三
「――では新入社員を紹介する。こちらから高橋隆一と難波歩美の二名だ」
小宮山が新人を紹介する。由衣の元にひとり配属されると聞いていた。一体どちらが自分のところに来るのだろうかと思い、ボヤッとしていると、
「彼女は設計担当の早川由衣さんだ。難波さんは彼女のところでやってもらう。――早川さん」
突如自分の名前が呼ばれて慌てた由衣は、
「え、えっと……、は、は、早川です」
つい、どもってしまった。照れ隠しに愛想笑いするが、かなりみっともなかった。
ちなみに、高橋は一階の事務所でネット関係担当となる。
ミーティングが終わって、由衣は難波を連れて二階に戻った。
「――よろしくお願いします」
難波歩美はそう言って頭を下げた。
「こちらこそ……」
由衣は作業台の椅子に座って、それに答える。
難波は小柄な体格で、ショートカットにメガネが特徴の女性だ。人の良さそうな顔立ちで印象は良い。由衣は脚を組み直して難波の顔を見ると、ふと天井を見上げてアゴを触った。
「えっと……まあ、どうしようか。とりあえず何ができるのかな?」
由衣はとりあえず難波がどの様な人物かを見定める事にした。自分の隣の机を難波の席にする事にしており、そこに座らせて色々と質問した。
難波は現在二十八歳で、美大卒業後に大阪にある家具メーカーに就職。それから、そこでデザインの業務をやっていたという。しかし、景気悪化の影響で人員削減の対象となり、その後、今年の春頃に出身地である岡山に帰ってきてバイトなどをしながら就職活動をしていた。
藤井は家具デザインの経験があるという事で採用したらしかった。
「CADは使える? って、まあ使えるよね」
「はい。このCADも使った事ありますから大丈夫です」
難波は由衣の机のディスプレイに表示されている、CADのソフトを見て言った。由衣は、なかなか頼もしいかも、と思った。
「以前に働いていた会社では、どういったやり方をしてたの?」
「基本的には分業でした。私は主に製図を担当する事が多かったです。3Dモデリングを作ったりしていました」
「製図か、なるほど」
由衣は愛用の製図用シャープペンをいじりながら言った。
「はい」
元気よく返事する難波。
「とりあえずは製図をメインに試作品作るの手伝ってもらおうかな」
「はい、頑張ります!」
難波の瞳はキラキラと輝いていた。
「あの。早川さんは<若返り>なんですね。事前に聞いてはいたんですが、いざ会うとちょっとびっくりしました」
難波はコーヒーを持ったまま、由衣の顔を見た。
「――そうなの?」
「実は私の従兄弟に<若返り>の人がいるんですが、早川さんほど若くなっている人は聞いた事がなかったもので」
「ふぅん。まあ、でもそれはそうだと思うよ。いつだったかネットで見たけど、国内では二十歳以下まで<身体年齢>が下がっている人は数人らしいから」
「そうなんですね。そんなに少ないと思いませんでした」
「でも本当に大変だよ。よく子供と勘違いされるし。一度、車を運転しようとして警察に声をかけられた事がある。本当に嫌になるね」
「やっぱり辛いですよね。でも早川さん、私より背が高いですが……」
難波は一五四センチで、小柄な部類に入る。一六二センチの由衣の方が背が高い。
「背丈の問題じゃないね。わたしは見た目が子供だから……」
そう言って由衣はコーヒーをひと口飲むと、
「さあ、仕事しよう。じゃあちょっと手伝ってくれるかな」
由衣と難波は作業台の方に移動した。
由衣は厚紙を図面の形状にカットしていた。製品の試作模型を作っているところだ。家具一式を全般的に揃えたい為、あらゆるタイプを試作していた。現在由衣が作っているのはキャスター付きのワゴンで、その引き出し部分の構造の模型を作っていた。
