第26話<第3177駆逐戦隊Ⅵ>
2022/04/06 漢数字→アラビア数字に修正。一部修正。
復興歴301年9月1日16時33分
太陽系第四惑星<火星> 要塞都市リトル・キョート セントラル・ブロック
日本航宙軍海兵隊施設A23棟3階 第3177駆逐戦隊 臨時事務室
――バキっ!
事務机の上で、電子紙用の電子ペンが音を立てて折れた。
勝手に折れたわけではない。言うまでもなく折られたのだ。
折れた電子ペンを握りしめ、憤怒の表情を浮かべながら椅子に座っているのは、アニー・〈ケリー〉・トンプソン海兵少尉。
下唇をきつく噛み締め、目の周りは泣き腫らしたため真っ赤。目尻には時おり涙が浮かぶが、折り目のついた奇麗な軍服の裾で拭う。
彼女は盛大に不機嫌を周囲に撒き散らしながら、それでも書類仕事を続ける。
今から約2時間前、式守に殴られ、部下の天羽や式守に介抱され、嘔吐が治まった後、海兵少尉の彼女が真っ先にしたことは問答無用で理不尽な八つ当たりだった。
基地の中を放送禁止用語の卑猥な単語を大声で泣き喚きながら自室に戻り、鬱積した式守への怒りを余すところなく備品と私物にぶつけた。殴る、投げる、蹴る。武器を使わないほとんどの手段を使い、あの遺伝子交雑者を罵倒しながら壊した。壊さなかったものは、大事な家族や親友からの贈り物だけという有様だ。
近傍の者が何かと思って憲兵隊を呼んだことにより、彼女の八つ当たりは中断された。
だが憲兵隊から見れば、部屋の惨状は破壊工作か、新米少尉がストレスで気が触れたかと思う程である。
その為、簡単な――しかし、極めて屈辱的な――事情聴取を受け、この事案は戦隊司令の柳田大尉の耳に入り、結果としてアニーは壊した備品の理由書と補充品の調達書を書く羽目に陥った。
そんな彼女は、戦隊の臨時事務室内では完全な腫れ物扱い。今回は猿渡もちょっかいを出す気にはなれなかったし、付き合いが薄い者たちも同じだ。彼女のキレ具合は、一番付き合いの長いエイミー・〈ゴードン〉・霧島でさえ、ためらいがちに声を掛けるほどだ。
そして、もう一方の当事者と言うべき式守六三四は、戦隊司令官である柳田に呼び出されて司令室に入ったままだった。副官であるバルダークも一緒に入ったきりだ。
もう、かれこれ30分以上になるだろうか。説教だけとも思えない長さだが、確かめる術はない。
臨時事務室と司令室は隣りにあるから、事務室にいる人間としてはどうしても気になる。
ついでに言えば、式守の左頬に付いていた紅葉のような手形の跡も話題のひとつだったが、まだ誰もその真相を確かめていない。
事務室にいるフランチェスカも気持ちは皆と同じ――つまり、青ざめていた。
格闘訓練で何があったかは猿渡先任から聞いた。念の為に式守直也や天羽にも状況を聞いた。
それから医務室から病院へ直行した荒木の診断結果も聞いた。
そして、フランチェスカの顔からは完全に血の気が引いた。
率直に式守六三四が怖いと思ったし、絶対に自分の装甲駆逐艦には乗ってほしくないとまで思った。
上官に対する暴力――女性に対する思慮も遠慮もない攻撃(式守的にはあれでも手加減しているのだが)――を振るう粗暴さ。
その為に、格闘訓練という名目を使う質の悪さが余計に際立つ。
さらに新兵とはいえ、体格が勝る荒木を瞬殺する能力。荒木は外傷だけで既に全治1ヶ月――ナノマシン治療を処置しているにも係わらず相当な長期間――は、通常の格闘訓練で生じる怪我ではない。もはや交通事故に近い。
あの傍若無人な猿渡も「あれだけヤバい奴は、久し振りに見た」と心底呆れたように言うのだから、どう考えても彼は尋常では無い。危険過ぎる。彼女としてはとてもじゃないが上官として御する自信がない。
これは別にフランチェスカだけの認識ではなくて、駆逐艦艦長たちの共通認識と言ってよかった。
クリスティーナも三上も嫌だ。
駆逐艦の艦長たちにとって式守六三四は恐怖の対象に近いが、それは他の海兵隊員にとっても同じだろう。
今の彼らにとって、編成分けは人生を賭けるほどの緊張感があった。
だからこそ、海兵隊員の編成には口出せざるを得ない
その火蓋を切ったのは、フランチェスカ・〈東郷〉・トモエ。
「猿渡先任。私の〈浜風〉が、天羽さんの組を貰っていいかしら?」
「ちょっと待って、フランチェスカ。残念ね。私の〈磯風〉もその組が欲しいのよ」
クリスティーナとて式守六三四は遠慮したい。というか、彼女個人だけなら、なんとか大丈夫だと思っているが、他の3人――シュエメイ、シウバ、リチャード――が耐えられない。間違いなくシュエメイと喧嘩し、止めに入った2人と殴り合い、それを止めるためには自分は拳銃を使わなくてはならなくなるだろう。
その時、式守は大人しく従うだろうか?
