5th story:仲直りとお仕事開始
「…何だよ、畜生。畜生…っ。馬鹿!糞ったれ!!」
苛々を引きずりながら、校舎を出る。
昼にあんなことがあったから、午後の授業と昼休みは苛々しっぱなしだった。
クラスメイトに「どうした、左近田?」と何回聞かれたことか。
緒倫のあーゆーとこ、マジで良くないと思う。
あいつだって怒ってんのかもしれないけど、だったらそう言えばいいじゃん。
“話したくない”って何だよ。
話し合いできなきゃ、仲直りできねーじゃん。
何が嫌だったのかとかハッキリさせりゃ、俺だってもうしないし!
それをいつまでもうじうじしやがって、根暗か!馬鹿じゃねえの!? 情けねえ男だな!
あーもー今日は漫画でも大量買いして帰ろう。
明日学校休みだし、思いっきり身体に悪そうな食生活してだらだら大画面でAVでも見てシコってやる。
――♪
一人大股で家への道を歩いていると、携帯がポケットで震えた。
「…!」
がば…!と弾かれたように手を突っ込んで取り出す。
緒倫か…!?
…と思ったが、違った。
事務所のプロデューサーだ。
「…はい、もしもし。左近田です」
『左近田くん、お疲れー。今、大丈夫?』
「あ、はい…。何ですか?」
『天海くんの件だけどねー。残念だけど…』
「え、あ…」
…そうか。
緒倫、やっぱ駄目だったか。
そりゃそうだよな、素人だし、ちょっとした思い立ちでいきなりプロの人の目に留まってシリーズとか、そんなシンデレラみたいな話――。
『筧さんがだーい絶っ賛~~っ!!』
「…………。へ…?」
深刻そうな声色から一転して、あっけらかんとしたプロデューサーの声に、俺は頭の切り替えが上手くできなかった。
数秒間ぽけ…っとしている間に、プロデューサーが続ける。
『いやもう、筧さんも気に入っちゃってー。君の友達だって言ったら、やっぱそーゆー方が左近田くんもいいだろうってんで、筧さんは一発OK。手垢付いてないしねー、彼もー。でも年齢があっただろう? あとやっぱ素人君だしさ、だからスタッフ間でちょっと話し合いに時間が取られてるみたいなんだけど、殆ど決まりそうよ。筧さんごり押しするって言ってたし、決めたら強いから、彼。素人なら素人じゃなくすりゃいいって、天海くん使いモノになるようによろしくって言われちゃった。どーしようねえ~、ははは!それにさ、もホンットにダメっぽかったら、筧さんの下に声優経験ある子がいるみたいで、保険に用意しとくってさ。徹夜させてでもやらせるから、一応表面上は天海くんでいいだろうって。…あ、天海くんには絶対内緒ね。気分いい話じゃないだろうからさ。あと、内定もまだ内緒ね、内緒。けどさ、結局前段階のCDでは濡れ場は無いからってんで、通してみようって話になってるらしくて。…ほら、何だかんだでゲーム化は勿論一年以上先になるだろうし、その頃には天海くんも――』
「ちょ、ちょ…ちょっと待ってください!!」
ようやく話が呑み込めてきた俺は、わたわたと携帯を両手で持ち直して話を止めた。
緒倫が採用されたって話だよな?…あれ?そうだよな?
『ん?』
「それって、俺の相手役が緒倫でいいってことですよね!?」
『いや、だからそう言ってるでしょうよ。何、どしたの左近田くん。パニクってない?』
「何で今さっき、“残念だけど”とか前置きしたんスか!」
『え、だってこの間事務所に来たとき、君、彼に向かって“お前なんかが受かるワケねーだろ”的なこと言ってなかった?』
「……」
え、言ったか…?