由衣は実は密かに、こういうものを頭の中で全て再現できる頭脳を備えているが、藤井達に説明して見せるのに、手に取れる形にする必要があった。それにそもそもディスプレイの中だけではわからない部分がある。それを確かめるには、やはり模型であれ実際の物を作る必要があった。
藤井工業には3Dプリンターの様な有用な機械が無い。紙等で手作りするしかなかった。
しばらく続けて、ふと壁掛け時計を見た。十六時五十分頃である。もうすぐ定時だ。由衣はまだ帰れないが難波は初日だし、今日は定時で上がらせるようにと言われている。
「難波さん、今日は初日だし、定時で上がって。明日からは残業できる?」
「はい、大丈夫です。別に今日もできますよ」
「はは、頼もしいね。でも今日は定時で上がって。じゃあ、明日から頼むよ」
「はい」
難波はバッグに荷物を入れて、帰る準備をすると、由衣の方を向いて笑顔になった。
「早川さん、ではお疲れさまでした」
「お疲れさま」
土曜日の仕事が終わった後、新入社員の歓迎会をする。由衣はあまりこう言ったイベントが好きではないが、難波の歓迎会でもあるので、参加しない訳にはいかなかった。
場所は会社の近所にある焼肉店だ。店長が藤井の知り合いらしく、融通が利くという。由衣は焼肉は好きだが、体質の関係でたくさん食べられないのが辛いところだった。以前ほどではないが、すぐにお腹いっぱいになってしまう。とはいえ焼肉は久しぶりなので、少し楽しみでもあった。
「早川さんはどうやっていくの?」
向井は道具を片付けながら、由衣に言った。
「わたしは歩いて行きます。近いし。向井さんは?」
「へえ、近くはいいね。俺は一度帰って、嫁に送ってもらう事にしてるよ」
「家庭があるといいですねえ」
「まあ早川さんみたいに、飲まない人なら車でもいいけどね」
午後六時、「焼肉レストラン大林」で、難波と高橋の歓迎会が行われた。由衣は六時過ぎ頃に店に到着した。丁度店の前で、末森と吉木に遭遇したので、一緒に店に入った。会場は店内の奥にある座敷らしい。
店員に誘導されて、座敷に上がる。
「オレ、焼肉久しぶりだから楽しみなんすよ」
吉木は嬉しそうに由衣の顔を見て言った。
「わたしもしばらく食べてないから楽しみだよ」
「こいつ、いっつも飲むばっかだからさ、ロクに食べれないんじゃない?」
末森は吉木の肩を叩いてニヤニヤしている。
「なんだよ末森。今日は食べるよ、ガンガン行くから」
「ホントかよ」
このふたりは入社が一年違いで歳も近いせいか割合仲が良い。由衣はふたりに調子を合わせて愛想笑いしながら、一緒に会場に入った。
「ええ、我が社に素晴らしい人材がまた揃った。そうなのだ! 我々はこれでまた一歩前進する!」
藤井はいつもの調子で拳を振り上げて挨拶している。由衣はそこから一番遠い席に座っていた。藤井の近くは嫌だった。四人ひと組で囲む形式で、由衣のところには野崎と難波だ。参加者が十一人なので、一台だけ三人席ができる。難波は車なので飲めない、野崎は未成年なので当然。ちょうどいい。
「じゃあ、ふたりにひと言願おうか」
藤井はそう言って、難波と高橋に起立を促した。
「ええ……高橋です。このような席を開いて頂きどうもありがとうございます。色々と迷惑をかける事も多いかもしれませんが、よろしくお願いします」
拍手の音が一斉に鳴った。
「難波です。歓迎会をしてもらえるとは感激しています。一生懸命頑張ります。短いですが、よろしくお願いします」
再び拍手の音が鳴った。
「さあ、みんな。大いに食べてくれ。飲んでくれ!」
「早川さん、どうも今度とも宜しくお願いします」
そう言って側にやってきたのは高橋だ。高橋はネット担当だと藤井は言っている。現在、藤井工業のホームページを製作中だという。
