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EP.116



「さて、私の正体も明かした事ですし、皆には名前で呼んで貰いましょうか。

流石にこの姿の時に師匠と呼ばれるのはよろしくありませんからね。

勿論、ばぁさん、もいけません」


そう言って悪戯っ子を嗜めるように、大公、いや、エブァリーナ様がクラウスを軽く睨んだ。


その視線からクラウスはツツツと顔を背け、その代わりにキティが必死に頭を下げている。


まったく。

この世界広しといえども、師匠の事をばぁさんなどと呼べるのはクラウスくらいのものだ。

命知らずというか、何というか…。

子供の頃はそれで皆より多めに吹っ飛ばされてたなぁ、コイツ。



「ハイっ!ししょ……エブァリーナ様っ!」


早速呼び間違えそうなっているジャンに、エブァリーナ様はクックッと肩を揺らした。

ジャンは本当に師匠のツボを突くのが上手いなぁ。


「はい、何でしょう、ジャン君」


肩を震わせながらエブァリーナ様が応えると、ジャンは不思議そうに首を傾げた。


「師匠の時の姿は魔女って設定だから、年齢不詳なのは何となく分かるんだけど、何でその姿でも実年齢より若いんだ、あっ、ですか?」


取ってつけたようなジャンの敬語に、エブァリーナ様は堪え切れないかのように、隣に座るカインさんの肩に顔を埋め、声を殺して笑っていた。


ややして呼吸を整えながら、エブァリーナ様は顔を上げると、ジャンに向かってニッコリと笑いかける。


「この体も魔法で老化を遅らせているんですよ。

魔力を体内の血管や細胞に行き渡らせ、コントロールしているの。

強化魔法の応用ね」


サラッと言っているが、そんな緻密な魔法、師匠にしか使えないっての。


「私の夫のカインは獣人ですから、寿命が人より長いの。

その分、年を取るのも人よりゆっくりなのよ。

その彼に合わせて、自分の見た目をコントロールしてるの。

乙女心ってやつね」


ふふっと笑って片目を瞑るエブァリーナ様に、ジャンは感心したようにへーっと呟いていた。



「獣人族とは、身体能力だけじゃ無く、寿命も人族を上回るのですね」


その時、感心したようにノワールが声を上げ、カインさんが面白そうに片眉を上げる。


「ほぅ、ローズ卿は人間を人族と仰って下さるのですね」


ニコリと微笑まれたノワールは、慌ててカインさんを真っ直ぐに見つめる。


「剣聖である貴方様に卿だなどと、私の事はノワールとお呼び下さい」


そう言うノワールに、カインさんが優しく頷くと、ノワールはホッとしたように胸を撫で下ろした。


「我々の王国は他国に比べ、獣人族への理解が浅く、未だに獣人族に対して人である我々を人族と呼ぶ知識さえありませんが、私達は師匠のお陰で帝国の人間とも頻繁に交流してきました。

