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Sweet Voice  作者: 葉未
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プロローグ

――まだ、俺の両親の仲が良かった頃。

毎日の宿題の一環に、国語の教科書の朗読があった。

やってもやらなくても、丸つけちまえばそれまでの宿題を何故俺が真面目にしていたかというと、俺の朗読を楽しみに、にこにこと聞いている両親がいたからだった。

家に帰って、お袋に聞かせて、親父が帰ってきて、親父に聞かせて……ハンコを二つもらう。

しまいには、担任までもが俺を褒めてくれた。


かなみくんの声はとてもきれいで、息継ぎも間の取り方も聞きやすいわね。みんな、見習っちゃいましょうね」


自分の声の何がそんなにいいのかは分からなかったけど、幼心に嬉しかった俺は、人前で何かを読むのが好きになり、小四からは放送委員に入ったりした。

調子に乗って、近くの図書館のボランティアの人達の手伝いで、子供の声が必要な時には、やる側として参加した。

中等部になって、部活は合唱、委員は替わらず放送委員。

高校になるのを切っ掛けに、月二で図書館で行われる読み聞かせボランティアのメンバーに入った。おばちゃんしかいないが、まあ新鮮で面白いし、ガキは可愛い。

最初はぎくしゃくしていた読み聞かせ会にも馴染んだ、高一の終わり――。


「君、いい声してるね」

「……は?」


図書館の前で軽トラに荷物を運んでいると、謎の男が俺にそう告げた。

男は、怪しくはない容貌をしていた。普通のおっさんって感じだったんで、俺は軽く感謝した。


「え、ああ…声っすか。ありがとうございます」

「うんうん。いい声してるよ、本当。あのさ、突然だけど、声優とか興味ない?」

「……声優?」


後は驚くくらい滑らかに進んだ。

今思えば考え無しの行動だったような気もするが、招かれるまま事務所を訪れれば、決まっていた新人声優が急性盲腸にかかってこられなくなったとか。

スケジュールぎちぎちなんで、すぐに出来る奴を探していたとかで、「こんな素人でいいのか?」と思いつつ、言われるままに手伝った。ボランティアの延長だ。

駄目なら駄目って切るだろうと思っていたが特に何を言われるわけでもなく、そのまま出入りして、ちょこちょこと声の仕事をもらえるようになった。

最初は幼児向け番組とか、キャッチフレーズの一声とかだったけど、そのうち児童向けのローカルショートアニメとか入らせてもらって、すげーマイナーだけど携帯ゲームのキャラとかやったりして。

そんで気付いたら……。




「『なあ…。いいだろ……?』」

『ちょ、馬鹿……!それ以上、寄るな…って……!!』」

「『恋人だろ、俺ら』」

「『ふざけんなよ!五分前になったばっかりでキスしろってのか!?』」

「『何だ。案外貞淑なんだな、お前。……そういうとこ、可愛いよ』」

「『馬鹿!本気で止め……っ!?』」

「『はは。……かわい、カナミン』」

「……。ちょっと、ストップ」


さっと右手を上げて制止を告げる。

覗きガラスの向こうにある調整室で、スタッフ数人が笑っている顔が見えた。

ぎろりと隣を睨むと、澄まし顔で続ける同僚がいやがる。


「『照れるなよ。……ほら、大人しくしろって』」

「……おい」

「『指が震えてできない? …馬鹿だな。いいって。やってやるって』」

「おい、正行!」


思わず半ば本気で噛み付くと、隣で収録してた正行はようやくマイクから距離を取った。

途端に笑い出す。


「なっはっはっは!どーよ。ビックリした? なあ、ビックリした!?」

「ビックリした?、じゃねーよ!真面目にやれ!!」


右の拳をわなわなさせて怒ってんだぞアピールする俺の肩を、馴れ馴れしい様子でぽんぽんと正行が叩く。


「んな怒んなって、カナミン。ちょっとしたお茶目だろ。お前の気分盛り上がんねーと、この後の濡れ場ムズイだろーが」

「何が濡れ場だ!キスシーンだけだろーが!!んな気遣いなくてもやってのけるわ!」

「おうおう、言うねえー。先輩の親切を払い除けやがって、こーいつぅ~!」

「だーもーっ!うっぜえええ!!」


片腕伸ばして俺のフード掴んで引き寄せると、ぐりぐりとこめかみを地味に虐める正行。

何が、俺の気分を盛り上げるだ!

