表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/59

第6話<選ばれし者たちⅢ>

2022/04/05 漢数字→アラビア数字に修正

 クリスティーナは戦闘態勢を三直体制のローテーションに切り換えた。この事は、この最終試験前に予め決めていたことだ。二直体制だと火星直前まで同じ相手としか顔を合わせなくなる。余計なストレスを溜め込まないためには、多少不規則でも8時間交代の勤務態勢にすべきだと判断したのだ。

「シュエメイ、仮眠に入りましょう」

 クリスティーナがヘルメットを外しながら、肩の力を抜いた。頭を左右に振ると解けた長い金髪が漂うように緩やかに揺れ、それからゆっくりと動きを止めた。汗で微妙に湿った髪を空気に晒してから指で軽く梳いた。蒸れた頭皮に空気が当たるのが心地いい。それが終わると、そのまま背もたれに背中を預けた。思っていた以上に深くシートに埋まる感覚が背中から伝わる。想像以上に緊張していたことを改めて自覚した。

 最終試験――同期たちとの序列争いに負けはしないとは思っているけれども、必ず勝てるとも決まっていない。

「そうね」

 シュエメイもヘルメットを取る。少し短めに揃えた黒髪のボブカットと、それによく映える白い肌がよく似合った。右耳にだけ付けた赤いイヤリングが特徴的といえば特徴的。訓練兵の規則として訓練中のアクセサリーは禁じられているが、航海の間は小うるさい教官達も傍にはいない。そういった点では、彼女は抜け目がないともいえた。

「ゆっくり、お休みを。お嬢様」

「うるさい。黙れ」

「おやすみ」

 シウバの言葉にクリスティーナが反射的に罵声を返すのはいつものことで、リチャードが驚くほどの事でもない。

「行こう、クリス。時間が勿体無いわよ」

「まったく……」

 シュエメイに諭すように言われ、クリスティーナはシートから身を起こした。無重力に任せながら漂い、艦長席のすぐ後ろにあるハッチを開けた。それから思い出したように指示を付け加えた。

「リチャード、デブリは可能な限り避けて」

「構わないが、サイズによってはレーザー砲塔型()個艦防衛システム(CIWS)を使う」

「それも火星に近付いたら控えて」

 光は遠くからでも視認しやすい。まして、真っ暗な宇宙だ。警戒されていれば容易く発見されかねない。

「了解した。上手くやる」

 クリスティーナの意を正しく理解したリチャードは小さく頷いた。

 いま乗艦している4人全員がこのリバプール級装甲駆逐艦の操艦が出来るし、高度な自動化がされているので最悪一人でも運行が可能である。だからこその4人一組とも言えた。

 クリスティーナはシュエメイの後を追い、お互いに手が届きそうなほどに狭いコックピットから抜け出るように後方の扉を潜った。

 駆逐艦のほぼ中央に位置するコックピットの後ろには、さして広くない休憩所兼仮眠所がある。とは言っても、豪勢な部屋があるわけもなく、コックピットから見て右側に壁に埋め込むように作られた二段ベッドが1つ。寝床が2つしか無いのは当直勤務で乗員は半々で寝ることが常識だからだ。同じように設置された幅50センチもない個人用ロッカーが4つ。これ以外、下着や私物を収納するスペースは無い。反対側に作られた狭い空間には壁に備え付けられた折り畳み収納の小さな机と椅子が2つ。それと、そこで食べるゼリー状の宇宙食と栄養ドリンクを捻り出してくれるドリンクバーは1台しかない。あとは狭すぎる男女兼用のシャワーとトイレ。

 個室はたったひとつ。艦長の特権たる艦長室のみ。もっともここはいざという時は病室にもなるスペースなので誰も大きな声で文句は言えない。今は倉庫代わりに食料を詰め込んでいて、足の踏み場もないどころか頭を入れるスペースもない。他には艦後方に海兵隊が搭乗する際に使用する少々大きい倉庫兼居住スペースがあるが、今回の訓練では使用できない。教官達が訓練生のストレスを増やすためにわざと封印していた。

