・第四幕「消失」その2(後)
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<続き><ディデュマ(浦神)><神殿の離れにて>
主役-アリスタゴラス
「……という訳で、この重苦しい空気を唯一払えるとしたら、それは彼女に子供が出来ることではないかと思うんだ。お腹が順調に膨らんできたなら、彼女の気分も一新されるに違いないからね。
けれど、私も自分なりにかなり頑張ってはいるのだけれど、なかなかそうはならなくてね。もしかすると、『出産を司る神様の祟りなんじゃないか』って話もあって、だとすればどんなに頑張っても子宝には恵まれないだろうから、その辺のことも含めて専門家の君に確認しておきたいと思ったんだ」
妹巫女
「……」
――私たちヘラス(大和)民族にとっての出産の神様は、美しき月明かりに照らされし野狩りの処女神-アルテミスが司っているのだけれど、ちなみにこの女神様はディデュマ(浦神)にも祀られし美しき日の光に輝く予言の神-アポロンとは双児の神様だったりもするのだけれど、私たちは知らぬうちに「その怒りに触れてしまった可能性があるかもしれない」と考えたのだ。
というのも、前にもちらっと触れたと思うのだけれど、あの反乱初っ端のサルディス城焼き討ちの時、わが同盟軍は町なかにある地元の氏神-キュベベの神殿も遺憾ながら火に巻き込んでしまったという話なのだけれど、このアジアで広く崇拝される大地の母神-キュベベは出産に関わる神様でもあり、私たちの女神-アルテミスとは同一視され合祀される向きもあるため、あの神殿炎上は「アルテミスの権威を汚すに等しい行いだった」と断じられてもおかしくはなかったりするのだ。
実際、反乱同盟に加わっているエペソス(柔④)市には巨大なアルテミス神殿があるのだけれど、そこは元々は地元のキュベベ神が祀られていた名のある聖地で、植民したヘラス(大和)民族もそれを継承して自分たちのアルテミスと合祀するような形であの大神殿を建設したのだと言う。だとすれば、エペソス(柔④)の戦いで私たちが大敗北を喫したのも、もしかするとその直前にサルディスのキュベベ神殿を焼いてしまった罰が当ったのでは、という説も一部で囁かれていたりするのだ。
という訳で、以上のような理由により、同盟軍の首謀者たるこの私も、この出産を司る神様の怒りに触れて祟られているのだとするならば、私と姉巫女とがどんなに頑張っても子供は出来ないという道理になる訳なのだけれど。――
主役-アリスタゴラス
「……だから私は君に、その辺のことも含めて『なぜ子供が生まれないのだろうか? もしも生まれるとしたらいつ頃だろうか?』と訊ねに来たという訳さ。もちろん巫女が身内のことについては上手く占えない事が多いというのも理解しているけれど、君以上に頼りになる巫女を私は他に知らなくてね。だから駄目を承知でお願いに来た、仮に最悪の返答でも受け入れるから、どうか私たちの未来を占って欲しい。悪夢にうなされる姉巫女の、苦悩を振り払うのにどうか協力してほしい」
妹巫女
「……お兄様、よくぞかように深刻な話を打ち明けていただきました。まさか姉上がそこまで危ない状況に追い詰められておられたとは。身内のこととなると途端に目がくらんでしまうこの身の不甲斐なさを恨めしく思います。ええもちろん、姉上を救うためとあらば、何でもいたしましょう。
されど、その前に、……」
主役-アリスタゴラス
「?」
妹巫女
「……お兄様、実のところ、わが卜部家の一族会議では、『そろそろ、ミレトス(柔①)や反乱同盟を見限るべきだ』との話が出て居ります。残念なことに、この身は姉上と違って頭が聡くないので、あまり難しいことは解りかねるのですが、『ペルシャ軍からの侵略を避けるには、今のうちにペルシャ軍に内通し、せめてこの神域だけでも無事に見逃してもらうべきだ』との考えのようなのです。
そしてお兄様が先ほど出されました、そのペルシャ人の高官のお名前も話題に上がっておりました。『もしもあのペルシャ人が望むのであれば、姉上を離婚させた上でその者に与えれば、全ては不問にふされ、むしろ反乱鎮圧後は優遇されることも期待できるのではないか』などと、そのような恐ろしい事も企てているようなのです」
主役-アリスタゴラス
「……なっ! あっ姉巫女を私から奪って、あっあいつに与える、だと!?」
妹巫女
「はい、まだ決定事項という訳ではないようですが、『これは決して他人に口外するな』と、青銅のアポロン神像の前で固く誓わされましたゆえ、もしかするとこの身に恐ろしい神罰が降り掛かるやもしれませぬが、他ならぬお兄様にはどうしても伝えておかねばならぬと思ってしまい、かように一族の秘密をバラしてしまいました」
主役-アリスタゴラス
「ふっふざけるな!! もっもちろん、このディデュマ(浦神)が反乱に巻き込まれるのを恐れ、異民族の侵略をなんとか避けようと色々企むのは解るし、このような負け戦に聖地を巻き込んだ責任を私も感じないではないから、そのことをとやかく言おうとまでは思わない! 君たちが生き残りをかけていろいろ裏で画策するのも構わないさ!
