2.イケメン現る。
「なんとか家から脱出できたものの、今日は一段と暑いな……いや、暑すぎる……」
冷房がガンガン効いている家と、宛ら蒸し風呂のような外との、環境のギャップの差に適応できず、思わず口に出してしまった。
(家を出ること以外に、何か方法があったんじゃないのか……?)
今更になって、家を出たことを後悔し始めた。
しかし、あのまま家にいたとしたら、家のどこに逃げようとも、母さんが俺を追って、説教をしてきたはずだ。
やはり、これが一番良い方法であったと、自分に言い聞かせる。
「とりあえずじっとしてても暑いし、歩くか……」
決意を口にし、灼熱の中、散歩を開始する。
散歩コースはいつも決まっていて、ここ横浜市青葉区から隣の緑区まで片道約3キロを歩くというコース。アップダウンが多く、中々ハードな散歩である。
あるはずもない運命的な出会いを求めて、彼此6年ほどこの日課を続けている。
しかし、ここ最近は、猛暑日が続いていたので、5日間散歩をしていなかった。外に出たのも久しぶりである。
身体の隅々がキシキシと鳴るのがわかる。怪我をしたくはないので、普段より歩くペースを落とす。
5分くらい歩いただろうか。前方からイケメンが歩いてきたのを確認する。
(誰だ、あのイケメンは?俺が求めてるのはイケメンではなく、美少女だ)
俺はこの世の中で一番イケメンが嫌いだ。嫌う理由はあいつらはイケメンってだけで、チヤホヤされるからだ。人生勝ち組だからだ。
しかし、イケメンの様子がおかしい……
俺の後方には誰も人がいないはずなのに、誰かに向かって手を振っている。無論、俺の知り合いにあんなイケメンはいないので、俺に向かって、ということは無いはずだ。
「あのイケメン、暑さで頭がやられたのか…?」
なるべく視界に入れないように擦れ違おうと、スマホをポケットから出し、スマホに集中しているフリをする。
その時の、黒い画面に映った自分の顔見て、酷く落胆した。それと同時に、正面を歩くイケメンに対しての憎悪が膨らむ。
(はやくいけ……はやくいけ……お前は俺には眩しすぎる……)
(そろそろ通り過ぎたか……?)
顔を上げ、まず後ろを確認をする。
「あ、あれぇ……いない……?」
恐る恐る前を振り返る。目の前に、屈託無い笑顔でこちらを見てくるイケメンがいた。
すると……
「はや君!」
イケメンから謎の言語が発せられた。
予想外の展開に、頭が一瞬思考停止したが、すぐに状況把握のほうに、頭をフル回転させる。
(はや君……?はや君って俺のことだよな?しかし、なぜ俺の名前を……。というか、あだ名で呼んで来た。マジで誰だ……)
必死にこのイケメンが誰なのか考えてみるものの、皆目見当がつかない。
とりあえず、このまま無視していくのは失礼だ。イケメンを怒らせないように、下手に出て、名前を聞き出すことにした。
「申し訳ないのですが、僕、視力が悪くて、今日は眼鏡を忘れてしまっているので、あなたが誰かわかりません……」
決死の嘘をついた。
しかし、嘘と言っても、半分本当で半分嘘だ。
まず本当の部分というと、視力が悪いという点。
視力は0.3しかない。なぜ眼鏡を持ち歩かないのかというと、一ヶ月前、母さんのドロップキックによって破壊されてしまったからだ。
今日は雨だから、今日は暑いから、今日はダラダラしたいからとか言っているうちに、眼鏡を買い替えに行くことをすっかり忘れていた。
そして、嘘は、視力が悪くて誰かわからないという点である。視力が悪くても、さすがに目の前の人の顔くらいは、はっきりと認識できる。
「ははははっ、それじゃあ仕方ないね、はや君。ごめんね、いきなり話しかけて!」
なんという爽やかイケメンだ。忘れてしまった俺が悪いのに、謝ってくるなんて……好感が持てる。
「僕だよ僕、晴人だよ!全く、今日は暑いね〜。視界がぼやけそうだよ!」
晴人……?俺の知り合いで晴人という名前のやつは1人しかいない。高校で今年から同じクラスの成宮晴人だ。
成宮晴人は俺と同じインドア派で、趣味はアニメやゲームなので、ものすごく気があう。
その外見はというと……。なぜか思い出せない。
(あ、あれぇ……そういや、俺晴人の顔まともに見たことないかもしれない……)
というのも、成宮晴人と仲良くなったのはちょうど眼鏡が壊された一ヶ月前。コミュ障も相まって、会話はしていたものの、まともに顔を見ていなかったことに今気づく。
「ちょっ、待てよ……。まさかお前、あの……晴人か……?」
イケメンは、自分がなんの質問をされているのか理解できていない様子だった。
「う、うん……そうだけど、はや君、大丈夫?暑さで頭やられちゃった?」
(んなっ、なんてことだああああ!)
俺がここ最近ずっと仲良くしていた成宮晴人はこんなイケメンだったのか!!しかし、こんなイケメンがなんで俺なんかと?!
衝撃の事実に、俺は放心状態に陥っていた。
とりあえず、今は、この状況をどうにかしなければならない。気持ちの整理が出来ていない状態で、イケメン晴人と話してしまったら、俺は人間が理解できる言葉を喋れないだろう……
(どうする?どうする!?)
次に俺から発せられた言葉は至ってシンプルだった。
「メッッつ……眼鏡!!買いに……行くからああ!!」
捨て台詞を吐くように、晴人に向かって言い放つと同時に、全速力でこの場から逃げ去る。
「すまん、晴人……!!すまん……晴人!!眼鏡っ、眼鏡買いに行くからあああ!」
深い罪悪感を感じながら、走った。いつもは、立ち止まる長い坂も、一気に駆け上った。もう汗で服がビショビショだった。
しばらくして、晴人が見えなくなったところで、立ち止まる。
「俺は、何をしてるんだ……」
もっとまともな嘘をつけなかったのか。後悔をしても仕切れない。
せめてもの償いとして、眼鏡を買いに行くという嘘だけは、嘘にならないように、絶対今から買いに行こうと、深く決意し、緑区のメガネ屋を求め、再び歩き始めた……