口下手な夫が、夫婦喧嘩に焦って、自作した自白剤を飲みました。重いですわ。
ソフィアは、マルベール伯爵家に嫁いで10年。夫のレオナルド・ロイ・マルベール伯爵は口下手な人だがなんだかんだ上手くやってきた。しかし、突然現れた、夫の隠し子を名乗る少女が厄介な子で、彼女をきっかけに喧嘩に。(ソフィアが一方的に怒っているだけだが。)すると、夫の様子がおかしくなって…。
口下手な夫の本音に、翻弄される妻のお話。
前作
婚約者の弟から茶番断罪されたと思ったら、婚約者にまで断罪されました。ほんとやめて。こんな断罪ひどすぎる!〜愛ある断罪〜
のスピンオフ。
ベルの叔母のソフィアのお話。
「思えば、私は、怒った君の顔も、だいぶ好きなのだった」
漆黒の瞳でそうつぶやいたレオナルドに、ソフィアはぽかんと惚けた。
ソフィアの夫である、レオナルド・ロイ・マルベールという人はとても口下手だ。だから、こんな風にストレートに愛を囁かれたのは初めてのことだった。いや違う初めてではない。そうだ10年ぶり。10年前、プロポーズされたとき以来だ。
『私は、君と一生、共に生きていきたい』
仕事終わりの帰り道、本当になんでもない日のなんでもない夜だった。ご飯を食べに行こうという流れになって、美味しいシュニッツェルのお店で、満足いくまで食べて、幸せだなーと夜空を見上げて歩いていたら、不意に横からつぶやかれた。ソフィアはぽかんと固まって彼を見た。彼は、あまり表情が変わらない。言葉数も少ない。だから考えていることがとてもわかりにくいのだけど、そのとき呟かれた言葉は、ストレートにすとんとソフィアの心に降ってきた。
『は、い。私でよければ』
思わず返事をしていた。彼は微かに微笑んで『よかった』と溢した。
レオナルド・ロイ・マルベールという人は、魔術を嗜む者にとって、皆が憧れるような有名な人物だ。
ソフィアは、公爵令嬢は公爵令嬢でも魔術オタクな公爵令嬢で、社交よりも魔術を愛する令嬢だった。見た目は金髪碧眼童顔美人とお姫様のような容姿をしているのに、中身が残念だと言われるほど、貴族社会の中では変わり者と見られていた。
でも、夢は夢。家は優秀すぎる兄が継ぐし、ウォートン公爵家はすでに王国の中で王家に覚え愛でたく、磐石な地盤を築いていることもあり、ソフィアには政略結婚の必要性もなかった。
父は上の子から10の歳の差で生まれた娘を溺愛しており甘やかしすぎるてらいがあった。あの父のことだから、魔術にのめり込んで一層嫁に行かずにずっと側にいてくれてもいいなんてのほほん考えていそうな気配すらあった。「息子が優秀すぎて娘1人公爵家に居残ってもどうにかなる」とかなんとか、庭師に語っていたらしいのは、失笑物の噂だ。母は流石に怒って父に抗議していたが。
しかし、結局そんな環境に甘えて、ソフィアは婚期を気にすることもなく、魔術研究所へと入った。そしてソフィアが配属された班の班長、つまり上司になったのが、レオナルド・ロイ・マルベールだった。
若干14歳で魔術研究所に入り、17歳で最年少班長になった天才。ソフィアが入所した年は班長になって3年目で、彼は20歳。翌年には副所長になると言われている頃だった。
彼は、実はその年の前年に即位を果たしたアルバート国王の弟でもあった。魔術の才に秀でていたため、王位争いを避ける目的もあり、10歳でマルベール伯爵の養子となった。それと同時に魔術学院に最年少入学を果たしたところからもう有名な話だ。
彼が生み出した魔術式の数々は昨今の魔術界の発展になくてならないものばかりだし、彼が開発した魔道具は魔通信機や、自動魔探知機など本当にすばらしいものばかりだ。
