第39話<愛のカタチⅡ>
2022/04/10 漢数字→アラビア数字。一部修正。
復興歴301年11月10日01時04分
人類連邦統合軍 第3聯合艦隊第32任務艦隊
金剛型宇宙戦艦<比叡>中央ブロック内居住区画 総司令官用居住室兼小会議室
「1名、行方不明だと?」
就寝した直後に起こされた伊佐波・〈東郷〉・サクヤは、薄暗い部屋の薄いベッドから身を起こした。枕元にある防諜機能付きの電話機を掴みながら、大河幕僚長の報告を耳にする。映像通信はオフにした。恥ずかしくない格好とはいえ、寝巻姿を見せる気はない。手元の受話器に浮かぶ通話相手の名は大河宗一郎。彼女の右腕たる幕僚長。この時間に彼からの電話である。報告内容は何らかのトラブルしかない。
「なぜ、今まで報告が上がっていない」声に僅かな険が混じった。
「にわかには信じがたい情報でしたので、各部署で再確認を。それに手間取りました」
「行方不明者の名は?」
「比叡航海科第八補修班所属、飯田甲陽三等軍曹。26歳、男性。保安作業としてデブリ損壊区画を修理後、艦内見回り中に連絡途絶。生体マーカー等は異常なく作動中ですが、本人そのものが確認できないため捜索開始。すでに12時間経過しましたが、発見できません」
「特異事項は?」
彼女は短く先を促した。
「飯田3等軍曹の生体情報に欠損がありました。痕跡は右舷外環部第68エッジサーバで発見。サイバー班が対処中です」
初老の幕僚長が伝えた一言は、様々な可能性を膨らますに十分過ぎた。
「各司令官には伝えたか?」
「この報告の少し前に、同時配信で伝えております」
「敵潜入種の可能性は」
「今まで衝突したデブリは全て相対で衝突しております。個体を有するものが衝突したとしても生き残る可能性は極めて低いかと」
「確率で考えれば、幕僚長の言うとおりだ。だが破壊工作に対する対応は二義的に考え、あくまでも敵が侵入したとして対応せよ」
「既に――」
「黒田が兵を動かした、と?」
サクヤはまるで目の前で見てきたかのように諳じた。
「その通りです。裁量の範囲内で、隷下の海兵隊員1個中隊の投入を決心。人工冬眠からの緊急起床をすでに開始しています」
「そして、夏川補給群長は憲兵隊の投入を具申と」
「はい。同じようにそちらも憲兵隊の緊急起床準備に入っております」
「そのまま実施せよ。と両司令官に伝達。ただし、黒田にはさらに1個中隊の追加を指示。5日以内で片付けさせろ」
「承知しました」
「緊急起床完了まで、あとどのくらいだ?」
「約3時間。作戦行動開始まであと約6時間。それまでは直轄のサイボーグ兵を投入しますが、よろしいですな?」
「ああ、兵藤たちサイボーグ兵は全員投入。重要防護施設の警護に当たらせろ。人工冬眠施設と重力制御装置は特に、だ。他に、あいつが必要だと要請したことは、ほぼそのまま通せ。戦場での黒田と兵藤は神憑りそのものだ。余計な邪魔をしないようにしろ」
初老の幕僚長は心の中だけで「貴女が一番神憑りですよ」と呟き、総司令の指示に了承の意を示す。
「では、直ちに関係部署に伝達し、兵藤准尉らは直轄運用のまま警護任務に付けさせます。司令は最悪の事態と考えますか?」
幕僚の長たる大河が少しだけ感心したように問うと、サクヤは苦笑を浮かべた。
「ただの勘ですよ、大河幕僚長。しかし、それに私は命を預けてきたのです」
言い終えてから、なにかを思い出すように付け加えた。
「黒田も兵藤も同じ。だからこそ、私たちはあの時生き残れた」
少し出てしまった本来の自分を隠すかのように「他言無用ですよ」と付け加えて、サクヤは通話を終えた。
