第28話<少年と少女Ⅰ>
2022/04/08 漢数字→アラビア数字。一部修正。
復興歴301年9月1日22時32分
太陽系第四惑星<火星> 要塞都市リトル・キョート セントラル・ブロック
日本軍共用施設A53(陸軍・海兵隊兵舎)棟 屋上
地球の夜ならば屋上に上がれば、星々が煌めく夜空が見れるだろう。
火星の要塞都市リトル・キョートで上を見上げたならば、地表層を覆う保護ドームに映し出される見えるわけがない星々を見ることになるだろう。
偽りの夜空。
しかし、それは人々の心に僅かばかりの安寧をもたらす。
そんな夜空を見上げながら、二人の式守は数年振りにまともな言葉を交わした。
「久し振りだね、兄貴」
式守直也は近づきながら微苦笑を浮かべ、数年前まで<施設>で共に暮らしていた、2つ年上で生物学的には血の繋がらない――設計思想が異なる世代違いの義兄弟に声を掛けた。
「テメェも元気そうだが、まだ弱いままか?」
半ば茶化すように、半ば呆れるように、式守六三四はその強面には不似合いな、柔らかな苦笑を浮かべた。
「僕は……兄貴みたいにはなれないよ」
式守直也が諦めと共に小さな溜息が零しても、誰も彼を馬鹿にしないだろう。
義兄弟の手に掛かれば、直也が格闘訓練でろくに勝てなかった荒木でさえ、10秒掛からずに病院送りになる。
何よりも、あの強さは努力だけでは決して辿り着けないレベルにあることぐらいは骨身に染みている。
「それで従兄弟って設定か? 別に隠すようなことじゃねぇ。敢えて言わないが、昔みたいに義兄弟って呼んでいいんだぜ」
式守の守秘義務には引っ掛からないぜ。と、付け足す。
「別に、俺に追いつけとは言わねーけどよ、どうなんだ? 多少強くなったか?」
「……まだまだかな。どうしても、素のままにはなれないと思う」
「悩むだけ無駄だ。やりたいようにやれよ。死んでしまう前に、な」
式守六三四に浮かんでいた苦笑は、いつの間にか消えていた。
「そんなことを真顔で言わないでくれよ……兄貴は変わったよね。以前からは想像つかないくらい、穏やかだけどさ……宮城さんの影響? あと、兄貴さ、嫌みは止めてくれ。機能識別子さえない僕が強くなるわけない」
「丸く見えるんなら、涼音の影響だな。あいつ、口うるさいからな。あと、前にも言っただろう。機能識別子と強さは関係ない。それが計測されない理由は簡単だ。お前は、今はまだ必要とする状況にない。無いんじゃない。計測されていない。ただ、それだけだ」
「僕の遺伝子に、何が移植されたか分からないのに?」
直也の視線が徐々に険しくなるが、六三四が気にするわけもない。
「俺を見れば、基本ベースぐらいは分かるだろ?」
「兄貴は完成個体番号持ちだ。一緒にしないでくれ」
六三四は、これ以上は仕方が無いと言わんばかりに肩を竦めた。
「違うな。俺とお前は同じ式守だ。基本ベースにある因子は多い少ないの差はあっても、お前にも必ずある。得手不得手が違うだけで何も変わらない」
「具体的な能力について話す気ないの?」
義弟が少し皮肉げに問い掛けると、義兄はもう一度――今度は分り易く大げさに肩を竦めた。
「無理言うなよ。俺は科学者じゃねぇ。可能性は知っていても、お前自身がどうなっているかは分からないし、説明もできん。下手すりゃ、冗談抜きにお前が死ぬ可能性だってある。だがな、お前が本当に、絶体絶命になったら否が応でも自覚することになる」
「それで、分からなかったら?」
「死ぬだけだ」
「…………」
「まあ、これから昔のように一蓮托生だ。よろしく頼むぜ、義兄弟」
そう笑いかける義兄に、義弟は「ああ」と、ぎこちない返事しか出来ない。
義兄弟が交わした数年ぶりの会話はぎこちないまま終わった。
「――あ、式守」
式守直也が義兄と分かれて数十分後。
兵舎の階段を下っていると、不意に上から声を掛けられた。
深夜の闇に、よく響く少女の声。
もしも、これが昼間だったら、彼は今の声を無視したかもしれない。
声の主は天羽智花。