正行がこうやっておちゃらけ始めるのは、自分が飽きてきて誰かにじゃれつきたいだけだっていうのを、俺は経験上良く知っている。

スタジオ内でぎゃあぎゃあやってる俺たちを見て、隣の部屋から声が放送で入った。


『春日野くん、左近田くん。いいタイミングだし、休憩にしようか』

「お、ラッキー。そんじゃ、そーしますか、カナミン。休憩だってさ。俺そろそろ水分欲しかったしぃ、甘いもんも欲しいいしぃー」

「し、白々しい……」


お前がもぎ取った休憩だろうが。

…とは思うけど、俺もちょっと気分転換したかったし。休憩は素直にありがたい。

台本にしおりを挟んで置いて、俺も先に出た正行を追って、スタジオを出た。

隣の部屋に出ると、スタッフさんたちがお疲れの声をかけてくれる。


「カナミン、飲み物買ってこよーぜ。コンビニコーヒーのみたーい」

「おー」

「ちょっと出てきまーす。コーヒー飲む人―?」


正行がドアノブ握りながら声をかけ、それに数人が挙手する。

いちにー…と俺が数えている間に、正行は軽く片手を上げる。


「うぃっす。行ってきまーす」

「え? あ、行ってきます…」

「はーい。行ってらっしゃーい」


軽く手を振ってくれるスタッフに振り替えし、俺たちはそろってスタジオを出た。





スタジオ――。

収録スタジオ。

そうだ。収録スタジオだ。

『スタジオ・レミエル』。

まだリニューアルして新しい会社らしい。以前はスタジオ貸出だけだったらしいが、次第に声優を主とした芸能業と引き続きスタジオや備品レンタル、それから一部企画や制作請負もやったりしている小さな元貸しスタジオ事務所。

最近、子供向け番組などのナレーションでたまーに見かける名前になってきたかな?と思う。弱小とはいえ、去年一昨年から、市場が広がりを見せているといっていいだろう――なんて、まあ、一介のアルバイトである俺には難しい話は良く分からないけどさ。

一介のアルバイトである俺の名前は、左近田叶さこんだかなみ

まだ学生の身分だが、俺は声優のバイトをしている。

バイトといっても、未成年だからそういう扱いしかできないわけで、殆ど将来は決まっているようなものかもしれない。少なくとも、大学卒業までは地味に声優をするだろう。

事務所の課長ともその辺の話はついている。俺もこの仕事は好きだ。

アルバイトは社会勉強で元々やってみたかったし、声優は顔が出なくていいのが嬉しい。

しかし、最近やっているのは幼児向けアニメーションではない。

さっきの流れで当然分かると思うが、俺たちが最近頻繁に出てるのは“BL”というジャンルだ。

知っているだろうか、“ボーイズラブ”。

所謂、男同士の恋愛を題材にしたジャンルだ。これが意外と需要がある市場だったりする。


「カナミン、何飲むー?」

「カフェオレ。あと何か、甘くて喉越しもの。ゼリーとか」

「んじゃ、俺ティラミスも食いたいからお前それで。飲み物は缶ビー…」

「コーヒーどこ行った!」


こいつは、春日野正行はるひのまさゆき

仕事場では、俺の三ヶ月先輩だ。同期だといっていいだろう。

年齢的には二つ上だが、何かもう軽く悪友の域だ。

俺と違って、正行は事務所が募集したオーディションに受かってこの道に入ったちゃんとした新人声優。俺みたいな中途半端な奴のことなんて嫌うかもしれないなと最初は思ったけど、そんなことはなかった。結構面倒見のいい兄貴分だ。

