・第二幕「援軍」その2(前)
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<O-277(紀元前499/8)年><冬><ラコニア(薩摩)地方><ギュティオン(加世田)の港にて>
――デロス(宗像)島での神事を済ませた私たちが乗る船は、エーゲ海を順調に渡り終えてヘラス(大和)本土に至ると、ペロポネソス(九州)半島の南端に突き出すマレア(天狗鼻)岬を回ってラコニア(薩摩)湾に入った。ここはもうスパルタ(鹿児島)市の縄張りであり、彼らの指示に従ってギュテイオン(加世田)という港に錨を下ろした。
地元の者が言うには、スパルタ(鹿児島)の町まではここから歩いて二日はかかるらしいのだけれど、スパルタ(鹿児島)市は外人が国内を自由にうろつくのを嫌うため、我々もこの地を訪れた理由を告げ、正式な通行許可を申請することにした。
ところでこの国のことは、ミレトス(柔①)を船出する前に、あの歴史家の先生から散々聞かされた上に、船の中でも読めと彼の研究書を二三渡されたので、私もそこそこ詳しいのだけれど。――
ヘカタイオス著『ラコニア(薩摩)人』より
『ラコニア(薩摩)地方はヘラス(大和)本土の最南端にあり、険しい山脈に東西を挟まれた南北に細長い谷間沿いの肥沃な平野を擁している。この地方の全てを領土とするスパルタ(鹿児島)市の本拠地はこの谷間平野の奥のほうにあり、最寄りの南の海岸からでも急ぎ足で丸一日はかかる距離にある。
このスパルタ(鹿児島)市は別名・薩摩隼人とも呼ばれるが、彼らはヘラス(大和)本土で最大最強の市とされており、ラコニア(薩摩)地方のみならず、山脈を越えた西隣りのメッセニア(大隅)地方をも支配している。さらには、広大なペロポネソス(九州)半島に数多ある市のほとんどをも同盟という形で傘下に加えており、これを「薩摩隼人とその同盟国」、もしくは「ペロポネソス(九州)同盟」と呼ぶ。
しかしながら、スパルタ(鹿児島)市は他所の市との交流をあまり好まない。彼らは伝統的に尚武の気風を培う独特なリュクルゴス式教育を市民に徹底して施しているため、ラコニア(薩摩)の人々が他所者と交流してそれを乱されるのを警戒しているのだ。彼らは、国内に貧富の差が広まらないよう金貨と銀貨を無効にし、その代わりとしてわざわざ使いにくい鉄の串を通貨として流通させているが、これは外人を遠ざけるのにも大いに役立っている。なぜなら、この鉄の貨幣は無駄に重くて大きくて、しかもわざともろくなるよう加工されているため、貯蓄するにも不便過ぎて誰も欲しがらないからだ。おかげで、外国の船はこの国の港に寄り付かなくなり、流れの音楽家や学者や職人もこの地は敬遠し、旅の占い師や遊女ですらここには足を踏み入れようとしないほどである。
こうした環境で生れ育つスパルタ(鹿児島)人は、虚飾を嫌って素朴を愛し、忍耐と節制を何より尊ぶ。そういう意味では、「華奢を好み」「軽薄かつ軟弱」などと揶揄されることもある我らイオニア(柔)人とは真逆の人々であるといえよう。……』
――それはともかく、ほどなくして通行の許可も得られたため、私たちはグズグズせずにスパルタ(鹿児島)へ向かおうとしたのだけれど、このギュティオン(加世田)の港の者が案内役も兼ねて一緒に連れて行ってくれることになった。ここからスパルタ(鹿児島)の町まではエウロタス(川内)川沿いのほぼ平らな道を進むだけらしく、私と姉巫女だけは馬が曵く荷車に乗せてもらえた。おかげで、私たち二人は過ぎ行く景色をのんびり楽しみながら目的地へ向かうことが出来たし、車に同乗した案内役とは道すがら、あれやこれやと長話をして地元の貴重な情報を得ることも出来た。
ちなみに、この案内役はスパルタ(鹿児島)市民ではなく、この国で二級市民扱いの「周辺民」と呼ばれている者であったのだけれど、そのせいもあってか彼はラコニア(薩摩)人にしてはとても気さくで穏やかな印象だった。彼曰く周辺民の男はだいたいこんな感じらしいのだけれど。――
案内役の周辺民
「お二人さん、ラコニア(薩摩)は初めてとね? おいはイオニア(浦上)に行ったこつは無かけど、ここも悪くは無かでしょう? あん左手に聳えとるんがタユゲトス(霧島)山、そいで右手に見えるんがパルノン(紫尾)山。こげん美しか山々に囲まれ、その間を北からまっすぐ南へ流れとるんがエウロタス(川内)川、この川は夏でも豊かに流れて平野ば潤して行くと。そいで、そのまま眩しか南の海に向かって開けとるけん、こん地方はどこもかしこも日当り良好で温いったいね」