漏れなく18歳の新米魔術師ソフィアも、レオナルドに憧れを抱いていた。しかし、魔術研究所に入所して出会ったレオナルドは愛想が悪く、碌に話も指導もせず、ソフィアをなるべく無視する最悪上司だった。ソフィアは、何事も我慢する性格ではない。1週間で堪忍袋の緒が切れてしまった。
この、すっとこどっこい!と怒鳴り散らしたソフィアに、目を見開いたレオナルドは、けれど相変わらず寡黙なもので、『わかった』と一言だけ告げた。これはわかってないだろうと、ソフィアは余計に苛立ったものだったが、次の日からレオナルドは、丁寧にソフィアの指導をしてくれるようになった。
そこで、ソフィアはようやく気づいた。
この人、めちゃくちゃ喋るのが下手なのだと。
『それ、そっち…、これは、こっち』
『班長、指示語だけでは理解できません』
『えっと、あの、その…そう。うん』
『いや、いやいや。頷かれたってわかりません。なんですか。せめて、一つくらい単語入れて喋ってください!!』
魔術研究所には変人が多いのではあるが、レオナルドもまた変だった。そして、二人のそんなやりとりはいつの間にか魔術研究所のお決まりの風景になっていったのだった。
そのうち、ソフィアは、大体レオナルドが何を言いたいのか理解するようになったし、レオナルドはソフィアに伝えようと頑張ってくれたようで、少しだけ、口下手は解消した。少しだけだが。
それから1年が経ち、レオナルドが副所長というポジションへ出世し、さらに1年経った頃だった。レオナルドから、プロポーズをされたのは。
そもそも付き合っていない。そう返してもよかった。けれど、ソフィアはこのチャンスを逃したくなかった。ソフィアもその時にはもう、どうしようもなくレオナルドに魅かれていたから。
レオナルドは出自も立場もしっかりとした男ではあった。だから、ソフィアの父である公爵はとても大喜びし、とんとん拍子にソフィアはマルベール伯爵家へと嫁いだ。その時には、先代のマルベール伯爵はもう田舎の領地へと隠居した後で、伯爵位もレオナルドが受け継いでいた。といっても、魔術研究所の方の仕事に重きを置いているレオナルドは、主に優秀な人材を雇って、伯爵家の仕事を回していた。ソフィアも変わることなく研究所で働き、生活はそこまで変化はなかった。
家に帰ると、相変わらずも口下手だけれども、レオナルドはソフィアに甘かった。その分かりにくい微笑みを読み取れるようになっていたソフィアには、レオナルドがこの上なく上機嫌でソフィアに接してくるのがわかってしまった。最初は慣れなくて恥ずかしくて、仕方がなかったが、それも1ヶ月もすれば普通になり、ソフィアは、レオナルドとの夫婦生活も順風満帆に過ごしていた。
時々些細なすれ違いが起こっても、ソフィアの方が折れて、一生懸命レオナルドの意図を汲み取れば、どうにかこうにか収まった。だから今回もそれでよかったはずだ。なのに、これはどうしたことなのだろう。
「レオ。あの…?」
ソファに座って、庭から摘んできたお花を生けていたソフィアは、突如隣に座ってきた夫のつぶやきに戸惑った。
「ソフィー、ごめん。やさしく、っていうのは、“簡単に”の方だ」
「え。あ…」
今回の喧嘩の原因は、口下手な彼が、ソフィアに短く言った言葉が原因だった。
『もっと、やさしく、教えたらどうだ?』
先々週、マルベール伯爵邸に一人の少女が訪ねてきた。マリアと名乗った少女は、マルベール伯爵家の紋章の入ったロケットを手に、自分はマルベール伯爵の娘なのだと訴えた。頭が真っ白になったソフィアはその場にうずくまってしまった。まさか、そんな、レオに隠し子が。しかも、こんなに大きな娘が、呆然としていたソフィアに、レオナルドはいつものようにぼそっと呟くように言った。
『ちがう。誤解だ』
