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『O-276. 浦上-イオニアの反乱劇(アリスタゴラスの煩悶)』  作者: 誘凪追々(いざなぎおいおい)
▶第一幕(02/12)「発端」
3/27

・第一幕「発端」その3



<O-276(紀元前500/499)年><冬><ミレトス(柔①)市><アリスタゴラスの自宅にて>



 私が住む家は小高い丘の上のほうにあり、日当りの良い庭や部屋の窓からは青い海と美しい港が見下ろせる。十年近く連れ添った妻を病いで亡くしたため、今は独り身で気ままに暮らしているのだけれど、その替わり男どもは良く訪ねてくるようになった。というのも、ポリスの政務は集広場アゴラのほうにある市役所で執るのが通常なのだけれど、我が一味による内々の相談事は一般の市民に知れては都合が悪いことも少なく無いため、私の家に集うのがちょうど便利らしい。

 ちなみに『我が一味』というのは、私の弟や友人、仲間たちのことであり、ミレトス(柔①)市の主要な役職は彼らに割り振ることによって、私の権力は維持される形になっている。もちろん私の権力といっても、それはスーサの都に去って今は不在のヒスティアイオスの叔父貴の代理人としてのそれに過ぎないのだけれど。



    一味a-ヘルモパントス

「なあ、アリスタゴラスよ、一つ質問があるんだが、叔父貴はいつになったら解放されるんだ? それとも死ぬまでペルシャ人の都で飼い殺されるのか?」

    主役-アリスタゴラス

「さぁ、それはなんとも言えないですね~。でも少なくとも、大王ダレイオスが健在の間は無理なんじゃないかな」

    弟-カロピノス

「あ、兄じゃぐ、軍船の準備はだ、だいたい終った」

    主役-アリスタゴラス

「おお、ご苦労さん、あとは乗船させる人員の名簿だな。それはこっちでやっとくから、お前はもう休みな」

    一味a-ヘルモパントス

「あの大王って、今何才なんだ? 六十ぐらいだっけか?」

    主役-アリスタゴラス

「ああ、たしかそのくらいです。でも年の割には元気そうだったけれど」

    弟-カロピノス

「あ、兄じゃお、おでもな、なんか手伝う」

    主役-アリスタゴラス

「おお、そうか? だったらこの書類、整理しといてくれるか?」

    一味a-ヘルモパントス

「なんか冷たいな、アリスタゴラスよ。あんたは、叔父貴に会って来たんだ。愚痴の一つでも聞いてきたんだろう、もっと聞かせてくれよ」

    主役-アリスタゴラス

「そんなことないでしょ? 叔父貴の土産話は散々ぱらしたじゃないですか。それより手があいてるなら手伝って下さいよ、まだやること山積みなんだから」

    歴史家-ヘカタイオス

「たしかに、おぬしは最近浮ついておる」

    主役-アリスタゴラス

「えー、なんですかーそれ? 私はいつも通りですよー、こうやって真面目に政務をこなしてるじゃないですかー」

    歴史家-ヘカタイオス

「その間の抜けた語尾はやめよ、気が緩んどる証拠じゃ」

    主役-アリスタゴラス

「フフフ、冗談ですよ冗談。相変わらず先生はお固いなぁ~」

    歴史家-ヘカタイオス

「真面目に聞け、ヒスティアイオスの代理者よ。おぬしはエーゲ海の島々に手を出すべく、ナクソス(上対馬)市からの亡命者を受け入れた。ここまではまぁ良いとしよう、しかしそこから先が悪い。島を攻めるのに、自力ではなく他力を使って事を成そうとしておる、しかもあのペルシャ人の力を使ってじゃ」

    主役-アリスタゴラス

「ちょっと待ってくださいよ、先生。その件については、私が独断でそうしたわけではなくて、みんなに相談してみんなで出した結論ではないですか。先生は反対意見でしたけれど、多数決で賛成に決まったのですから、これは我々の総意です。それにこの案件はヒスティアイオスの叔父貴にも許可と賛同をいただいたのです、ということは問題ないってことですよ」

