EP.113
その週末、決意した通り師匠の家にお邪魔すると、師匠は私に引っ付いてきたエリオットを、正確にはその手首の飾りを見て、楽しそうな声を上げた。
「おや?エリオット坊、意外な物を付けてるね。
シシリア嬢ちゃんがそんなに独占欲の強いタイプだったとは思わなかったよ」
ニヤニヤ笑いながら私を見る師匠に、たじろぎながら数歩後ずさった。
な、何?
何だよ、何の事だ?
「そうなんです。リアったら、これを僕に着けて、僕を独り占めにしたいみたいで……」
うっとりと例のブレスレットに頬擦りしながら頬を染めるエリオットに、私は眉根を寄せた。
何を言っとんのじゃ、コイツは。
何故私が貴様を独り占めにしたがらなきゃならん。
あり得ない上にあり得ない。
ニヤニヤと私を見てくる2人に、私はムッと顔を歪めた。
「ちょっと、何ですか?
何でそんなニヤニヤするんですか?」
師匠を軽く睨むと、師匠はフォッフォッとやはり楽しそうに笑う。
「いやね、そのブレスレットは不実な恋人や夫を持つ、哀れな女性の為に開発したんじゃが。
今では男性側の誠実な気持ちを表す為に使われておるんじゃよ。
自ら着けて、操作魔石を恋人や妻に渡し、自分は決して不貞は働かないと誓うそうじゃ。
その際『君がその魔石に魔力を流す事はないだろう』と言うのが決め台詞らしいぞ?
まぁ、もちろん、まだまだ本来の目的の為にも利用されておるがな。
いくら浮気症な男でも、堂々とそのブレスレットを拒否すれば、自分は浮気しているしそれをやめる気も無い、と宣言しているようなものじゃからなぁ〜〜。
皆内心渋々ではあっても、受け取って着けざるおえん。
どちらにしても、愛する人間を自分だけのものにする為の魔道具に間違いないの」
にょっほっほっほっと実に愉快そうに笑う師匠に、私はギリギリと歯軋りした。
帝国の巷で話題の魔道具というから、直ぐに飛び付いてしまったが、本来はそんな使い方をする物だったとは。
ってか開発したの師匠かよっ!
ただのエリオット懲らしめ道具じゃなかったのか。
どおりで、のたうち回って痛がっていた割に、気に入って着けている訳だ。
私からの行き過ぎた愛情表現だとか何とか、勝手に歪曲して受け止めていたに違いない。
ギリギリギリィッと歯軋りしながら、エリオットに向かってスッと手を差し出した。
「もういいわ、返して」
なるべく感情的にならないようにそう言うと、エリオットは反対の手でブレスレットを掴み、ふるふると頭を振った。
「どうして?これはリアの愛の証なのに。
返すなんて、僕には出来ないよ。
それにこれが無いとリアは安心が出来ないくらい、僕を独り占めしたいんでしょ?
もちろん、こんな物無くても僕はリアだけのものだけど、そのリアの可愛らしい独占欲が僕は嬉しいんだ。
だからこれは一生、この腕に着けておくから、ね?」
頬を染めて、もじくさもじくさ体をくねらせるエリオットに、吐き気を堪えられなくなった私は、そのエリオットの腕に掌を向けて、ボソッと呟いた。
「炎撃」
掌から炎の弾丸が放たれ、エリオットの手首に向かって一直線に飛んで行き、ブレスレットに直撃した。
「うわっちっ!」
途端にエリオットが飛び上がった瞬間、ブレスレットが手首から落ちてそのまま燃えて消し炭になる。
「うわ〜〜んっ!リアの僕への愛がっ!可愛らしい独占欲の証がっ!」
床に這いつくばって消し炭になったブレスレットを見つめ、さめざめと泣くエリオットを、ハッと鼻で笑いながら、サッサっと席に着いた。
何が愛じゃっ!
何が独占欲じゃっ!
そんなもん、これっぽっちも、爪の先ほども貴様に抱いてはおらんっ!
気色の悪い事を言うでないっ!