全然覚えてねえけど、そういえば、言ったかもしんない…。
『君の中で何か葛藤があるのかと思って。一緒にやりたいけど、ライバル増えるの嫌的な』
「い、いえ…。そこんとこは別にないですけど…。知ってる仕事仲間ができるのは嬉しいし…」
『ウチとか激弱事務所だけどさ、なんか今年キテるよー。ネットの春日野くん確保してから、君を見つけちゃって、そんでまたここに来て天海くんとか…。やばいね!もう来るね、時代が!ウチの!!』
「は、はあ…。ご期待にそえられるかどーか…」
プロデューサーの意気込みが半端ない。
電話の向こうで興奮してるのがめちゃ分かるし…。
『…というわけだから、天海くんにもし会ったら言っておいて。もちろんウチからも連絡するんだけど、さっき出なかったんだよね』
「はい、それは…。……あっ!ちょ、でもあいつもしかし――」
『よろしくー!』
「……」
景気よく通話が切れた。
聞いてくれ、人の話を…。
…もしかしたら、あいつもう声優の仕事、受け付けないかもしれないのに。
「……。せっかく、受かったのに…」
せっかく、一緒に仕事ができるかもしれないチャンスがあるのに。
…けど、仕方がない。
BLが生理的に無理っていうなら、無理だろう。
声の演出は、現実でない以上、何をどうやっても“演技”だ。
動きで雰囲気を与えられる要素がある仕草付きの演技より断然に役者の気分とか本音が滲み出て、何とかそれっぽく疑似の気分で声を覆おうとしても、どこかに不機嫌なら不機嫌、機嫌なら機嫌が出てしまう。
自分の本来の気分を包む膜を厚くすることはできても、密封はできない。
仕事としてやってみて分かったんだけど、欺しきれない。
だから、生理的に受け付けないなら、そもそも無理だ。辞退すべきだと、正直思う。
「……」
…一応、受かったことは告げるべきだろう。
そんで、嫌なら嫌で、緒倫が断ればいい。
…あとやっぱり、ちゃんと話して、謝んなきゃ。
「……」
顔を上げて、今歩いてきた学校からの道を振り返った後、家に帰る為に進んでいた足を、俺は止めた。
……。
三十分とか待つかなとか、ヘタしたら俺の方が下校遅いんじゃないかとか思ったけど、緒倫がその場所を通るまでは十五分とかからなかった。
連絡入れてもどうせ無視されるような気がしたから、待ち伏せしかない。
明らかな俺の姿を見かけると、緒倫は素直に寄ってきた。
「…何してんの。もしかして、俺待ち?」
「…そーだよ」
「……。何?」
「あ、あのさ…。…頼むから、話、したい」
「……」
「仕事の話。事務所からの連絡…。お前にもしたけど、出なかったって」
言うと、緒倫は自分のポケットから少しだけ携帯を覗かせ、親指で軽く操作した。
履歴があるだろうことは確認しただろうけど、そのまますぐまたポケットに仕舞ってしまう。
…逃げられるかな、また。
そう思ってどきどきしながら相手の反応を待っていると、露骨に緒倫がため息を吐いた。
「…どうせ、落ちただろ」
「いや、それが…。逆だってさ。内定っぽい」
「……」
緒倫が少しだけ瞳を揺らして俺を見た。
「…な。だから、ちょっと話そうぜって。マジで。奢るから」
「……」
敢えて反応を待たずに、俺は歩き出した。
数歩進み、ちらりと背後を振り返る。
…かなりの距離を空けてだが、ちゃんと付いてきてるのを見て、心底ほっとした。
「…ほら」
途中にあるコンビニで買ったペットボトルの炭酸を渡すと、緒倫は素直に受け取った。
隣に座って、俺も袋の中からジュースとポテトチップスの袋を開けて、真ん中に置く。