    歴史家-ヘカタイオス

「おぬしもスーサの都をその目で見て来たのなら、ペルシャ帝国の圧倒的な巨大さは嫌でも痛感したはずじゃ。おぬしはペルシャ軍をうまく操れると思い込んでおるが、ネズミが巨大な象を自在に動かせると勘違いしておるのとどこが違うのか?」

    主役-アリスタゴラス

「そうは言っても、私は実際に大王ダレイオスや総督アルタプレネスに会って彼らと交渉し、そして彼らを頷かせることに成功したのです。どうやら我々の弁論術は異民族に良く効くらしいですよ、特にペルシャ人は文字すらまともに使わない民族ですからね。それを証拠に、ヒスティアイオスの叔父貴だって異民族出身にも関わらず、大王の側近として重用されているじゃないですか。

 ご存知です? ペルシャ人は子供にただ三つのことだけを教えるらしいって、乗馬と弓矢と正直の三つ、つまりこれ単細胞の脳筋ばかりを育てているようなものですよね。彼らの間で最も恥ずべき事は嘘をつくことだそうですが、そんなウブい人々なら市場のそこいらの魚屋にすら簡単に騙されますよ。連中の口車にあっさり乗せられ、腐りかけの魚介類とかみえみえの高い値段で買わされる良いお客さんというわけです。

 いや解ってますよ、もちろん何事も侮るのはよろしくない、過度の自惚れがおのれの破滅をもたらすのは重々承知しています。けれど、おのれの力量を過度に低く見積もるのもまた、同じように愚かしい行いではないでしょうか」

    歴史家-ヘカタイオス

「やれやれ、相変わらず口の減らない男じゃな」

    主役-アリスタゴラス

「先生、どうかご心配なく、私の座右の銘は『舌が心よりも先立たないこと』です。この賢者・キロンの戒めを忘れないかぎり、我々はたとえ巨大なペルシャ帝国といえど、うまく操縦することが出来るでしょう。そしてまた、先生に子供の頃から教わっている過去の歴史の数々、どのような国が栄えどのような国が滅んでいったか、どのような人が成功しどのような人が失敗していったか、それらを反省材料にしつつ事を正しく判断していけば、我々は失敗への道を回避しつつ成功の歴史を後世に残すことが出来ましょう」

    一味a-ヘルモパントス

「ハハハハ、こいつの前だと歴史家の先生も形無しですな、油に浸した車のように頭も口も良く回る。まぁ奴の言うこともあながち間違ってるってわけじゃない、ペルシャ人の力を使ってエーゲ海の島々にまで力を拡げられるってんなら、こっちとしてもなかなか結構な話だ」