あの圧倒的な暴力性を考慮すると、そんな不安さえ抱いてしまう。
「いや、フランチェスカ少尉もクリスティーナ少尉も、まだ待てって。落ち着け。まだ組分けも仮配置も終わってないから」
猿渡としては頭が痛い。荒木が欠員となってしまったら頭数が足りないのだ。
彼としては本部として自分の手元に置きたいが、小隊長であるアニーとの連携は絶望的。
戦隊の指揮機能と補給機能を兼ねる支援軽巡洋艦での小型種迎撃を考えるならば、式守・宮城組と共に猿渡とアニーが乗り込むのが最善。
しかも戦隊司令部として、柳田大尉とバルダーク大尉、修理全般を受け持つエイミー技術少尉まで乗り込む。
全員の生存性を考慮すれば、式守・宮城組は支援軽巡洋艦に搭乗すべきだが……。
「ちょっと二人共そういう抜け駆けは良くない。公平に決めるべきだ」
三上少尉とて必死だ。彼の中でも式守六三四は狂犬に等しい。狭い装甲駆逐艦の中で1~2週間も一緒に過ごしたら心身が持たない。
「なにを言っているのですか? 生粋の日本人同士、仲良く出来るのではないですか?」
「三上少尉、男ならゴチャゴチャ言わない方が格好いいわよ」
「ただでさえ、着任してから余裕が無いんだから少しは融通してくれよ」
3人の艦長がそんな押し付け合いをしていると、不意に司令官室の扉がガチャリと開いた。
バルダーク副長は司令官室から出ると、真っ直ぐにアニーと猿渡の方に向かってきた。
渦中の人物である式守六三四も副長の2歩後ろを付いてきたが、悪びれた様子など欠片もない。
どのような叱責も脅しも、馬耳東風とやり過ごしたのだろう。誰もがそう思う態度。
「猿渡先任、式守2等軍曹と宮城3等軍曹の二人は戦隊司令部の護衛として働いてもらう。そのように編成を組むように」
当然、これは柳田大尉も同意していると付け加えると、3人の駆逐艦長たちは安堵の溜息を隠せなかった。
「と、いうことで改めて宜しくお願いします。猿渡先任」
式守は何事もなかったように右手を差し出した。
「……ちっ。とんでもねぇ野郎だな、お前。あとで面、貸せ」
「幾らでもOKですよ、先任」
「食えねぇ野郎だ」
その一言で、猿渡は苦笑いを浮かべながら握手を交わした。
――バキッ。
アニーが握る電子ペンの欠片がさらに細かく折れた。
その音でやっと気付いたように、式守六三四は顔を上官に向ける。
「リベンジマッチは何時でも受けておりますよ、小隊長殿」
「――このッ!!」
熱り立つアニーに、フランチェスカがオロオロと視線を彷徨わせ、流石に焦ったクリスティーナが副官を見た。
だが、バルダークに動きはない。
自分が止めるべきか? とはいえ、止められるのか?
三上少尉に目配せをするが、彼は首を横に振った。
――当てにならない!
出会って半日の三上少尉に対する、クリスティーナの第一印象がたった今確定した。
「小隊長は実戦になったら、他の海兵隊員だけに気を配ればいい。支援軽巡洋艦に取り付く小型種は俺と宮城でどうにかする」
「私がその言葉を信じれると思うのか!」
「感情と事実を別に出来ない指揮官は、部下を無駄に死なすぜ」
「よくもそれだけの大言壮語を並べられるな! 貴様、何様のつもりだ!」
「これでも初陣から既に10年以上経つ。敬意を払うのはお前の方だ、新品少尉。あとな、俺で駄目なら、この部隊の誰がやっても無駄だ。諦めて死ね」
「少年兵か……日本軍はまだ、そんなものを使っていたのか。哀れだな」
「別に。俺はその為に生まれ、その為に生きている。付け加えれば、少年兵はアフリカや中東では今でも珍しくない。普通のことだ。お前の国が恵まれすぎているだけだ」
「式守二等軍曹。君には君の仕事があるはずだが?」
今まで式守に対して何も言わなかったバルダークが初めて口を挟んだ。
「了解。ですが、副長。先程も述べた通り、俺はいつでも不名誉除隊を受け付けております」
「君の希望は死体にでもならない限り叶わない。それぐらい、君自身が知っているだろう」
「確かに」
そう言って嗤った青年は「では、作業に入ります」とだけ言うと事務室を出た。
バルダークはそれを確認した後、アニーに向き直った。
「アニー少尉、柳田大尉が呼んでいる。司令官室へ行きなさい」
「……了解しました」
アニーは昂ぶった感情を落ち着かせようと数回深呼吸してから、バルダーク大尉と共に柳田大尉が待つ部屋に入った。
司令官室の扉が完全に締まったのを確認してから、三上は口を開いた。
「猿渡先任、式守に処分はないんですか?」
「あるわけ無いでしょ。多少の罰はあるかもしれませんが、あくまでも非公式の、書類に残らない範囲でしか出せませんよ」
「どうしてですか? おかしくないですか?」
「格闘訓練に怪我は付き物だし、それを言い出したら小隊長も現場責任者として処分貰っちゃうでしょうが」
猿渡が呆れた風に説明したが、三上が納得できなかったのは別のことだった。
「いや、そうじゃなくて、式守がアニー少尉を殴ったことはお咎め無しなんですか?」
「三上少尉。まだ慣れていないでしょうが、なにを言っているのか、ちゃんと考えてから喋って下さいよ。格闘訓練で部下に負けたからって処罰を下すような、お馬鹿な小隊長がこの基地で目立たないと思いますか? 人の噂を止めるのは無理ですぜ。やがて上級部隊から職権乱用の罪で、柳田大尉ごと処罰されてお終い。一時の激情に流される無能者の烙印と共に、遺伝子調整者アニー・〈ケリー〉・トンプソン海兵少尉の約束された、輝かしき将来もドブに落ちて消える。と、いうことですよ」
猿渡大悟は本当に呆れ果て、「彼女は我々健常者とは違うんですよ」と頬杖を付きながら、ぼやくように付け加えた。




