EP.118
今日の主役であるクラウスとキティは別行動となるので、一旦そこで別れ、私達はそれぞれのパートナーと一緒に会場に向かう。
パーティ会場に足を踏み入れると、ホールが騒ついているのに気付いた。
皆が会場の中心に注目している様子を見て、エリオットと顔を見合わせて首を捻る。
貴族達は口々に、そして皆一様に不快感を露わにして、何事か囁き合っているようだった。
「ご婚約者様のあられる身で、なんて事かしら」
「あのようなお姿を見たら、あの方は何て仰るかしら?」
「なに、まだ婚約宣誓書を交わした訳ではない。
いくらでもひっくり返せるさ」
「そうね、元より釣り合わぬお二人ですもの」
今日のパーティに招待されているのは、王族派と穏健派が圧倒的に多い。
主にヒソヒソ話をしているのは王族派のようで、穏健派の貴族は皆一様に渋い顔で口を閉ざし、貴族派は何故か隅の方で小さくなっている。
ややして、人垣の後方にいた貴族が最初にエリオットに気付き、頭を下げ腰を折りながら端に避けた。
その様子に気付いた他の貴族が同じように道を開け、連鎖反応のように次々に頭を下げながら端に避けていくと、まるでモーゼの前で海が割れたかのように、私達の前に道が開けた。
エリオットはそれに軽く手を上げ応えながら、私をエスコートしつつ、会場の中心に進む。
他の皆もその後に続いた。
パーティ会場の中央まで進むと、目の前に階段が現れる。
これは王家、または王宮に招かれている王族のみが使用出来るもので、今日みたいなパーティの時は、まず今日の主役、つまりクラウスが婚約者であるキティをエスコートしながら一番に降りてくる訳だが。
何故かその階段の中程で、ニーナ(シャカシャカ)をエスコートし、ドヤ顔で踏ん反り返っているフリードの姿が……。
……あっ。
なんかまた、オモシレー事やってる……。
思わず指差して爆笑しそうになり、必死でエリオットの腕にしがみつき、肩を震わせていると、会場がまた、静かにだが騒つき始めた。
「……まぁ、肩を震わせていらっしゃるわ」
「お労しい……ショックを受けていらっしゃるのね」
「まさか、あまりの非常識な振る舞いに、お怒りになっているに違いない」
コソコソとあちらこちらで囁き合う声が聞こえ、あっ、いかんいかんとエリオットの腕を離し居住まいを整える。
いやしかし、何だなぁ……。
シャカシャカのあの格好すげーな。
直視するとヤバいので、薄目で眺めてみるが、やはりヤバいものはヤバい。
黒のミニのドレスに、レースやら刺繍やらがふんだんにあしらわれ、全体に小さなブラックダイヤモンドが散りばめられている。
あと、ダイヤの首飾りやらイヤリングやら、ティアラまで……。
ティアラって……。
社交界デビューじゃないんだから。
一般貴族は普通、パーティにティアラなんか着けてこない。
王家は別だけどね。
いやぁ、それにしても、この世界に慣れちゃうと何か凄い奇抜な格好に見えるもんだな。
ミニ丈のドレスなんか、完全に特注じゃねーか。
よく仕立ててくれるとこがあったな〜。
アレを着て、フリードの隣で涼しい顔をして居られるとは、アイツやっぱり底が知れねぇ。
妙に感心してしまい、思わず呆けていると、フリードがニーナを丁重に、だがおぼつかない様子でエスコートしながら、ゆっくりと勿体ぶって階段を降りて来た。
最後の一段を降り切り、ドヤ顔でホールに降り立ったフリードだが、その瞬間会場は水を打ったようにシンと静まり返り、冷ややかな視線がフリード達に注がれた。
フリードは面食らったマヌケ顔で周りを見渡している。
どうやら思っていた反応と違い、だいぶ戸惑っているようだ。
こういった場に殆ど出席しない自分が、満を辞して姿を現せば、皆が有り難がるとでも思っていたのだろうか。
まぁっ!こういった場には殆どお姿を現さないあの方が、嘘でしょっ!
凄いわ、お姿を拝見したの、私初めてっ!
何て神々しいお姿かしら、それに凄く素敵なご令嬢をお連れになっているわっ!
あの方のドレスを見てっ!何て素敵なのっ!
フリード様からの贈り物ね、きっとっ!