 クリスティーナは仮眠室に入ると素早くドアをロックした。

「ロックした?」シュエメイの確認。

「大丈夫」ロックしたことを再度確認してからの返事。

「ふぅ~」

「さっさと着替えましょう」

 クリスティーナの返事を聞いた直後、シュエメイはわざとらしいほど大きな溜息を吐いた。それから二人とも勢い良く宇宙服を脱ぎ始めた。

 クリスティーナは艦内移動用吸着靴から細い足を抜き、まずはつなぎの筋補助衣アシストスーツから脱ぎ始めた。戦闘機動等でちょっとした加重が掛かるような状況は、筋補助衣アシストスーツで凌ぐことになっている。これは耐Gスーツとしての役割も併せ持つ優れもので、警察など他の行政機関でも普通に使用されていた。その下には身体にぴったりと密着するボディスーツタイプの艦内用宇宙服を着込んでいたのだが、それもさっさと脱ぎ捨てて全裸になった。手早くハンドタオルで体の汗を拭き取る。次に支給品の速乾性防臭防菌のスポーツブラとショーツを身に付けて、私物のゆったりとしたオレンジ色のTシャツと赤いハーフパンツを着込み、長い金髪を輪ゴムで手早く束ねれば、プライベートタイムでは定番の格好だ。

 シュエメイも服装に大差はない。ただ彼女はクリスティーナと違い、黒色のタンクトップとショートパンツの下着姿だった。男性が居なければどうでもいいらしい。

 クリスティーナは壁を軽く蹴って、休憩所の端にあるキッチンサーバーへと滑るように宙を飛んだ。無重力ならではの芸当。本当は吸着靴で歩く方が健康に良いと指導されているが、面倒な時はそうしてしまう。

「食べる?」

 大きめのボタンを押すとキッチンサーバーの内で宇宙食が暖められ始める。ゼリー状のものだが、中に入っている穀物や野菜の食感とブイヨンベースの下味も伴って、味覚は雑炊やリゾットに近いものがある。量はそれほど無いとは言え、食感と喉越しで食べた気になれる点はとても重要だった。栄養素と噛み応えの無いゼリーだけで作られた戦闘用宇宙食よりも何倍も良かったし、一番大事なことだが糧食としては味がまともな部類だった。普通の戦闘糧食は栄養とカロリーを満たすことを優先しているので、誰もが食べたがるような味付けはしていない。物によっては、敢えて不味くしているものさえある。

「食べる」

 そう答えたシュエメイの頬は少しだけ緩んでいた。宇宙食とはいえ食事は食事だ。休憩が出来る。緊張を解せる。空腹を満たせる。誰にとっても良い時間だ。

 クリスティーナがキッチンサーバーで温められた、リゾットの宇宙食が入った真空パックと少し長めのシリアルバーを一緒に放ると、それはゆっくりと二人の間を漂うように飛んでシュエメイの手に収まった。

「ディナーは幾つ積んだっけ?」

 シュエメイは無重力の中を風船のように漂いながら、リゾットのパックに口を付けて黄色いゼリーを啜った。カレー味かと思ったらチーズ味だったので少し驚く。濃いめの味付けが美味しく感じるのは疲労の所為だろう。シリアルバーの方は普通のドライフルーツ入りのものだ。勢いよく囓ると干しブドウの味が薄く広がった。ナッツの歯応えがちょっとしたアクセントになっていて悪くない。

「一人につき3食。メニュー選んだの、あなたでしょ」

 ディナーはこの訓練間の数少ない娯楽だ。ビタミン剤や流動食ではない、本来の意味での食事を宇宙空間で楽しむことの出来る少し豪華な宇宙食のことで、これだけはちゃんとした形や噛み応えがあり、さらには香りまである高級品だ。つまり、2週間近い航海の間、本当の意味で食事を楽しむことは一人3回しか出来ない。

 クリスティーナもシュエメイと同じ物を口にしながら、ベッドの脇に立った。シリアルバーを口に咥えたまま自分の寝袋を広げ、下段のベッドの固定用フックに引っかける。その上に固定用ベルトを通し、枕代わりにリチャードの寝袋を置いた。これで就寝準備完了である。