世間一般的には間違いなく可愛いと言われる顔立ちの少女。まとめ役らしく凛々しい姿も魅力的だが、彼女の左の目尻には少し目立つ傷跡が一つある。それは分り易い、彼女のトレードマークでありる。ナンパ目的の男たちは、それを見ると大体途中で止めた。
弾むような声を掛けながら、式守に追いつく。
「こんな遅くにどうしたの?」
「お前こそ、なんだよ」
警戒心が混じった、ぶっきらぼうな返事。
それでも、少女は距離を詰めた。
「ちょっと準備してた」
「何の?」
「組長としての」
少女は少年の隣に並び、薄暗い階段を降りていく。
「天羽が組長……どんな編成になったんだ?」
時と状況によっては、無条件で命を預けることになる相手だ。
誰と組むかは、兵士にとって――式守のような新兵でも重大な関心事項の一つだった。
少年が会話に乗ってきたことが嬉しくて、少女はわざとらしく――喜色を隠せそうになかったから――にんまりと大げさに笑みを作った。
「実は私と相棒になる予定」
「……お前とかよ」
「だけど、良くない? お互い結構組んでいるから、そんなに相互援護で困らないでしょ?」
偶に分かる――いや、表われる少年の変化。
大人しい少年が、攻撃性を剥き出しにする瞬間。
少女はそれが分かっていても、今までその理由を尋ねたことはなかった。
だけど、それは好きじゃない。
だけど、嫌いでもない。
それは間違いなく、周囲との軋轢を避け続けている少年が、自分の前では素に近いことだから。
「誰が決めたんだよ」
「基地の戦術演算器と猿渡先任。あと、私の意見」
「士官様はノータッチかよ。そういえば荒木は復帰するのか、それとも無理矢理連れて行くのか。どちらにしろ災いの種になりそうな気がするけど」
「珍しいね。荒木のこと、気にするなんて」
「別に。味方は一人でも多い方が良い。あと、死にたくないし」
「そうだね」
それで一区切りついたかのように、二人の会話は途切れた。直也は少女の歩調に合わせて歩く。軍隊生活の影響だろうか。足並みが揃ったまま進むのが、あまりにも自然だった。
その間、天羽は何かを言い掛け、その言の葉を音にする前に消した。
何度か繰り替えされた後――式守から問い掛けた。
「どうした?」
「あ、あのさ」
「何だよ?」
天羽は式守に促されたように口を開いた。
「改めてだけど、修了式の代役……ありがとう」
「まだ気にしてんのかよ。いい加減、忘れろよ」
「でも――」
天羽の視線に安心感を感じる。
事実、安心しているのだろう。
誰も居なさそうな建物の中で笑みを浮かべていた。
式守は居心地が悪いというか、背中がむず痒くなりそうで、恥ずかしさに駆られて一気呵成にまくし立てた。
「俺じゃなくても誰かがやった。猿渡班長のあれは、ただの苛めだ。だから、ボブたちも代役に名乗り出たんだ」
「うん」
「……」
二人は暫くそのまま歩いた。
付かず離れずの距離で、ゆっくりと歩く天羽に式守が歩調を合わす。
「……でも、ありがとう」
不意に、天羽はお礼を口にした。
「分かったよ」
少年は、少女の感謝を諦めたように受け入れた。
天羽は恐る恐る「痛む?」と聞いた。
少年の左前腕部には、戦闘猿の牙に穿たれた八つの穴がまだ残っている。今も鎮痛剤を飲んでいるが、完治にはあと一週間近くは掛かる。
「薬が効いてる。問題ない」
式守は、天羽から滲み出ている緊張にまるで気付かないようにぶっきらぼうに答えた。
「……無理しないで駄目だったら、教えて。訓練のスケジュール調整ぐらい進言できるから」
「お前、何か役職に就いたんだっけ?」
「私、組長だよ。式守の」
「そういえば、そう言ったな」
「そうだよ」
式守には何が可笑しいのか分からないが、天羽はクスクスと笑った。
「もうちょっと、私の話しを聞いてよ」
「気を付ける」
「あ、あのさ、式守。一つ聞いていい?」
「ん?」
「なんで、あの時……ペットにしたいって言ったの?」
「ああ、あれか――」
式守は隣りにいたはずの天羽が見えなくて足を止めた。
彼女は式守の2歩後ろで、少し俯いて立ち止まっていた。