けど、あんまり周りにいなかったレベルで言動が軽い。不真面目な訳じゃないんだが、何となくおちゃらけていて余裕に見えるのは俺が年下だからなんだろうか。


「…あ、そーだ。そういえばさ、カナミン。この間、“サプソンズ”のチームリーダーさん来てただろ」


買ったコーヒーを口元に添えながら、もごもごと正行が言う。右手には事務所のみんなの分のコーヒーを二段重ねで持っている。

サプソンズとは、ゲーム会社の一つだ。比較的新しいこぢんまりしたところだけど、なかなかネット上での評価は高い。

本職はゲームプログラミングらしいのだが、その他にもCDとかグッズとか、色々出しているし、主に男同士の恋愛のBLと、女同士のGLを売りジャンルにしている。どっちかというとGLの方が目立っている気がする。やったことないけど。


「ああ…。なんか、今度新作シリーズのドラマCD出したいから、どう?って話もらったって、プロデューサーが言ってた」

「おお、マジで? やったじゃーん。お前、あそこのリーダーにすっげ気に入られてるもんな~。そーじゃないかと思ったんだ」

「初日に会ったからな。俺が事務所来た初日に、たまたま向こうも初めてウチの事務所に挨拶に来てたらしいんだよ。お互い迷ってて、お互い会社の人だと思ったけど違くて……で、一緒に事務室行ったんだよな。縁とか験とか担ぐ人みたいでさ、良くしてくれんの。ありがたいよな」

「へえ~。またBL?」

「そりゃそうだろ。GLにゃ出ねえだろ。…いや、出てもいいけど」

「お前の声、可愛さ滲み出てるもんなー。何つーの、理想の高校生ボイスっつーか…甘ちゃんボイス? 変声期終わってそれだろ?」

「終わった。昔はもっと高かったんだぜ」

「低すぎねえよなー。丁度中間って感じ。滑舌いいし、かわゆい」

「褒めてねーよな、それ…」

「ははは。褒めてる褒めてる!」

「まあ、中学ん頃とか、発声とか滑舌の講座受けたりしてたしなー」


別に声優になろうとかは思いもしなかったが、読み聞かせが上手くなりたかった。

お話し会ボランティアなんて、ちょっとダサイしあんま人に言えるもんじゃないが、この手の密かな趣味なら、老後まで一生続けられるかもしれないとか思ったし。

俺自身、あんま親とか大人とかに本を読んでもらった経験は無いから、それと同じくその辺のガキんちょだってそうだろう。

…いや、俺はもしかしたらちょっと特殊な家庭環境なのかもしれないが、それでも家読してる親って少なくなってるって聞く。

最初は興味ないって顔で遠巻きにちら見してるようなガキらが、いざ話し始めると興味深そうに周りに集まってくんのとか面白かった。いつだってムカつくガキは一定数いるが、可愛いガキだってちゃんと一定数いるもんだ。

だから俺だって、より雰囲気持たせて話せるように、いっちょやってやっか、みたいに思ったわけだ。

その時の微々たる情熱が、今は基礎力の高さに繋がっているらしい。

そんなもんなのかねえ…。

まあ、決して華やかなタイプじゃない。ちょいちょいな声優なんてマイナーな仕事が、俺には合っているのかもしれない。


「正行はアレだよな。ねちっこい攻めとか似合うよな」

「お褒めに与り光栄」

「…嫌味だっつーの」


正行の場合、入った時期は俺と同じくらいだが、キャリアが違う。

元々、ネット上でボイスを流していたりしたらしくて、インディーズ時期がありファンも付いている。歌もかなり上手い。カラオケに行くと平均が92点とかで、いつも80周辺を彷徨いている俺からすると羨ましい。

