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『O-276. 浦上-イオニアの反乱劇(アリスタゴラスの煩悶)』  作者: 誘凪追々(いざなぎおいおい)
▶第一幕(02/12)「発端」
2/27

・第一幕「発端」その2



<O-276(紀元前500/499)年><冬><ディデュマ(浦神)><神殿の離れにて>



 ディデュマ(浦神)の神域を取り仕切っているのは、卜部家ブランキダイと呼ばれている一族であり、その言い伝えによればヘラス(大和)本土の聖地・デルポイ(奈良)出身のブランコス一党がこの地に来たり神官の家系として土着した筋目らしい。そして彼らはこの地を、デルポイ(奈良)に次ぐアポロン神の託宣所として非常に有名にしたために、いつしかこの聖地のことを彼ら一族の名前でも呼ぶようになった。すなわち世間一般では、ディデュマ(浦神)のことを卜部家ブランキダイと呼んでもそのまま通じるのだ。この聖地における彼ら一族の力はそれほどまでに強いのだとも言える。

 現在の神殿で神託の巫女を任されている姉巫女と妹巫女もこの神官一族の女であり、本来であれば処女を守り通す巫女、すなわちアポロン神の女となるべき義務はなかったのだけれど、さる事情により二十九才までという期限付きで神託の巫女を勤めている。これは彼女たちの霊感がひときわ優れているためという理由も大きいが、彼女たちの父親に強制されて有無を言わさずやらされているという事情のほうが大きいかもしれない。

 おかげでこの姉妹は父親に対して少々反抗的であり、巫女に関わること以外は割と好きにやっている。今日も私が会いに行けば、休憩時間を利用して二人きりで話せる場をすぐに設けてくれるのだ。



    姉巫女

「さあ、こなた様、この離れでならば、どのような秘密の話も言いたい放題、やりたい放題でございますよ」

    主役-アリスタゴラス

「フフフ、言いたい放題はともかく、やりたい放題となるとまた違う意味になってきそうだけれど?」

    姉巫女

「これは異な事を、先ほどのこなた様は、やりたい放題だったではありませぬか。いくら神殿の奥室とはいえ、あのような話を急にされては、そして誰かに聞かれれば、お互い困ったことになりましょう」

    主役-アリスタゴラス

「けれど、警固の者が表を見張っていましたからね。奥まで入って来る者は私以外に無かったよ」

    姉巫女

「壁に耳あり、扉に目あり、おまけにこちらの神殿は天井に空まであります。結婚の話はおろか、この身が三十で巫女を引退する話もあくまで一族内の秘密であり、公にはしていないのですから、本当に困ります」

    主役-アリスタゴラス

「そうかな? 私が君と結婚したがっているという話はむしろ多少は広まったほうが都合が良いと思ったのだけれど。君のお父上への手前もね」

    姉巫女

「急いては事を為損じます。先走った噂のせいで、全てがご破算になるなど愚の骨頂。くれぐれも慎重に、くれぐれも内密にお願いしたいのです、特に我が父には」

    主役-アリスタゴラス

「そうか、うん、そうだね、わかった、すまなかったよ。君と会うのは久しぶりなものだから、ちょっと羽目を外し過ぎたのかもしれない、うん、反省した、私も本当にその通りだと思うよ。ただ、我慢できないほど言いたくて仕方ないのも本当なんだ、ここは離れだから構わないよね? 君が二十才代にじゅーだい最後の日までここの巫女を真面目に勤め上げ、無事に三十路みそじになって引退した暁には、私は君に結婚を申し込ませていただきたい。もちろん君の父上にも喜んで認めていただける形で」

    姉巫女

「こなた様、『この世に生をけ、楽しく生きたしと願う者、他人ひとが結婚したとて、自らは避くるべし』などと語る既婚者も少くないようです。まして、このような年増の処女むすめを、まことに娶るおつもりで?」

    主役-アリスタゴラス

「あぁ愛おしの姉巫女よ、何度言わせるのか? この私とてもう四十を越える年増です。むしろ私のほうこそ、世間にその名を轟かす君のような巫女に釣り合うのか、引退した君の夫としてふさわしいのか、まるで自信を持てないところです」