「やっぱり、少ないよね~。私の北京ダック、シウバに食われないように気を付けなきゃ」

「その分、眠気覚ましのコーヒーやガムみたいな嗜好品を積んだんだもの。仕方が無いわ」

「あなたは艦長特権とか、わけ分かんないこと喚いて紅茶ばかり大量に積んだじゃない」

「英国軍人が戦場に紅茶を持って行かないことは未来永劫有り得ない」

 無駄に力強いクリスティーナの断言。ミルクティーもレモンティーも積んだが、お茶うけがほぼ積めなかったのが不満の種だ。

「それ、よく聞く戯言だけど、クリスを見てれば納得出来るわね。死んでも真似したいとは思わないけど」

「最後のは余計。私も口うるさい中国人に生まれなくて良かったわ」

「片意地だけで生きている英国人よりマシよ」

 軽くいがみ合いながら、素っ気ない食事を胃に詰め込み続ける。

 彼女たちは全員未来の艦長候補者だ。艦の全般のことを知るようにと、食事の積載計画までやらされた。訓練に支障があるような見積もりや作業だった場合、教官たちに厳しく指導されたので減点はあっても訓練自体に参加できないような事はなかった。

 シュエメイも寝る準備を終えた。最後にビタミン剤を冷水で飲み込めば、短い食事時間も終わりだ。私物のスマートフォンを取り出して、イヤホンを付けた。ここでは電話を掛ける相手は誰もいないが音楽は聴ける。火星にまで行くようになった時代でも、スマートフォンは情報端末として、前世紀からほとんど形が変わらなかった物のひとつだった。

「シャワーは何回浴びれたっけ?」

 シュエメイは狭い二段ベッドの上段に取り付けた寝袋に潜り込みながら、自分の身体をベルトで固定した。あとはもう寝るだけである。

「それも覚えてないの? 一緒に積載したじゃない。一人5回、3日に1回よ」

謝謝シェイシェイ

 呆れながらも答えるクリスティーナは少々お人好しな自分自身にも呆れた。下の者を見捨てられない質なのだ。そのまま自分も二段ベッドの下段に固定した寝袋に潜り込む。それを確認するとシュエメイは部屋の照明をスマホのリモート操作で落とした。代わりに蓄光式の非常時誘導灯に柔らかな緑色の光が灯る。

 お互い無言で情報端末をひとしきり弄った後、シュエメイがクリスティーナに声を掛けた。

「ねぇ。クリス、起きてる?」

「起きてる」

「ちょっとプライベートのことだけど、聞いていい?」

 声音には少しだけ遠慮があった。

「珍しいわね。なに?」

 考えてみれば、彼女とそういったことを話したことはあまりない。いつも差し障りのない会話で終わっていた。

 いや、それに関しては、誰とも親しくなかったような気がした。

 クリスティーナには親友と言い切れる同期は2年半の訓練課程の中で一人しか出来なかった。

遺伝子調整者デザインとして生まれるって、どんな感じ?」

 遠慮している振りして、いきなり核心から来るの……。

 クリスティーナは心の中だけでぼやいた。

 中華系米国人との会話でよくあることなのかと心に留める。ただ、心の動きはその分返答の遅れとなった。

「別に。ただ、面倒くさいだけよ」

「けど、あなたは優秀だからそれをクリアできる。だったら面倒くさいなんて、デメリットじゃないんじゃないの?」

「優秀だからじゃないの。優秀でなければならないの。意味合いが全く違う。分かる?」

 この意味は伝わらないだろうなと思うと、会話自体が物凄く面倒くさく感じてきた。それが声音に漏れるが、隠す気も取り繕う気も起きない。

「それも、元々優秀だから出来ることじゃない」

「言葉しか似てないわよ、それ。第一、遺伝子1つで本当に優秀な軍人が出来上がるなら、とうの昔にクローン人間を量産しているわ」

 本当に呆れてしまった。遺伝子は能力に影響を与えないわけではないが、万能ではない。それが分からないなら、シュエメイは電子工学や量子学よりも遺伝子工学を学ぶべきだ。

「本当に無駄なら、今もそれなりの国家予算をつぎ込んで遺伝子調整者デザインを育成するなんて理屈に合わないじゃない」

「まったく……しつこいね。シュエメイは遺伝子調整者デザインに関して少し勘違いをしているわよ」

「何を?」

「人類連邦政府と国、そして軍が予算をつぎ込む理由」

 シュエメイはその言葉に無言で首を傾げ、クリスティーナはなんとなくそれを察した。

「私たちなんて幻を追い続けた結果の、ただの副産物よ」

「言っていることが、余計に分からなくなったわ」

 シュエメイが苦笑を漏らし、クリスティーナも苦笑を漏らしたが、その意味は全く違う。説明を続ける。

 それは遺伝子調整者デザイン――クリスティーナ達を作り出し続ける、本当の理由だった。

「国と軍、人類連邦は人類が滅亡しそうな、如何なる危機的状況をも打破できる軍事的天才を欲しがった。いいえ、今も喉から手が出るほどに欲しい。それも多ければ多いほど良い。霞を掴むような話なら、確率だけでも上げてしまおう。そう考えて、そして偶然に頼ることを良しとしない人々が立ち上がった」