ちゃんと、声優を“夢”として努力してきた奴だから、応用も利くのだろう。

性格が明るくてテンション高いが、役柄としてはクール系とかねちっこさ入った多少変態くらいの奴とかが似合っている声をしている。

キャラの性格が違うとやりにくいんじゃないかと思うが、色々な声をアップしていた経験があるからだろう。どんなキャラもさらりとこなす器用さがあって、現に新人に位置するだろうにスタッフからの信頼もかなり厚い。

まだウチのスタジオ直属の声優班はかなり少なくて、本当に数人しかいないし、他の班もみんな大学上がりくらいの若いやつばっかりだから、その中では正行は“手慣れている”感じがするのは分かる。

声優にもファンが付くことが多いらしいが、正行のファン数人以外は、誰もうちの事務所は見ていないだろうと思う。


「新しいシリーズかあ…。なんか、不安だなー」


ぼやく俺に、正行が首を傾げる。


「何で? やったじゃん。『新しい仕事もらったぜ、イヤッホー!ラッキイイイィ!!』…くらいに思わなきゃ駄目っしょ」

「うーん…。でも俺、そこまで大がかりなのあんまりやったことないし」


声優といっても、新人も新人。

ちょい役専門みたいな立ち位置だ。

今取ってるのだって、あるマイナー雑誌の同人付録CDみたいなちょっとしたもので、そこまで大きなものじゃない。


「仕事は楽しいけど、知らない奴と一緒に仕事するのは、ちょっと苦手だからさ」

「あー。カナミン、BL取る時、殆ど相手俺だもんなー。…つか、まだあんまし、そこまでガッツリ!ってのが無いんだろうけどさ。子供向け教材の声とかの方が、ウエイトはまだでかいしねー」

「案外、人見知りなんだよなー、俺…」

「あれ? BL的にヤってるシーンは経験無いよな?」

「無いよ」

「あー…。うーん、どうだろうな。そのシリーズがどんな内容なのかに因るよな」

「今録ってる程度なら、全然いいんだけどさ。キスの真似事くらいなら」

「まあまあ、今心配しても無駄だろ。取り敢えず、先方からの話がはっきりするまで待てよ。それより、今は目の前の仕事だろ?」

「…だよな」


そりゃそうだ。

まずは、今現在収録しているやつが最優先。俺レベルじゃ、まだまだ同時進行するような仕事の入りは無いわけだし。


「一個に集中できるから、助かるよなー。人気声優とかじゃ、毎日死んでんだろうしさ」

「そりゃそうだよな。まあ、やっぱ、いつかはそうなりたいけど」

「へえ…。けど、正行は案外すぐじゃね? もうファンいるし。出待ちとか時々あるじゃん、土日とか」

「こらこら。何他人事言っちゃってんの。真綿でぬくぬくされてる事務所の金の卵は、どー考えてもカナミンよ?」

「えー。マジでー? だといいなー」


空になった紙コップをゴミ箱に投げ入れて、俺たちは事務所へ戻ることにした。





「お疲れっしたー!お先失礼しまーす」

「お疲れさまでしたー。お先失礼しまーす」


まだばたばたと動いているスタッフさんたちに一礼して、俺と正行は先に廊下に出た。

今日の収録は終わりだ。まだ夕方で外も明るい。


「カナミン、この後帰るだけ? どっか遊んでかね?」

「いいよ。どこ行く?」

「つか腹減ったのヨ、俺。たこ焼き食いたい」

「たこ焼きぃ~? あったか、この傍に?」


スマフォをポケットから取りだして周辺を調べてやろうと操作を始めると――。


「左近田さん…!」

「ん…?」


呼ばれて顔を上げる。

廊下の先に、事務所のプロデューサーと一緒に、スーツの男の人が立っていた。


「あ、筧さん…!」

「やあ。元気そうだね」


スーツの男・かけいさんが、いつもと変わらず穏やかに微笑んでいた。

さっき話題にしてたサプソンズの例のチームリーダーだ。

最初にこのレミエルに来た時、窓口の人がたまたま席を外していた時だった。だから同じく初めてここにやってきた筧さんを会社の人だと思って畏まって挨拶しちゃったけど、相手も実はここに来たのが初めてで、結果二人で少しおろおろしたという経験がある。