姉巫女
「本なこつ、今は真冬の最中ばってんが、凍える感じや無かですもんね」
案内役の周辺民
「おおっ、お姉さんこっちの言葉わかるとね?」
姉巫女
「いえいえそんな、ディデュマ(浦神)で聞きかじったドーリス(剛)言葉ですけん、こちらで通じるかは自信無かとです」
案内役の周辺民
「そうねそうね、そいは嬉しかね。ドーリス(剛)族の方言に大した違いはなかけん、十分通じるったい、もっと遠慮せずに使ってくれんね」
姉巫女
「クスクス、さればお言葉に甘えて。それにしても、ラコニア(薩摩)の人はドーリス(剛)族の中でも独特で、様子もかなり違うと聞かされておりましたが、あなたにせよ、こちらの空気にせよ、ずいぶん穏やかな感じなのですね」
案内役の周辺民
「もしかして『鬼の住処』とでも聞かされて来たとね? そぎゃんしょーも無か噂より、おのが眼ば信じるが良かよ」
主役-アリスタゴラス
「アハハハ、さすがに『鬼の住処』とまでは聞いていないのだけれど。でも実際、この近くには『地獄への入口』があるとは聞いたのだけれど?」
案内役の周辺民
「あ~、たしかにタイナロン(坊ノ)の岬には冥界への入口とされる洞窟があるばってんが、それを言うならアッティカ(長州)のエレウシス(上関)にも地下への入口があるち聞くばい?
まあ、お二人が言わんとしてることは解ります。たしかにこん車の上には穏やかな空気が流れとるばってんが、そいはこの自然の景色だけかもしれん。なにせ、ここは無く子も黙る薩摩隼人の本拠地ですからね。実際のところ刃傷沙汰は日常茶飯事で、スパルタ(鹿児島)市民が隷属民どもを殺すのは合法ときてる。いやむしろ市から推奨されてるくらいですから、あなた方もくれぐれも隷属民どもと間違われるような格好や振る舞いは、ほんの冗談でも止めたほうが良かですよ」
主役-アリスタゴラス
「おいおい、地元民が噂に自ら尾ひれをつけて、あんまり旅人を怖がらせるもんじゃないな。せっかくこっちは新婚旅行の気分でいるというのに」
案内役の周辺民
「おおっ、やっぱりお二人さんはそういう仲たいね、これはこれは気が利かんこつで。
でもまあ、あなた方はイオニア(浦上)から来られた外交使節で、そん外交使節ば傷つけたとあっては市の沽券に関わりますけん、よほどのことば仕出かさん限り、あなた方が害されることも無かでしょう、ですからご安心を」
主役-アリスタゴラス
「いやいや、それは別に当たり前のことだろう? 我々は別に敵対しているわけでも、宣戦布告をしに来たわけでもないのだから。もし君らに襲われたとしても、全く意味がわからないよ」
案内役の周辺民
「いえいえ、それがそうでも無かとです。こん国はある意味、常に内乱状態にあるようなもんですけん。スパルタ(鹿児島)市には監督官ってのが五人ばかし居るとばってんが、彼らは一年任期で、毎年市民総会の選挙で選ばれるとばってんが、その就任式ではまず国内の隷属民たちに宣戦布告ばするんを慣習にしてるとです。こんため、市民が隷属民ば殺すんは違法じゃ無かし、逆に隷属民のほうも命がけで歯向こうてきよるとゆうわけで、連中があなた方のような外人も見境なく襲ったり人質にしたりするってことなら、あり得ん話じゃ無かとです。もちろんそげなこつになったら、こっちの責任問題で、こっちの首が飛んでしまいますけん、全力でお守りばいたしますばってんが」
主役-アリスタゴラス
「やれやれ、君の発言はどこまでが本当か今一よくわからないな」
案内役の周辺民
「冗談では無かですよ? こっちは死ぬ気で身体ば張りますんで、あなた方はどうか大人しかふるまいで無事のままスパルタ(鹿児島)にご到着ばいただきたいと、かように願う次第であります」
主役-アリスタゴラス
「それはどうもありがとう、ではこちらも気をつけることにするよ。まあその件は了承したとして、ところで、君たち周辺民には不満の声はないのかい? 君たちはいわば在留外人のような扱いだと思うのだけれど、スパルタ(鹿児島)の市民権なしで、ここで幸せに暮らせているのかい?」
案内役の周辺民
「おっと、旦那、それはどういう意味で? スパルタ(鹿児島)人をどう思うとるかちゅう話で? いやいや、止めてくださいよ、そげな危なか話。こっちは平和に暮らしとるけん、なにごとも穏便なのが一番ですよ。そりゃあ、こっちも隷属民どものような酷か扱いばされとるゆうんなら、連中と組んででも死ぬ覚悟で反乱でん起こしてやろうかち思うかもしれんですが、さすがにそこまでの不満は無かですよ。