そんな浮気の言い訳の定番のようなことを言うとは。瞬間、今度は頭に血が上った。ソフィアは存外、そういう性格なのだ。班長だったレオに何度噛み付いたことか。現在所長となった彼にも定期的に噛み付いている。
『誤解?誤解ですって!!?この子のロケット本物ですわ!!あなた、いったい、いつどこの女に、そんな!!!』
『待って。待ってほしい、ソフィー』
『子どもは要らないって、言ったのに!!!』
ソフィアが泣いて怒ったのは、そのこともあった。マルベール伯爵領は、先先代の頃から後継問題があり、現在では意図的に領地をだいぶ縮小している。今となってはレオナルド以外に伯爵家を名乗る者はいない。前マルベール伯爵にも女好きではあったが、子どもはおらず、もう少しでお取り潰し、という名だけの伯爵位だったのだ。取り潰した後は、隣のホフマン領が領地を治める手はずも整えている。そんなマルベール家に養子としてレオナルドが来たのは、領地の引き継ぎが終わるまでの名前を保つ延命措置みたいなものだった。
レオナルドは王弟だ。もう王家から出たとはいえ、血筋は受け継がれている。
レオナルドの母親は、国王となった兄アルバートの母親である正妃ではなく、側室だった。レオナルドが幼いときに王位争いに巻き込まれて彼女は儚くなった。そのこともあり、レオナルドはもう無駄な争いの種は作りたくないと言っていた。それで、子どもは作りたくないのだと、口下手ながら一生懸命ソフィアに話してくれた。
ソフィアとしても、相変わらず魔術に夢中で、魔術研究所に寝泊まりすることもしょっちゅうなので、レオナルドと二人、研究所に住み着いて、仕事に生きるのも幸せだと思っていた。だから、この話を受け入れた。それなのに、隠し子とはどういうことだ。
計算から言って、この娘は17かそこらに見えるから…。そこで、はたとソフィアは気づいた。
ちょっと、年齢が上すぎないだろうか。
『あなたおいくつなの?』
『18歳です!』
はっきりと答えたマリアに、ソフィアは、そんな14歳のときの…っ!!?と口元を抑えたが、横からさすがにレオナルドが、珍しく明瞭な声で呟いた。
『ソフィー、きっと前伯爵の子だ』
レオナルドは、マリアからロケットを受け取り、鑑識魔法を使った。持ち主は、明らかに前伯爵だった。ソフィアは、ほっとした。そして、また固まった。
あら?だとしたら、今度は若すぎませんか?
前伯爵は確か今年78歳になるはずだ。
とはいえ、身寄りがなくなったというマリアを、すぐに放り出すようなことはできず、ソフィアとレオナルドは彼女を伯爵邸に住まわせることにした。貴族になりたいと言ったので、貴族教育を施しながら。魔術研究所の仕事をどうにか調整して、ソフィアはマリアの教育にあたったが、これがとんでもなく骨が折れた。何を言っても、『できない』『無理』を連呼され、挙句の果てには邸から逃亡して、遊び呆けて帰ってくる。
もう無理だと、レオナルドに泣きついたら、彼は言ったのだ。
『もっと、やさしく教えたらどうだ?』
優しく教えているわ!!
ソフィアは、またブチギレた。
『あなたはいいわ。朝から晩まで魔術研究所でいつもどおり働いて!!私は魔術も我慢して、あの娘の貴族教育にあたっているのに!まるで、私が鬼義母だとでも言うの!?だからあの娘が逃げると?!!』
一度爆発したら止まらないソフィアに、レオナルドは焦ったようで、慌てて馬車を呼び、怒れるソフィアも引っ張って、すぐにソフィアの実家であるウォートン家へと向かった。ソフィアを諌めるのが最も上手なのは兄のサミエルだったから、ソフィアが怒って手がつけられなくなるとレオナルドはよくそうしていた。
『なんですの!?また、お兄様を頼って!!たまには自分の口で妻を宥めようとは思わないんですの?!』