 クリスティーナは一息ついた。

 自分を生み出した科学者たちは、なんと途方も無い目標に向けて人生を捧げているのだろう。

「人は飛行機を発明して100年もしないうち月に行った。その事実と前例がある以上、諦めこそが可能性を――未来を殺すと科学者たちが立ち上がり、今日まで人工的に軍事的天才を作り出そうと努力し続けている。これまで二度に渡る異星生命体との絶望的な大戦の中で、奇跡的な勝利をもたらしてくれた人類の英雄を、来たるべき未来の、不可避の破滅から逃れるために、人類の救世主を確実に確保するために――。それを追い求める方法の一つとして、遺伝子調整者デザイン製造工程が確立されたのよ」

「ちょっと待ってよ、クリス。それじゃ、遺伝子調整者デザインの目的って優秀な軍人を生み出す事じゃなくて、天才や英雄……いいえ、救世主を生み出すってこと?」

 初めて聞いた事実に驚き、シュエメイは絶句しそうになった。

 天才を作り出す? 作り出せないから天才と言われるのではないのか? 

 あまりにも馬鹿馬鹿しい。人が人を超えようというのか? 

 それぐらいしないと出来そうにもない目的。

 シュエメイには理解しがたい。いや、大方の人は理解できないだろう。

「そうよ」

 それ以外の答えを許さぬクリスティーナの断言。そこに感情的なものは無い。もう嫌になるほどその目で見てきた現実だ。

「上層部は、天才が――人類を救うような天才が、いいえ、物語に出てくるような英雄が欲しい。だけど、科学者や軍の上層部だって、遺伝子だけでそんな人間が生まれるわけじゃない事は百も承知しているわ。先天的なものだけでなく、後天的なものでも人の能力は決まる。それも、とても重要だから……それを理解しているからこそ、各国は遺伝子調整者デザインに生まれた時から英才教育を施すのよ」

 今現在も遺伝子調整者デザインを何らかの形で育成しているのは米英連合、ロシア連邦、新ヨーロッパ連合(NEU)、日本、中華連邦などそれなりの国家が行っていた。

 シュエメイは身体の固定ベルトを外して下段のクリスティーナを覗き込んだ。

 金髪の少女は目を合わせても何も言わなかった。ただ苦笑を深くしただけだ。

「あのさ、ちょっと言い方悪いけど、生まれた時から英才教育したって、向かない人には向かないし、意味がない人には無駄じゃない。その論理で行けば、一流アスリートの子供――それも兄弟とか姉妹も教育により必ず一流アスリートになるって論法よ。そりゃ、普通の人よりは優れているかもしれないけど、オリンピック選手やプロレベルになれるのとは別なんじゃない? そんなことは歴史が証明しているし」

「上層部も理解しているって言ったでしょ。シュエメイは知らないだろうけど、幼少の頃から遺伝子調整者わたしたちと同じ教育を受けている健常者ノーマルだって結構多いのよ。それでも、平均値ではデザインの方が普通の人よりは優れている可能性が少しだけ高い。特に肉体的な余裕が様々なところで微妙に響いてくるのよ。数世代に渡って英才教育を施し、底辺のレベルを上げて、遺伝子サンプルを抽出、選別し続ける。今日明日に成果を求めているわけじゃない。一世紀、二世紀後に、結果が出ればいいと思って進めている超ロングスパンの計画ってわけ」

「それをもう100年以上も続けてるなんて、ただの馬鹿じゃないの?」

 シュエメイの一言で徒労感が生まれ、溜息が漏れた。いつ如何なる時も精神状態を安定させるべきと、様々な方法の教育や訓練を幼少の頃から受けているが、この手の相手はやはり疲れる。

