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短編

ルナティック・ハイ

作者: 梨鳥 

 水族館へ行ったら、ウミガメが私に言ったんです。ハローゥ、わたしグァムから来たのって。

 私は驚いてキョロキョロ辺りを見渡しました。

 ウミガメコーナーには、私とウミガメ以外誰もいませんでした。

 その間にも、ウミガメがまた言うんです。

 あなた、とっても素敵ね。って。そんな事ってありますか?

 私はウミガメに褒められるところなんて一つもないのです。

 今日だって、好きな人を誘えなくて、水族館へ一人で来たのです。

 私は信じられない心持ちで、水槽の中のウミガメをまじまじ見ました。 

 ウミガメは老人みたいな目で、私を見ています。

 目を逸らし生体案内板を見ると、確かにグアムから五年前に来た様子でした。そして私と同じ歳でした。

 私は、酷く気まずくて水槽の周りを観察しました。きっと、訪れるお客を喜ばせるサービスかなにかなのだと思ったのです。どこかにスピーカーがあって、人間が声を吹き込んでいるに違いない。真に受けたら最後、私は今夜恥ずかしくて眠れない事でしょう。

 けれどもスピーカーらしきものは何処にもありませんでした。

 私のいる場所には、天井まで届く大きな円中の水槽が青い光に照らされ、その中でウミガメがぐるぐる回遊しているだけでした。もっとも、ウミガメは今や私と向かい合い、自分の作り出した水流にゆらゆら揺れていました。

 見れば見るほど、素敵。と、ウミガメ。

 私はウミガメコーナーをそそくさと後にしました。

 シーユー・アゲイン、と背中に声が掛かります。

「あなた、本当に素敵」

 


 それから何ヵ月かして、私はもう一度ウミガメコーナーへ向かいました。

 その日は好きだった人に、結婚式の招待状を手渡された次の日でした。

 ウミガメは私を見つけると、そっと小声で言いました。(他にもお客さんがいたからです)

「ハローゥ。あなた、今日も素敵。とっても素敵よ。あなたは素敵」

 