「勝ったから、殺す理由がなくなった」
式守は、あの時の感情を正直に言った。
「――うん」
少しだけ弾んだ声音。
天羽はそれだけを言い、歩き出すと、そのまま式守を追い抜いた。
今度は式守が天羽を追う形になる。
(――よかった。やっぱり、式守は式守のままだ)
天羽が式守のほんの少しだけ前を歩いたのは、少し熱を帯びた頬を隠すためだ。
照れ隠しのように微妙に身体が左右に揺れる。
天羽は、あの子猿の結末が分からぬほど愚かではない。
あの儀式はそういう結末を迎えるものだ。
彼女にとって気になっていたのは、あの儀式の後の少年の性根だけだった。
あの時のことを思い出しながら聞いた。
「私も格闘するときはそうだけど、式守って、あの時凄く攻撃的だったよね」
少女はあれほど素早く戦う式守を見たことが一度もなかった。
今までの訓練では、わざと手を抜いていたとしか思えない戦い。
躊躇なく振るわれるナイフ。
止まることがない攻撃。
自由に動く動物相手に、自ら仕掛けて主導権を奪う積極性。
事実、あの戦闘猿との戦いは睨み合いはそこそこ長かったが、殴り始めてからは1分そこらで終わっている。
あれだけ一気に、勝負を付ける攻撃は思いつきでは出来ない。武器も素手も滑らかに連携し、留まるところを知らない攻撃。
もしも思いつきだけで出来るなら、とうの昔にその片鱗を訓練中に見せていただろう。
だから、少し違和感があった。
あの時の式守直也と、今までの式守直也は、何が違うのだろうか。
それとも、ただ単に実力を隠していただけなのだろうか。
「そうだね。あの時は、ね」
「否定しないんだ」
天羽が式守の横に並んだが、少年は少女に目線を向けなかった。
隣りにいるのだから、充分だと感じていた。
「仕方ないよ。従兄弟を見れば分かるだろう。似てないけど、これでも血が繋がっているから」
代理母は違えど、遺伝子的には同系列の遺伝子交雑者。
式守の血で繋がっていると表現するのは間違いではない。
「式守2等軍曹のこと?」
荒木の惨状が脳裏をよぎり、少し背筋が寒くなった。
「昔は一緒に暮らしていたから、よく遊んだ」
不意に、天羽の足が止まる。
「……式守も、あの人と同じになるの?」
「あの強さは羨ましいけど、俺はあんな風には強くなれないよ」
「そ、そうだよね」
二人は再び歩き始め、気が付けば兵舎の出入り口に辿り着いていた。
「式守って、いつもは僕なのに、たまに俺って言うよね」
「気になる?」
「なんとなく、ね。そっちの方も似合うかなって思っただけで――」
「…………」
不意に、式守に苛立ちの表情が浮かんだ。
どうしてそんな表情が浮かぶか分からなくて、天羽は取り繕うように言葉を重ねた。
「――ご、ごめん。変なこと言って。意味は特にないの」
「悪い。ちょっと……気が立っていた」
式守は誤った。苛立った理由は自分の中にある。
少女に当てるのはお門違いだ。
「「…………」」
薄暗い中で、お互いに言葉を探してしまう。
天羽は伺うように少年と目を合わせた。
他人の心に踏み込むかもしれない緊張。
嫌われてしまうかも可能性。
今までの友人関係を無くす恐れ。
そんな感情が少女の胸中に渦巻く。
それでも、天羽は聞くべきだと天啓とも呼べる閃きがあった。
長い間、見えなかったものが見えた錯覚。
二人とも無事でいられる時間は、もしかしたら思った以上に短いかもしれない。
その切迫感が、か細い背中を後押しする。
「……嫌いなんだね?」
「何が?」
「自分のこと」
「…………」
式守はあまりにも図星過ぎて、一言も声が出なかった。。
自分の反応の遅さ。不意を突かれた未熟さ。切り返せない機転の悪さ。
それよりも何よりも、自分の底を見透かされたような恥ずかしさ。
ただ、はぐらかせばよかったはずなのに、足が止まってしまった。
「……みんな、そうだよ。ナルシスト以外、大体の人は自分が嫌いだよ」
沈黙を肯定と受け止めた彼女も視線を外した。
これ以上、視線を合わすことは出来なかった。
少年の心は、全部は分からなくても、なんとなく想像は付いた。