    姉巫女

「何度も言わせたいのが女心というもの、本当に長かったですね。この身が十歳代じゅーだい後半の結婚適齢期に入った頃、こなた様もちょうど三十歳に差し掛かり、そのまま二人が結ばれても誰も反対しなかったでしょう、あの父も表向きは反対しておりませんでしたし。けれど折悪しく、神殿の巫女たちが相次いで失踪する事件が起きてしまい、それと入れ替わるようにしてこの身と妹が神懸かりに目覚めてしまった。おかげで父はこの身と妹に『神託の巫女』になるよう命じ、三十歳になるまでは清らかな身体を保ってご奉仕すると神様に固く誓約してしまわれた」

    主役-アリスタゴラス

「そう、あれはもう十年以上も前のこと、悪い事はなぜだか重なるものらしく、ちょうど同じ時、我らがミレトス(柔①)市を独裁していたヒスティアイオスの叔父貴もペルシャの大王ダレイオスに痛く気に入られ、遥か彼方のペルシャ人の都に突然連れ去られる事となった。おかげで叔父貴の近親者の中では唯一未婚で年齢的にも程がよく、また重職を都合良く任せられそうだった従兄弟の私が留守居役を命じられ、ミレトス(柔①)市を代理で独裁しておけという話になった。ただしその監視役として叔父貴の娘さんと結婚させられ、一挙手一投足を見張られることとなった。当時の私に拒否権はなく、有無を言う隙間もなかった」

    姉巫女

「……あれはもう十年以上も前のことなのですね。とても昔のことのように思えます」

    主役-アリスタゴラス

「本当に長かった、とても長かった。しかしその間に叔父貴から押し付けられたあのいつも命令口調で高飛車な妻は亡くなり、結局二人の間に子供は一人も出来なかった。どうやら私は期せずして振り出しに戻ったようだ、まだ独身だったあの頃に……

 姉巫女よ、あと一年と少し、このまま何事もなければ、ついに君と結ばれる。そう、我が愛しの、我が麗しの、薄紫の衣に身を包みたる、いとも美しき占部家ブランキダイのお姫さまと!」



 ヘラス(大和)民族の着物は、とても簡潔に出来ている。なにしろ、長方形の布をただ縦に折り畳んでその間に身体を入れるだけなのだから。あとは肩に留め針をして、腹に腰紐でも結べば恰好がつく。おかげで着るのも脱ぐのも、洗うのも畳むのも、仕舞うのもとても簡単だ。これはペルシャ人などの服装と比べればよく解る。なにしろ、彼らは袖や裾の先まで筒状にした長袖や長ズボンをピッタリと着込み、さらに長靴を履いたり高帽を被ったりして全身を隈無くスッポリ覆っているのが普通なのだから。それは、彼らの故郷の日差しが強かったり肌寒かったりするからなのかもしれないが、ここイオニア(浦上)地方に赴任してきたペルシャ人までその恰好をそのまま貫くに至っては、少々奇異な目で見られるのも致し方なかろう。ヘラス(大和)民族の特に男は薄着どころか、裸になるのも大好きなのであるから。

 まぁどちらの衣装を好むかは人それぞれだろうからとやかく言うまいが、私としては薄着のほうが男も女もその身体を美しく見せるのに優れていると思う、いやいやらしい意味ではなく。ちなみにヘラス(大和)民族の着物の布は、昔は毛織物ウールが多かったが最近は麻織物リネンを使うことが増え、加えて胸元の折り返しをなくすなど、さらにスケスケの薄手の衣になっている。いや、本土のほうでは毛織物ウールの昔ながらの着物がまだまだ主流らしいので、麻織物リネンの薄手の着こなしは主にイオニア(浦上)方面での流行と言うべきか。世間では、前者をドーリス(剛)式、後者をイオニア(柔)式と呼び分け、煩型うるさがたには後者を浮薄・軟弱であるとして否定する向きもあると聞く。けれどそんな意見なんて無視すればいい、我々は自由を好むのだ。肌を透けさせようが、派手な色で染めようが、高価な刺繍を施そうが、袖やボタンに工夫を凝らそうが、全ては当人のお好み次第。我がミレトス(柔①)はそういう町であるし、だからこそ多くの流行は我々から発生するのだ。