プンスコ怒りを露わにする私に、師匠がクックッと笑いながらお茶を用意してくれた。
「やはりお前さん達はまだそんな感じなのじゃな。
せっかく追いかけて来たというに、頑張った甲斐がないのぉ、エリオット坊」
笑いながらも少し憐れそうにエリオット見つめる師匠に、エリオットはフッと笑い返した。
「僕は見返りが欲しくてそうした訳じゃありませんからね。
こうして側に居られるだけでも、今は十分ですよ」
言いながら立ち上がり、膝の前をパンパンと払うその手の手首に、例のブレスレットが嵌まっている事に気付いて、私は目を見開いた。
「あ、アンタそれ、私がさっき燃やした筈じゃ……」
頭の隅で、エリオットにそんな事今更、と肩を竦める私がいたが、それでも思わずそう聞いてしまうと、エリオットはニッコリ無邪気に微笑んだ。
「このブレスレットの時間だけ少し巻き戻したんだ」
そう言って愛おしそうにブレスレットに頬擦りするエリオットに、師匠が弾かれたように大声で笑った。
「アッハッハッハッハッ!相変わらず規格外じゃのぉ。
時間を巻き戻すなど、魔法なら膨大な魔力を浪費するというに。
しかし、スキルとはいえ戻せるのはせいぜい物だけじゃろうから、まぁここは見逃しておくかの?」
そう言ってエリオットに向かって片目を瞑る師匠だが、いや、そもそも時間魔法など聞いたことがないのだが。
エリオットの常識外れなスキルならともかく、師匠の口ぶりだと、自分も魔法で時間を戻せると言っているように聞こえるのだが、気のせいか?
思わず師匠を凝視する私の肩を、エリオットがポンと叩いた。
「出来るよ、師匠なら。
タイムリープ魔法は規格外の魔力を使うからね、例え師匠でも魔力を溜めるのに時間が掛かるから、秘策中の秘策だけどね」
驚愕してエリオットを見上げる私に、何か片目を瞑っているが、いや、そんな軽くとんでもない事言うなよ。
「そうじゃなぁ、もしクラウス坊やが魔王にでも堕ちたら、その時は使っちゃうかもしれんな。
とはいえ、一度きりの禁術ってところじゃが」
こちらもこちらで、ヘラヘラと軽い物言いの師匠。
何かもう、私の周り化け物しかいない。
私は自分でも強い方だと自覚はあるが、規格外が居過ぎてもう訳が分からない。
これじゃいつまで経っても、俺tueee!には届かねーじゃねぇかっ!
なぁんでだよぉ……とさめざめと泣く私を尻目に、2人はヘラヘラと笑っている。
くそっ!
相変わらずとんでもねーーっ!
「さっ、師匠、せっかくリアがここまで来てくれたんですから、話を進めましょうか?」
エリオットは私の隣に座ると、お茶を啜りながら呑気な声でそう言った。
「そうじゃの。シシリア嬢ちゃん、もうエリオット坊から聞いているじゃろうが、あの者の血は私が探していた血に間違い無かった。
私にはどうしてもその血が必要なのじゃが、シシリア嬢ちゃんは協力してくれるかい?」
師匠が気遣うような目でこちらを見つめる。
私はそれに静かに頷いた。
「はい、私は何をすれば良いんですか?」
もう腹は括った。
その気持ちを込めて師匠を力強く見つめ返すと、師匠は安堵したように小さく息を吐いた。
「そうじゃな、嬢ちゃんにはそのニーナというお嬢ちゃんがどこぞに消えてしまわぬよう、適当に相手をしておいて欲しい。
それからエリオット坊は彼女が間違っても死んだりしないよう、よく気を付けておくれ」
そう言って私とエリオットを交互に見つめる師匠に、エリオットは力強く頷き、私は目を見開いた。
「あの、私がする事ってそれだけですか?」
私の問いに、師匠は申し訳無さそうに眉を下げ、哀しそうにその瞳を揺らした。
「お前さんにはそれでも十分、耐えられない程の苦痛じゃろう。
本当に申し訳無いと思っておる。
しかし、あの者はシシリア嬢ちゃん、お前にしか関心が無いんじゃ。
全く相手にせず、その存在を無視しようとすれば、また何度でも同じ事を仕出かすじゃろうな。
シシリア嬢ちゃん、あの者はお前さんからの関心が欲しいんじゃよ。
そうすれば、自分が失くした物が取り返せると思い込んでおる。
恐らく、その失くし物を取り返した瞬間が勝負どころと私は思っておるのじゃ」
師匠の言葉に、私は首を傾げ、眉を寄せた。
分からない事だらけだ。
一体師匠はシャカシャカとどんな関係で、シャカシャカがどう師匠の宿願成就に役立つというのだろうか………。
「師匠のしようとしている事、ニーナがどう関係するのか、教えてくれる気は無いんですね?」
真っ直ぐに師匠を見つめると、やはり師匠は申し訳無さそうに睫毛を揺らした。
「………すまんの。教える訳にはいかんのじゃ……。
それを知る者は、否応無しに私の運命に巻き込まれてしまう。
まさに最後のその瞬間まで……。
じゃからシシリア嬢ちゃん、お前さんには教えられん」
優しく諭すように、しかしキッパリと言い切る師匠に、私はピクリと片眉を上げ、知らず知らずの内にポツリと呟いた。
「……じゃあ、エリオットは……」
エリオットは全てを知っているようだった。
ならエリオットは、師匠がこれ程までに慎重になるその何かに、巻き込まれてしまうのだろうか?