    主役-アリスタゴラス

「ですよねー」

    歴史家-ヘカタイオス

「やれやれ、誰が『舌が心よりも先立たないこと』を戒めにしてるじゃ。どう考えても逆になっておろうが」

    主役-アリスタゴラス

「そんなことありませんってー」

    使用人

「アリスタゴラスさま、お客人が見えられました」

    アリ

「ん? 誰だ?」

    使用人

「御婦人です」

    主役-アリスタゴラス

「名前は?」

    使用人

「薄紫と名乗られました」

    主役-アリスタゴラス

「! すぐにお通しせよ、奥の部屋だ」

    使用人

「かしこまりました」

    一味a-ヘルモパントス

「おいおい、アリスタゴラス、まだ仕事の途中じゃないのか?」

    主役-アリスタゴラス

「今終りました、というわけで今日はお開きです、また明日」

    一味a-ヘルモパントス

「ったくお前って奴は」



<O-276(紀元前500/499)年><冬><ミレトス(柔①)市><アリスタゴラスの自宅にて>



    姉巫女あねみこ

「夜分遅くにすみません、アリスタゴラスさま」

    主役-アリスタゴラス

「いえいえ、まったく問題ないですよ、むしろ暇を持て余していたのだから。それよりどうかしましたか?」

    姉巫女

「ふと、お顔が見たくなってしまいまして」

    主役-アリスタゴラス

「おお、それなら致し方ない、私も全く同じ気持ちなのだから」

    姉巫女

「それに、こないだの逢瀬だけでは話し足りなかったのです」

    主役-アリスタゴラス

「なるほど、それなら致し方ありませんね、私も全く同じ気持ちだったのですから」

    姉巫女

「こないだの話の続きを聞かせて下さい、スーサの都に行った時のことを。何かとても重要な話をされてきたはずです」

    主役-アリスタゴラス

「重要な話? それは色々としてきたけれど、どれのことだろう?」

    姉巫女

「ヒスティアイオスさまから、何か頼み事をされたのでは?」

    主役-アリスタゴラス

「頼み事? あ~、もしかしてあれのことかな、叔父貴から預かりものを一つもらってきたのですよ。ちょっと待ってて下さいね」



    主役-アリスタゴラス

「お待たせしました、これを開けてもらえますか?」

    姉巫女

「? これはアジアのかご、ですか?」

    子猫

『ニャー、ニャー、ニャー』

    姉巫女

「まあ! これはもしかして『猫』、ですか?」

    主役-アリスタゴラス

「そうそう、さすがは物知りだね、これはエジプト出身の猫らしい。ほら、こないだ話したように、叔父貴は家に『長女』って呼んでる少女を養っているのだけれど、その子はエジプト出身で黒髪長身の娘なんだけれど、連れて来た当初は故郷を思い出してよく泣いていたものだから、叔父貴が哀れんで猫をわざわざエジプトから取り寄せたんだとか。猫はエジプト人がやたら可愛がる愛玩ペットとして有名だしね。

 それでその取り寄せた猫が最近子猫をたくさん産んだものだから、お前も一匹もってけって話になりましてね。『ただし、絶対ぇ他の奴にやるんじゃねぇぞ、お前さんが責任持って死ぬまで飼え。そんで、この猫が鳴くたび俺のことを思い出すんだ』って言うんだよ、困った話でしょ? 恋人じゃないんだから、そんなしょっちゅう叔父貴の顔を思い出したくはないよ。それだから、もしも君が気に入ったのなら、この猫をお譲りしてもいい」

    姉巫女

「それは……」

    子猫

『ニャー、ニャー、ニャー』

    姉巫女

「あらあら、御澄まし顔で可愛らしい。餌とかは何を食べるのかしら?」

    主役-アリスタゴラス

「人の食べ物と同じで良いらしいよ。ただし、『三女』のインド娘に注意されたのだけれど、あっ、この『三女』っていうのも例の使用人メイド三姉妹の一人で銀髪黒肌でインド出身らしいのだけれど、『その子猫は僕のお母さんかもしれないから、大事に取り扱ってあげて欲しいな』とのことですよ」

    姉巫女

「お母さん?」

    主役-アリスタゴラス

「そう、彼女いわく『死んだ人の魂は別の生き物に生まれ変わる』んだとさ」

    姉巫女

「それは、ピュタゴラスが唱えていた説に似ていますね。あの方もサモス(浦島)島でピュタゴラスとして産まれる前は何度も別の人に生まれ変わって、その時の記憶も全て覚えていたと耳にしたことがあります」

    主役-アリスタゴラス

「そうそう、私もそれを思ったよ、今はイタリアのとある町に暮らしているというピュタゴラス、彼は町で犬が蹴られているのを見て『それは私の友達だから止めたまえ』と言ったとか言わなかったとか、いわゆる輪廻転生の説だね。ちょっと違うのは、そのインド娘が言うに『前世で良いことをすれば今世で幸せな生活を送ることができるが、悪いことをすれば来世でとても不幸な境遇となり、もっと酷ければ犬や猫などの畜生に生まれ変わるからせいぜい気をつけなさい』とかいう話で、どうやらインドでは善悪が大きく影響するらしく、だから悪い事をしてはいけないっていう道徳論込みの説になっているみたいだね。そういう意味ではオルフェウス教の考えに近いのかな。まぁいずれにせよ、彼女はこの猫が自分の母親かもしれないと本気で疑っているという訳だね」

    姉巫女

「――つまりその子は、自分の母親が生前とても悪い人だったと考えているという訳ですか?」

    主役-アリスタゴラス

「なるほど、たしかにそういうことになるね。我が娘を虐待し、挙げ句の果てに奴隷に売り払ったのだから、来世で猫になるのも致し方の無いことだっていう理屈かな。でもそうは言っても自分の母親だから、母親が虐待されるのは可哀想に思えるので、せめて優しく飼ってあげて下さいねっていう話になるのかな」