それができないレオナルドとわかっていても、不満は溜まるものなのだ。ソフィアは相変わらず怒っていたが、ただレオナルドは口下手ながら、割とぽつっと革新的なことを言ったりするのだ。
『マリアのことを、ベルに頼んでみよう。申し訳ないけど…』
そういきなり切り出したのだ。
『そ、それしかありませんわ…っ』
ソフィアの兄のサミエルの娘、つまり姪っ子になるベルは非常に優秀な娘で、今年王立魔術学院を卒業する。第一王子ウィリアムの婚約者で、王妃教育もすべて終えている才女だ。
『ベル、お願い、助けてちょうだい。あの娘の教育はもう私では無理よ!!』
三十路の叔母から、18歳の姪に泣きつくという、なんとも情けない方法で、マリアのことをソフィアはお願いした。
それが、昨夜の話。
「君はとても賢いから、マリアには難しかったんだろう。だから、少し易しく噛み砕いて教えてみてはどうかと思ったんだ」
ソファに座って、しっかりとこちらを見ながら、続けたレオナルドにソフィアはぽかんと口を開けてしまう。こんなにハキハキと喋る夫は見たことがない。
「れ、レオ、どうしたんですの?」
「でもね、私は、ソフィアの賢いところが、とても好きだ」
「れ、レオ!??本当にど、どうしましたの!!?」
今日のレオナルドは、異様なほどよく喋る。びっくりして動揺して、赤面して、大忙しになるソフィアに、レオナルドは尚も言い募った。
「本当は、もっと伝えたい。君に、伝え切れないぐらいの想いが、ずっと、頭の中で回ってる。言葉にしたいのに伝えられない。私は、口下手で。だから、これを」
そう言って、レオナルドは、ポケットから、小瓶を取り出した。中にはまだ半分ほど蛍光色の緑色の液体が揺れていた。
「…なんですの。その怪しい色の薬は」
ソフィアは瞠目した。
「言葉が出易くする、薬。開発してみたんだ」
あっさりと言ってのけたレオナルドに、ソフィアは仰天した。
「そ、それ、自白剤というのではなくて!!?レオ、まさか、飲んだんですの!?」
「うん。君に伝えたかったんだ。ずっと」
レオナルドは、そう言いながら、ソフィアの手を握ってきた。
「私は君が愛しい。ソフィア。マリアを引き取ったのは間違いだった。そもそも、あの娘が私を父親と勘違いして、君が泣いてそれで焦って、わけがわからないうちに面倒を見ることに。ごめんね、ソフィア」
「わわわわ。すごいです。レオがいっぱいしゃべって」
「私は君のことが大切なんだ。君に笑っていてほしい。でも泣いている顔も好きだ」
「えええええ」
「怒った顔も。全部。ソフィアが可愛くて仕方ない。ソフィー、大好きなんだ」
困った顔をして、ソフィアを見つめてくるレオナルドに、ソフィアはもう真っ赤だ。呼吸もままならない。
「ちょ、ちょっと、待って。レオ!」
今、言葉が上手く出てこないのは、もはやソフィアの方だった。
「ずっと君に聞きたかったことがあるんだ」
「は、はい…」
「ソフィー、子ども、本当はほしい?昨日泣いていたのは、それもある?」
「ええ!?」
突然の問いにソフィアはますます狼狽えた。確かに昨日はマリアの登場に随分動揺してしまった。でも、正直に言うと。
「…いいえ。子どもを作らないと決めた時の、私の心は確かですわ。私、仕事と、あなたで十分でした。それに今、幸せですの」
「うん。そっか。私も、仕事と、ソフィアだけでも十分だよ」
そう言って、微笑むレオナルドにソフィアはまたも意識がぐらつく。今日のレオナルドは言葉だけでなく、表情まで若干ストレートになっていた。かわいい。
「でもね、実は、本当は君との子が、ほしいんだ」
「ふえっ!!?」
またも爆弾発言に、ソフィアは変な声を漏らす。この薬ちょっと効きすぎじゃありませんか!?