おっと、この手の話はこの辺にしときませんね。人の噂は手に負えんばい、なんがどう間違うて伝わるか解ったもんじゃ無かし……」
――ところで、ヘラス(大和)世界で最大最強と言われるスパルタ(鹿児島)市の領土内に暮らす者で、その市民権を持つ者に限ればわずか八千人ぐらいしか居ないらしい。彼らはこの意外なほど少ない人数でラコニア(薩摩)地方はおろかメッセニア(大隅)地方やキュヌリア(芦北)地方、キュテラ(種子)島などにまで領土を広げ、大量の隷属民を支配しているというのはかなり危ういような気もする――おそらく市民の人口の数十倍はいるだろう――のだけれど、その支配領土の全てが彼らの直轄領という訳ではなく、そのあちこちには半ば独立した町や集落があってスパルタ(鹿児島)市はそれらを従属的な同盟者として吸収することによって、これほどの広い縄張りを維持しているようだ。
それら「従属的な同盟者」はすでに述べたとおり「周辺民」と呼ばれており、彼らはスパルタ(鹿児島)市の政治運営に参加することは許されていないのだけれど、そのかわりそれ以外の自由はかなり与えられているらしい。その各々の町や集落の自治は基本的に許されているし、個々人の職業の自由などもおおむね認められているそうだ。
逆にスパルタ(鹿児島)市民は、スパルタ(鹿児島)市民であること以外のことをするのを固く禁じられている。例えば、彼らは商売人になってはいけないし、工芸品を作るような職人になってもいけない。画家や彫刻家になってはならないし、ましてや自堕落な生活を送るのはもってのほかである。それらの一般的な職業は全て周辺民どもに任せ、また直轄領の田畑の農作業などは隷属民どもにやらせ、自らはひたすら軍事に関わることにのみ時間を費やし、それを怠った者には厳しい罰則が待っている。
そういう意味では、彼らは自由身分の支配者でありながら周辺民よりも自由が無いように思えてくるのだけれど、長年の慣習により、彼ら自身はそれに疑問を抱いたりはしないようだ。生まれつきの慣習というのは、衣服のように簡単に脱いだり着替えたりできるものではないらしい。――
主役-アリスタゴラス
「そうか、たしかにそれは答えづらいことだったかもしれない。悪かった、では別の質問をさせてくれ。私たちはこれからスパルタ(鹿児島)市の主立った面々に会いに行くのだけれど、彼らは言葉数が極端に少ないため、あまり会話が弾まないとよく聞く。ではどうすれば、彼らとの会話を弾ませることが出来るだろうか、そして彼らはどのようにすれば友好的に接してくれるだろうか。周辺民の君たちならば当然それを知っているだろう? 良ければそのコツを教えてくれないかな」
案内役の周辺民
「――さて、それはどげんですやろか、やはり怖がりすぎないってのが肝要じゃなかですかね。たしかに言葉数は少ないばってんが、彼らだって人間ばい。気の良か奴は好かれるし、そうじゃなか奴は嫌われる。あまり考えすぎんと、懐に飛び込んでしまえばなんも問題無かとやなかですやろか……」
主役-アリスタゴラス
「う~ん、それはずいぶんぼやけた助言だな。私もここに来る前に色々と聞いてはきたのだけれど、スパルタ(鹿児島)人は戦争訓練の一環と称して市民同士でも嘘と詐欺を奨励し、相手をいかに出し抜くかということを日々鍛えていると聞いたのだが?」
案内役の周辺民
「――さて、その辺りはどげんですやろか。たしかに、彼ら同士ではそげなこつをしょっちゅうやり合うてる面もあるとは思うとばってんが、あなた方のような旅人や客人にまできつか当りはせんち思うとばってんが……」
主役-アリスタゴラス
「? 先ほどから、ずいぶん歯切れが悪くなったように思えるのだけれど、もっと具体的な話をしてくれないだろうか。それとも適当なことを言って、この私を嵌めようとでもしているのかね?」
案内役の周辺民
「いえいえ滅相も無い、そげなこつは決して無かですよ」
主役-アリスタゴラス
「そうかな? そもそもこの話題は別に、スパルタ(鹿児島)人を恐れて誤摩化すような話でもあるまい。私は君に、彼らの弱みを教えろと言っているのではないのだから。ただ彼らと友好関係を築くにはどうしたら良いか、の助言を求めているに過ぎないのだから。だとすれば、君の助言はスパルタ(鹿児島)市にとって利益になることはあっても、憚られることでは全くないだろう」
