転生したと気付いた10歳の頃、中身は18歳だったにも関わらず、私は随分幼い考え方しか出来なかった。
強くなってフリーハンターになり、自分でお金を稼げれば自由に生きて良いのだと、勘違いしてきた。
嫡子でも無いし、稼いだお金もある。
フリードとの婚約破棄は目の前だし、学園さえ卒業すれば、自分の人生を生きられる。
そう思っていた……いや、思おうとしていた。
実際は、そんな無責任は事は許されない。
それは公爵家という、高い身分に生まれた時から決まっていた事だ。
公爵家は、他の貴族とは違う。
言うなれば、家そのものが王家のスペアなのだ。
だからこそ、皆に敬われ、王家とさほど変わらない扱いを受ける。
そして、もっとも王家とのパワーバランスを取るのが難しい位、それが公爵家だ。
ゴルタール公爵家のように、権力を行使して抜け穴のような利権を貪るような者は、本来公爵家とは言い難い。
ゴルタール家は、それこそ建国時より存在する歴史の長い家門ではあるが、国や王家を支え貢献した実績の無い、公爵家とは名ばかりの矮小な存在だった。
王家は一貫して、ゴルタール家から王妃や第二夫人は輩出せず、また王女や王子を降格させた事も無い。
本来ならとっくに公爵家としての権限は失っている筈なのだが、この王国の暗部に長い年月を掛けて根を張り、強固な地位を獲得し続けている為、簡単にはその名を剥奪出来なくなってしまった。
そんなものが公爵家と名乗っている悪い例もあるが、本来公爵家とはそういった俗的な存在では無いのだ。
王家に連なる家門として、第二子、第三子辺りが全て公爵を名乗れる訳では無い。
多くは、他国との友好を図る為婿入り嫁入りしたり、忠臣である貴族に降格したりする。
公爵家を興せるのは、国への貢献度の高い、選ばれた王家の者のみだった。
私のお祖父様は、若い頃から前国王の最側近として国を共に支え、数々の戦で戦績を上げてきた英雄と呼ばれた人だ。
また、別の兄弟がゴルタールと共謀して王位を簒奪しようとした時も、今の陛下と共にそれを制圧、鎮静させた功労者でもある。
成るべくして公爵となった人。
そんな人が興した家門が穏健派である事にも、意味がある。
王家に次いで尊い家門、そして国民の英雄で、前国王より人気のあったような人が興した家。
だからこそ、アロンテン家が王族派では無く穏健派であれば、王家に権力が集中し過ぎて独裁国家になりはしないかと目を光らせている貴族派が、満足して黙るというもの。
これこそが、お祖父様の狙いであり、国内のバランスを取る為の一つの方法でもあった。
故に、アロンテン家は常に正しく、王家にも貴族にも屈しない。
そして、高貴な血を繋げる役割も担っていかなければいけないのだ。
王家に何かあれば、アロンテン家がこの国を支え担えるように。
もし今王家に王女が存在したならば、間違いなくレオネルが娶る事になっていただろう。
それと同じように、私が王家に望まれるのならば、そこに嫁ぐのは当然の事だった。
私は元々は、生まれた瞬間からクラウスの婚約者候補で、この国の慣習で候補の1人ではあったが、既に婚約者として決定していたとも言える状況だった。
それをひっくり返したのはゴルタール公爵家だ。
あらゆる手を尽くし、私をフリードの婚約者にすげ替えたのだ。
候補でも無く、婚約者に。
ゴルタールの目的はただ一つ、私を利用してフリードの正当性を高める事。
しかし、これが私の自由への道を勘違いさせる理由の一つにもなった。
フリードは私をいずれ婚約破棄して断罪する。
そうすれば国外追放になって自由の身になれる。
これが、私の最初の責任放棄の始まりだった。
公爵家の令嬢である事、アロンテン家の成り立ち、アロンテン家の担う責任。
その全てから目を逸らし、自由気ままに生きられると、希望を抱いたばかりに、今、色々な人間を巻き込んでややこしい事態に陥らせてしまっている。
フリードの婚約者でいる事は、陛下からも頼まれている事ではあるけど……。
自分の欲望の為に、今までフリードの婚約者の座にしがみ付いてきたのは私の方だ。
婚約破棄と断罪、国外追放。
それを求めると言う事は、この国を顧みず、アロンテン家に泥を塗り、責務を放り出す事に他ならない。
……本当は、フリードとの事は白紙に戻し、エリオットの手を取る、その機会はいくらでもあったのに……。
一忠臣として、次代の王となるエリオットを支える事だって出来るけど、それでは王家が危うくなってしまう事も知っている。
だって、本当はもう……。
………本当は、もう。
分かってる……。
エリオットが私じゃなきゃ駄目な事も、私じゃなきゃエリオットの世継ぎは望めない事も……。
それは、クラウスがキティじゃなきゃ駄目なように、私がエリオットの番のような存在だから。
本当はエリオットだって、クラウスのように強引に、番のような存在である私を囲ってしまいたいと思っているのだろう。
だけどエリオットはそうしない。
私が冒険者になる事も止めたりしない。
私が私らしく生きる事を否定したりしない。
公爵家の令嬢である事も、アロンテン家の立場も、関係ないから好きに行っておいでと、背中を押してくれさえする……。
それって……。
なんか、それって……。
めちゃくちゃ愛されてるみたいで、正直、困る。
だって私には、あ、あ、あ、愛とか、分かんないしっ!
