EP.97
特殊スキルを使って姿を消したシャックルフォード。
姿だけではなく気配まで完璧に消している。
私はシャックルフォードからの攻撃に備え、キティを背に庇いながらジリジリと後ずさった。
……せめて、キティを壁際に……。
そう思って動き出した瞬間。
「シシリアっ!」
部屋の大きな窓の外から叫び声が聞こえた。
私はそれに瞬時に反応して、魔法防壁を展開する。
ガッシャーーーーンッ!!!
窓ガラスが大きな音を立てて割れ、飛び散ったガラスが私の魔法防壁に跳ね返された。
「ぐっ、ぎゃあぁぁぁぁっ!」
姿を消していたシャックルフォードが現れ、その片目にガラスの破片が刺さっていた。
血の吹き出す目を押さえながら、フラフラと後ろに下がって行く。
窓から体ごとガラスを割って飛び込んできたクラウスは、キティを庇う私の前に立つ。
キティは息を呑んで、震える声を上げた。
「……クラウス様っ」
震えるその声にクラウスが顔だけ振り返り、どこか泣きそうな目をしてキティに微笑んだ。
「キティ……間に合って、良かった。
もう大丈夫だからね」
優しい声色でそう言われ、キティは目に涙を滲ませ、何度も頷いた。
……いや、私を挟んでやるな。
クラウスの優しげな表情など、蕁麻疹案件なんだが。
この大事な場面でカイカイ出ちゃうじゃんっ!
「キティっ!大丈夫かっ!」
開け放たれた入り口から、ノワールが飛び込んできて、キティに駆け寄りその胸に抱きしめた。
「お兄様……」
震えるキティの頭を優しく撫でながら、ノワールは言った。
「もう、大丈夫だよ、キティ」
キティはその言葉に力が抜けたように、ノワールの腕に必死で縋り付いている。
「ジャンッ、奴に時間を与えるなっ!
一気に叩けっ!」
いつの間にかレオネル達も到着していて、ジャンとレオネルが同時に攻撃魔法をシャックルフォードに向かって放った。
「ぐがあぁぁぁぁっ!」
身体中から血を噴き出し、シャックルフォードは吠えると、全ての魔法を跳ね返した。
皆んな、瞬時に防御魔法を使って跳ね返された魔法を避けた……クラウス以外。
「クラウス様っ!」
キティの叫び声が部屋に響く。
粉塵が晴れると、クラウスは変わらずそこに悠然と立っていた。
傷一つ無く。
うん、知ってた。
クラウスだからな。
いや、あれくらいでコイツを何とか出来るなら誰も苦労しない。
キティは訳が分からないといった顔で、マジマジとクラウスを見つめている。
「リミッターが完全に切れたな……、ヤバいぞ」
ジャンがシャックルフォードを見つめながらそう呟いた直後、シャックルフォードは獣のように飛び上がり、こちらに向かってきた。
もう周りは見えていないらしく、一直線にキティを狙ってくる。
そして、やはり、その姿を消した。
「しまっ……」
レオネルが緊迫した声を上げるのと同時に、クラウスが腕を真横に上げ、その手に何かを掴み、ギリギリと締め上げた。
皆、時が止まったかのようにその場に固まり、誰も動けない。
「ぐっ、がっ、あがっ!」
苦しげな声と共にシャックルフォードが姿を現した。
首をクラウスに掴まれ、片腕で持ち上げられている。
「特殊スキルとか、アイツには関係無しかよ……」
力が抜けたように、ジャンが呟いた……。
姿が見えず、気配も消した相手をどうやって、とかもう何も言うまい……。
そりゃっ、クラウスだからだよっ!
「ぐっ、がはっ、がっ!」
クラウスに片手で首を掴まれ持ち上げられているシャックルフォードは、苦しそうに体をジタバタと暴れさせるが、クラウスはまったく微動だにしない。
ますます首を掴んだ手に力が籠もる。
そのクラウスの足元から、黒い霧のようなものがジワジワと発生して、持ち上げた腕を伝い、首を掴んでいる手に集まってゆく。
おいっ、ヤバいヤバいっ!