案内役の周辺民
「まあ、そうは言っても、先ほども述べたとおり、人ん噂はどう伝わるか解ったもんじゃ無かですし、微妙なお話はご勘弁いただけるとありがたかです」
主役-アリスタゴラス
「――なるほど。では少し小声で申し訳ないのだけれど、さて、これは全くの余談なのだけれど、私は交渉相手に渡すための高価な贈り物の数々をイオニア(浦上)から持参してきているのだけれど、足りないといけないのでかなり余分に用意してきたし、また私たちが乗って来た船には十タラントンを超える現金も置いてきている。もしも仮に、君の助言によって今回の交渉が上手くいったならば、その当然の報酬として、ギュティオン(加世田)の港に戻った時、君の懐にはそれらの贈り物や現金がたっぷりと放り込まれていることだろう」
案内役の周辺民
「……」
主役-アリスタゴラス
「これは、そのとりあえずの前金だ。いやいや、つまらない端金ではあるのだけれど、君へのせめてものお礼の証しとして――」
案内役の周辺民
「……なるほど、おいの助言でスパルタ(鹿児島)市のためにもなるち言われたら、無下に拒むわけにもいきもはんな。
では、真剣な助言ば一つ、彼らはなんだかんだゆうても、生粋の武士たいね。戦いで活躍し、戦場で無駄死にせんためには心ん底から信用できる仲間がいなくてははじまらない。安心して背中ば任せらるる友を何より欲しとる。それやけん、日常的に嘘や詐欺ばやり合うてはいても、その一方で心の底から信頼に足る相手ば探してもいる。やけん、自分は信用できる人間やち、男気あふるる信頼に足る人間やち、向こうに一旦思わせてしまえば、その先はとても親身に友好的に接してくるるというわけたいね。――ミレトス(柔①)の旦那、この件に関しておいの口から言えるとはこの程度です」
主役-アリスタゴラス
「おお、さすがは日常的に彼らと接しているだけのことはある。これはとても良い助言をいただけた。なるほどなるほど、まずは男気を見せて相手を信用させろ、と。フフフ、これで少しは自信がでてきたぞ」
姉巫女
「クスクスクス、それは本当ですか? あの薩摩隼人が認めるほどの男気を、こなた様が持ち合わせているように思えませぬが?」
主役-アリスタゴラス
「いやいや、君は私を過小評価し過ぎです。それは君の前では柔らかい姿しか見せていないから無理からぬ面もあるとは思うのだけれど、私はやるときはやる男なのだから。それを証拠に、ミレトス(柔①)とイオニア(浦上)を決起させて、あのペルシャ帝国に喧嘩を売った男なのだから」
姉巫女
「ええ、そうでした。アリスタゴラスさまは、いざという時には決して逃げないお方です。されど、初対面の方にもそれを感じ取っていただけるものかどうか」
主役-アリスタゴラス
「なるほど、たしかに初対面での印象はそれほど強いほうでは無いですからね、私は。女にはそこそこモテるほうだとは思うのだけれど、男に一目惚れされたことはほとんど無いかもしれないし――う〜ん、これはちょっと心配になってきたな、彼らの目に、私はどう映るのだろう?」
姉巫女
「されば、こちらの彼に尋ねてみられたらよろしいのでは」
主役-アリスタゴラス
「おお、そういえば! ラコニア(薩摩)人の目に、私はどう映る?」
案内役の周辺民
「う~ん、それはご勘弁を。おいの口からは、なんとも」
主役-アリスタゴラス
「いやいや、なぜ口を濁す?」
姉巫女
「クスクスクス、どうやらスパルタ(鹿児島)に着く前に、もっと男らしい振舞を身につけねばならないようですね」
主役-アリスタゴラス
「え~、今さらかい? しかもこんな直前で? 子供じゃないんだから、四十超えのおっさんがいきなり変えられないですよ〜」
案内役の周辺民
「あのー、ミレトス(柔①)の旦那、多分それです。その間髪入れずしゃべるのを止めて、せめてもっと重々しくゆっくりしゃべれば、だいぶマシになるんじゃなかかと、おいは思いますよ」
主役-アリスタゴラス
「おっおう、そうか、そういうものなのか……」
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※ 文中に出て来る古代ギリシャの地名に日本の地名等を併記させていますが、これは古代ギリシャの地名に馴染みがない方向けに日本の似ていると思われる地名等を添付してみただけのもの(例:「アテナイ(山口)市」「スパルタ(鹿児島)市」など)ですので、それが必要ない方は無視していただいて問題ありません。