高貴で神々しいだけでなく、センスも抜群ねっ!
流石フリード様だわっ!
……とか何とか。
そんな反応が返ってくると思ってたんだろ〜なぁ、絶対。
残念な奴だ……。
1番目立つ登場方法を考えたんだろうが、あの階段から上は王家の人間のプライベートゾーン。
そこから男爵令嬢であるニーナと登場した時点で、もう完全にアウト。
陛下の許可なく、一貴族の令嬢を勝手に王家のプライベートゾーンに招き入れました、と言っているも同然。
王侯貴族である私や、クラウスの婚約者であるキティ。
この辺りなら全く問題無いのだが、たかが男爵令嬢如きが奇抜なドレスを着て降りて来れるような階段では無い。
因みに、レオネル以外の側近達でもそこは許されていない。
例え直前までクラウスの私室に居たとしても、わざわざ入口に回ってホールに入る。
それがマナーだ。
王家と貴族を線引きする、大事な境界線なのだ。
それを今回フリードは踏み躙った事になる訳で、周りの反応が冷たいものになるのも仕方のない事だった。
「何だっ!お前達っ!第三王子である俺に礼の一つも出来ないのかっ!
不敬だぞっ!全員、処罰してやるっ!」
周りの空気に耐えられなくなったのか、フリードは顔を真っ赤にして喚き散らし始めた。
えっ?処罰?
全員?
ここに居る、全員?
コイツは、自分の目の前に誰が立っているのかも見えてないのかな?
流石に(呆れて)誰も口を開けないでいると、何を勘違いしたのか、フリードは満足そうにニヤリと笑う。
おいおい。
「……ここにいる全員を処罰かい?
それは困るなぁ」
ややしてあんまり困ってなさそうなエリオットの声が響き渡る。
途端にフリードは驚愕に目を見開き、その顔が、血の気の引いた真っ青な顔色に瞬時に変化した。
いや、もう一回言うけど、最初から目の前に居たじゃん?
貴族達の先頭の真ん中に居たじゃん?
お前の目はどこに付いてた?今まで。
「やぁ、フリード。君がこういった場にちゃんと顔を出すのは珍しいね?
やっと王家の一員である自覚が目覚めたのかな?
まぁ君にはそんなもの必要無いんだけど。
ところで、僕の見間違いで無ければ、さっきあの階段をそこのご令嬢と降りてきたようだけど、彼女は一体、何かな?」
ドス黒い微笑みを浮かべるエリオットに、フリードは何故かパァッと顔を輝かせた。
えっ?
黒エリオットに何喜んでんの?
壊れた?とうとう壊れた?
エリオットの魔の瘴気に当てられて、脳が破壊されたの?
とまぁ、勿論そんな訳は無く。
フリードという生物は、黒かろうが白かろうが、微笑みは微笑みとしか認識出来ない。
そういった類の残念な生き物なのである。
そんな事では、この魑魅魍魎跋扈する貴族社会では秒で殺されてしまう。
下手したら、産まれたての赤子よりまだ弱い。
フリードが勝手に捻くれて社交の場に顔を出さなかったのは、ある意味正解だったと思う。
いや、下手したら側にいる人間が出さなかっただけなのかも知れないが。
どちらにしても、エリオットの鉄壁の微笑みをそのままに捉えるなんて、鍋とネギと味ぽんまで背負ってチョコンとしている鴨の如し、としか言いようが無い。
「兄上っ!こちらの令嬢は、ニーナ・マイヤー男爵令嬢です。
俺の運命の人、未来の王子妃になる人ですっ!
そこにいる何の面白みもないデカ女とは違うっ!
こんなに愛らしい見た目なのに、彼女はどこまでも自由な精神を持っている。
堅苦しい耳障りな事など一切言わないし、型通りの面白みの無い考え方もしない。
正に俺の理想そのものの女神なんですっ!」
大袈裟な身振り手振りの途中で、ビシィッとコチラを指差された時は、取り敢えず殴って壁にめり込ませてやろうかと思ったが、それ以上に隣から放たれる怒気に、ヒュッと肺から変な息が出てしまった。
怖い怖い怖いっ!
隣からビシバシ放たれる空気がヤバイッ!
コイツこんな短気だったっけ?
いつもの余裕のヘラヘラ笑いはどこいった?