ファストフードとかの方がいいんじゃないかって思ったけど、緒倫が嫌らしいので、こんな野ざらしな感じだけど…。
また家に呼ぶのも何かアレだしな…。それと比べれば、まあいいか。
「今日一日俺と距離取って、少しは落ち着いたか?」
「…少しはね」
「あっそお…」
「……。それで?仕事の話って何」
「あ、ああ…。後でお前にも直で連絡あると思うけど、先方が、お前の声でもいいんじゃないかって話をくれたんだって。だから、俺の事務所も先方も、できればお前にはやって欲しいって」
「……」
「でも、その…。お前は、嫌なんだろ。あーゆーの」
「…BL?」
「俺は、何ていうかお前ほど繊細じゃないからさ…。最初自分が聞いた時も、驚いたけどお前ほどじゃなかったっていうか…。だからこの間もつい自分基準でふざけちまったけど、そういうの無理って奴も当然いるだろうから…。…考えなしだった。ごめん」
そこは素直に謝っておく。
汐らしく謝る俺を、緒倫が横目でちらりと見たのが分かった。
手に持ったボトルを軽く放りながら、タイミングを計っているように見えるが、まだ緒倫からは口を開かない。
沈黙に負けて、俺は続けることにした。
「…あのさ、誘って悪かったよ。最初からあんま乗り気じゃなかったもんな、お前。断るなら断るで、早めに言わないと大事になるからさ…。お前から言い出しにくいなら、俺から事務所に言ってやるよ」
「……。別に、やらないなんて言ってない」
「え…?」
「……」
「…え?何。…お前、まさかやる気なのか?」
予想外の言葉に、俺は身を乗り出した。
緒倫が不愉快げな顔で俺を見返す。
「叶が嫌なら、止めますけど」
「ばっ…!い、嫌なワケないだろ…!!でも、だってお前、平気なのかよ。BL無理なんじゃねえの?」
「全然感覚分かんないけど、だって受かったんだろ?」
「嫌なら、無理矢理やらなくていいんだからな。俺に気を使うなよ。もしお前が駄目ってなれば、正行とか手頃なの掴まえてくるからさ」
「…何か、その名前この間聞いたな。CDの相手の役の奴だろ、それ」
「あ?正行…?この間言っただろ。先輩なんだって。お前聞いてなかったな」
「叶がそいつの方がいいっていうなら、そいつに頼めば?」
「んな事誰も言ってないだろ。お前がどうかって話してんじゃん。あいつに頼むこともできたけど、その前にお前どうだっていうんで誘ったんだろうが」
何かぐちゃぐちゃ言ってるが、結局引き受ける気はあるってことなんだな?
「やってみるってことで、いいんだな?」
「さっきからそう言ってんだけど」
ふて腐れた様子で、緒倫がむすっと肯定する。
…おお!
プロデューサーが事務所入ってくれねーかな~とか言ってて、筧さんもOK…ってことは、本当に…。
「…っしゃあ!やったあ…!!」
ぐっ…と右腕で拳を握って、思わず声に出た。
仕事友達が増えた…!
しかもすげー顔見知り。めちゃくちゃ嬉しい!
「ありがとうな、緒倫!」
「…!」
ばん…!と背中を叩く。
続けて拳を緒倫に突き出すと、反射的にだろうけど、緒倫も拳を合わせてくれた。
「これから忙しくなるかもしれねえけど、頑張ろうぜ。お前と一緒なら、でかい仕事でも安心してできそうだ。一人だと俺、マジで度胸ないからさ」
「…ていうか、俺がド素人なんで。叶にちゃんとしてもらわないと困るんだけど」
「なあ、プロデューサーに電話しろよ」
「いや、別に後でもいいだろ…」
「じゃあ俺がしてやるから!」
嬉しくて半端ない。
気が変わらないうちに既成事実確立しちまえば、逃げ場も無いだろう!