ですから、帝国での常識もある程度は身に付いていると思っています」


ノワールがニッコリと微笑むと、カインさんが感心したようにノワールを見つめ、次にエブァリーナ様を見つめた。


「君が育てた新しい王国の若芽だね。

あの保守的で、他国との交わりを長年拒んで来た王国を、時間をかけてよくここまでに……。

まさか、王国の貴族に、獣人である私が迎えられる日が来るなんてね。

イブ、君は本当に昔から、誰も思いもしなかった事を成し遂げる」


尊敬の念の篭ったその眼差しに、エブァリーナ様はふふっと笑い返した。

きっと2人が若い頃は、この帝国でさえ獣人の立場はもっともっと低かった筈だ。

それを2人は力を示し、能力でもって獣人の社会的地位を勝ち取ってきたのだろう。


そうでもしなければ、帝国の公爵令嬢と獣人の婚姻など叶わなかった筈。


一緒にそれを乗り越えてきた2人の強い結び付きが、今の帝国の獣人への理解ある対応に繋がっている。


そう思うと、我が国の何と閉鎖的な事か……。

私は密かに小さく溜息を吐いた。


王国では、獣人の受け入れどころか、対等な存在だという認識さえまだ広がっていない。

平民の中には、獣人が人の言葉を喋る事さえ、知らない者が殆どなのだ。


……あまつさえ、魔獣と混同している者さえいる始末……。


国として、積極的に他国を受け入れてこなかった時代背景は今更やむを得ないが、流石に今では時代錯誤が過ぎる。



「何故王国は、こうも他国との交流が気薄なのかしら?」


つい愚痴っぽく口をついて出た言葉に、エリオットが困ったように眉を下げた。


「王国は、大聖女様の祝福によって興した国だからね。

その加護は未来永劫、これからも途切れる事は無いよ。

そのせいで昔から、他国からの侵略に脅かされ続けてきたんだ。

それもそうだよね、あの不毛の地、北の大国に隣接しているというのに、天候は穏やかで、四季もあるから多種多様な食物が育ち、家畜も肥え太り、海も穏やかで漁業にも困らない。

水源には困らず、資源まで豊富となれば、ほぼ国内で全てが賄えてしまう。

更に加護のお陰で、魔獣や魔物の被害が少ない。

そんな魅力的な土地を、見逃す国など無いよ」


もちろん住んでいるんだから、全て知っている事だが、改めて聞くと、アインデル王国ってチート過ぎない?

まぁ、国土は狭いけど、国民を国内だけの力で支えられる国、他にはそうそう無いよなぁ。


ふむふむと頷く私に、エリオットは微かに微笑みながら、話を続けた。


「悩みは他国からの侵略だけじゃ無い。

常春の国、大聖女の恵み溢れる国、そう呼ばれて、難民や流民が押し掛けてくるのも問題なんだ。

帝国との平和条約の元、難民のみ一定数受け入れてはいるけど、兎に角王国に押し寄せてこようとする人の数は半端じゃ無いからね。

今は帝国が安定していてその数も随分減ったけど、その辺の問題もあって、王国は半ば国を閉ざすしか無かったんだよ。

そのせいで、王国は他国に比べて情勢に疎く、時代錯誤な部分が未だに多いね。

王族派、穏健派、貴族派、どれにも保守派が存在して、今まで通り、王国を他国から閉ざすべき、という考えがまかり通っているし。

前国王が正にその保守派だったから、陛下の代になってもまだ他国との交流は一歩も二歩も遅れを取っている状態なんだよ」


保守派……保守派かぁ……。

そこからの脱却は確かに、難しいとこだよなぁ。

皆の心の拠り所、教会が正にそれだし。


爺さんとか曾祖父さん辺りまでは、他国からの侵略や流民問題で本当に苦労したって、未だに聞かされるくらいだから、意識改革にはまだまだ時間が掛かるだろう。


今は帝国との強固な平和条約が結ばれているし、流民や難民問題も数がグッと減ってきている。


それも全て、前皇帝とアルムヘイム大公の尽力があってこそ。

帝国が安定している限り、王国も安泰という事だ。


そこまで考えて、私はハテと首を傾げた。

王国は大聖女様の祝福の加護の元、豊かに富んだ土地であり、帝国を後ろ盾に、他国とは比べようも無いほどの安寧を享受していると思う。


では、師匠が宿願にまでしている、王国の永久の安寧とは……?

一体、何の事を言っているんだろう。

それにさっきのエブァリーナ様の口調だと、命を賭しても叶えるつもりがあるようだった。


今でさえ十分に恵まれている王国の、更なる安寧に、何故命まで賭けようとしているのか……。


ムムム、と眉間に皺を寄せ考え込んでいると、エリオットがその皺を指で伸ばしながら、ふふっと笑った。


「そんなに心配しなくても、王国は着実に外への門を開き始めているよ。

陛下が若い頃からエブァリーナ様に教えを乞い、国内外に働きかけてきたからね。

これからは僕らがそれを手助けして、更に世界を広げていくんだよ」


悩んでいたとこはそこでは無いのだが、私はエリオットの言葉に一気に胸が躍り出した。


「まずは僕が、色々な国を訪問する事になっているんだよね。

もちろん、大陸も超えて、様々な国を見て回る予定だよ。

急に親交の無い国に訪問するには、表向きの理由が必要になるから……。

多分、新婚旅行とか、そんな感じになるんじゃないかな?」


ニッコリ笑うエリオットの腹黒さに、私はグギギッと唇を噛んだ。

が、その手は食わんぞ。


「じゃあ私は、王太子妃様の侍女として…」


「公爵家の令嬢を侍女に出来る位の方で、僕との婚姻条件を満たす年頃の女性なら、居ないよ?」


クッ!