「いやいや、エリオット坊は大丈夫。
この子は完全に因果律の外におるし、中には入れんようになっておる。昔からな。
私と関わって、全てを知っているのはこの子くらいなものじゃが、私の運命には決して巻き込まれない、そう出来ておるんじゃよ。
今回はエリオット坊の本質が変わってしまっておるから、色々手助けもしてもらえるが、シシリア嬢ちゃんの心配するような事にはならんよ」
緩く首を振りながら、師匠がしてくれた説明は、殆ど理解出来なかったけれど、それも教えては貰えないのだろう。
一つだけ、何となく分かった事は、師匠とエリオットの付き合いが、本当は凄く長いのじゃ無いか、という事だけ。
以前から何となく感じていたけれど、2人の間には今まで見た事も無いような、深い繋がりを感じる。
それは家族や恋人や友人や、そんな物では到底表せないような、深くて特別な繋がり。
かといってお互いを縛ったり、求めるような物では無い。
個として交わる事は絶対に無いような、そんな奇妙な関係性。
うまく説明出来ないけど、2人にはそんな関係を長く続けてきたような、2人にしか分からない何かがあるように感じる。
2人を交互に見つめ、その不思議な雰囲気に首を傾げていると、エリオットが嬉しそうに頬を染めながら、手首を顔に近付け、例のブレスレットにゆっくりと口付けた。
「大丈夫、僕の運命は常にリアと共にあるから。
師匠の運命に巻き込まれたりなんかしないよ」
そう言って流し目でこちらを見てくるエリオットに、私は嫌そうに顔を歪めた。
「勝手にアンタと運命共同体にしないでくれる?
アンタと運命を共にするくらいなら、ガッツリ師匠の運命に巻き込まれた方がマシだわ」
んべっと舌を出してあっかんべーしてやると、何故かエリオットはキュンと音が聞こえそうなくらいにトキメイた様子で、ますますその頬を赤く染めた。
「リアが僕にだけ可愛い件についてっ……」
モジモジしながらこちらをチラ見してくるエリオットを、ゲーッと砂を吐く思いで胡乱に見つめる。
コイツはどうして正しく言葉が伝わらない?
そして、何を言おうが、何をしようが、全て自分の都合良く歪曲するのは何故だ。
翻訳機能がぶっ壊れてんだな。
さてはお前、ジャンクのおつとめ品だな。
もじもじデレデレしているエリオットと、それをもはや無感情に見つめる私に、師匠が楽しそうに声を上げて笑った。
「フォッフォッフォッ。全くお前さん達は、以前とはまた違った関係になったもんだね。
これはこれで面白いが、ヤレヤレ先は長そうだ。
シシリア嬢ちゃん、残念だがお前さんを私の運命に巻き込む事は出来ないねぇ。
なにせ、もう定員オーバーなもんでね。
どうしても、私の運命に最後まで付き合いたいと言って聞かない、可愛い旦那がおるんじゃよ」
そう言って悪戯っぽく片目を閉じる師匠に、私は唖然として口をあんぐりと開けてしまった。
「し、師匠、旦那様がいるんですかっ?」
この師匠と婚姻するとか、そんな命知らずな御仁がこの世の中にっ⁉︎
えっ?
妄想じゃなくて?
あっ!師匠っ………まさか………認知……。
「まだボケては居らんぞ?」
ニヤッと笑う師匠の額に、青筋が浮かんでいるのを見て、私はピャッと椅子から飛び上がった。
ブルブルブルッ!
私、そんなっ、思ってませんっ!
思ってませんからっ!
