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第50話<殲滅戦Ⅹ>

思った以上に、間が空いてしまった。

2022/05/04 漢数字→アラビア数字に修正

 次の瞬間――引き金を弾く間もなく――超巨大戦艦〈比叡〉の艦内に、非常事態を告げる警告音が鳴り響いた。


 二人がいる狭い通路に反響するほど大きな警告音と視界を赤く染める赤色ランプ。

 何が起こったかを察する前に、彼等の鼓膜にその答えが届く。

 不意に、式守と天羽の身体を浮かすほどの衝撃が足元から来た。

 突如、人工音声の警告がスピーカーから鳴り響く。

『――緊急事態対処! 緊急事態対処! 敵勢力排除不可能につき、本艦右舷後方下部第4100から4499までの区画を分離廃棄パージします! 繰り返します! 敵勢力排除不可能につき、本艦右舷後方下部第4100から4499までの区画を分離廃棄パージします!』 

 天井のスピーカーから響く内容を全て理解する前に、最初の衝撃で彼女の身体は宙に浮いた。

 連続した爆発音が轟き、彼らのいる通路はさらに激しく揺られる。

「――――!!!」

 天羽を襲う、悲鳴を上げることさえ出来ないほどの恐怖。

 慌てて手を伸ばすが、その手は少年に届かない。

 背後へと空気が漏れている――永遠に宇宙を彷徨う恐ろしさが脳裏に浮かんだ。

 頭の中が真っ白になればなるほど、式守へと届かぬ腕を伸ばす。

 その時、鼓膜を破きかねないほどの大音量で、聞き慣れた濁声がヘルメットから響いた。

『――相棒確認バディ・チェック! 相棒確認バディ・チェックだ! バディを見ろ!!』

「――ッ!」

 スローモーションで動く天羽の視界の中で、その言葉で弾かれたように式守直也が振り向きながら左腕を伸ばして跳ぶ。

 この時、式守も天羽と同じように何もかもスローモーションに見えていた。

 極限まで高められた集中力による認識能力。

 少年の瞳に映る、恐怖に目を見開く少女。

 必死に伸ばす細い右腕。姿勢が取れず、動いていない足。

 背後へと流れる空気は、まるで濁流のように二人の運命を弄ぶ。

 彼等の60メートルほど後ろで開いている扉――そこが空気の逃げ口。

 それで何もかも理解した――このまま宇宙に放り出されたら、間違いなく死ぬ。

 秒速40キロ近い速度の宇宙船。

 いま放り出されたら、誰も助けに来ることなど出来ない。

 刻まれた時間の中、式守直也の意識と身体はそれを感じることさえもない。

 背中の姿勢制御用噴射装置スラスターを噴かして加速。

 天羽には見えないほど素早く――式守の左手が少女の右手首を掴んだ。

 その瞬間――。

 式守直也は、天羽智花が浮かべた表情を一生忘れないだろう。

 目尻に涙を湛えた少女が少しだけ嬉しそうに、だけど慙愧を滲ませた泣き笑いのような顔。

(ごめんなさい)

 そう言いたくても、天羽の唇は動かない。

 このまま私と式守は宇宙に放り出されてしまう。

 そして、そのまま死んでしまう。

 これから訪れる未来が、少女に涙を流させる。

(――クソッ!)

 式守直也は烈火の如く激怒した。

 天羽の表情が意味することを正しく理解出来る故に、本能的に頭に血が上った。

 この程度で死ぬ気はない。

 こんな程度で死ねるわけがない。

 俺を――。

 式守を――。

(舐めるな!)