    姉巫女

「――そのような哀しい話を聞いてしまうと、このまま飼わずに逃してあげたほうが良いように思えてしまいますが……」

    主役-アリスタゴラス

「フフフ、姉巫女は優しいね。でも猫にとっては野良になるほうが危険で辛いんじゃないかな。それに遠い異国の小娘の言う事だから話半分程度に聞いておけばいいと思いますよ。自分が奴隷にされたっていう今の不幸な境遇を耐えるには、少しでも良いことをしてせめて来世には幸せな境遇に生まれ変わりたいっていうはかない願望の発露なのかもしれないし、そもそもがそのインド娘の母親が死んでいるかどうかも不明らしいのだから。それに不自由な身分とはいえ、叔父貴に拾われて実の娘のように可愛がられているのだから、まんざら今が悪い境遇でも無いはずで。なにしろ、単なる使用人のため遥か遠くの国から愛玩ペットを取り寄せてやるほどなのだから、そんなのなかなか無いでしょう?」

    姉巫女

「……アリスタゴラスさまは賢者・キロンの言葉を忘れておいでのようですね。『不運な人を笑わないこと』、先ほどからその少女やヒスティアイオスさまに対する言動は、いささか同情に欠けるように聞えます。異国の少女に『長女』や『次女』という名前をつけて呼び、彼女たちが泣けば猫を取り寄せて慰めてあげる。そしてこなた様が会いにくれば子猫を託して自分のことを思い出して欲しいとお願いする。それはとても哀れを催す話ではございませんか。ヒスティアイオスさまがとても元気にされていると申しておられましたが、それは表向きにはそのように振る舞われましょう。けれど裏ではそのようにして少しでも寂しさを紛らわせておいでに違いありませぬ。きっとこなた様がスーサの都にまで会いにきてくれたということも、顔には出さずともどれだけ嬉しく思われていたことか。言葉の端々に弱音の一つや二つきっと洩らしておられたはずです。それを汲み取ってあげられないのでは、薄情との誹りを被っても反論できませぬよ」

    主役-アリスタゴラス

「……参ったな、確かに君の言う通りです。私は君と暗い話などしたくはないものだから、どうしても人の不運な話でも同情に欠けるような冷たい感じで話してしまっていたのは否めないところで。本当に私は仕方のない男です、一味の連中にも未だに軽んじられることが多いのはきっとこういうところなんだろうな。いや申し訳ない、君に不快感を与えてしまって、そしてありがとう、私の悪いところを正直に指摘してくれて。そう、『不運な人を笑わないこと』、これは人としてとても大事なことだと思う、この年になっても反省しきりだ」

    姉巫女

「そんな、こちらのほうこそ身の程をわきまえず、おのれに至らない所が多々あるにも関わらず、こなた様のことばかりを厳しく突いてしまったことをお許し下さい」

    主役-アリスタゴラス

「いや、君は悪く無い、君は謝らないでくれ、それにせっかくの反省の機会を無駄にしたくはないのだから。――私としては、君の指摘をもとに、叔父貴の言動を再検討してみようと思う。たしかに叔父貴の言葉の端々には弱音のようなものが散見されていた。私は叔父貴の境遇を、もうどうにもならない運命なのだから、それらの弱音もなるべく聞き流すようにしていたのです。だってもう本当にどうしようも無いことだからね。――例えば、叔父貴はこんなことを冗談めかして言っていたな、『こっちの暮らしにはいい加減慣れたが、夏の酷ぇ暑さと半端ねぇ砂埃だけは未だに勘弁してもらいてぇんだがな』、実際スーサの夏はかなり暑いらしいしアジアの乾燥地帯の砂埃も息ができないほど乾いていたのだけれど、この言葉の裏にはもしかすると、たまには故郷の海に浸かってゆっくり涼みたいというような願望を潜ませていたのかもしれないね」