そのせいかすっかり顔見知りになって、本当は事務所の偉い人と話すようなお客様なのに、俺にも気さくに話しかけてくれる。


「こんにちは」

「収録終わったの? ご苦労様です」

「ありがとうございます。それにしても、偶然っすね。ミーティングとか打ち合わせですか?」

「そうだね。…と、言いたいところだが、偶然ではないんですよ」

「…?」

「君待ちだったからね。グッドタイミングみたいだったけど」


にこにこする筧さんが言いたいことが分からず首を傾げていると、隣に立っていたプロデューサーが説明してくれた。


「ほら。この間、少し左近田くんの耳にも入れただろ? 例の、BLCDのシリーズの話」

「あ、ああ…」


内心、ぎくりとする。

俺の一歩後ろで、正行が吹き出したのが分かった。

ぎ…っ!と睨みをきかせると、露骨に冗談めいて肩を竦める。


「んじゃ、俺はお先に。寄り道はまた後日な、カナミン」

「ああ…。たこ焼き屋、お前が探しとけよな」

「はいはい。…そんじゃ、お先失礼しまーす。お疲れ様でーす」

「はーい、お疲れ様―」


プロデューサーが正行に手を振る。

筧さんの前を通る時、正行がぺこりと会釈をし、筧さんも頭を下げた。

…そうなんだよな。普通、取引先の相手のリーダーとそこまで親しくないもんだよな。しかも俺たち新人だし。

ほんと、俺なんだってこんな特異な人に懐かれちゃったんだか…。


「もしかして、何か約束があったかな?」

「いや…。そんな大した話はなかったんで。腹減ったから何か食べ行くかー、みたいな」

「そうか。それなら良かった」

「できればこのまま筧さん交えてちょっと話したいんだけど、いいかい、左近田くん」

「え、ええ、まあ…」


プロデューサーにそう言われてしまえば、部下としては帰れないし拒否れない。


「それじゃ、筧さん。ミーティングルームに」

「すみません。お願いします」

「……」


歩き出す二人の後を追って、俺もその背中に付いていく。

筧さんが、プロデューサーに正行のことを聞き始めた。


「さっきの彼は?」

「うちの新人声優の春日野です。左近田とよく連んでいましてね」

「ああ、彼が春日野さん。そうですか。深いいい声していますね」


歩きながら、前の二人がそんな雑談をする。

…ああ、何かやだなー。嫌な予感がする。憂鬱だ。

どんな話なんだろう。少なくとも悪い話じゃない気がするけど、俺に主人公とか、無理だと思うんだけど。

正行とかの方が全然いいと思うんだよな…。

まあ、あいつは受けって感じじゃないから、主人公には向かないのか。

“どかんと一発当てたいなー”みたいなことを正行はよく言うが、俺はあんまりそういうの思わないし立身出世の意識が無い……というか、声優なんて職業で立身出世できるとは思っていない。

ちょっとでもいいから、俺の声を求めてくれる人がいて、聞いてくれる人がいればそれでいいんだ。ほんのちょっとの人が聞いてくれるだけで。

…でも、色々考えたって仕方ない。俺は、言われたことすればいいんだよな。仕事だし。

いくら気に入ってくれているとはいっても、あくまでぺーぺーの片足ドブに突っ込んだままみたいな素人だ。そんな無茶苦茶な振りはしないだろう。


「はーい、どうぞー。入って入ってー」


ドアを開け、プロデューサーが一番に入ってしまう。

…おい、おっさん。そこお客さん優先なんじゃないのか!