「そしたら、君は、子どものことばかり見てしまうかもしれない。でも、子どもがいたら、君は、どんなに怒っても、泣いても、ここにいてくれるはず。私は口下手だから、君に愛想を尽かされてしまうかもしれないけど、子どもがいたら、私から離れて行ったりしないよね」
「ええええ。そんな理由ですの?」
「ううん。何より、絶対かわいい。ソフィアに似た女の子でも、男の子でも、きっとかわいい。私は小さい頃の君を見たい」
「その理由も微妙ですわ!!?私に似るとは限りませんよ!?」
「そこは、大丈夫」
「何する気ですの!!?絶対私は怪しい薬は飲みませんわよ!!??というか、レオ、私のこと好き過ぎじゃありません!!??」
もはや羞恥に溢れながら、弱々しく、ソフィアは夫に返す。せめて手を離してもらえたら。もう少し距離を取りたい。
「そうだよ。私はずっと君のことが好きで好きでしかたない」
「はうっ!?」
そんなことを言われたら、ソフィアはもう無理だ。
「わ、たしも、好きですよ、レオ」
「うん。うん。ソフィー、子どもほしくない?」
「レオの言葉を聞いていたら、わ、私も、ほしくなりました」
「うん。今の情勢なら、ウィリアムがいるし、王位継承のことは巻き込まれないようにどうにでもなると思う。兄上に相談する。ソフィー。ありがとう。ソフィーが妻でいてくれて、私は本当に幸せだ」
手を一層ぎゅっと握られて、ソフィアの顔は真っ赤に染まる。なんだか、思っていたよりレオナルドからソフィアに対する想いは重いようだったが、けれどそれを幸せに思うくらいには、ソフィアもレオナルドが好きだった。この10年。口下手な彼に振り回されながらも、とても幸せだった。マリアが来てからのドタバタで改めてそのことに気付かされた。
今目の前で、レオナルドは信じられないくらいに柔らかく微笑んでいる。
「かわいい。僕のソフィア」
そして、段々とその顔が近づいてきたかと思うと、ドスンと、ソフィアの肩に落っこちてきた。
「へうぁっ!?え。ちょ、レオ?レオ!!?」
まさか、ここで!!?と慌ててしまったソフィアだったが3秒後、聞こえてきたのはすぴーっという安らかな寝息だった。
あまりの状況にソフィアは数秒固まって、それから、はあああっと大きなため息を吐いた。
「さては、自白剤にニコテック草の覚醒作用を使いましたね!?覚醒作用の後に、強い鎮静作用が起こる効用を消すのに失敗しましたわね!重い!重いですわレオー!!」
どうにか、重たい夫から脱出した妻は、仕方なく、その頭を膝に乗せて彼が起きるのを待った。口下手なのに頑張った彼に、たっぷりの愛を囁き返さなくてはと覚悟を決めながら。
〜口下手な夫の心の中は〜
妻と喧嘩をした。
私の妻はとても可愛い。
「ソフィア。少し話を、したい」
「ふんっ」
妻は今。庭からとってきた花々を、花瓶に美しく生けている。毎朝の彼女の日課だ。彼女は本当に可憐で、毎朝見ているこの光景に、私は毎朝見惚れてしまう。
声をかけるとすげなくふいっと顔を逸らされる。あからさまなその仕草さえ、私にはとてもとても可愛くて仕方がない。これではまともに喧嘩などできない。口下手なので、言い合いもできない。それでさらに彼女の機嫌を損ねてしまい、私はなかなか彼女と仲直りができないのだ。いつもいつも困ったものだ。
「ソフィア。頼む。そろそろ、話を」
「ふんっ!!」
逆方向から話しかけてみたら、今度は逆向きにふいっと顔を逸らす。口が少しとんがっている。
可愛すぎる…。
どうして私の妻は、もう30歳になるというのに、こんなにも可愛らしいのだろうか。
「ソフィー。お願いだ」
「…う」
私は口下手だ。本当にどうしたって、言葉がこの口からうまく出てこない。愛しい妻への愛情は心の中で燻ってばかりで、ようやっと口にできるのは、ごくわずかな言葉のみなのだ。そして、この口下手が原因でよく彼女を怒らせてしまう。
「話をしたいって、あなた、普段全然しゃべってくださらないのに。こんな時だけ」
「…そうだな」
普段から君とたくさん話がしたい。けれど、私の口は本当に回ってくれないのだ。残念なことに。だから、こういう必死な状態にならないとなかなか言葉も出てこない。
「本当は呆れてるんでしょ。姪っ子にあんな大問題を押し付ける、いい歳した叔母だもの。呆れて当然よね」