「それでも人類存続の可能性が増えるなら、やるべきじゃない? 私には無駄としか思えない第3次人類播種計画だって進行中でしょう」

「そういうことがいえるような育ちであることが、既に特権よ」

「特権? そんなもの無いわよ?」

 クリスティーナは余りにも馬鹿馬鹿しい単語にケラケラと笑ったが、シュエメイはそれこそが大嫌いだった。

「いいえ、特権よ」

 シュエメイの棘のある断言に、クリスティーナは眉を顰めた。それを見たシュエメイは艦長役の表情の変化を喜び、満足げに少し歪んだ笑みを浮かべた。

「人類の半分以上が軍人や軍属になるような時代に、生まれた時から世界最高レベルの教育を受けられるなんて、私から見たらこの上ない特権よ。遺伝子交雑者ハイブリッド健常者ノーマルとは生まれた時から違うわ」

 思いも掛けないシュエメイの毒舌に、クリスティーナは最初僅かに驚き、やがて浮かべていた苦笑を優しげな微笑みに変えた。

「……そうね。見方によっては確かに特権といえるかな。だけど、実戦を意識したシュエメイが嫉妬を晒す姿は思った以上に幼くて、可愛いわね」

「――っ!?」

 暗い感情を隠せたとでも思っていたのか、いつもは細いシュエメイの目が驚きで大きくなった。クリスティーナは口元を緩ませ、敢えて大きく笑った。それで溜飲を下げることにした。下手に追い込み過ぎても、価値あるものは滅多に得られない。

 クリスティーナはシュエメイより劣るとは思っていない。個人の能力差から生じる扱いの差に嫉妬されても、そうする人物を心身共に脆弱だと思うだけだ。

「嫌味な言い方」

 シュエメイが睨むが、クリスティーナにとってそれは見慣れた表情に過ぎない。

「褒め言葉として受け取っておくわ。正確に言えば、優秀というより初等学校以前から軍人になる為の教育しか受けてないの。これで中等学校から基礎訓練を始めたあなたたちに劣るようなら、ただのお笑い種よ」

「それも、そうね」

 言われてみれば、確かにそうだ。自分が逆の立場で劣等生なら人前に出たいと思わない。

 クリスティーナはベッドの上段からの視線を軽く無視して、そのまま喋り続けた。

「私に言わせれば、健常者ノーマルには自分の人生を、自分で選ぶ権利が――少なくともチャンスがある。そっちの方が本物の特権よ。そんな自由は遺伝子調整者デザインにも遺伝子交雑者ハイブリッドにも無い。それでも確かに……私は遺伝子交雑者ハイブリッドよりは恵まれているわ」

 金髪の少女の形の良い唇から、小さなため息が無意識に漏れた。

 遺伝子交雑者ハイブリッドとは、人間の生理的機能や筋力的機能等の向上を求めて遺伝子改造を施されている人々のことだ。端的に言えば、報酬が支払われる志願制(一部は強制の)人体実験者と言っても良い。これらの成果により人類の大半は無重力空間に於ける骨粗忽症の軽減や、戦闘時に於ける血小板機能の強化による戦傷への耐性向上などの必要な適応力を獲得した。つまり遺伝子を組み替えたり、追加したり――さらには動物や植物の遺伝子を交雑させることで、より人間という種そのものの環境適応力や各種能力を向上させる人体実験を、その身で受けている人々の総称だった。

「……遺伝子交雑者ハイブリッドね……」

 そう呟いて、シュエメイは口を閉じた。やや間を置いてから訊ねた。その呟きに怯えが内包されているは演技ではないだろう。

遺伝子交雑者ハイブリッドで光合成できる人間が、もうすぐ実用レベルって本当なの?」

「よく知っているわね。それ、本当」

 クリスティーナが驚いて僅かに目を丸くした。彼女は〈ネルソン〉家とも言うべき人的ネットワークで聞いていた話を、一介の候補生であるシュエメイが知っているとは思わなかった。ただ別に否定するべき事とも思わなかった。正式に人類連邦から予算が配分されている研究だ。今はもう実用化試験中であり、近々目にすることもあるだろうと見積もられている。