被せ気味に潰しにきやがったっ!

ならばっ!


「じゃ、腕聞きのフリーハンターとして、護衛にっ」


「僕の周りは腕聞きのフリーハンターだらけなんだよね?

何でだろう?」


グゥッ!

いや、まだまだだっ!


「それならっ、水兵でも下っ端の荷物持ちでもっ!」


力を込めてズイッとエリオットに迫ると、エリオットは困ったように溜息を吐いた。


「ごめんね、リア。全て定員は埋まっているんだよ……。

そうだなぁ、唯一空きがあるとすれば……。

一緒に諸国を巡る正式なパートナー……。

王太子妃くらいかなっ」


良い顔でそう返されて、私はギリギリィッと激しく歯軋りした。


だろうなっ!知ってたっ!

お前の言わんとしている事はビシバシ感じてたわっ!

ってか、アレだよな?

相手もいないのに、新婚旅行とかっ!

臍でお茶沸かすってのっ!

アーハッハッハッハッハッ!


……い、行きたいぃぃぃぃっ!

国の金で諸国巡り放題っ!

大陸も越えられるとか、夢のようじゃないかっ!

そりゃ、一国の王太子くらいじゃないと無理だわ、無理無理。


何とか他に手は無いだろうか……。

コイツの嫁にならずして、ついて行く方法は……。


その時、いつの間にやらクラウスの膝の上に抱き抱えられ、こちらに助けを求める視線を必死に向けてくるキティとバッチリ目があった。


こ、こ、これだっ!

ピコーンッと思い付いた私は、キラキラした目でエリオットに振り向く。


「それならペットッ!せめて私の代わりにペットを連れて行ってくれない?

長旅のお供にっ!王太子妃様の慰めになると思うのっ、ねっ?ねっ?」


ぬっふっふっふっ!

勿論そのペットとは、変幻魔法で動物に偽装した私だけどなっ!

まだ変幻魔法は完璧に習得してないけど、今から頑張って必ず間に合わせてみせるっ!


完璧っ!これこそ完璧な作戦だっ!


ムッフーーーッ!と勢いよく鼻息を立てた瞬間、正面からヒヤッとした冷気を感じ、おやおや?またノワールかい?と顔を上げると、そこにはニッコリ微笑みながら、冷たい空気を纏うキティの姿が……。



「……嫌だわ、シシリア様ったら。

そんな事なさらなくとも、エリオット様と婚姻を結び、正式な伴侶として堂々と新婚旅行なさってくれば宜しいんじゃないかしら?」

(訳:アンタ今、私の今の状況を見て、ペットって思い付いたわね?)


そのスモールブリザードに、カタカタ震えながら、私は引き攣る口元を隠す為、扇を口元の前で広げた。



「まぁ、キティ様ったら……。

そうしたくとも、私は婚約者の居る身でございますから……」

(訳:余計な事言うなっ!確かにお前を見てペットって案を思い付いたが、そんなもん仕方ないだろっ!見たまんまなんだからっ!)


目元だけ穏やかに微笑むも、その奥をギラリと光らせると、それ以上の、まるでビーム光線が出せそうな眼光で睨み返されてしまった。



「……まぁ、シシリア様ったら……。

私は宣誓書を交わし、正式にクラウス様の婚約者になったのですよ?

勿論、あの事についても既に教えて頂いております。

深いご事情のある事とはいえ、それを逃げ口上になさるのは、いかがなものかと思いますわ」


ニ〜ッコリ真っ暗な顔で微笑むキティに、もはやガタガタと全身の震えが止まらない。


知ってっか?

隠キャを馬鹿にしちゃいけないぜ?