    姉巫女

「あちらの近くには、海が無いのですか?」

    主役-アリスタゴラス

「一応、向こうのほうにも『紅海』と呼ばれている海があるらしいのだけれど、残念ながら叔父貴に移動の自由はほぼ無いからね、行けたとしてもごくごくたまに許されるかどうかではないかな、大王の付き添いとしてとかね」

    姉巫女

「そうですか、たしかヒスティアイオスさまは、とても船がお好きで、良く海に乗り出して行かれておいででしたね。あの海好きなお方が、海の傍で生まれ、海に親しみつつ育ったお方が、海から遠く遠く遠ざけられるのは、何より御辛いことかもしれませんね」

    主役-アリスタゴラス

「なるほど……そうだね、叔父貴がスーサの都に連れて行かれてから早十一年か。大王ダレイオスのすぐ傍に留めおかれ、『大王の側近』と言えば聞えは良いが、実質的には軟禁されているようなもの。……君と湿った話をしても仕方無いから誤摩化していたのだけれど、実のところ、あのダンディーで恰好よかった叔父貴も、さすがに少し老け込んでおられたのは否めなくてね。目の輝きはまだ失われていないようにお見受けしたが、それが却って哀れに思えてね。

 そして、そろそろ立ち去ろうとした私にこう言うのです、『アリスタゴラスよ、故郷の空はどんな色をしていたか? 故郷の海はどんな匂いをしていたか?』とね。生まれ育った景色も十年が経つとさすがに忘れてしまったそうで。叔父貴は強気な人だから、弱音は滅多に吐かない人だと記憶していたのだけれど、今回会った叔父貴は妙に弱気にみえて意外だった、話しの端々に愚痴を絡めてくる感じだった。そして私にこう言うのだ、『アリスタゴラスよ、俺は死ぬまでに、ほんのちょっとでいいから故郷に戻りたい。イオニア(浦上)の空と海の匂いを胸一杯に嗅ぎたい』ってね、泣けてくるだろう?

 そして、これは絶対に私だけの秘密にしておくべきだと固く思っていたのだけれど、君にだけは洩らそう、叔父貴は最後にこう言った」



    叔父貴-ヒスティアイオス

『アリスタゴラスよ、良い策を思いついたんでぜひ実行してくれ。俺が故郷に帰るため、イオニア(浦上)でどでかい騒乱を起こすんだ! そうすりゃあ大王は問題解決のため、この俺を頼って現地に向わせるしかなくなる。いいか、これは命令だ、絶対に実行しろ!』



    姉巫女

「大きな騒乱、……そうですか、あのヒスティアイオス様が」

    主役-アリスタゴラス

「そう、あの天下の叔父貴が。耄碌したと言っては失礼になるけれど、やはりお年を召されたことは否めないと思ったよ。ペルシャ帝国の支配地でどでかい騒乱を起こせだなんて、下手をすれば、いや下手をしなくても町を全て灰にされかねないほどの危険な火遊びにしかならないのだから。ありえないだろう?」

    姉巫女

「……けれど、それがヒスティアイオスさまのたっての願いとあらば、なんとか叶えてさしあげられませぬか? 微力ながら、この身も後押しすることにやぶさかではありませぬし」

    主役-アリスタゴラス

「? それは本気かい? なぜ君がそれほどまでに叔父貴のことを気にかける? 私にとっては近親者であるけれど、君にとっては顔見知り程度でしかないと思うのだけれど?」

    姉巫女

「ヒスティアイオスさまには、この身がまだ若い頃から数々の恩がございます。ディデュマ(浦神)で巫女が失踪して大騒ぎになった時、事態が収束するように取りはからっていただきましたし、数々の奉納物や神殿の増改築も請け負っていただきました」

    主役-アリスタゴラス

「――こう言ってはなんなのだけれど、その程度のことで滅亡覚悟に騒乱を起こすことを後押しするというのは、事の重大さに全く釣り合っていないように私には思えるのだけれど? なにしろ叔父貴の狙いは自分が故郷に帰れるようにすることなのだから、そのためにはこのミレトス(柔①)市やイオニア(浦上)地方でかなり大きな騒動を起さなければならないわけで、それは少なくともペルシャの大王ダレイオスが現地に詳しい叔父貴の力を是が非でも必要として、叔父貴をこっちの解決に赴かせる気にさせるぐらいのとても大きな騒動なのだから」