立ち上がって、俺は緒倫から少し離れながら携帯をポケットから出した。
鼻歌歌いながら電話帳を開く。
「――あ、もしもし。プロデューサーですか?左近田でーす。緒倫の件なんですけど…!」
「……」
俺がプロデューサーに緒倫が引き受けるという話を伝えてから本人に変わる間、緒倫は呆れたように俺を見ていた。
プロデューサーに声優引き受けるって話を伝えてから、改めて俺たちはボトルで乾杯した。
乾杯しようと誘うと、今度は昼間みたいに無視することも抵抗することもなく、付き合ってくれて、そっからは普通に話ができた。
どうやら機嫌は直ったみたいだ。
…結局、何だったんだ。あの猛烈な不機嫌は。
「なあ、緒倫。BLの仕事引き受けるっていうのなら、昨日のとか昼間とかのあの不機嫌は何だったんだよ。俺、他に何か悪いことしたか?教えてもらわないと、もう一度やっちまうかもしれないからさ、教えてくんない?」
「ああ、あれは…」
「股間タッチが嫌だったのか?」
「……」
ストレートに聞くと、緒倫は半眼で溜息を吐いた。
嫌そうな顔を見て、俺はしみじみ感嘆した。
「…あのさ、この間も思ったんだけど、お前って結構純情だよなー」
「…は?」
「エロ話とか、そういやあんましたことないなと思って。苦手?」
「……。怒っていい?」
「…!」
ドスが利いた低い声が緒倫の口から出て、一瞬ぎくっとした。
こ、こえ…。
ぶんぶんと片手を振る。
「ご、ごめ…。悪い。違う、そういう意味じゃなくて、マジでお前とは下ネタとか話したことねえなって思っただけ!」
「興味ないわけないだろ。男だし。病気かよ」
「あはは。だーよなーあ」
「別に嫌いなわけじゃないけど、確かにあんまり人とはしないかも。…ていうか、人とあんま深い話しねえし。叶とは他の話ばっかしてるし」
「ふーん…」
エロ話って深いか…?
もうその辺からしてピュアな感じがするけど…。
友達がいないわけじゃないみたいだし、単純に話題の好みとして好きじゃないのかな。
確かにこいつ、あんまり人に懐かない方だもんな。
個人主義というか、一匹狼的というか…。
「…あ、ごめん。話折って。それで、何で怒ったんだ?」
「……」
「なんでそこ黙るよ?」
微妙な顔してる緒倫に疑問符浮かべて聞いてみる。
暫く待ってみたが、自分からはなかなか言い出さなさそうな空気だったんで、奴の袖を掴んで軽く引っ張ってみる。
「なーなー、何で何で?」
「……。…変態っぽくて、言うの嫌なんだけど」
「なに?」
「ちょっと…焦ったから。叶の、そーゆー声聞いて」
「…へ?」
「だって、キスまでとか言ってても、どう聞いても息とかヤってるし。キス程度であんなんなんねーだろ。どんだけ上手いんだよっつーか。…ああいうジャンルの仕事もしてるの知らなかったし。何か、ちょっと予想外過ぎて、衝撃。最初、うわキモって思って萎えたけど、それが横にいた叶っていうのが、ちょっとじわじわ」
「……」
「そしたら叶、突然股間触ってくるし。素直に焦った。当日は、軽くパニクって、逃げただけ。今日は、どう反応していいか分かんなかったのと、叶の声にちょっとやられたって素直に認めるのに時間かかってただけ。…でも、もう認めることにしたから、俺的にはもういい」
「え、でも…。お前別に硬くしてたわけでもないし…」
「ちょっとやばかった」
「……。へ、へええ~…」
何言っていいか分からず、頭で考えるよりも口から気のない返事が出てしまった。
それって、すごく嬉しい。やったぜ感がある。
だが、緒倫はちょっと心配そうに俺を見る。
「…なんか、ごめん。叶相手にちょっとだけでも興奮とか。マジ変態っぽかった」
「え…!い、いや、全然!!寧ろ嬉しい!男までその気になってくれるんだったら俺としては“よっしゃ、勝ったぜ!”って気分になるし。…っていうか、それ言うなら俺の方がたぶん変態だって!最初ああいうの聞かされた時、勃ったから!」
しゅんとしてる緒倫が可哀想になって、思わず自分の痴態を喋ってしまう。
忘れもしない、あれは正行に仕事だからと部屋に連れ込まれて、無理矢理聞かされた挙げ句、始めて出会うBLというジャンルにあわあわして、迂闊にも軽く興奮…というか、焦ってしまった股間を問答無用でガッと掴まれたのだ。
じたばた暴れるのを押さえられ、散っ々、からかわれた。トラウマじゃ、トラウマ!