俺が呆れていると、筧さんも似たように感じたのか、小さく苦笑した後、ドアを押さえてくれた。


「どうぞ、左近田さん。お先に」

「え、あ…。ありがとうございます…」


普通逆や…。

情けなく思いながら、お言葉に甘えて先に入室する。後からドアを閉めて入ってきた筧さんに、軽く頭を下げた。


「…なんかすんません。俺もですけど…。うちのプロデューサー、悪い人じゃないんです…」

「知ってるから大丈夫だよ。君が気にすることじゃない」


愉快そうに笑いながら、筧さんは席に向かった。

良い意味で周りを気にしないタイプのプロデューサーが、朗らかにイスをばしばし叩く。


「左近田くん、ほら。かけてかけて」

「あ、はい…!」


俺も慌てて席に着く。

あんまり大それた仕事じゃなければいいんだけど…。





――しかし、だ。

俺の予想は打ち砕かれ、それは実に大それた話だった。


「――…。はい…?」

「いや、だからね」


あくまでにこにこと脳天気な笑顔で、プロデューサーは話を繰り返す。

なんとなく、俺に最初図書館で声をかけてくれた時のことを思い出した。こののんびりとした軽い感じがまるで話すこと全て何でもないことのように見えるけど、さらっと重要だったりとんでもないことを言うんだ、この人は。


「筧さんのとこで出すシリーズの主人公、左近田くんにしたいんだって」

「嫌かな?」


隣から筧さんが続く。

…いや、そこまでは許容範囲だ。先に筧さんにちらっと聞いていた通りだ。

だが――。


「いや、あの…。げ、ゲーム化前提のシリーズなんて、聞いてません…!」

「いや、前に言ったと思うけど」

「言ってません!」

「そうだったかな…」


おっとりした様子で、こんな時でも上品に筧さんが腕を組む。

言った記憶を思い出そうとしたって無駄だ。絶対言われてないから、俺。

んなトンデモ発言聞いたら覚えてるって!


「うちの中でも結構大きく出してみようかなと思ってるんです。それでまず、CDで第三弾まで出して、一頻り設定とキャラが固まってからゲームを打ち出す。今BL市場は乙女に圧されて下り坂だから、逆に大穴狙いのチャンスなんですよ。一人勝ちの可能性がある以上、総力を挙げて大々的にいきたい」

「いやちょっと待ってくださ…」

「因みに、アプリも出す予定なんだってさ。やったな、左近田くん!」

「全然やらないっ!」


思わず、バンッ…!と軽く両手で机を叩いて身を乗り出してしまった。

聞いてくれ、人の話を…!

俺の声に驚いて、向かい合っている二人は一旦言葉を切ってくれた。

慌てて身を引いて、座り直す。


「す、すみません、でも…。でもだってこれ……」


そんな彼らに、さっき差し出された目の前のA4冊子を突き返す。

どれくらいの規模が大々的なのか小規模なのか、売る側じゃない俺にはよく分からないが、プロジェクト草案には、ドラマCDから始まり、ゲーム化、キャラソン、グッズ等々、今市場で流行っているものと何ら変わりないような気がした。

勿論、制作の一部に声優という職業で所属しているわけだけど、まさか自分で反省復習以外の娯楽として聞いたりすることはないから、実際に売りに出した後の人気とか何とかは、気にしたことがなかった。

けど、そんな俺の耳にも届く、女子に人気のBLのドラマCDみたいなものがある。

この企画書だと、まるでそれと同じ規模みたいだ。今まで細々と、子供向け番組やキャラクターの声や、ソーシャルゲームの一言台詞、大きくても雑誌付録の聞き切りだけやっていた俺には、雲の上の話だ。

…て言うか、俺、同業者あんま詳しくないけど、それでも引くくらい予定声優の欄すげえぞオイ。


「だってこれ、有名人たくさんいるし…!」

「いや、有名人っていっても、少しピーク落ち着いた子たちだから。問題児は省いたつもりだし」

「俺、ぺーぺーのド素人ですよ!? ご迷惑になります!」

「君がぴよぴよな新人さんなのは知ってるよ。だからこそだ」


そう言って、筧さんはちらりとプロデューサーに目配せをする。

プロデューサーはいつも通りにこにこしているが、それでも双眸が鋭いように見えて、一瞬ぎくりとする。

今までソファに背中を預けていたプロデューサーは、前屈みになって自分の腿に肘を置いて手を組み合わせた。


「いいかい、左近田くん。ちょっと覚悟して聞いて欲しいんだけどね、ウチは君を推していきたいと思ってる」

「は…? な、何言って…。俺なんかよりすごい人はたくさん――」

「そりゃあいるだろうね。上を見ればきりがない。君はうちに来てからいつもそうだ。“俺なんかまだまだ”“もっと凄い人はたくさんいる”“俺よりもなになにさんの方が”…。それが口癖みたいなもんだよねえ」