    姉巫女

「……それほどの大きな騒動と言えば、ペルシャ帝国からの独立を目指す、いわゆる『反乱戦争』ということになりましょうや?」

    主役-アリスタゴラス

「まあ、そうなるよね。例えば自由と独立を旗印に掲げて、出来ればイオニア(浦上)中の諸市を巻き込んで皆で独立戦争に立ち上がり、少なくとも向こう数年に渡ってペルシャ軍と戦い続け、しかも敵を退け続けること。そうすれば、叔父貴が活躍する場面も出て来る可能性が出て来るんじゃないかな。いや、それだけやっても叔父貴がこっちに戻されるかどうかなんてのは大王の考え一つでそうならない可能性だって低くないだろうし、だとすればとんだ無駄骨になるわけで、ほんとこれはとんでもない話だよね。

 だいたいそんなことになれば、君たちのディデュマ(浦神)だって不可侵の神域だからといって安全が保たれるとは限らず、とばっちりを受けてとんでもないことになるのかもしれないのだから」

    姉巫女

「……自由と独立、とても素晴らしい旗印ではないですか。このイオニア(浦上)地方に住むほとんどの人々が心の中ではいつもいつも亡き母親を慕うかのごとく繰り返し繰り返し考え続けていること。ペルシャ人の鎖をはね除け、イオニア(浦上)に自由と独立を! 俘虜とりこにされている全てのヘラス(大和)民族に自由と独立を!」

    主役-アリスタゴラス

「……」



 実のところ、昔から私と姉巫女は二人きりで会うたびに、いかにしてペルシャ帝国から独立するかという話をよくしていた。もちろんそんなことはとてもじゃないが不可能だと解っているから、お互い冗談めかして架空の物語を言い合うような感じで密やかに楽しんでいたというに過ぎないのだけれど。


 そしてついこないだ会った時にも、そのような話をしていたのだけれど……



<回想><ディデュマ(浦神)><神殿の離れにて>



    主役-アリスタゴラス

「フフフ、それじゃあいつものように、どのようにすれば我々はペルシャ帝国から独立できるか、それを話し合いますか?」

    姉巫女

「またですか? 仕方ありませんね、おつきあいいたしましょう」

    主役-アリスタゴラス

「ではまず、私のほうから。今回の旅の道中、ペルシャ帝国を倒すための妙案を思いついたので、君に吟味してほしい」

    姉巫女

「この身でよろしければ」

    主役-アリスタゴラス

「コホン、え~、ペルシャ帝国はペルシャ民族が打ち立てた国であり、彼らはその優れた騎馬術と卓越した弓の力でもってあの広大なアジア大陸のほとんどすべてを攻め従えてしまった。特に彼らの最も自慢とする馬の機動力、これがあの広大無辺な領土を今も占領し続けられている最大の要であろう。ならばペルシャ帝国を滅ぼすには、彼らの馬を根こそぎ消してしまえば良い。ならばどうするか? 彼らの馬を全てロバに変えてしまえば良いのだ。天下のペルシャ人も足遅のロバに乗っていては形無しだからね」

    姉巫女

「されど、どうやって馬をロバに変えるのです?」

    主役-アリスタゴラス

「それはとても簡単なこと、馬をロバに変える薬を開発してバラまけば良いのです。こうすればペルシャ帝国ご自慢の騎馬隊は崩壊し、我らの自由と独立も自動的に復活するというわけです」

    姉巫女

「なるほど、ところでその薬は誰が開発するのですか? そのような優れた医者がこの世に存在するのですか?」

    主役-アリスタゴラス

「そこです、この案の唯一の弱点はそのような医者はこの世に存在しないということなのです。そのため、残念ながらこの完璧な案は実行に移せない。やれやれ困ったものだ、なにか他に良い案はないものか」

    姉巫女

「フフフ、ではこういう案はどうでしょう。コホン、え~、ペルシャ帝国がいくら広大無辺であるとはいえ、所詮は人の国、すべては地上にあって、空に浮かんでいるわけではありません。ならば、天に祈り、この地上の全てが水の下に沈むよう、来る日も来る日も雨を降らせて、このイオニア(浦上)以外をきれいさっぱり消し去ってしまえばよいのです」