「へえ…。そうなん?」
「やっぱさ、慣れないとどうしてもどきどきしちゃうよな。演ってても、時々変な気になる時あるもん」
「ふーん…。まあ、それもそうか。それだけ演技入ってるってことだもんな。俳優とか女優も、ドラマ収録中は相手好きになったりする奴いるとか、聞いたことあるな…」
「だから、ハッキリ“オンオフ”の切り替えができるようになるといいらしいぜ。じゃないと、プライベートまで気持ち持ってかれるだってさ、作品の人物に。乗っ取られるらしいぜ」
「へー。おもろー」
「おもろいか? 怖いと思うけどな、俺」
「叶もそうなら、俺だけじゃないのか…。よかった」
ほっと安堵の息を吐いて、緒倫が目を伏せた。
よっぽど困惑したんだろうな。
その場からすぐ逃げたから、俺の時みたいに、傍に経験者がいて「そういうこともあるある」…なんて言ってくれる奴もいなかったわけだしな。
「でもな、お前、ああやって速攻逃げて遮断するの、よくないぞ」
「何が?」
「今日一日、マジで喋ってくれなかっただろ」
「だって、何言っていいか分かんねえし。自分の中で結論付けてからでないと、話し合いも無理だろ?」
しれっとした顔で、悪びれもなく緒倫が言う。
こぉんの…甘ったれめ。
俺がどんだけおろおろしたか分かってねえな…。
「あのな、俺、マジでお前に嫌われたかと思ったんだからな。ほら、俺あの時背中に乗っかっただろ。よっぽどボディタッチ嫌だったのかと思ってさ」
「そんなの、今更特別嫌がるわけないだろ。叶、普通ん時もべたべた人に触る方だし」
「え…。そ、そうか…?」
「股間掴むのはちょっといきすぎな気もするけど…。まあ、“すぎ”ってのも大袈裟かなっつーレベルだし、んなキレる程じゃねえよ。普通なら」
「そーかあ?お前、友達とふざけて掴んだりしない?」
「しない」
へえ、そうなのか…。
俺、割とふざけてやったりするけどな。ガキすぎかな。
「何はともあれ…。ああやって、すぐ逃げ出すの止めろよな。話し合いもできないだろ。何が嫌だったのか、ハッキリ言えよ」
「ふーん…。…じゃあ、まあ、次あったらそんな感じで」
「次がないのが一番だけどな」
「…それで。その声優の仕事っての、今度から一緒にやるわけだろ。この間聞いたみたいな、ホモ話なんだよな?」
「あー…。まあな。たぶんな。…お前、大丈夫か?」
「分かんない。やってみなきゃ分からないし。できることはできるだろうけど、単にやることと上手くやることは違うだろ。できないかもしれない」
「台本、まだ見てないだろ。お前、俺のやるキャラのこと好きになんなきゃいけないんだからな」
「叶は、俺のやる奴のこと好きになるんだろ?」
「まあな。そう演るさ」
「ふーん」
「学生ものだから、そこまで変に設定が非現実的なわけじゃないから…。あんま力入れすぎないで、気楽にやれよ。エロいシーンとか、まだ特にないからさ」
「頑張る」
軽いなあ…。
大丈夫かな。俺は別にいいけど、素人とかアイドル起用って、結構やり慣れてる人たちが苛々したりするんだよな。俺もまだ素人みたいな経歴だけどさ…。
俺もちょっと気にして面倒みるようにしよう。
「分からないことがあったら聞けよな。俺、明日事務所にバイトしに行くけど、一緒に来るか?」
「じゃあ、行こうかな。慣れときたいし、場所。挨拶しなきゃだし」
「そうしろそうしろ。ついでに何か資料もらって来いよ。リハっつーか、声だしみたいなのは割とすぐだぜ、きっと。サンプル上げなきゃなんねーから。うち、珍しいらしいんだけど、相手に事前に声あてたの送るから。明日はすぐ終わる予定だから、帰りに遊んで行こうぜ」
「ああ」
「なんかさー、最近一緒にいられて嬉しいな。これから、きっともっと一緒にいられるぜ」
飲み終わったボトルを袋の中に入れて口を閉じながら言う。