それから暫くの間、電話機の仄かな光も消えた自室の中で伊佐波・<東郷>・サクヤは、ただ何も言わずに目を閉じたまま佇んでいた。
彼女は何か懐かしい大事な思い出に浸っているように、穏やかな笑みを浮かべていた。
そんな時間が十数分ほど過ぎた頃、小さなノックの音が響いた。
艦隊を率いる伊佐波が、任務以外でこの部屋に来ることを許している人物は二人しかいない。
一人は義妹である島津雪姫、もう一人は――。
「総司令、もうお休みになっては?」
伊佐波の応えよりも早く扉を開けたのは、長い銀髪を無造作に垂らしたスレンダーな長身の若い女性。常に隣の部屋で寝ている彼女が許可しなければ、義妹の島津雪姫といえども無許可で義姉の部屋には入れない。
2万人を超える第32任務艦隊で、たった5人しかいない通心使の1人、アンナ・アジン・マギナ超能力士。総司令官専属の通心使でもある彼女は入室の際、軍隊ではごく普通に行われる敬礼を省略して上官のベッドへと近づいた。
そんな彼女に、伊佐波は何も言わず思うようにさせている。
アンナはベッドの端に腰を下ろすと、青白い陶磁器のような細い指を上官の今は束ねられていない長い黒髪に伸ばした。エメラルドのように碧い瞳と、広がるような柔らかい銀の髪。小さくて端正な顔立ちはまるで人形のようだが、薄い唇には温かみのある桜色を宿している。スレンダーな肢体はまるで新体操かフィギュアスケートの選手のように細く、しかし、控えめな体の膨らみは艶やかさを匂わせていた。
「アーニャか……あまり寝たいと思わなくてね」
雲の上に位置すると例えても、何らおかしくない階級を持つ女性。
優しい声音で、自分の愛称を囁く愛おしい人。
その黒髪に、アーニャはとても愛おしそうに優しく指を絡めた。
そのまま寄り添うように、サクヤの肩へ折れそうに細い身体を預けた。
「黒田司令が気になりますか?」
吐息がかかるような距離で囁く。
思い浮かべていた情景を言い当てられ、サクヤは少しばかり眉をひそめた。
「お前の超能力は、心まで読めたのか?」
アンナの名は、ヘブライ語で恩恵の意味を持つためロシア地方ではよく名付けられる。
彼女はその由来に相応しいだけの能力――文字通りのテレパス能力をその身に宿すロシア系遺伝子交雑者――偶然に生まれた超能力の機能複製品――量子テレポーテーション技術の応用に関する無数の人体実験の賜物――であり、それ故にテレパス能力を生れながらにして持つ者だった。
「伊佐波司令は御自分で考えていらっしゃるより、隠し事が上手くありません」
しなだれ掛かる銀髪。
その折れそうなほどに細い腰に腕を回して、黒髪の女は愛人を抱き寄せた。
「私が指示を下す前にアイツは動いていた。それが妙に嬉しくてね。いろいろと昔のことを思い出していたよ」
控えめな、だけど正に見た者の心に華を咲かすような優しい微笑み浮かべて、伊佐波・<東郷>・サクヤは呟いた。
サクヤという名前の由来をアーニャは知っている。
幼少の頃の名は、伊佐波咲耶。
任官してからは誰でも読めるように伊佐波・<東郷>・サクヤと自ら改名したこと。
そして元々の咲耶という名は、日本神話のある神の別名である木花咲耶姫から取られたこと。その意味は、桜の花など木の花が咲いたように美しい女性と言うこと。
だが、アンナ・アジン・マギナは、自らが寄り掛かる女性が、そんな風に優しく笑えるのは思い出に浸るときだけということも知っていた。
「伊佐波司令は、もう少し思うがままに生きられては如何でしょうか」
「また、その話し?」
偶に、彼女から切り出される話題。