基本私を苛つかせるしかしない、あのヘラヘラ笑いを渇望する日が来ようとは……。
人生何が起こるか分からないものだ……。
「……なるほど。フリードはそこの令嬢との婚姻を望んでいて、シシリアの事は気に入っていない、という事だね?
そうだとしても、陛下の許可無くプライベートゾーンにそこの令嬢を立ち入らせたのは良くなかったね。
それに、今日はクラウスの生誕パーティなんだよ?
あの階段から最初に降りてくるのは、主役であるクラウスとその婚約者のキティ嬢であるべきだ。
君はこういった場には不慣れだから、今回だけは目を瞑ろう。
さぁ、そこの令嬢に飲み物でも勧めてあげなさい。
そろそろ主役が登場する頃だからね」
言い含めるように優しい声色だが、エリオットの有無を言わせぬ妙な迫力に、フリードはグッと喉を詰まらせた。
エリオットの言葉の意味を汲んだのか、飲み物を持った給仕は壁際から一切動かない。
つまり、エリオットはフリードに端に行って大人しくしていろと暗にそう言っているのだ。
流石、王宮の使用人、めちゃくちゃ優秀だな。
給仕達と良い顔でサムズアップし合いたいところだが、いや、いかんいかん、ここは我慢だ。
「ですがっ、俺が自分で選んだ令嬢を、もっとちゃんと皆にお披露目したいのですが……」
……ちゃんと、とは?
納得のいかない顔で、フリードがエリオットに言い返した言葉に、私は首を傾げそうになり、ググッと気合で押し留める……。
やめてくれ、不思議ワードをぶっ込んでくるのは。
お前のちゃんとってのは、人のパーティを乗っ取って我が物顔で彼女を連れ回し、頼まれてもいないのに紹介して回る事か?
えっ?
それで紹介された側にどうしろと?
そもそもこのパーティの顔ぶれを見て、何とも思わないわけ?
王族派の貴族ばっかりじゃん?
いつもお前を擁護してくれている、お前のじっちゃん率いる貴族派なんて殆どいないよ?
流石、我が王子っ!
ご自分で将来の伴侶を射止めてくるとは、何て頼もしいのでしょうっ!
とかって、いつもみたいにやいのやいのヨイショヨイショなんてしてもらえないよ?
そんな場で、マジでコイツは何をぬかしまくっているの?
いよいよ本当に脳がスライム化したのかと、ちょっと本気で心配しかけて、私はハッと気が付いた。
コイツ……まさか……。
派閥を知らないのかっ⁉︎
貴族は皆、自分の周りの貴族派の連中のように、無条件で自分を敬いヨイショヨイショしてくれると思ってんじゃないだろーなっ!
はわわっと冷や汗を流しながら、ガタガタと震え(もちろん脳内)今の自分の考えが多分正解なのだと、何か確信めいたものを感じる……。
あのオカンとジジィ(フリードの母親のアマンダ夫人と祖父のゴルタール公爵)フリードに一体どんな教育をしてきたんだ……?
いや、してこなかったのか。
何も……。
ゴルタールはフリードを本気で次期国王に据えようと考えているようだ。
それは、自分の傀儡となる王なら、誰でも良いと言えば良いのだろう。
しかし、やはり自分の血を引いたフリードが王になるのが1番操りやすい。
何のかんのと口だって出しやすいからだ。
その為に、フリードは愚かであればある程都合が良い。
アマンダ夫人の方は、王家であれば全ての人間が無条件で平伏すと本気で信じているような人間だ。
王家の人間の前では派閥など関係無く、自分達の思うがままになるのだと、その考えを隠そうともしていない。
アマンダ夫人は正解に言えば、王家の一員として認められてはいない。
陛下が認めているのは、アマンダ夫人がフリードの母親である事、それだけだ。
そしてアマンダ夫人の住んでいる宮も、陛下から賜った物では無い。
ゴルタールが宮廷に掛け合って、半ば強引にもぎ取った場所だ。
つまり、陛下からすれば、無許可で勝手に住み着いている……って感じらしく。
もちろん、陛下がアマンダ夫人の宮を訪れた事など一度も無い。
そんな状況を打破する為に、フリードを父親の言う通りに、次代の王として、そして父親の傀儡になるべく、愚かに育てたのか……。
それとも、本気で今のフリードの姿が王家の一員として恥ずべき存在では無いと思っているのか……。
全く理解出来ないフリードを取り巻く環境に、ほんの少し同情しないでもないが……。
それでも、奴ももう成人した立派な男である以上、何を言ってもそれは言い訳にしかならない。
この世界は十五で元服。
髷を剃ったその日から、戦場に駆り出されても文句は言えないのだから。
いや、髷とか無いけど、実際。
「……フリード……下がりなさい…」
流石にエリオットの声が厳しいものへと変わり、フリードはビクッと体を震わせると、涙目でニーナを連れてホールの端へと移動して行った。
その後を追う、側近123。
(あっ、居たんだ)
珍しく厳しい表情をするエリオットに、皆が息を呑んでその様子を見守っている。
会場は以前、シンと静まり返ったままだった。
流石にこのままではクラウスに申し訳無い……。
(アイツの事だから、気にもしないだろうけど)
ってか、キティが居た堪れず涙目になっちゃうじゃんっ!