ニコニコ笑顔で高速首振りを披露すると、師匠はふむと頷き、直ぐに何か思い付いたようにニッコリと笑った。
「そうじゃ、シシリア嬢ちゃん達にうちの爺さんを紹介してやろう。
うちの爺さんは強いぞ?
きっとシシリア嬢ちゃんも気にいるじゃろうて」
ワクワク顔の師匠に、しかしエリオットは不満そうな声を上げた。
「あの方はリアのタイプだから、僕は反対ですぅ。
絶対に合わせませんよって前にも言いましたよね?」
口を尖らせ師匠を睨むエリオットを、情けないと言わんばかりに師匠が睨み返した。
「何を情けない事を……80も過ぎた爺様に嫉妬するのかい?
ヤレヤレ……いくらシシリア嬢ちゃんでもうちのじっ様など何とも思わんじゃろう。
ちょっと獣人で……」
師匠の言葉に私の眉がピクッと動いた。
それを見逃さないかのように、エリオットの目がキラーンと光る。
「剣聖とかいう、シシリア嬢ちゃんが食い付きそうな称号を持っておって」
続く師匠の言葉に眉がピクピクと反応する。
「燻銀なロマンスグレーだとしても、じゃ」
まるでエリオットを揶揄うようにニヤリと笑う師匠に、私がガシッと飛び付いた。
「師匠っ!剣聖にっ!獣人のロマンスグレーにっ!会わせて下さいっ!
お願いしますっ!出来れば手合わせもーーーっ!」
ウルウル目で師匠に縋り付く私に、エリオットがあああ〜〜と頭を抱えながら床に蹲った。
「ほらぁ、食い付いたじゃないですか〜〜。
あの人はズルいんですよね〜〜。
前々からリアの興味を引きそうな人だと思っていたんですよ……」
恨みがましい目で師匠を下から見上げるエリオットを、師匠はフォッフォッと笑い飛ばしながら、私の頭を撫でた。
「私の可愛い弟子を、私のじっ様に紹介して何が悪い。
お主が妨害するから遅くなっておっただけではないか。
シシリア嬢ちゃん、近い内にこちらから招待するからの、皆で遊びにくれば良い」
ニコニコ私に笑いかける師匠に、私は首がもげそうなくらいブンブンと高速で頷いた。
やった!生獣人だっ!
しかも剣聖って何それっ!
滾るっ!オタ魂が火を吹くぜっ!
うっしっしっしっとニヤニヤ笑う私の腰に、いつの間にやらエリオットの腕が絡み付いて、ギュウッと後ろから抱き締められてしまった。
「リア、浮気はめっ、だからね」
不貞腐れたその口調に、物凄く苛つきつつ、私は例のアレに思い切り魔力を込めた。
「○!※□◇#△ッッッ!!」
やはり声にならない悲鳴を上げながら、床を転がり回るエリオット。
「これこれ、それはシシリア嬢ちゃん程の魔力の持ち主を想定して作ってはおらんから、そんなに思い切り魔力を注いでは、そのうちもげてしまうかも知れんぞ?」
呑気な師匠の声に、エリオットは目を見開き助けを求めるように師匠に手を伸ばしたが、師匠は茶を啜りながら、そんなエリオットにフォッフォッと笑っただけだった。
「王太子のくせに使いもせずにぶら下げて居るだけですし、もげても何の支障も無いのでは?」
ニッコリ笑いながら師匠にそう言うと、師匠はまた楽しそうに笑い声を上げた。
「フォッフォッフォッ、確かに、シシリア嬢ちゃんの言う通りかもしれんのぅ」
楽しそうな師匠とは対照的に、真っ青な顔で汗をダラダラ流しながら悶絶しているエリオットは、ブルブル震える手を、今度は私に伸ばしてきた。
「……かいますっ、今すぐっ、リアにっ、使いますからっ!
お願いだから、もがないでぇっ!」
誰が使わすかっ!!
鳥肌を立てながら、エリオットの顔をメキョッと足蹴にすると、流石のエリオットも白目になり、泡を吹きながら気絶してしまった。
「す、凄いっ!師匠の魔道具はやはり凄い威力です。
エリオットをやっと滅する事が出来ましたっ!」
興奮気味に、良い顔で師匠を振り返ると、師匠は呆れたようにハァ〜っと深い深い溜息を吐いた。
「そうやって使うもんじゃないんじゃがなぁ〜〜」
師匠の呆れたような呟きは、取り敢えず聞かなかった事にしておいた。