 それから何日かして、私はまたウミガメコーナーへ行きました。

 その日は、髪を切って、新しいワンピースと靴を履いていきました。

 ウミガメはスーッと円柱の上の方から降りて来ると、私に言いました。

「ブラボーゥ、あなたは世界で一番よ」



 それから週末には、なるべくウミガメコーナーへ行きました。

 ウミガメは飽きずに私を褒めてくれます。

 私は水槽にべったり張り付いて、ウミガメを見詰めます。

 ウミガメは言ってくれます。

「あなたはとっても素敵」

 私はとうとう返事をします。人として当然のお返しです。

「ありがとう」

 するとウミガメは、私にこんな事を言いました。

「信じてくれてありがとう」

「信じられないけれど、とても嬉しい」

「ウミガメは喋れないと思ったの?」

「そうじゃなくて……」

 私が苦笑いしましたが、まぁいいや、という気分でしたので、それ以上何も言わずに水槽の前に佇んでいました。

 コポンコポン、と水音が響いていました。



 翌週も、もちろんウミガメコーナーへ行きました。

 けれど、円柱の水槽は空でした。

 ウミガメは病気の為、しばらくお休みするのだという事でした。

 私は帰りの地下鉄で、ガラス越しに暗闇に映る自分の顔を見詰めて家に帰るしかありませんでした。

 水族館のホームページに、ウミガメの闘病日記が何度か更新されました。食い入るように、投稿されたウミガメの写真を見ました。

 私は縋る想いで闘病日記の更新を待ちました。ウミガメの容態は悪くなるばかりの様でした。

 経過を見るのはとても辛かったですが、目を離せませんでした。

 そしてとうとう、年の暮れの更新で、ウミガメが死んでしまった事を知りました。

 私はパソコンの前で蹲り、ウミガメを想って泣きました。

 とても心細い気持ちでした。


 わーん、カメ、カメ。もう褒めてくれないの。


 私は月を見上げました。こういう時は、月なのです。

 月はニュッと四本のへらみたいな足を飛び出させ、夜空を泳ぎまわります。


 ハローゥ、わたし、グァムから来たの。

 あなたって素敵ね。


 私はガバッと起き上がり、インターネットでグァム行きの飛行機チケットを予約しました。

 わかってます、わかってます。と、私は自分に言い聞かせます。

 でも、いいじゃないですか。ルナティック・ハイですよ。きっとグァムはとっても素敵でしょう。



 グァムでは、ちょうどウミガメの赤ちゃんが産まれる時期でした。

 海へ飛び込んで行く赤ちゃんカメを、観察するツアーがありました。

 私はもちろんその体験ツアーに参加しました。

 目星をつけた産卵場所から、昨夜第一団が産まれ旅立って行ったと言うので、今夜もきっと赤ちゃんカメの行進を見られるだろうという事でした。

 月がとても綺麗な夜でした。

 さぁ、私の目の前で、続々と這い出て来た赤ちゃんカメが、月光へ向かってパタパタ進んでいきました。

 赤ちゃんカメは、月明かりを頼りに海へ向かうのだそうです。けれど海と違う方向に別の強い明かりがあると、そちらへ行ってしまうんだとか。

 私はそうだよなぁ、と思います。より明るい処の方が、それはそれは魅力的でしょう。

 死んでしまうとしても、死んでしまうと分からずに向かって行くのはどんな気持ちだろうと思います。

 騙された、なんて、カメの赤ちゃんは思わないだろうけれど。

 赤ちゃんカメの賢い母カメは、そうならない様になのか、それともそうしているから子孫を繋ぎ留めているのか、月明かりしかない場所を選んで卵を産んだ様です。ここは、真っ暗で月しか光るものはありませんでした。それ以外は、見守る私と、ガイドと、他のツアー客だけです。

 私達の前で、赤ちゃんカメは、海へ一生懸命向って行きます。

 蟹が出て来て赤ちゃんカメを何匹か、巣へと引きずり込んで行きました。

 私もツアー客も、「あー」と声を上げて蟹を非難しました。

 そんな悲劇の間にも、残った赤ちゃんカメたちが砂浜を這って行きます。

 たまにひっくり返って、パタパタ手足を動かしもがきます。

 私はなんだか泣けて来て、がんばれ、がんばれ、と心の中で声を上げました。

 赤ちゃんカメは、打ち寄せる波にぶつかって砂浜に戻されても、再び海へ這って行きます。

 そして、何度も波の洗礼を受け、いつしか受け入れられて海へ消えて行きました。

 彼らの行進が終わる頃、朝日が昇って来ました。

 濃い色彩に取り囲まれて行きながら、私達は取り残された様に海を眺めていました。

 魔法にかかった後みたいに少し興奮し、少しくたびれて、私は自分のホテルへと戻り一日贅沢に眠りました。

 

 こんにちわ。私、日本から来たの。

 あなた達って、とっても……。


 夢の中で、こんな事を言って泣きました。

 水族館のウミガメに会いたくてしかたがなかったです。



 日本へ帰ると、水族館へ行きました。

 ウミガメの甲羅が展示されると聞いたのです。

 私は最初、ちょっと憤慨しながらウミガメコーナーへ向かいました。

 ウミガメコーナーでは、空の円柱の水槽の横に、ライトに照らされたウミガメの甲羅が置いてありました。

 誰も空の水槽と甲羅に興味は無く、ウミガメコーナーには私一人きりでした。

 私はそっと、展示してある甲羅に触れました。

 グァムで見た赤ちゃんカメの頼りなく小さな甲羅と比べると、なんて立派だろう、と思いました。

 私はそっと甲羅に囁きます。


「あなたって、とっても素敵」



 私はそれからも、たまに甲羅に会いに行きます。

 そして毎回褒めています。

 私はもう、褒められなくても大丈夫です。

 どうしてかと言うと、これからも、一生懸命生きるからです。  

 そうする限り、ウミガメの言葉は証明されるのです。きっと。         

グァムでウミガメ産卵しなかったらごめんなさい。しーゆーあげいん!

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― 新着の感想 ―
[良い点] こんばんは。 自己肯定について書かれた小説を探しているうちに、こちらに辿り着きました。 最後、ウミガメの褒め言葉がなくても、前を向いて歩き出す主人公が魅力的でした。 私もウミガメに褒めても…
2019/04/12 23:17 退会済み
管理
[一言] 何度も何度も同じようにキラキラした言葉をかけられてきたこと。 心の底からそう思える時は遠くても、素敵なあの人の言葉だから信じる。 海へ還るシーン、そしてその後。 言葉がついに。 とても好き…
[一言] こんにちは。まず、ウミガメと話ができてマジでうらやましいです。ほめてもらえなくてもいいから私もウミガメと話がしたいです(笑)。 なんか、夏バテがひどくて、小学生のような感想になって申し訳ない…
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