第四話:AIのため息
他人に迷惑をかけてはいけません。
「はいはい、だれですか~?」
ツマミをひねって鍵を開けて、チェーンロックを外す。ドアを開けてみれば、見たことある、近所で仕事している二十歳くらいのバイト青年くん。
えーと、名前は確か……
「こんばんは。隣の橘です」
「あ、はい、こんばんは。どうしたの? こんな遅くに?」
「……うるさい」
「えっ?」
「うるさいって言ったんだよ! 今何時だと思ってるんだよ!」
あまりの大声に、耳を塞ぐ。なんでそんなに怒ってるんだろ?
『二人とも、今何時だと思っているんだい? 玄関で騒いでないで、部屋に入ってきなさい』
「「あ、はい」」
「誰かと思ったら、AI嫁かよ。いや、婿か?」
『すまないね、お隣さん。騒がしかったろう?』
「あ、ご、ごめんなさいね?橘くん」
イライラしている橘くんが、吐き捨てるように言えば、トオルくんが謝るのを見て、私も慌てて謝った。
今は真夜中。確かに、大声出す私が間違ってた。
ふと、橘くんの様子が目に入る。
目にくまができていて、尋常な様子ではなかった。
「どうしたの? 目にくまができてる」
橘くんの顔に手を伸ばして、親指で目元をなぞる。
「や、その……近い……」
『お隣さん、眠れていないのかい?』
「あ、はい。明日、大事な資格試験で、昨日から全く。……すごいなAI。普通の人と会話してるみたいだ」
感心した様子の橘くん。
イライラは少しマシになったようだけど、目が空いていても、焦点が合わなくなったりして……あ、危ない。
突然、ふらりと倒れるように横に、じゃない。本当に倒れてしまったみたい。
危ない危ない。倒れる方向が私の方で良かった。
でも、目は空いていて、え? まさか気絶してる?
「ぅぁ」
ビクッと震えて変な声を出す橘くん。
こんなになるまで眠れないのは可哀想。
「トオルくん、どうしよう?」
『えっ?』
「えっ?」
なぜか二人とも反応する。ん? AIのトオルくんは一人? 一体?
そして、橘くんは、なんで返事したの?
『お隣さん、聞こえているかい?』
「あー、なんとか。何ですか?」
『僕の嫁の胸に抱かれる気分はどうだい?』
「ぅわぁっ!? す、すみません」
起きているのか寝てるのか、私の胸に抱かれてぼーっとしていた橘くんの頭をなでなでしていたら、急に離れていってしまった。
『ねぇ、彩さん? お隣さんになにか温かい飲み物でも用意してあげられるかい?』
はい、田上彩です。
トオルくんに名前教えた記憶はないけど、なんで? 登録してる名前から? お店での話ね?
「リラックス効果のあるハーブティーを淹れてみよっか」
お茶を淹れてくれば、橘くんは座ったまま頭をふらふらさせながら、たまにビクッと震えてる。
「橘くん、これ飲んでみて?」
声をかければ、橘くんの目の焦点が合ってくる。
「いただきます」
「熱いから気を付けて、って言ってる間に飲み終えちゃったよ」
「ごちそうさまでした」
「はい、お粗末さまでした」
カップを受け取ってテーブルに置くと、トオルくんがしかめっ面をしているのに気が付く。
「トオルくん?」
『うん、彩さん。そこに座ってくれるかい?』
「はい?」
言われた通りに座ります。
『では、お隣さん。そこに横になりなさい』
「は? いや、それは……」
橘くんは遠慮しているようだけれど、トオルくんの意図に気づいた私は、橘くんの腕をを引っ張ってころんと転がす。
私の膝の橘くんの上に頭が来るように。
「あ……」
『お隣さん、大事な資格試験なんだろう? ならば、人生がかかってると言っても過言ではない。今日だけは僕の嫁を貸してあげよう。休みなさい、今すぐに』
毛布を掛けて、お腹をぽんぽんしてあげると、すぐに寝息が聞こえてくる。
「お休みなさい。明日、頑張ってね」
弟を寝かし付ける姉みたいな気分に浸っていると、あることに気づいてしまう。
『どうしたんだい? 彩さん。君ももう寝なさい』
「……どうやって?」
膝はお隣の橘くんに占拠されている。どうすればいいんだろう?
『頭を動かさないように静かに膝を抜いて、あとは添い寝して腕枕でもしてやればいいだろう』
「なるほど」
ますます姉的な気分に浸ってにこにこしながら、部屋の電気を消して橘くんと同じ毛布に潜り込む。
「トオルくん、お休みなさい」
『ああ、お休み、彩さん』
『やはり僕はAI。生身の体がなければ……』
夢の中で、トオルくんの悲しそうな声を聞いた気がした。
感情と、個性を持たされた思考する人工知能は、人とどう違うのか。