「……」

「でもねえ、左近田くん。君は本当にいい声してるんだよ。何気なーく図書館でぼーっとしていたおっさんが、ちょっと気になるくらいにいい声なんだ。『ねえ、今の子、いい声してるねえ~』なんて、君、私生活でやたらめったら気付いたことある?」


いつもと違うプロデューサーの雰囲気に押され出す。

おいおい、待ってくれ。勘弁してくれよ…。


「い、いや…。そりゃあんまりないですけど…。でもそれは、プロデューサーがプロの人だから…」

「筧さんも思ったんですよねえ?」

「思いました。初日に彼に道を聞いた時、一発で声優さんだなと思える、澄んだ発声をしていました。私もそれまで仕事時間以外で“この人いい声してるな”なんて思ったことあまりありませんでしたけど、その時は素直に君の声がひっかかりましたよ。君が声優さんじゃなかったら、そのままこちらに推薦しようかと思ったくらいで」

「筧さん…。勘弁してくださいよ…」

「いやでも、本当に」


大人二人相手に煽てられたって、緊張するだけだ。

元々褒められることとかは苦手だ。逃げ場がどんどん無くなっていく。


「君は基礎が出来ているんだよ。他の子みたいに、まず“声優になりたい”から入る子とは違う。読み聞かせをやっていただろう? 子供たち相手に。巧みな朗読や読み聞かせは、視聴者のイメージを巻き込み、その人の事前知識を基礎にして想像を明確に構築する劇でありオペラですらある。“上手く話に入って欲しい”“楽しんで欲しい”から入ってきた子だ。自分で市や県の話し方講座みたいなところにも通っていたよね? 面談の時、聞いて驚いたんだよ。自覚無しに努力家で前向きなところも今時珍しい」

「え、いや……」


膝を合わせて、肩を上げて俯くしかできない。

ほ、褒められんのは嬉しいけど…。

でも、本当に大それたことはしてないのに、そんなに大事に受け取ってもらっても困る。


「…あの。気持ちは嬉しいですけど…。経験が無いと、俺としてもどうしていいか分からないんです。できるかもしれないし、できないかもしれない」

「やっちゃえやっちゃえぃ!」

「じゃなくて!」


ノリで煽ってくるプロデューサーに噛み付く。

そういう軽い話じゃないじゃん!


「やるなら、とびきり上手くやりたいです!…でも、上手にできるかどうかの博打を、良くしてもらってる筧さんのサプソンズでやりたくないです。なんかそんな、実験みたいなこと…」

「左近田さん…」

「……」


…おいおい。

拒否ってるってのに、どうしてそんな感動気味にハンカチ取りだして目元拭くんだ、止めてくれ…。


「うーん。どうしますか、筧さん」

「いやもう、是非、左近田さんでお願いします。元々他の子のことは考えて無いので。うちのシリーズが、御社と弊社と、御社の左近田さんの知名度を上げるのに役立ってもらえればそれが理想です」


こらおっさん…。

何だその駄目男っぽい発言は!

俺そんなにあんたと親しくなった覚えはまるっきり無いぞ。


「いや、ですから…!もっとちゃんと考えて選出した方がいいと思うんです!」

「十分考えました」

「そんな、筧さんの一存でいいんですか? 他の人の意見は聞いたんですか!?」

「私の一存じゃありませんよ。スタッフは同意しています。脚本は私の下ですし声優には拘らない奴なので…というか、元々決定権のある人間は少人数なので。多いと道見失うんですよ、うちの業界は」

「だってそんな…。…だって!筧さんって、まるで俺の…その、何つーかその……。た、ただのファンみたいじゃないっすか!!」


言ってやった!