 そしてディデュマ(浦神)の姉巫女もその一人。彼女が着こなすお気に入りの着物は、世の女どもの憧れの的、薄紫の上品な衣に目もあやな色とりどりの刺繍をあつらえ、それを少女像コレーの如き細身の身体に纏った時の着映えは、美の女神もかくやと溜息まじりに囁かれるほど。おまけに利発で、神のお言葉をも預かれるのだ、世の男どもが身も心も命も全て奪われたとして誰も嗤うまい。



    姉巫女

「ありがとうございますアリスタゴラスさま、この身もいかで結ばれむと常々思い遣るばかり。されど繰り言になりますが、アポロン神への誓約が満期となるまでは、くれぐれもご内密に願いたいのです。出過ぎた真似と厭われましょうが、いにしえより『口は災いの元』と申します」

    主役-アリスタゴラス

「いやいや、そんなことは全くないよ、君の助言はいつも正しい。今回の旅の道中でも、君に教えてもらった言葉は本当に役立ったのだから。『不運な人を笑わないこと』『舌が心よりも先立たないこと』『不可能なことは望まないこと』などなど、君の格言は本当に素晴らしい」

    姉巫女

「それはこの身のいいではなく、賢者・キロンのものでございます」

    主役-アリスタゴラス

「そうかい? でもきっと、君の声だからこそ私の耳にはよく入るんだよ。もし当のキロンにそう言われても、それがどんなに良い格言でも、君以外の声ならすぐ忘れてしまうに違いないのだから」

    姉巫女

「あらあら本当に口がお上手で、さっそく『舌が心よりも先立』っておりますよ?」

    主役-アリスタゴラス

「それは誤解でしょう、今のは心からの発言だったのだから。――いやまぁとはいえ、私は得てして他人ひとにそう思われてしまいやすいというのも否定できないところがあってそれは心苦しい限りなのだけれど。ヒスティアイオスの叔父貴にも同じようなことを注意されてしまったし、『ペルシャ帝国の都・スーサで無駄口たたく奴ぁ死期を早めるぞ、気をつけな』ってね」

    姉巫女

「クツクツ、あの方は、イオニア(柔)族にしては口数の少ない方でしたものね」

    主役-アリスタゴラス

「『いいかアリスタゴラス、ここの大王ダレイオスは「王の目」「王の耳」って奴らを都だけでなく帝国中に散らしてる。ほんの些細な一言が命取りになった奴も少なくねぇ。いくらイオニア(浦上)がこの都から三ヶ月も離れてるからって気ぃ抜くんじゃねぇぞ。俺はお前さんのその口を半分くらいにまで縫い付けることを本気でお薦めするぜ』って脅すんだ」

    姉巫女

「クツクツクツ、口を半分に。それではやっぱり、些細な事でも人に知られるのは警戒せねばなりませんね」

    主役-アリスタゴラス

「叔父貴も私と話す時には、なるべく人気ひとけが無い場所でさりげなくを心がけておられたよ。例えば、スーサの都にある叔父貴の家はすごい豪邸だったのだけれども、その庭はなんと私設の豪奢な運動場ギムナシウムになっていてね、『お前さんも長旅でなまってるだろうから、一汗流そうぜ』ってな具合に誘われて、円盤投げやら格闘技やらを競いながら全く怪しまれないように密談も済ませるんだ。『俺が最も信頼してる執事ですら、大王に直接問われれば秘密を全部バラしちまうかもしれねぇからな』ってことらしい」

    姉巫女

「さすがは一代の梟雄、抜かりは毛程も無いという訳ですね。クツクツ、誰かさんとは大違い」

    主役-アリスタゴラス

「いやいや、この私だって叔父貴の代理を十年以上も過不足なく務めてきたのだから、そうそう見くびったものじゃーないですよ。そりゃ抜かりはたまにあるけれど、大きく外した事は一度も無いのが自慢であるし」