高橋は三十五歳の大柄な男だ。大学を卒業後、数社を渡り歩いてきた。しかし大柄な割に表情は優しく、気が弱い。酒も煙草もダメだと聞いて由衣は親近感を持っていた。
「こちらこそ。いろいろ大変だろうけど、がんばってね」
「ええ、でもすごくやり甲斐がありますよ」
少し頼りなさげな笑顔で高橋は言った。
「うちのサイト作ってるんだよねえ」
「ええ。今月中に公開予定です。まだ書ける事が少ないですが……」
「そりゃあそうだろうね。まだ商品がないもの」
「社長もあまり何をしたいか、はっきりしていない感じがします。だから僕も少し困ってしまって」
「まあ、とりあえずでいいじゃないかな。何だったらツイッターか、ブログでもやってみたら?」
「この間言ったんですが、まだ早いとの事でした」
「ああ、そう……」
由衣には、何がどう早いのかさっぱりわからなかった。
しばらく話していると、向井がやってきた。
「よう、高橋さん。何話込んでんの? こっち来て飲もうぜ」
向井は高橋の方に腕を回して、まとわりついてきた。酒臭い匂いがする。由衣は今の身体になって酒の匂いが非常に苦手だ。そばではないにもかかわらず漂ってくる匂いに不快な気分になった。
「ああ、向井さん。ぼ、僕はあの……飲めなくて」
申し訳なさそうに向かいに愛想笑いする高橋。
「いいじゃん、ちょっとくらい。こっち来て、なあ。少しだけ」
やたら絡んでくる向井に困った顔をしていたが、「――早川さん、では」と言って、向井に連れて行かれてしまった。
由衣はただ見送るだけだった。
「早川さん」
難波が、藤井や向井達がいる奥の席から、由衣のいる方に近づいてきた。しばらくして戻ってきたのだ。
「ああ、難波さん。どう?」
「あっちは何やら賑やかで。適当なところで逃げてきました」
少し奥の方を見て、由衣に視線を戻した。
「ああいうところには近寄りたくないね」
「ははは。車だから飲めないけど、そもそも私もあんまり飲むの好きじゃなくて」
「飲まなくていいよ。なんなんだろうね。酒呑み達は」
「そういえば、あそこは派手にやってますねえ」
難波の視線の先は、吉木達のいるところだ。由衣の歓迎会の際にもそうだったが、吉木は本当によく飲む。それに向井もだ。由衣にとってあの場所は立入禁止区域だ。
「早川さんの歓迎会もこのお店だったんですか?」
難波はウーロン茶をひと口飲んでいった。
「いや、違うよ。ここよりちょっと南にあるよね、岡幸っていう和食の店」
「ああ、岡幸ですか」
「あそこも社長の知り合いだそう。あちこちよく知ってるねえ」
そう言って、由衣もウーロン茶をひと口飲んだ。
「やっぱり社長ともなると接待とかあるだろうし、いろいろと顔が広いんでしょう」
ちなみに藤井と岡幸の店主は同級生である。現店主は二代目という。この焼肉店は若い頃からの常連だったそうだ。
由衣は、iPhoneを取り出して時間を確認すると、まだ十九時だった。二十時までするらしいので、まだ一時間もある。もうお腹いっぱいだし、飲むものも大して欲しくないし、困ったものだ。
「早川さん、それじゃあお疲れ様」
藤井は由衣と難波を見送る。
「社長。早く、早く!」
向井と末森が藤井を引っ張っていった。どこかで二次会するらしい。
「はは、みんな好きだね。じゃ、帰ろうか」
「はい」
由衣と難波は一緒に会社に向かった。会場が会社の近所な為、難波は自分の車を会社に置いて出席していた。由衣も歩いて家まで帰るが、会社の前を通りがかるので、途中まで一緒にという事だ。
ふたりは会社までやってくると、
「じゃあ、また月曜日に。お疲れ様」
由衣は難波に向かって小さく手を振った。
「はい、お疲れ様でした」
難波は由衣に向かって頭を下げると、駐車場に向かって行った。
それを見送りながら、由衣は帰路についた。