第37話<少年と少女Ⅴ>
「……最後まで、絶対に言わないつもりだったのに……」
式守の前から立ち去った天羽は、その日は最後まで少年から逃げ続けた。
業務事項は身に付けている情報端末でショートメッセージで送信したが、顔を会わしていない。食事もトレーニングも一人で行い、宮城からきつく注意されたほどだ。その点は、明日素直に謝る必要があった――式守も間違いなく同じ注意を受けているはずだから。
そんな彼女がいる場所は、人工冬眠室にあるごく僅かな私室兼ベッドであるカプセルベッドの中だ。前世紀の宇宙船と比べれば破格の居住空間を持つ比叡であっても、個人に与えられるスペースなどベッドの上しかない。
その狭い空間で、幼さと色気を感じさせる膨らみに枕をきつく抱き締め、利発そうな少女は悶絶したかのように身を捩っていた。
「言っちゃった……」
桜色の唇から漏れた言葉には、隠しきれないほどの熱がある。
彼が、施設で育ったことを忘れたことなんかない。
それでも、それ以外、彼に遺書を書かせるような言葉が見つからなかった。
無遠慮で思慮のない言葉だったと思う。
いつも少年は、天涯孤独のような家族環境を軽口めいて言う。
それでも、彼女がその心を傷付けたことは確か。
余裕なんて欠片もなくて、みっともなかったと思う。
だけど、後悔なんて出来ない。
なけなしの勇気を全て振り絞って、天羽は式守に踏み込んだのだ。
式守に勘違いしてほしくない。
あなたは一人じゃない。
私がいる。私たちがいる。
確かに血の繋がった家族はいないかもしれない。
だけど、仲間がいる。
死んでいい人なんていない。
忘れ去られていい人なんていない。
その証として、彼に遺書を書かせる。
(……あんなことを言えば、さすがに気付くよね)
いや。今度こそ、この恋心に気付かないはずがない。
逃げ出したかった戦闘猿との戦いを何も言わずに代わって、怪我を負ってもただの一言も責めない。
いつもそんなことばかりして、貧乏くじを引き続ける。
それでも、 式守直也は決して恨み言を言わない。
きっと本当に恨んでいない。
怒ることは当然あるけど、長続きさせない。
彼は私を恨んでいない。猿渡も、海兵隊も、軍隊も恨んでいない。
決して馬鹿でも、無垢なわけでもない。
それでも彼は何もかも耐えて、正面からぶつかっていく。
いつも不器用に歯を食い縛って耐える。
転んで、躓いて、馬鹿にされても、絶対に立ち上がる。
天羽には、式守のそれが何よりも眩しかった。
そのような強さは、彼女の中には無いものだった。
父と母と作られた顔のことで激しく衝突した日、彼女は半ば衝動的に自らの頬を果物ナイフで抉った。
両親に全く似ていない嫌いな顔に、消えない傷を残すため。
そうすれば、母が悲しむことを分かっていながらやった。
何度言い争っても、軍人になることを認めてくれない両親に対する嫌がらせのために。
そして、その結果は彼女の想像以上で、天羽の母親は半ば狂乱して泣いて謝り、父親は娘との会話を打ちきった。
その日から、天羽の家では家族の団欒は消えた。
父親は情緒不安定な母親だけを守り、娘を意図的に放置した。
母親が半狂乱しなければ、彼女は即座に勘当されていたかもしれない。父親は母親と違い、優しくない男で、事実母親が止めなければ情け容赦なく暴力を振るっていただろう。父親にとって母親が一番であり自分は二番である事実が、肉親の情を捨てさせたのが他ならぬ自分である事実が悲しかった。
私はただ――。
二人の子供だとわかるように産んでして欲しかった。
綺麗で可愛くて、だけど母と全く似てなくて。
栗毛色の髪と黒い瞳の両親から生まれた、艶やかな黒髪に青い瞳を持つ私。
愛人の子と囁かれたくなかった。
どうしてあれほど、私は二人を恨んだのだろう。
理由なんて分かりきっている。
私自身が信じることができないほど両親と似ていないから。
同性の妬ましさから、苛められた子供時代。
もしもあの時、私が式守のように正面からぶつかっていれば――。
お母さんは泣かず、あんな結末はなかったのかもしれない。
母に八つ当たりしなければ、事実上の絶縁なんてなかったのかもしれない。
私に式守のような強さが少しでもあれば、あんなことにはならなかったのかもしれない。
だから、私は式守が好き。憧れている。羨ましい。。
何もかもが混じりあった、この感情は嘘じゃない。
彼は私が本当に苦しい時に、手を差し伸べてくれるから。
彼が時折見せる勇気が、見せ掛けじゃないから。
私には出来なかった、真っ正面から当たる勇気を持っているから。
弱くても劣っていても、彼は今の自分を受け入れて前に進むから。
改めて言葉にすると、恥ずかしい。
だけど約束通り、形に残そう。
これは式守直也との大事な約束だから。
そして彼がくれた、自分では絶対に手に出来なかった切っ掛けだから。