うるうると瞳を潤ませてしまったソフィーに、私は慌てる。
「そ、そんなことは、ない」
昨夜、私たちは、ソフィーの実家であるウォートン公爵家へ訪れ、養女に迎えたマリアの貴族教育を、姪であり第一王子婚約者で後の王妃候補のベル・ユリ・ウォートンに頼みこんだ。もちろんベルの父、サミエル・ウォートン公爵にも。
帰ってからもソフィーはずっとこの調子で、一晩明けた今朝もすげない態度は続行中だ。あのマリアという娘が来てから、ソフィーはずっとこの調子だ。本当に私も困っている。
「嘘よ。あなたに珍しく怒られて、へこたれて、私、本当なさけないわ」
「…怒ってなどない」
「怒ってたじゃない!!もっと『“やさしく”教えてみたらどうだ?』って、私、そんなに厳しくしたつもりはないわっ。あれ以上優しくなんてできなかったのよ」
「ソフィーちがうんだ。私は“優しく”といったのではなくて」
「いいのよ、フォローなんて!!どうせ私教えるの下手だもの」
しょげてしまったソフィーに私も途方に暮れる。教えるのが下手、というのは、まあ、実際本当にそうだ。彼女は天才肌なのだ。本人は無自覚だが国の精鋭魔術師が集まっている魔術研究所の中でも、彼女のひらめきに敵う者はなかなかいない。だから、マリアに対しての教育も彼女のその、ひらめきたっぷりな教え方をしていたようで、マリアにはレベルが高かったのだろう。
とはいえ、少しの努力もせずレッスンから逃げ出すという、あの娘の問題の方が大きかったのは否めない。それを放置した自分も悪いし、最終的に押し付ける形になってしまったベルには本当に申し訳ない。ベルの父親であるサミエル公爵は、おそらく面白がるタイプだが、ベルの婚約者であるウィリアムからは、苦言が来るだろう。
まったく、軽々しく養女など迎えるものではなかったと反省する。仮で縁組している状態にしておいたのが不幸中の幸といったところだろうか。
何はともあれ、どうやらまた私の口下手が原因で彼女を傷つけてしまったらしい。私は嘆息した。私はいつもこうだ。思えば出会った時も、そうだった。
私が、ソフィー。当時公爵令嬢だった、ソフィア・ウォートンに出会ったのは、12年前。私が20歳、ソフィーが18歳の時だった。当時、私は、魔術研究所に勤めて8年が経ち、魔道具研究班の班長になって3年目のことだった。そこにやってきた新人研究員がソフィーだった。
今も可愛らしいが、当時のソフィーはさらに幼く見え、まだほんの少女のような子が来たなと、私は内心彼女を見縊っていた。彼女はしかも、公爵令嬢。私は、出自や生い立ちから少し擦れてしまっているところがあり、魔法にちょっと興味があって、お遊びで入ってきてしまった御令嬢なのだと勝手に決めつけてしまった。教育したところで、どうせすぐに婚期がどうとでも言って、辞めるのだろうと決めつけ、碌に彼女に指導をせず、適当にあしらっていた。
『班長。あの!この魔道具の修理ですが、まずは構築式から組み立てた方がいいですか?』
『うん、それでいいと思う』
『班長。ここの術式違いが原因だったみたいなので組み替えてみようと思いますが、いいですか』
『ああ、やっといて』
『班長、あの』
『大丈夫、適当で。できなかったら、こっちに回して』
1週間そんな態度を取り続けた時、彼女は思いのほか、盛大にキレた。
『なんなんですか、その態度!!それでも、班長!?新人指導も碌にできないなんて、あなた、それでも、最年少で魔道具研究所研究員に採用された天才王弟殿下なの!?見損なったわ!!魔法の腕がどうとかいう問題じゃなくて、人としてだめじゃない!!もっとコミュニケーションとりなさいよ!!!このすっとこどっこい!!!』
『は…?』
文句の言い方も独特。可憐な少女から苛烈に叱責されて、私はぽかんと呆けることとなった。ぷくっとこれでもかと膨らませた頬が白く輝いていて、なんだこの可愛い生き物は、と私は心の中で叫んでいた。
「思えば、私は、怒った君の顔も、だいぶ好きなのだった」
口から衝いて出た言葉にソフィーが目をまんまるくしている。可愛い。
ああ、よかった。薬が効き始めた。
ソフィア、どうか私の愛を君に伝えたい。
お読みくださりありがとうございました。
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