お前何とかしろとばかりに、エリオットの服をツンツン引っ張ると、エリオットはハッと我にかえり、その顔にいつもの穏やかな微笑みを浮かべた。
くるりと優雅に振り返ると、固唾を飲んで見守る貴族達にニッコリと微笑む。
「皆、驚かせてすまなかったね。
どうやら自分の誕生日を勘違いしていた者がいたようだ」
そう言ってエリオットが悪戯っぽく片目を瞑ると、緊張で張り詰めていた会場の空気がフッと軽くなった。
貴族達から笑い声が漏れる。
それを見て、私もホッと胸を撫で下ろした。
「皆、今日は我が弟の為に集まってくれて感謝する。
さぁ、そろそろ主役のお出ましだ。
我が弟の誕生日を盛大に祝おうじゃないか」
よく通るエリオットの声に、会場中の貴族達が笑顔で歓声を上げ、拍手が巻き起こった。
その時、まるで示し合わせたかのようにクラウスとキティが階段の一番上に姿を現した。
皆がその姿に息を呑む。
凛と美しいクラウスと、まるで人形のように愛らしいキティ。
2人が並ぶと、まるで美しい一枚の絵のように見る者を魅了した。
キティをエスコートしながら、ゆっくりと降りてくるクラウス。
先程のフリードとは違い、スマートかつ始終キティを気遣うような様子が伺え、貴婦人達が溜息を漏らした。
中程にある踊り場で、2人は一旦足を止めると、クラウスがやはりよく通る声で皆に礼を述べた。
「本日は私の生誕パーティにお越し頂き感謝致します。
どうかごゆるりと、心ゆくまでお過ごし下さい」
そう言って、キティと一瞬見つめ合い、2人同時に軽く頭を下げた。
瞬間、割れるような拍手が巻き起こり、皆がクラウスへの祝いの言葉を口にした。
「……何とか、なったわね」
ヤレヤレと胸を撫で下ろす私を、レオネルがギロリと睨み付けてきた。
「……なる訳ないだろう」
眉間により一層深い皺を寄せるレオネルに、すかさずリゼが口を開く。
「今この場だけでも何とかなったのは奇跡のようなものです。
公子様も、表面上だけでも何ともない顔をなさった方が宜しいかと」
そう言って直ぐに、リゼはハッとしたように自分の口元を手で押さえた。
「申し訳ありません、出過ぎた事を……」
面目なさそうに顔を伏せるリゼに、レオネルが微かに、ものすご〜く微かに、微笑んだ。
「いや、リゼ嬢の言う通りだ。
どうか顔を上げて欲しい。
それから、私の事は名前で呼んでくれて構わない」
レオネルの言葉に、リゼが驚いたように顔を上げ、こちらも微かに、ものすご〜く微かに、目元を赤く染める。
「……はい、レオネル様…」
恥じらうようにそう答えるリゼに、私とマリーが身悶える。
「ヤバイヤバイヤバイ、今すぐ帰ってこれで一本作品を仕上げたいっ!」
「有りですっ!先生っ!読みたいっ!単純に素直にただただ読みたいっ!」
コソコソと小声で盛り上がる私達を、ジャンがジト目でジーッと見つめ、訝しげにボソッと呟いた。
「……何の先生なんだか……」
その呟きに気付かないまま、私とマリーは尚もギャーギャー盛り上がり続けていた。