あれはヤバいっ!
「いけないっ!皆さん、早くこちらへっ!」
ミゲルが光魔法を放ち、半円形の結界を張る。
皆ミゲルの所に集まり、結界内に入った。
クラウスを徐々にその黒い霧が覆ってゆく……。
「あ〜ヤバいヤバいヤバいヤバいっ!」
ジャンが頭を抱えて呟いた。
「勘弁してよ……アイツにはまだ聞きたい事があるんだから……」
私も情け無い声を出す。
転生者であるシャックルフォードから聞きたい事があるっていうのに……。
クラウスめ、キティに手を出されそうになって完全に理性を失ってやがる。
アイツが1番キティに知られたくないだろう闇の力が漏れ出るほどに……。
キティは何が起きているのかまったく分からないといった感じで、オロオロと皆を見渡していた。
闇の力の事どころか、あんなクラウスを見たのは初めてなのだろう。
ちっ、やっと婚約式まで漕ぎつけたというのに、よりによって今日そんな事を知る羽目になるなんて。
クラウスから湧き出て来るようなそのモヤが、シャックルフォードに触れると、その姿がみるみる変貌していった。
肌が弛み、皺皺になっていく。
髪は真っ白になり、体は異様に細くなっていった。
「あ……ぐがぁっ……はがっ……」
シャックルフォードはどんどん弱々しい姿に変貌し、力無く呻く。
……最後はミイラのようになって、力無くダランとクラウスの手から吊り下がった。
その狂気的な光景に、キティはわなわなと震えて口を押さえた。
そのキティをノワールが抱きしめて、耳元で優しく囁いた。
「辛かったらここから連れ出すから、言いなさい」
キティは目を見開き、ノワールを見つめた。
ノワールはキティに決めさせようとしている。
ノワールならこの光景をキティに見せないよう、本来ならとっくにどこかに連れ出していた筈だ。
だか、キティは今日、クラウスと婚約式を挙げる。
そうなれば、王家の機密にも触れていくのだ。
そう、クラウスの闇の力についても。
ノワールはその前にキティに決めさせたいのかもしれない。
クラウスの闇の力を知ってもなお、婚約式を行うのか。
ノワールは可愛い妹にでは無く、未来の王子妃であるキティに、そう問うているのだ。
きっとそれはキティの為だけではなく、クラウスの為も考えての事だろう。
何だかんだ言っても、最初にクラウスの側近になったのはノワールだ。
ノワールはノワールなりに、クラウスの事を想っているのだと思う。
そう、ノワールの考え通り、これはキティが知っておくべき事なのだ。
人が目の前でみるみるミイラに成り果てるこの光景を、それにどんなにキティが怯えていても、だけど、キティがクラウスと一緒にいたいなら、目を逸らしてはいけない。
闇の力というのは、クラウスの能力の一つだ。
それをキティは知っておかなければいけない。
この先ずっと、クラウスと一緒に歩み続けるというなら。
キティはノワールの考えを察したように、力強く首を振った。
「いいえ、お兄様。
私はどこにも行きません。
クラウス様を置いて、どこにも行きません」
真っ直ぐノワールを見つめ、キティがそう言うと、ノワールは優しく微笑んだ。
「ありがとう……。
辛い思いをさせるけど、キティには知っていて欲しいんだ。
クラウスを蝕んできた、力の事を」
少し哀しげにそう言うノワールの胸に、ギュッとキティが抱き付く。
「はい、大丈夫です、お兄様。
私は知りたい。どんな事でも。
クラウス様の事なら、知りたいのです」
キティの強い意志を感じたのか、ノワールは優しくキティの頭を撫で、今度は寂しそうにその瞳を揺らした。
そうだよな、兄ちゃん、嬉しい反面寂しいよな〜。
可愛い可愛いで育ててきた妹が、自らの意思で魔王を選ぶなんてやるせないよな〜。
何だか尊い兄妹愛を見せつけられ、私はグスンと鼻を鳴らした。
「かはっ!あっ、がっ」
とかこっちで勝手にしんみりしているうちに、再びシャックルフォードの苦しげな呻きが聞こえ、驚いて振り向くと、さっきまで皺皺のミイラのようだったシャックルフォードが、今度はどんどんと若返っていっている。
おおぅ……闇の力、エッグっ!