    姉巫女

「こなた様の脇からは、甘い匂いがしております」

    主役-アリスタゴラス

「えっ、本当に? いつも洗ってるつもりなんだけど――いやいや、そりゃーあの叔父貴に比べればだいぶ脇が甘いのは認めるけれど。まぁ確かに一代にしてミレトス(柔①)市の独裁者にまで成り上がったのだから、あの人の力量は伊達ではないということだよね。ついでに大王ダレイオスの側近としてあのペルシャ帝国の内々の相談事にも預かってるって言うのだから、叔父貴の抜け目の無さはまさに折り紙つきってことなんだろうな」

    姉巫女

「まことに、あの途方も無く広いアジア全土を攻め従えるほどのペルシャ人の大王に気に入られるのですから、尋常ならざる方でございますね」

    主役-アリスタゴラス

「しかもそれだけじゃーないんだ、あっちでも叔父貴の交友関係の広さはさすがでね、大王だけでなく、他のペルシャ人の高官たちにもすごく顔が広いんだ。さっき、叔父貴の家の庭には豪奢な運動場ギムナシウムがあるって言ったけど、どうやらあそこにペルシャ人たちを招いてヘラス(大和)流の鍛え方や楽しみ方なんかを教えてるそうでね、そしてそのついでに美少年の愛し方なんかも手取り足取り教えているとかで、『本物の男なら、女だけでなく男も従えねぇとな』って感じで、おかげでペルシャ人の間にも少年愛が徐々に広まっているんだとかいないんだとか」

    姉巫女

「あらまぁ、それはそれはお盛んなこと」

    主役-アリスタゴラス

「フフフ、まぁ正直ペルシャ人のあいさつの仕方を見る限り、彼らにもその素養はあったと思うのだけれどね。なにしろ、彼らは同じ身分同士であれば口と口とをくっつけてまるで恋人のような濃いぃ挨拶を交わすのだから。あっと誤解のないように言っておくと、私のような身分の低い者であれば頬と頬とをくっつけるか土下座して平伏させられるかのどっちかだから、私がペルシャ人とそのようなことをやったわけではないのだからね」

    姉巫女

「クツクツ、もうその話はいいです、あまり知りたくありませんから」

    主役-アリスタゴラス

「それは助かったよ、私も同意だから。で、叔父貴はそんなペルシャ人たちとも仲睦まじく交わっているというわけで、酒好きの彼らとしょっちゅう宴を開いているという話だったな。彼らの食事は主食よりも食後のデザートのほうが豪勢だから、こっちが用意する場合はそれが意外と大変だとも言ってたな」

    姉巫女

「そうですか、されどそれを聞いて安心しました。人づての話では、ヒスティアイオスさまはスーサの都にほとんど幽閉状態で、楽しいこともなく日々を鬱々と暮らしておられるだけかと思いおりましたので」

    主役-アリスタゴラス

「そうだね、まぁ移動の自由が無いだけで、それ以外はさほど不自由はしていない感じだったかな、叔父貴は相変わらず筋骨隆々のダンディーだったしね。ペルシャ人も大概大柄なんだけれど、叔父貴は彼らと比べても全然見劣りしなくてね、むしろ彼らの間でも目を引くほどの男ぶりだったよ」

    姉巫女

「奥様も向こうの水に合わなくて早々にお亡くなりになられたと聞き、ずいぶん寂しい思いをされているかと慮っておりましたが、相変わらずのお元気そうで何よりですね」

    主役-アリスタゴラス

「うん、とてもお元気そうだったよ。大王に与えられたっていう邸も本当にこっちではなかなか見かけないほどの大豪邸だったし、色んな人種の大勢の使用人を雇っていてね、その中には『長女』『次女』『三女』って名前をつけた女奴隷も居たなあ。『長女』は黒髪長身のエジプト娘で『次女』は金髪青目のスキュタイ娘、『三女』は銀髪黒肌のインド娘ってな具合でね、実の娘のように可愛がっているんだ。おかげでその小娘たち、ただの使用人メイドなのに叔父貴にすごい生意気な口を効くんだよ、それがまたおかしくてね。さすがはペルシャ帝国の都、使用人の出身地も世界中から選り取りみどり、文字通り色とりどりって感じだったな、都に住む者の特権ってやつだろうね。しかも叔父貴は大王ダレイオスの側近ってことでさらに特別待遇だからね、下手なペルシャ人よりもよほど力を持っている。こっちの連中で、叔父貴を頼ってスーサの都に行く者が少なくないのも頷けるよね」