す、す、好きとか、男女の恋愛とか、分かんないしっ!
別に、私が王家に嫁ぐのは、責務だからして?
そこに恋愛感情とかは必要無い。
だから、分からないままでも良いのかもしれないけど。
でもだからって、私が素直に嫁いだりしたら、アイツ絶対剥き出しにしてくるじゃんっ⁉︎
クソデカ感情剥き出しにするじゃんっ⁉︎
あ、愛とか、恋とか?
とにかくっ!絶対、恋愛要素求めてくるだろっ?
毎日毎日小っ恥ずかしい事言ってくるに決まってるっ!
夫婦とかって免罪符与えたら、ノンストップエリオット化が更に加速するじゃんっ!
ヤダよっ!
普通に嫌だっ!
だってアイツ直ぐ、恥ずかしい事してくんだもんっ!
今までの経験で十分知ってるもんねっ!
やだやだやだぁっ!
ずっと考え込んでいた私が、突然ぶんぶん頭を振り出した事に、レオネルは驚いてビクッと体を揺らした。
「……お前………なんて顔だ……」
情けない、とばかりにレオネルは大きな溜息を吐いて、私をそれとなくバルコニーのある方へと連れて行ってくれる。
「兎に角、エリオット様も頑張ったがどうやら限界のようだ。
それにお前の望む冒険者とて、誰の隣にいようとどんな立場だろうと、お前なら叶えてしまうんじゃないか?
殿下になら、そのお前の望みを叶える力だってあるだろう。
もう一度、よく考える事だな。
それから、風にでも当たってその顔を何とかしろ。
……全く、無自覚だろうが、妹のそんな顔は兄にはキツい……」
最後の方、何やらブツブツ言いながら、レオネルはバルコニーに私を押し込み、言いたいだけ言ってスタスタと去って行ってしまった。
何だったんだ、アイツは……。
リゼと引き合わせてやった私への礼もなく、ズケズケ言うだけ言って消えやがった……。
あの、〇〇野郎っ!
ウルスラ先生の次の生贄にしてやるからなっ、覚えてろよっ!
頬を膨らませ、口を尖らせつつ、私はバルコニーの手すりに寄りかかった。
初夏の風が火照った肌に心地良い。
まだワインも飲んでいないってのに、何だか体が熱かったから、レオネルも意外に気が効くな、なんて思いつつ、バルコニーの手すりを両手で掴み、夜空を見上げた。
本当にこの国は、夜空さえ曇りなく綺麗だ。
これも大聖女様の加護のお陰だろうか。
満点の星々をボゥっと眺めていると、急に何か柔らかい物に包まれて、私はピクリと体を揺らした。
「外はまだ冷えるよ、そんな格好じゃ風邪をひいてしまう」
後ろからストールでエリオットに包まれて、その腕の中に囲われてしまった。
首を後ろに捻り見上げると、星々を背景に、夜の闇に溶けてしまいそうなエリオットの深いロイヤルブルーの瞳が、私だけを映している……。
「……少し、会場の熱気に当てられたみたい。
火照りも治ったし、もう戻るわ」
何だか急に気恥ずかしくなって、俯きながらモゴモゴと返事すると、エリオットは私を囲っていた腕にギュッと力を込めた。
「僕も少しここで休んでいきたいな。
リア、もう少し付き合ってくれる?」
いつもより低めのエリオットの声に、ゾクリと背中が粟立った。
……何だよ、今日は何か、体がおかしな感じだ……。
熱でもあんのかな?