「くそっ、遊んでいるな……」
レオネルが苦々しげにそう吐き捨てた。
「……仕方ないわ……。
キティ、アレを止めてきて」
私はキティをジッと見つめ、そう言った。
キティは私の言葉に目を見開き、ワタワタと若干パニックになっている。
ノワールが後ろからキティを抱きしめ、ふわりと笑って口を開く。
「必要ある?遊ばせておけば良いんじゃない?
気が済めば、塵に還すよ」
ノワールのその言葉に、私はカッと顔を赤くした。
だーかーらーっ!
塵に還すなって言ってんだよっ!
「駄目に決まってるでしょっ!
アイツからは聞き出さなきゃいけない事があんのよっ!」
唾を飛ばす勢いで、キティを乗り越えノワールに噛み付く。
あっ、キティにも唾かかっちゃった、ごめんごめん。
って、めちゃ嫌そうな顔すんなしっ!
「それに、このような祝いの席に、人死は似つかわしくありません」
ミゲルが困ったようにそう言った。
あっ、ここ、そういえば教会の中だったわ……。
ミゲルっ!お気の毒っ!
「お前は妹に、さっき人を殺してきた人間との婚約宣誓書にサインをさせたいのか?」
レオネルが、呆れたように溜息を吐いた。
皆に睨まれてノワールは、キティの頭の上で面白く無さそうにハァっと溜息を吐いた。
「仕方ないな。キティを害そうとした人間なんて、どうなろうと構わないんだけど。
今日はキティの祝いの日だからね……。
……んっ?これで婚約式が無くなった方が、いいのか……?」
思い付いたように、首を捻るノワールの肩を、ジャンがメキメキッと掴む。
「ノワ〜ル〜……お前、状況をよく考えろぉ……。
こんな所で闇の力使って人殺したら、後で教会からどんだけ追求されると思ってんだよぉ」
ゲッソリとしたジャンに、ノワールはツーンっとそっぽを向いてしまった。
「いやいや、もういいからっ!
早くしてっ!アイツ、遊びが過ぎてるわっ!」
こっちで何呑気にやっとんじゃっ!
私は焦った声を上げ、クラウスを指差した。
クラウスに掴まれたシャックルフォードが一瞬のうちにミイラになったり、若返ったりを繰り返している。
「しかし、シシリア。
本当にキティ嬢をアレに近付けて大丈夫なのか?」
心配そうにそうレオネルがそう言うのに、私は鼻で笑って返した。
「ハッ!大丈夫よっ!キティなら大丈夫っ!
むしろキティじゃなきゃ駄目なのっ!
今、アイツを止められるのは、キティだけよっ!」
私の力強い言葉に、キティは両手を拳に握ってこちらに頷いた。
よしっ!
やれっ!いけっ!
人類の終焉はお前にかかっているんだっ!
ってかマジお願いしますっ!
「キティ、いきますっ!」
キティは力を込めてそう宣言すると、ミゲルの結界から、一歩足を踏み出した。
「キティなら、必ず出来る、大丈夫だよ」
ノワールの優しい声にキティは振り返り、微笑み返した。
クラウスは真っ黒な霧に覆われて、シャックルフォードに向かって力を使い続けていた。
シャックルフォードの力無い呻きにも、その無表情を崩さない。
いや、よく見ると、口元が薄っすら笑っている。
金の瞳がギラつく程に光り、愉悦に揺れていた。
あ〜〜、魔王が楽しんでいる。
もう本当にヤバいこれ。
凶々しい闇の中でも、キティは怯む事なくクラウスに真っ直ぐ向かっていった。
「クラウス様……」
キティの小さな呼び掛けに、クラウスはピクリとも反応がしない。
やはり正気を失っている。
いつもなら、それがどんなに極細ボイスでも、キティには反応する奴なのに。
キティは濃く黒に覆われたその背中に、そっと抱きついた。
「クラウス様……もう、お止め下さい。
もう、十分です……」
キティが優しく話し掛けても、やはり反応が無い。
「クラウス様……」
キティはどうしたらいいのかと、思案し始める。
頑張れっ!