自分のことを思ってのことはいえ、サクヤにとってあまり楽しい話題ではない。
「差し出がましい事は承知しております。ですが――」
「私は私が産み出された使命のために、アイツを切り捨てた。何を今さら……虫が良すぎる」
静かに、だが、強く――。
苦悩と共に吐き出す言の葉が愛人を遮る。
12年前――絶対絶命の中、死線を潜り抜けた一組の男女。
新任の装甲駆逐艦の女性艦長と百戦錬磨で鳴らした海兵隊所属の若手下士官。
二人の蜜月は、祝福する周囲の予想を裏切って1年にも満たなかった。
女に結婚と家族を望んだ男と、男と共に人類を救うための地位を望んだ女。
結末は、袂を分かつ以外ありえなかった。
何もかも切り捨てたサクヤは仕事だけに邁進して出世街道を爆走した。
決して彼女一人の努力だけではない。
運も政治家も民衆も時流も――皮肉なことに、時には敵さえも――何もかもが彼女の出世を後押しした。
だから、伊佐波・<東郷>・サクヤは日本国歴史上最年少で将官の階級を手にしていた。
「黒田大佐はそのようなことは気になさらない方だと見受けます」
その一言に、約2万人の命を預かる女は寂しげな苦笑を浮かべた。
「今のアイツはユキの恋人だ……血が繋がっていなくても、私にとって雪姫は最愛の妹だ――その幸せを壊すような姉にだけはなりたくない」
「ならば、なぜお見合いの話を断ったのですか? よい縁談だとお聞きしましたが」
「今日はやけに食い下がるな」
「泣きたいように見えましたので」
アーニャが年上の恋人を、幼子のように、その胸で優しく抱きしめる。
サクヤは抗うことなく、それに身を任せた。
人類を救うために恋人を捨てた女。
だが、それは過去を忘れ去ることと同意義にはならない。
「いくら権力があろうが、お金持ちであろうが、肥満の男は許容出来ない。それぐらい知っているだろう」
サクヤのお見合い相手は新進気鋭の政治家で、今後の利害関係を考えれば望みうる最善の相手だったが――。
「知っています。それすら分からないようでは、仮初めとはいえ貴女様の愛人にはなれません」
アーニャは恋人の男の趣味に口を挟まない。それは嫌になるほど知っていることだから。
サクヤは優しい抱擁から身を剥がして同性の恋人の瞳を覗き込んだ。
「お前は、私にお前を捨てろと言っているのだぞ」
「それで貴女様が幸せを掴めるなら」
「本当に捨てたらどうするつもりだ?」
アーニャはサクヤの瞳に映る自分を見つけ、湧き上がる歓喜に身を震わせた。
「私は貴女様を恨みません。それでも、私は貴女様を愛し続けます。黒田大佐は雪姫さんを決して捨てません。大事なことは一つだけです。貴女様は今も黒田大佐を深く愛している。さらにいえば、雪姫さんも狂おしいほど愛している。貴女様と雪姫さんが、少しだけ非常識な性関係を受け入れれば全ては丸く収まります」
「想像できぬほど、爛れた生活を過ごすことになりそうだが……」
同性と異性の恋人に義妹まで肌を重ねれば、肉欲に塗れたなどというだけでは言葉が足りない。
「人類を救った褒美だと思えば、誰も口を挟みません」
アーニャが小鳥がついばむように、サクヤの唇に軽く触れるだけのキスをする。
「お前の未来視の中では、私が勝つことは確定事項なのか?」
サクヤとて負けるつもりはない。
だが、勝てるとも限らない。
それが戦いであり、戦争だ。
次第にお互いの指と指が絡み、柔肌と柔肌が触れ合い始める。
「未来視などではありません」
苦笑交じりの恋人の瞳を見据え、アーニャは巫女のように告げた。
「私はただ、貴女様を信じているだけです」