    主役-アリスタゴラス

「なかなか恐ろしいことを言うね、君は。けれど、ここイオニア(浦上)地方は海に近くてとても低い土地なのです、雨が大量に降れば真先に水の下に沈んでしまうのはむしろここなのではと思うのだけれど?」

    姉巫女

「そこで、巨大な船を予め造っておき、そこにイオニア(浦上)人だけを避難させておくのです。さすれば、雨が止んで水が引いた後、我々は好きな場所に船を着け、そこに自由な町を新たに築けば良いのです」

    主役-アリスタゴラス

「なるほど、ところでそのようなことを行える優れた雨乞い師はこの世に存在するのかな? もしかして君ならば出来るのかい?」

    姉巫女

「そうです、それがこの案の唯一の弱点です。この身にそのような力はありませぬし、知り合いにそのようなことを行える人も残念ながら一人もいないからです。やれやれ困りました、なにか他に良い案をご存知でしょうか」

    主役-アリスタゴラス

「フフフ、ならばこういう案はどうだろう。コホン、え~、かのホメロスや吟遊詩人たちが詠うあの神代の偉大なる半神の英雄たちを、この世に多数降霊させて彼らにペルシャ軍と戦ってもらうのです。神と人との混血で、不死ではないにせよ、究竟なる肉体と、類い稀なる頭脳を持ち合わせ、神々のご寵愛をもいただける彼らならば、あの強大なるペルシャ民族とて物の数ではあるまい」

    姉巫女

「なるほど、それは素晴らしいですね。ヘラクレスやテセウスならば、ペルシャの数十万の大軍ですら、その押し寄せる津波のごとき軍勢ですら、散々に打ち破って残らず滅ぼすはたやすきことに相違ありませぬ。ところで、そのような英雄たちを降霊する術を使える優れた霊媒師を、こなた様はお知り合いなのですか?」

    主役-アリスタゴラス

「そうです、この案の唯一の欠点は、そのような霊媒師がどこに居るのか不明だということです。そのため残念ながら、この非常に優れた案も却下せざるを得ない。やれやれ、どこかにもっと良い案が落ちてはいないものか」

    姉巫女

「フフフ、でしたら取って置きのこの案はどうでしょう。コホン、え~、最近流行りの異世界から勇者を召還するのです。聞くところによると、異世界には唱えるだけで万を超える軍勢を一瞬にして燃やし尽くす呪文や、一振りするだけで大地が裂けるほどの衝撃を与える魔剣が存在するそうなのです。そしてその異世界の勇者はそれらを駆使して凶暴な魔王軍すら完膚なきまでに打ち倒すことが出来るのだそうです。でしたら、そのような勇者をこの世に召還すれば、魔王軍よりははるかに劣るであろうペルシャ軍など片手間で打ち倒していただけるに違いありません」

    主役-アリスタゴラス

「なるほどなるほど、それは凄い、それは頼もしい。ところで、そのような勇者を召還できるような優れた魔術師が、この世のどこに居るのだろうか。姉巫女はそれを知っているのですか?」

    姉巫女

「そうです、それがこの案のたった一つの問題点なのです。残念ながら、このディデュマ(浦神)で巫女を勤め、全世界各地の情報を耳にするこの身ですら、そのような優れた魔術師が実在するという話を聞いたことは残念ながら無いのです」

    主役-アリスタゴラス

「フフフ、ならばその取って置きの案も却下せざるを得ないか。いやはや、まったくペルシャ帝国から独立するのは難しいものですな。優れた案はいくらでも思い浮かぶのに、いざ実行するとなると、ささいな理由が仇となり、それをやらせてはくれない。まったく、参った参った」



<回想おわり>


※ 文中に出て来る古代ギリシャの地名に日本の地名等を併記させていますが、これは古代ギリシャの地名に馴染みがない方向けに日本の似ていると思われる地名等を添付してみただけのもの(例:「アテナイ(山口)市」「スパルタ(鹿児島)市」など)ですので、それが必要ない方は無視していただいて問題ありません。

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