けっけれど、私の姉巫女を取り上げて、敵にくれてやるというのなら、そっそんなことを許せる訳がない!! 私の愛する女を、さっさらなる苦痛に投げ込むのを見過ごせる訳がない!!」
妹巫女
「は、はい! この身もそう思います! されどお兄様、父上たちがそのように判断を下されるには一つの訳がございまして、実はつい先頃、デルポイ(奈良)においてさる神託が下されたそうなのです。その神託はペロポネソス(九州)のアルゴス(佐賀)市の請いにより下されたものなのですが、そこに何故か全く関係がないはずのミレトス(柔①)市の運命についても述べられていたというのです――」
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デルポイの巫女
『アルゴスの、男に勝ちたる、女ども
誉れ輝く、勝ち鬨を聞け。
頬かきむしり、嘆き悲しむは、アルゴス女。
そのざまを、後の世までも、語り継げ、
恐ろしき、大蛇撃たれて、果てたりと』
『さてミレトスよ、この時にこそ、なんじ数々の、悪巧み、
餌食となれ、引出物となれ。
妻や子らは、足をばすすげ、髪長族の、その汚れた足を。
しかしてディデュマなる、我が宮居、異国びとの手に、ゆだねらる』
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妹巫女
「――賢明なるお兄様であればご存知かもしれませぬが、アルゴス(佐賀)市は南に境を接するスパルタ(鹿児島)市との間で緊張がとても高まっているそうで。特にかのクレオメネス王がアルゴス(佐賀)攻めには殊のほかご執心らしく、その準備を抜かりなく進めていていつ戦さになってもおかしくないほどであるため、その勝敗が気がかりなアルゴス(佐賀)の人々は聖地・デルポイ(奈良)にどのように対処すれば良いか訊ねたという事なのだそうで。
そこで、光り輝く神-アポロン様から下された神託を見て見ますに、その前半はおそらく『アルゴス(佐賀)軍がスパルタ(鹿児島)軍に敗れ、女たちも痛いほど歎き悲しむ』という解釈でほぼ間違いないでしょう。アルゴス(佐賀)軍の旗には蛇の紋章が描かれているそうですし。
問題はその後半ですが、こちらもかなり具体的ですのでその解釈に異論の余地は少ないでしょう。『アルゴス(佐賀)市が敗れるのと同じ頃、ミレトス(柔①)市も髪の長き異国の人々に侵略され、ディデュマ(浦神)の神殿も彼らの手に奪われる』というふうに読み解けます。この解釈で間違いないとすれば、ミレトス(柔①)市がペルシャ人の軍門に下るのはもう間もなくのことであり、『我々ディデュマ(浦神)もグズグズしていれば、ペルシャ軍に内通して彼らの侵略を免れるという、最後の機会を逸してしまう』と、かように卜部家の一族は判断したという訳なのです」
主役-アリスタゴラス
「……」
――それにしても、これはとんでも無い情報を知らされたものだ。卜部家が敵に内通しようとしている話はまあいい、そのような噂を耳にしたことはあったし、またその気持ちもある程度は解るから。そもそも姉巫女と結婚している私も一応、卜部家一族の端くれだったりもするのだから。
けれど彼らが、ミレトス(柔①)市が滅亡することは確実で、しかもそれはもう間もなくのことであると勝手に判断し、私の妻を人身御供にしてまでペルシャ人への寝返りを急いでいるとなると話は違ってくる。
これらの話をもしも彼女に伝えれば、その心は本当に折れてしまうに違いない。いや私の口から言わずとも、少なくともデルポイ(奈良)の裏情報は彼女の交友関係からしてもう間もなく届くだろうし、卜部家の裏工作の件だって彼女もその一員なのだから身内の誰かからその真相を知らされる可能性だって無くはないだろう。だとすればもう時間は無い。――
主役-アリスタゴラス
「ああ、私はどうすれば良いのだろう。藁にも縋るような思いでここを訪ねたというのに、悩みは晴れるどころか、何倍にも膨れ上がって帰らねばならないとは……」
――こうして、ミレトス(柔①)の家に帰り着くまでの道すがら、私は姉巫女のことを、わがミレトス(柔①)のことを、そして自分自身のこれからのことを、頭から湯気が出るほど思い悩んだのだけれど、もはや自分がどうにかして、どうにか出来ることなど何も無いのではないかと、これまでもそうだったとは思うのだけれど、改めて運命というものには抗い難いと思い知るのだった。
いずれにせよ、この裏情報が真実であるのなら、悩んでいる暇もない。すぐに行動しなければ、最悪の事態に陥ってしまう。私に選択肢は無い。――
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※ 文中に出て来る古代ギリシャの地名に日本の地名等を併記させていますが、これは古代ギリシャの地名に馴染みがない方向けに日本の似ていると思われる地名等を添付してみただけのもの(例:「アテナイ(山口)市」「スパルタ(鹿児島)市」など)ですので、それが必要ない方は無視していただいて問題ありません。