前世今世合わせて風邪を引いたことの無い頑丈な体の持ち主である私だからこそ、こんな感覚は初めての体験だった。
「……別に、いいけど」
ぶっきらぼうに答えた私に、エリオットはますます腕に力を込めて、ギュウッと私を後ろから抱きしめた。
そして嬉しそうにクスクス笑い始め、随分とご機嫌な様子のエリオットに、私は訝しげに口を開いた。
「ちょっと、何よ?」
エリオットを見上げると、蕩けるように甘い笑みを浮かべて私を見つめている。
「ううん、ただちょっと……本当なら今頃僕はあのお星様の仲間入りしてたのになぁ、と思って」
やはり嬉しそうにクスクス笑い続けるエリオットに、何の事だよ?とわたしは首を捻る。
ふと、エリオットが私の首元に目を落とし、ふふっと甘く笑った。
そこには、以前社交界デビューの後にエリオットから貰ったネックレスが、夜の光の中でキラキラと輝いていた。
ロイヤルブルーサファイヤの周りを星を散りばめた様にダイヤモンドをあしらった、世界に一つだけのあのネックレスだ。
「ちゃんと着けてくれたんだね……。
約束、覚えていてくれたんだ」
嬉しそうに頬を染めるエリオットに、私は慌ててその腕の中でグルンと方向転換してエリオットに向き合った。
「誤解しないでよね、これはお母様が今日のドレスには絶対これだって、無理やりっ」
なんか私がエリオットからの贈り物を着けて彼女面してるみたいで、最後まで嫌だって抵抗はしたんだけど……お母様……ファッションの事には煩いから……。
お母様の美的感覚はピカイチだから、全部お任せ丸投げな私も悪いんだけども……。
「ふふっ、それでも嬉しいよ……。
本当はもっと贈り物をしたいんだけど、リアに迷惑かけちゃうからね。
それだけでも、本当に嬉しい……」
そう言うエリオットは、どこかすごく我慢をしているみたいで、何だかとてつもなく申し訳無くなってしまった。
エリオットが心のままに、誰の目も気にせず、私に贈り物一つさえ簡単に出来ないのは、自分勝手で情けない私が、フリードの婚約者という立場にしがみ付いてきたせいだ……。
いや、別に贈り物が欲しいわけじゃ無いんだけど、エリオットは私のせいでそれさえも出来ないのだと、今更になって気付いてしまった……。
う〜〜、とばつの悪い顔をする私に、エリオットはクスッと笑うと、顔を屈めて唇をネックレスに近付けた。
そしてそこにゆっくりと口付ける。
エリオットの唇が直接肌に触れたわけでも無いのに、私の胸の鼓動が早鐘を打つように鳴り響いた……。
私の胸元からゆっくりと顔を上げたエリオットは、今度は片手で私の頬を包み、その瞳を蕩けるように微かに潤ませた。
そしてまたゆっくりと、顔を傾けると、私の耳朶に優しく口づける……。
ドキンドキンと胸が張り裂けそうなくらい高鳴って、耳朶に感じるエリオットの熱い息に、ピクっと体を揺らすと、その動きに反応するようにエリオットが顔を上げ、悩ましそうな顔でジッと私を見つめた。
その瞳の奥に、まるで獣のような欲望の火がゆらりと揺らぎ、私はゾクリと身を震わせた。
恐怖を浮かべる私に、エリオットは直ぐにその瞳をギュッと強く閉じて、自分の内に何かを閉じ込めているようだった。
次に瞳を開いた時には、もういつものようにヘラヘラと笑い、私をその腕の中に優しく捕えると、恍惚とした微笑みを浮かべる。
「……リア、長い時間かけて、コツコツネチネチと少しずつ頑張ってきた甲斐があったよ……。
ハァハァッ、まさか、ここまでして、君にぶっ飛ばされてお空の星にならなくて済む日がくるなんて……リア……」
そう言ってガバッと抱きしめられ、耳をカリッと甘噛みされた瞬間、背筋をゾクゾクとした妙な感覚が走り抜けた。
「んっ、やぁっ……」
思わず変な声が出た瞬間、エリオットがバッと私から体を離し、その場に何故か蹲って、何やら唸り声を上げ始めた。
「……ぐっ、うう……駄目だ、無理……。
これはこれで……今までより、キツいっ……。
ぶん殴られて壁にめり込んでた方が、百倍楽だ……。
ヤバい、何アレ、かっわいっ、声かっわいっ。
もう……死んじゃう、僕、死んじゃうかも……」
よく見ると、完全に瞳孔の開いた目で床を凝視したまま、ブツブツと訳の分からない事を言っている……。
安定のサイコ。
全く1ミリも常人には理解出来ない。
私は甘噛みされた耳を腕でゴシゴシ拭きながら、床に這いつくばるこの国の王太子をヒールでグリグリと踏み付けた。
「アンタ、また私の耳になんかしたら、その口引きちぎってやるからねっ。
よく覚えてなさいよ?」
グリグリグリィッとヒールをねじ込むと、エリオットはハァハァッと荒い息を吐きながら、うっとりとした表情でこちらを見上げてきた。
「リア……引きちぎる時は、その可愛いお口で噛み切ってね……ハァハァッ、想像しただけで、僕もうっ」
怖えーしキモいわっ!
何故このサイコパス野郎の性癖に私が付き合わなきゃいけないんだよっ!
エリオットの事で色々反省していた筈なのに、それらは全て、一瞬で忘却の彼方へと消し飛んでしまった。
ねっとりとした視線で私を舐め回すように見つめるエリオットの眉間に、グサリとヒールの先を突き刺すと、私はハァッと深い溜息を吐いた……。
そもそもの原因は、私ではなく、このど腐れ公然わいせつ野郎のせいじゃなかろーか……。
レオネルからの無理なオーダーに、次は必ず言い返してみせる、と私は密かに拳を握った。
レオネル、私は、あの拗らせ〇〇野郎に娶られるくらいなら、全力で大陸を渡って逃げ切ってみせる、と。