「もう人間が動物なのか、植物なのか。分からなくなるわ」

「見た目はただの人間よ」

「――え、ど、どうして知っているのよ!? クリス!」

「写真、見たもの」

「持ってないの!?」

「見ただけだよ」

「ちぇっ」

「なに期待しているのよ……常識的に考えて、持っているわけないでしょうに」

 Need to know。

 守秘義務の原則中の原則だ。写真を持っていたら、噂話で済ますことが出来ないレベルになってしまう。

 シュエメイはやたら人に食いついてきて、勝手気ままに離れていく。航宙士より戦場カメラマンの方が向いているのではないかと思ったが、自分に付きまとわれる場面を想像して考えを改めた。間違いなく、しつこくて、邪魔だ。一言で言えば、うざったい。

「何が違うの?」

 子供のような好奇心を瞳に宿すシュエメイは、任務の時とプライベートの時での印象が違いすぎた。

「私が見た写真の人は、髪が緑色だったわ」

「葉緑素の影響?」

「さぁ、詳しくは知らないわ。なんかウミウシを模倣して、特殊な藻を組み込んだ髪を植毛したそうよ」

「……凄いね。人間、なんでもしちゃうんだ……」

「全ては生き残る為よ」

 シュエメイの呆れと感嘆が入り交じった溜息で会話が途切れた。

 そんな中、クリスティーナは少しだけ期待を込めて、噂話に耳聡そうな同期に訊いた。

「知っていたら教えて。この最終訓練、今のところのトップは誰?」

 人並みの世間話を振られたのが嬉しかったのか、シュエメイは猫のように目を細めた。

「首位はホワイト艦隊のフランチェスカ・〈東郷〉・トモエ。クリスは二番手よ。ああ、点差は僅差。想定1回でひっくり返るぐらいの差しか無いわ」

「ふ~ん」

 その名前が出ても驚きはしなかったし、自分の順位に落胆もしなかった。あまりにも予想通り過ぎた。

 〈ネルソン〉が英国の遺伝子調整者デザインの名門銘柄とするならば、〈東郷〉は日本屈指の銘柄。共に海軍の大提督として歴史に名を刻んでいる軍人の名だ。

「驚かないのね?」

「相手はフランチェスカだもの、驚くようなことじゃないし、順当すぎるってか。むしろ驚いたのは、シュエメイが順位を断言した事。普通、試験の途中経過は秘密のはず……。嘘じゃないわよね? どうやって入手したの? その口振りからは、正直出鱈目とは思えないんだけど」

 どうして訓練中の成績を断言出来るのだろう。そちらの方が疑問だ。それを気配で察したのだろう。シュエメイが猫のように目を細め、得意げになって説明した。

「定時報告のデータにこっそりと、ね。ああ、それと採点班のとある人物に賄賂を渡しておいたの。結構、お金掛かったのよ。珍しくお父さんに、お小遣いのお代わりをお願いしたくらいだもの。どう、なかなか使える通信手でしょ」

「――シュエメイ! あなた、まさか私に胡麻を擦ってるの!?」

 ふと気付き、本当に、心の底から驚いてクリスティーナは声を上げた。いろいろする同期だとは思っていたけど、まさかそこまでするとは思わなかったし、する理由が確信を持って断定できなかった。様々な理由が脳裏に浮かぶが、結局どれも確信が持てない。

 だが、シュエメイはクリスティーナの狼狽を瞳に焼き付け、喜色満面の笑みを顔一杯に浮かべていた。

「そうよ。胡麻を擦ってるのよ、私。最終訓練後は是非、あなたの駆逐艦の搭乗員にしてよ」

「艦長になれるとは限らないけど……いったい、なんで?」

 あまりにも唐突すぎて声が裏返りそうになる。訳が分からない。

 彼女は私を気に食わないと思っていたのではなかったのか?

 人間関係の認識を僅かな間で根底から崩され、クリスティーナの思考は翻弄された。ここまでシュエメイに主導権を握られたことに驚き、そして、そこから態勢を立て直す当てもない自分に狼狽えていた。こんな心理的死角があったことを不覚と恥じた。

「シュエメイ・ルー・リンドバーグは、遺伝子調整者デザインのクリスティーナ・〈ネルソン〉・ハンブリングが持つ特権に私の命を掛けたのよ。あなたがさっき言ったでしょ。全ては生き残るために、って。期待してるわ、未来の艦長殿」

 思いもよらぬ展開を見せた会話に薄気味悪さを感じつつも、驚いた表情のままクリスティーナはぎこちなく首を縦に振った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