緒倫が横で、小さく笑った。
「…まあね」
朝、バイトの時間前に緒倫と待ち合わせして、連れだって事務所にやってきた。
一緒に部屋の端でいつも俺がやってる顔マッサージしたり柔軟したり、声出しを一通り一緒にやってからロッカールーム出てすぐ、偶然廊下でプロデューサーの姿を見かけ、こっちが声をかける前に向こうが手を振った。
「ハーイ、左近田くーん!」
「おはよーございまーす」
「おはよー!そしてぇ~…天海くん!もっ!おはようっ!!」
「…!」
ずびしっと指を突き付けられ、緒倫は一瞬だけびくっと肩を上げた。
…慣れるまでが、この人のテンションって難しいんだよな。気持ちは分かる。
「…おはようございます」
「昨日は二人とも悪かったね。ありがとう。天海くーん、連絡もらって嬉しかったよ。これから二人で頑張っちゃってよね」
「はい。気合い入れます!」
「……ス」
「今日、左近田くんが天海くん連れてくるって聞いて、うちも用意してあるから。契約手続きとかね。当面はバイトになるけど、ウチのこととか契約とか、軽く説明したいし。ハンコ持って来た? 聞いた話じゃ、君はヲタクじゃないんだって?」
「えーっと…。たぶん、一般人かと…」
「ドラマCDっていう単語も知らなかったんで、お手柔らかにお願いします」
俺がフォローを添えると、プロデューサーはうんうんと満足げに頷いた。
「いいねえ、レアだね。イマドキの高校生とか、普通に何かしらのヲタしてるのが多いじゃない。左近田くんもそうだけどさ、その潔癖さとかも魅力だよねー。ルックスいいしさ、速攻ファン付くよ、きっと。けど、まずは基礎だねえ~」
「はあ…」
緒倫が曖昧な返事をする。
分かんないよな、そんな話されたってさ。
「おっと…。左近田くんはあんまり呼び止めちゃまずいよね。予定入ってるんだろ?」
「ああ、はい。子供向けの雑誌付録のナレーションが一本と、歌のデモテープのやつが一本。…でももう後は収録室行くだけで――」
「よーお、カーナミーン!」
俺たちが廊下で足を止めてると、奥の方から正行が丁度歩いてきた。
小さなバック片手に、大きく手を振る。
「Pちゃんさん、お疲れさまでーっす」
「やあ、春日野くん。お疲れー」
「よう、正行。はよー。今からどっか行くのか?」
「今日は移動なんでね。ソシャゲの王子様やってくるよー…ん!chu!」
「投げキスいらねー!」
話し終わりに投げキスする正行が面白くて、思わず笑ってしまう。
あんまり大手ではないけど、乙女系にも最近引っ張られているから、俺なんかよりずっと畑が広くて、こうしてうちのスタジオじゃない場所へもよく行く。ホント、凄いなと思う。
「…っと、そうだ。たこ焼き屋、見つけたから今度行こうぜ」
「マジで見つけてきたんかい」
「ははっ、まあねい。俺、中トロ派でさ、半生くらいのが好きなんだよ。それっぽいの見っけたからサ。…じゃあな、また後で。行ってきまーす!」
呆れ半分、面白半分で笑う俺の横を、足を止めずにそのまま正行は通過した。
「おう。またなー」
「行ってらっしゃーい。頑張ってー」
「どーも」
「……」
緒倫の横を通る際、正行が気楽に緒倫に挨拶した。
…が、緒倫はどう反応していいか分からなかったのか、特に反応しなかった。
ま、通りがけだしな。
「…叶」
「うん?」
呼ばれて緒倫の方へ顔を向けると、少し身を屈めて小声で聞いてくる。
「今のが、例の声優仲間?」
「ああ、そうそう。あれが正行。あいつも結構若いだろ。今日は移動だってさ。珍しい。…あ、うち移動珍しいんだよ。スタジオ持ってるから。何か仕事もらっても、そのままうちで収録することが多いんだ。また後で紹介してやるよ」
「ふーん…。…何か、軽げ」
「いや、お前は言えない」
正行の背中を見送りながら言う緒倫の感想に、思わず苦笑して突っ込んだ。