アイツら、腐海の森からも生還出来るほどの猛者だからさ。

怒らせて毒吐かせたら、もう勝てないから。

そこで試合終了だからァァァァァァッ!



その時、エリオットが私の腰をグイッと引いて、顎を掴んで上向かせてきた。


「ほらね、リア。キティちゃんもああ言ってるし。

変幻魔法なんか使ってペットに変装しなくても、そのままのリアでいいんだよ?

僕の新妻として、堂々と諸国を巡る旅に出よう、ね?」


捕らえたとばかりに、愉悦の表情を浮かべ微笑むエリオットに、私は涙目でイヤイヤと頭を振った。


い、嫌だっ!

それだけは、嫌だっ!

こんな得体の知れない化け物の嫁とか、絶対に嫌ダァッ!


どうせいつもの戯れだとばかりに、誰も私を助けようともしない状況の中、キティだけが悪い顔でニヤリと口元を歪めている……クラウスの膝の上で……。


そうだよなっ!ごめんっ!

お前もその状況が最早デフォみたいな扱い、辛いよなっ!

何とも思わずスルーした上に、そこからペットっとかって着想を得て悪かったよっ!


だからせめて私達くらいは助け合おうぜっ!

この異常な兄弟から、身を守り合おうっ!なっ?なっ?


目だけで一生懸命にそう訴えると、キティはルーと涙を流しながら、何度も頷いていた。


良かった、せめて私達の友情だけは守り切ったぞ……。

本当に、良かった……。


腰からスルッと下の方へ手を移動させようとしているエリオットの足を、ヒールで思い切り踏み躙りながら、私はキティとの友情復活に涙した。




「あっ、ところで、獣人族の寿命ってどれくらいあるのですか?」


その時、全く関係の無い話を始めてくれたミゲルに、私は土下座しながら礼を言いたいくらいに感謝した。


まぁ本人は、単純にただの好奇心で聞いたみたいだが。

人を超えた神秘的なものを前にすると、ミゲルはたまに抑えが効かなくなるのだ。



「そうだね、種族によっても違うけど、私達黒豹の一族は、150〜200才くらいまでは生きるよ」


ミゲルの突然の質問にも、カインさんは愛想良く答えてくれた。


ってか、カインさん黒豹の獣人だったんだ。

カッコいいっ!

剣聖な上に、種族までカッコいいとか、完璧過ぎるっ!


ほわほわ〜んと、カインさんを見つめる私とキティだったが、お互いの側にいる腹黒兄弟のそれぞれの真っ暗な微笑みに当てられ、直ぐに真っ青な顔になってカタカタと震え始める。


怖っ!

クラウス何アレ怖すぎなんだけど。

見なきゃ良かった。

夢に出てきそうな程の恐怖の微笑みだよぅ……。


私と同じように目尻に涙を浮かべ、キティが見たものの事は考えたくも無い……。

隣から感じる不穏な空気など、気の所為だと思いたいものっ!




こんな風に穏やかに(?)お茶会は進んで行った。

エブァリーナ様バージョンの師匠とも沢山話が出来て、カインさんとも親しくなれた。


きっと、私達に本来の姿を明かした事も、師匠の計画の一端なのだろう。


時間はあっという間に過ぎ、お開きの時間となってしまった。



転移の間の前で、エブァリーナ様が皆にニッコリと笑いかける。


「私達の責務については、あなた方はあまり気になさらずとも宜しいですからね。

あなた方はそれよりも、目の前の膿を出し切る事に集中して下さい」


しっかりね、とそう言われた気がして、私達は神妙な顔で頷いた。


そうだ、師匠が私達の為に外から動いてくれるなら、私達は中から王国を蝕む膿を排除しなければ。


お互いのやるべき事を再確認して、私達は大公城を後にした。


だが、王宮の転送の間に戻ってきた時に、私はふと思った。

思い付いてしまった。



……師匠なら、200歳くらいイケるんじゃね?



カインさんと添い遂げる事の出来そうな、師匠の化け物じみた可能性に身震いしていると、皆も同じ事を考えたのか、顔を見合わせて、師匠のそのとんでもなさに同時に溜息を吐いた……。


あっ、もちろん、キティ以外でね。








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