    姉巫女

「そういえば、こなた様がスーサの都に行かれたのも、ヒスティアイオスさまに相談ごとがあるからというお話でしたね」

    主役-アリスタゴラス

「あぁそれはそう、その通り、例のナクソス(上対馬)島の件についての大事な話で、私は大王ダレイオスからその許可を得ねばならないため、叔父貴に大王への口添えをお願いしたんだ。叔父貴は大王が信頼する側近の一人だから、そのほうが絶対話が早いだろうしね。

 ただしこの件は、現在秘密裏に進行している軍事作戦が関わって来ることもあって、おおっぴらにしてはならないことになっている。だからこれから話すことは姉巫女も絶対に他言無用でお願いしますよ」

    姉巫女

「むろん心得ております。この口はどこかの口と違って締まりがよろしいので」

    主役-アリスタゴラス

「フフフ、どこの口だろうね、それは? とはいえ、締まりが良いのはとても良いことだとは思うのだけれど、君の場合はただの女ではなくて著名な神託の巫女だからね。ほんの僅かでも君の口から漏れれば瞬く間に世の中に広まってしまう」

    姉巫女

「それは異なことを、守秘義務については巫女になる時、父から口を酸っぱくして教え込まれましたし、たとえそれが無くとも『他人の秘密を勝手に言いふらす行為は、他人の財産を勝手に売り払うようなもの』、この身はそのように考えておりますので」

    主役-アリスタゴラス

「なるほどそれはそうだったね、この件に関して君にわざわざ念押しするなど不敬の極みだったかもしれない。これは大変失礼しました」

    姉巫女

「それはさすがに言い過ぎです。されど、こなた様が発たれる前に教えていただいたことも、父や妹にさえ漏らしておりませぬ。ナクソス(上対馬)島の上流階級の方々が島の民衆に追われて亡命して来たこと、そして彼らを島に復帰させてあげるためペルシャ軍の力を借りるべくサルディス城やスーサの都に赴かれたこと。

 して、その首尾は上々でしたか?」

    主役-アリスタゴラス

「うーん、これはガチガチの軍事機密でもあるのだけれど、結論から言うと首尾は上々、全てが私の想定通りに進んでいると言って良いでしょう。

 今からちょうど一年前、エーゲ海から亡命して来た面々は、ヒスティアイオスの叔父貴との旧交を頼って我がミレトス(柔①)市に現われたのだけれど、あいにくと叔父貴は遥か遠くのスーサの都に不在であるため、その代理人たる私が彼らを接待した。彼らは『どうしても島に復帰したいのであなた方の力を貸して欲しい、軍資金ならばいくらでも用意するから』と強く申し出て来た。そこで私は考えた、これは我がポリスの勢力圏をエーゲ海の島々はもちろん、向こう岸・あの本土へも拡げる絶好の機会なのではないかと。なにしろナクソス(上対馬)島のポリスは八千人もの重装歩兵に加え多数の軍船を擁するエーゲ海有数の強国であるし、この島の位置はおあつらえ向きにエーゲ海の島々のほぼ真ん中に浮かんでいる。そのため、もしも亡命者たちを助けてあの島にうまく復帰させ得たなら、彼らを通じてナクソス(上対馬)市の内政を操れると同時に、その周囲に浮かぶ島々をも靡かせることが出来るだろう。ここまで成功したなら、島々のすぐ向こうにあるエウボイア(山陰道)島も視野に入る。そこは本土の一角でありながら周囲を全て海に囲まれた島であるため、大きな島ではあるが多数の軍船さえあれば本土から切り離して我らが植民地とすることも夢ではない。さすれば、このエーゲ海は我が内海となり、すでに我らの勢力圏下にある黒海と併せて、巨大な経済圏を一手に握ることも戯れ言ではなくなるという訳だね。

 とはいえ、あの島を我がポリス単独で攻め落とすのは至難の業であるし、そもそもそのような行動を我々が勝手に起すことをペルシャ帝国のお偉い方が良い顔するはずもない。そこで私は考えた、ペルシャ人たちにナクソス(上対馬)島攻めの利益を説き、彼らの軍事力を利用して、ただしこの私が全てを主導する形で、安々とエーゲ海の島々を占領すれば、我々は損害なくして多大な利益のみを得られる、と」