正行は確かに内面も軽いけど、見た目だけならお前だってたぶん軽く見られがちなんだぞ。
中身はガード硬すぎて、他校の女子が実際知ったらドン引きするんだろうなあ…。
「それじゃあ、そろそろ動こうか。左近田くんは収録室ね」
「あ、はい…!」
「天海くんは、こっち付いてきてねー」
「…はい」
「じゃあな、緒倫。終わったらエントランス待ちな」
「ああ。分かった」
緒倫と別れて、俺は急いで収録室へ向かった。
午前中いっぱいでバイトが終わり、俺と緒倫は事務所を出た。
俺は普通に仕事していたが、緒倫の方はプロデューサーや事務の人に色々と書かされたり説明されたりなんだりして、そのくせ早めに終わって、結構な時間を待ったらしい。
「事務の人と二人とか、マジきつかったんだけど」
「ああー。あの人、無口だからな。自分から喋らない人だし」
いつも窓口にいる女の人は、美人だが必要以上を喋らない。
エントランスは入口付近にあるから、常にこの人の視野に入るわけだ。
そんなことはないんだろうが、監視されてる気分になるのはよく分かる。
「しっかし、晴れてるなー」
天気がいいので駅まで歩くことにする。
どのみち遊ぶなら駅前だろうし。
「それで、これからどこ行く?何か寄りたいところとかあるか?」
「別に無いけど」
「じゃあ、取り敢えず飯食い行こうぜ。同業者の卵になったお祝いに、奢ってやるからさ」
「マジで?」
「おう、マジマジ。でもお前、これからは仕事でも俺は先輩だからな。今まで以上に、崇め奉るよーに」
「今まで、特に崇めたことないけど」
「崇めろ!」
「はははっ。うぜー!」
あ、笑った…。
珍しいな、緒倫が声上げて笑うなんて。
淡々として見えるが、本人も声優の卵になれて嬉しいんだろうな。
そう思うと、俺だって嬉しくなる。
例のシリーズの件は、もしかしてもしかしたら、最期の最後で筧さんたちがゴメンナサイする可能性も捨てきれないわけだけど、もしそれが駄目でも、ひとまずはウチの事務所声優として小さな仕事とかやるようになるだろうし。
それに、緒倫にはそっちの方が、やっぱりあってる気がする。
「じゃあ、ラーメン食いたい」
「ラーメンなー。オッケー。んじゃあ、駅前の旨い…」
「その後は……そーだな。じゃあ、デザートにホットケーキで」
「ホットケーキ…ってまたガキじみた…」
「数年食ってねえなと思って。今唐突に思い出した」
「阿呆か。…で、どこ?」
この辺りでホットケーキ出すような所あるだろうか。
場所を聞こうと緒倫を見るが、しれっと首を傾げる。
「知らね」
「お前な…」
「作れば?」
「えー!マジでー?めんどー!!」
「作れよ」
「ケーキ買って帰るんじゃ駄目なわけ?」
「ケーキ冷たいじゃん」
意味分からん。
なんだ、あったかいデザートが食べたいのか?
…まあ、市販のケーキは要冷蔵なものが多いっつーか、デザート系って普通そうだろ。
「…ワッフルじゃ駄目か?」
「駅ナカ?ハワイのだろ?めちゃ並ぶじゃん。やだ」
「冷凍でできてるやつあるじゃん。買って帰る案」
「否決で」
「……」
「安上がりでいいじゃん。叶のためを思って言ったのに」
「うわ、恩着せがましい。…うー。仕方ねーなあ」
今日は緒倫のお祝いだもんな。冷凍と手作りの違いが分からないわけじゃねえし。
最大限叶えてやるか。
「じゃあ、ラーメン食って材料買って、お前んち行くか…。デザート食うまでに時間空くけど」
「いいよ」
何が「いいよ」だ。お前が決めたんだろってーの。
…でも、何かマジで嬉しそうだな。
仕方ない。今日はとことん優しくなってやろうじゃねーか。
「よし。そんじゃ、まずはラーメン行くぞー!」
「おー」
間延びした緒倫の同意に頷いて、俺たちは休日の午後を楽しむことにした。
続