そうだ。ちょっと前から思ってたんだ。この人、俺の声が単に好きなだけなんだ。

だからああやってちょいちょい仕事を持ってきてくれたりするんだ。

でも、仕事は仕事じゃないか。個人の好き嫌いで決めるのは、絶対良くないと思う!

…ところが、ぐっと拳を握って断言した俺に、筧さんはさらりと頷いた。


「うん、そうですよ」

「え…」

「私は君のファンだよ。今更それがどうかしたかい?」

「……」


想像以上のさらり加減だったので、俺が固まる。

…え?

筧さんの隣で、プロデューサーも首を傾げていた。


「そんなの見てれば分かるじゃないか。…ねえ?」

「ねえ?」

「……。こ、個人の好き嫌いで仕事決めていいんすか…!?」

「つくっている側が一番のファンじゃなきゃ、いいものはできません。最高のものをつくろうと思えば、つくる側が“いい”と思うものを、そりゃあ掻き集めますよ。そしてつくる側は個人の集まりで、私はその総括です」

「……」

「大丈夫ですよ。市場チェックもちゃんとしていますから。勝率が低ければ提案しません。正直、出が悪ければ途中で打ち止めもありますからね」


腰が抜けるみたいに、俺は椅子の背に身体を預けた。

…やばい。

やばいぞ、これは。

だって、俺は…。俺は、あんまり大きな仕事はしたくないのに…。

テーブルの上に伏せたくなる心境を抑えて、俯くしかできないでいる俺に、プロデューサーが真面目な声で告げる。


「君にはね、期待してるんだよ」

「……」

「君は若いし素直だし、夢も向上心もあるが、それは“野心”と呼べるほど貪欲じゃない。放っておいたら動かなそうだ。宝の持ち腐れだって、酒を飲みながら軽く愚痴ったら、筧さんや他の人も同じことを考えていたみたいでね、こういう話になったんだ」

「ほ、他の人も…?」

「他の人も」

「他の人も」


こくこくと頷く大人二人の発言に滅入る。

誰だ、他の人って。だから何なんだその大プッシュは。

やりたくない訳じゃない。力になりたいけど、自信がないんだ。分かれ、そこ。


「だから、卒業後も現役大学生でいいからうちに所属してねって、先約したんじゃないか。普通、なかなかしないんだよ、こんなこと」

「……」

「まあ、うちがまず弱小事務所だからなんだけどねー。ははは。こっからだよね、こっから。君や春日野くんがいるんだから」


にっこりと頷くプロデューサーと筧さんに、青筋立てるしか無かった。

…そんなに期待されてたのか、俺。嬉しいけど、それ以上に猛烈にショックだ…。

何でみんなそんな、俺のことなんか…。


「ここらで、打って出ないかい、左近田くん」

「……」


プロデューサーと筧さんが、真剣な瞳で俺を見据える。

場数を踏んでいる大人の男二人に対抗できるほど、俺は度胸が据わってない。

それ以前に、そこまでみんなに期待されているのなら…恐いけど、受けて、頑張るべきなのかな、と思った…。


「……お、俺で本当にいいんですか?」

「勿論」

「考えた上でお願いしてるんですよ。私たちも、出来る限り君がやりやすいように用意するつもりですから」

「……。じゃ、じゃあ…。本当に俺でいいなら……が、頑張ります!」


よろよろと、ふらつきながら椅子を立つ。

膝が一回抜けてかくってなったけど、何とか直立不動になり、前で手を合わせる。


「よ、……宜しくお願いします!!」


カチコチになりながらも、何とかそう言って、頭を下げた。

拍手した後、お互い手を握ってはしゃいでいる二人を放置で、一人だけどんより沈む。

…ああ。売れなかったらどうしよう。筧さんやプロデューサーのプライドがかかってる。

本当に頑張らないと…。




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