 左腕一本で乱暴に少女を引き寄せるとぶつかりながらも、何も考えずにお互いにしがみく。

 だが、止まらない。

 二人は錐揉みしながら流されていく。

 開いている扉まであと30メートルもない。

 ここは戦艦〈比叡〉の最外周区画。これより外側はない。

 天羽が我武者羅に少年にしがみついてくるが、式守は刹那の判断をし続ける。

 着装者の筋肉等の動きから所用の動作を検知する間接思考制御器により、背中の噴射機を使い、通路の壁を擦るように体当たりした。

「――がぁ!! あうっ!!」

 少女の身体からボキンと乾いた音が、少女の悲鳴とともに少年の耳にまで響いた。

 天羽の身体の、どこかの骨が折れたに違いない。

 式守はそれさえも無視して、そのまま自分たちの身体を壁に押しつけた。

 摩擦による抵抗を増やし、式守はその間に通路に必ず設置されている手摺りへと安全帯のフックを引っ掛けようとして――失敗した。

 焦るが、敢えて一瞬、右手に持つフックを見た。

 さらに流される。

 外れ止め金具をちゃんと手摺りに当たるように右腕を振る。

 小気味よい音が腕を通じた――成功。

 それでも、まだ二人は流される。

 式守はフックと安全帯を結ぶ、伸びきった短いワイヤーに右腕を絡め、吸着靴の出力を最大にして床に叩き付けるように両足を付けた。

 式守は全身全霊の力で、荒れ狂う空気の濁流に抵抗した。引き摺られるように後退しても、右手は命綱を放さない。幸い此処は、まだ重力制御装置の勢力圏内であり重力は存在している。力を入れれば踏ん張りが効く。強風に抗うように前傾姿勢を執って耐える。

 永劫に感じた――僅か数秒の間。

 やがて空気の濁流は弱くなり、そして無くなった――二人のいるコンテナがほとんどの空気を失った結果だった。

 式守は慌てて顔を上げた。

 まだ敵がいるはず――。

「―――――ッ!!!」

 突如として、少年の視界一杯に広がる光る黒色と黄色の筋、そして白い杭。

 避けられるわけがない。

 蛸のような六本の脚が式守のヘルメットを絡みつき、脚の根元に隠れていたカラスのようなくちばしがヘルメットのバイザーを突き破った。

 眼前に迫る杭のように鋭い嘴。

 粉々になった強化ガラスが容赦なく顔に突き刺さるが、目を離したら死ぬと本能的に理解している。

 異星生命体が二撃目を喰らわそうと矢を引き絞るように嘴をゆっくりと引くと、開いた穴から宇宙服内の空気が漏れ出して、バイザーの中は水蒸気で曇った。

 ヘルメットから抜けていく空気と血と涙。

 もう分かってる。

 文字通りの絶体絶命。

 音を立てて空気が抜ける。

 眼前には敵。

 頭に巻き付かれ、逃げることは不可能。

 目と鼻の先にある硬い嘴が、もう一度動いたら間違いなく死ぬ。

 意識が飛びそうになるほど希薄になる酸素。

 視界は霧の中に落ちる。

 顔に釘でも突き刺されたかのような激痛。

 ガラスが突き刺さった痛みか、極寒の宇宙に肌を晒した痛みか、それさえも分からない。

 少年はスリングベルトでぶら下がっている79式5.7ミリ無薬莢空式短機関銃に手を伸ばす。

 手探りで握りしめたそれを敵に押しつけ、その感触だけを頼りに引き金を引いた。

 圧縮空気銃特有の軽すぎる反動が小刻みに式守の右腕を揺らし、敵の体内に大量の弾丸を送り込む。

 軟体動物のような見かけによらず、INVELLの皮膚は極めて丈夫だ。奴らは過酷な宇宙空間で何事もなく生活している生命体。弾の1発2発で死ぬことはない。皮膚はブリキのように硬く、予想外に収縮し、マイナス200℃程度では活動を停止することすらない。

 だから、INVELLの体内に侵入した弾丸は貫通することが出来ずに、その体内で跳ね回った。青色の血が流れる桃色の内部組織を延々と掻き回し、幾度となく内側から黒光りする皮膚を打ち鳴らす。

 蛸のようなINVELLが歪に、風船のように膨らむまで僅か数秒。

 限界に達した敵は、式守の眼前で爆ぜた。

 暴れ狂った弾丸は天井の照明を砕き、跳弾が壁に弾痕を穿ち、式守の右太腿までも貫いた。

 弾倉の弾を全て撃ち尽くした頃には、文字通り挽き肉と化した黒い蛸もどき。

 式守の四肢は力を失い、その場に崩れ落ちた。

「――式守っ!!」

 天羽の悲鳴が響く。

 その悲痛な叫びが、式守の鼓膜を揺らすことはなかった。

 なぜなら少年のヘルメットには、もう空気が無かったからだ。


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