    姉巫女

「それは、とても耳触りの良い話ではございますが、こなた様、そのように事が上手く運びましょうや?」

    主役-アリスタゴラス

「フフフ、もちろん君が危惧するのも解るよ。この手の案はたいがいが計画倒れに終るか、予想の半分も思い通りにはいかない、と。けれどご安心を、この計画は今のところ完璧に私の目論見通りに進んでいる。すなわち、私はまずサルディス城に赴き、この沿海地方を統括しているペルシャ人の総督にとうとうと利益を申し立ててこの作戦案に同意させることを成功した。ただし、彼の名はアルタプレネス、大王ダレイオスの異母弟であり、この沿海地方をかれこれ十年以上も統括しているペルシャ人の中でも大物中の大物なのであるが、さすがにその彼でも独断では決められないとの返答であった。そこで、スーサの都の大王に許可をいただくための使者を遣わすから、ついてはこの私もそれに同道して『直接大王を説得してこい』と命じられたのです。

 ミレトス(柔①)市を統括せねばならない私が半年以上も町を留守にしてペルシャ人の都にわざわざ赴いたのはこういう事情があったからなのだけれど、都にのぼった私は早速大王ダレイオスに会い、ナクソス(上対馬)島攻めの利をとうとうと説き見事その許可を得ることに成功したというわけです。おかげで今現在、サルディス城の総督・アルタプレネスからは沿海地方の全ての住民に『軍船と兵士を用意すべし』との命令が発せられ、この冬が明ければ我がミレトス(柔①)市の入り江に集結する手筈になっている。ちなみに、私が要求した軍船の数は百隻であったのだけれど、あちらさんは二百隻も用意してくれるという話ですからね、この作戦の成功率も単純計算で二倍にはね上がり、もはや失敗するほうが難しくなったと言えましょう。もちろん油断は禁物、ナクソス(上対馬)島の不意をつくため、あそこを攻撃するという情報は固く隠蔽し、代わりに北の黒海方面に向かうかのような偽情報を我々は流している。さっき君に『絶対に他言は無用だよ』と断ったのはこれが理由だね。

 さぁどうだい姉巫女、ペルシャ人相手にこんな大ごと出来るのは、イオニア(浦上)はおろか世界中を探してもそうそう居ないだろう? 私はこれまで『叔父貴の威光を傘に着ているだけだ』とか、『ただの代理のくせに偉そうだ』とか、『力量以上の地位を叔父貴とペルシャ帝国の後ろ盾によって保証されているだけだ』とか、散々低く見られて来たからね。しかし、これを成功させれば全てがひっくり返る、あのヒスティアイオスの叔父貴にだって一目置かせられる。

 そして何より、君のお父上だ。十数年前は君を嫁にもらいたいと申し出ても、あまり良い顔を見せなかったあの卜部家ブランキダイの長も、これならば断ることのほうが難しくなるに違いない。君との結婚のためにも、私はこの作戦をなんとしてでも成功させて、無理矢理にではなく、万事円満に君を我が嫁として迎えたいのだ。だから安心して欲しい、私はこの件に関しては本当に抜かり無く、返す返すも失敗しないようにと慎重に事を進めて来たし、今現在も全く気を抜かずそうしているのだから。そしてその結果は、この冬が明けて春が深まる頃か遅くとも夏までには嫌でも明らかになるだろうけれど、私としては不安を感じるより楽しみで仕方が無いほどなのだから」

    姉巫女

「ああ、アリスタゴラスさま、男の方にそこまで言っていただけるこの身は果報者、せめてあなたの幸運と成功を強く強くお祈り申し上げております」



※ 文中に出て来る古代ギリシャの地名に日本の地名等を併記させていますが、これは古代ギリシャの地名に馴染みがない方向けに日本の似ていると思われる地名等を添付してみただけのもの(例:「アテナイ(山口)市」「スパルタ(鹿児島)市」など)ですので、それが必要ない方は無視していただいて問題ありません。

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