だから、今度は自分の身の上話を話すことに決めた。
自分が式守を覗いた分、彼に自分を見せよう。
「私も同じ」
「はあ?」
訝るような声音にも、天羽はたじろがない。
「私ね――私は、この顔が大嫌いだったの」
そう言いながら、指先で目尻の古傷をなぞる。
誰もが綺麗で可愛いと表現する顔立ち。
ただ、そこには明らかに不釣り合いな、大きな一つの傷跡がある。
意図的に消していない、天羽の傷跡。
その仕草は無意識なのか、意識的に行ったのか、式守には分からない。
ただ、彼の口からは悪態が零れた。
「その顔で嫌いだって? お前、世の中のブス全員に喧嘩売ってんのか?」
「そういう意味じゃないよ。だけど……式守、今が地なの?」
「何がだよ?」
「なんか、いつもより口が悪い」
「元々こんなもんだよ」
天羽が歩き出すと、釣られるように式守も歩き出した。
「自分で言うのもなんだけど、私って、ある程度、可愛いじゃない」
「それを自分で言うのかよ」
式守は呆れながらも出入り口へ向けて一歩踏み出した。
天羽智花は素早く、式守より一歩前に出ると見上げながら訊いた。
「ねえ、どう?」
「なにが?」
「可愛い?」
「――否定はしない。可愛い方だよ」
天羽がホッと安堵の息を漏らしたが、そこまで突っ込みを入れるのは式守ですら野暮だと分かる。
「だけど、ね。可愛いって言われても、どうでもいい他人に言われても、大して嬉しくない」
「お前、まさか天然か? 無意識に煽ってんのか? SNSじゃなくても、そんな事を言っていたら人間関係炎上するぞ」
ナルシストかよ。と聞こえるように呟いたのに、天羽は喋るのをやめなかった。
「男はいやらしい視線しか向けないし……」
「俺も男だぞ?」
「式守は除外しておいてあげる」
えらく上から目線のような気がするが、式守には天羽が心から笑っているような気がした。
「どうも――ここまで男扱いされていないとは思っていなかったけど」
「もっと逞しくなったら認めてあげる。でね、鏡を見る度にまるで自分の顔じゃないみたいで……いつもお面を被っているみたいで、昔は本当に自分の顔が大嫌いだったの」
「だった。か……今は少しくらいは、好きになったのか?」
直也には天羽の心理が分からない。
誰もが可愛いと認めるほどの美貌を持ちながら、何を不満に思うのだろう。
そして不満を抱えていたのなら、どうやってそれを変えたのだろう。
自分は何も成長出来ていないのに――僕は今も奴隷そのもの。
天羽には式守の胸中など分からない。そのまま話し続ける。
「前よりは、ね。大嫌いじゃなくて、少し嫌いになったくらいかな」
はにかみながら応える少女の頬が、微かに紅色に染まっていたのは錯覚ではなかった。
「式守には、私はどんな風に見える?」
「頑張る奴。あとは普通」
「可愛いは?」
「この流れでそんなこと聞くかよ……さっき言っただろ……見た目は可愛いよ」
可愛いというよりは美人だ。と言いたかった。
そんなことは恥ずかしくて、とても言えそうにないので心の中だけで呟く。
「この傷は気にならない?」
天羽の指先は目尻の古傷を指し示したが、式守直也にとって、それは心の底から無意味な質問だった。
「気にならない」
<式守>の基準でいえば、戦いで負った傷は全て――例外なく、誇るべき勲章である。
「だったら、良かった」
「そんなもんが気になるのかよ」
好きな人に言われながらも、天羽智花は花のような微笑みを静かに浮かべた。
「――そんなもんだよ。女の子は、みんな、そうだよ」
その後、天羽は「人工冬眠の事前チェックで落ちないでよ」と式守に伝える別れた。
式守直也は独り、薄暗い道を歩いて居室に向かう。
思い出すのは、自分だけに向けられていた――綺麗な少女の、心からの微笑み。
好意の視線。気遣う言葉。微妙に近い距離。
何も知らないほど、彼は無知でも鈍感でもない。
だが、しかし――。
「天羽は、僕のこと……なにも知らないんだよ」
常夜灯の淡い光に照らされながら、苦々しく、少年は呟いた。