このパターンはアレだよっ!
前にもあったろっ!
頼む、キティッ!
思い出してくれっ!
ややしてキティは、あっ!と何かを思いついた顔をして、だがすぐに首を捻る。
いやいやいやっ!
たぶんそれ正解っ!
それが今のこの状況を打破する最適解だからっ!
キティッ!頼むっ!
恥を捨ててぶちかましてくれっ!
少ししてキティは、やはりもうこれしか無いと意を決したように、声を上げた。
「クラウス様っ!私以外を見ちゃダメっ!」
酸欠を起こしそうな大声に、クラウスの体がピクリと動いた。
よっしゃぁぁぁぁぁぁぁっ!
キティ、よくやったっ!
それそれっ!その調子っ!
そこでキティは、続けて、決してシャックルフォードを救助しようとしているんじゃないって体で口を開いた。
「もうっ!そんな物早く捨てて、こっちを見てっ!」
ビクッとクラウスの体が揺れて、シャックルフォードを掴んでいた手が緩み、ボトッとそのまま床に落とした。
すかさず動き出そうとするジャンを、レオネルが抑えている。
この黒い霧が消えないと、皆んな動けないんだよぉっ!
キティはそれもすかさず察して、気合いを入れ直すように瞳に力を宿した。
「クラウス様はわた、キ、キティのでしょっ!
キ、キティだけを見てくれなきゃ、ヤッ!」
噛んだーーーっ!
羞恥に耐え切れず、噛みやがったーーっ!
ぶはははははははっ!
ごめっ!笑っちゃ悪いんだけどっ!
おまっ、ヤッて、ヤッてぇぇぇぇっ!
ほんで噛み噛みやないか〜〜いっ!
自分の失態にギュッと目を瞑り、クラウスの反応を待つキティ。
どうだ?
ダメかっ!
これでダメなら、キティ更なる羞恥プレイ続行だけどもっ?
私はもちろんそれでもいいけどもっ!
「……キ、ティ……?」
シャーーーーーッ!
反応返ってきたーーーーっ!
暗黒界からレスポンス返ってキターーーッ!
泣きながら小躍りしそうなキティ。
キティをゆっくり振り返るクラウスの襟首を掴み………いや、身長差ゆえ、襟首に掴まってぶら下がっているように見えなくも無いが……。
もう一押し、とばかりに、下からクラウスを見上げ怖い顔で睨み付けているつもりらしいが、全くもって怖くない上にただただ可愛い。
「私がいるのに他の者に気を取られるなんてっ!あり得ませんわっ!
反省なさって下さいっ!」
怒り口調で厳しく叱っているつもりのようだが、ただキャンキャンとチワワが吠えているだけです可愛い。
すぐにクラウスの周りの黒いモヤが晴れ、シュンと項垂れたクラウスはポソっと呟いた。
「……ごめんなさい」
キティが途端にハフハフしだす。
また奴には大型犬が耳をぺしゃんとしているように見えているのだろう……。
いや、我々には一切そう見えんけどねっ!
ハフハフと鼻息荒く、シュンと落ち込んでいるクラウスを、どうしてやろうかっ!と手をワキワキさせているキティ。
そのキティにクラウスは申し訳無さそうに伏せていた目を、怯えたように遠慮がちに上げて、キティを見つめた。
「……キティ、俺の事、嫌いになった……?」
キティはその怯えた声に、はぁ?っと首を傾げ、目を丸くして聞き返す。
「何でですが?なりませんよ?」
キティの答えを聞いたクラウスは、パァッと破顔して、キティをぎゅぅっときつく抱きしめた。
心から嬉しそうなクラウスに、心底訳が分からないといった感じのキティは、ただ首を捻るばかりだった。
キティ、おめでとう。
今日からお前がその魔王の飼い主だ。
躾ちゃんと頼むなっ!
マジお願いっ!