五
「これだ! これがいい。これを至急仕上げてくれ」
藤井は目の前の試作品を眺めて、そう叫んだ。
この試作品は、いわゆる折りたたみ椅子だ。座面を跳ね上げる事で、背もたれと後ろの脚の間に収まって平たい形状に出来る。折りたたみ方法に独自性があるが、割合よくあるタイプの折りたたみ椅子の派生である。機能面よりも、細かい部分のデザインやカラーリングにかなり力を注いだものだ。
「これはいいだろう。絶対売れる!」
藤井はしきりにまくし立てている。
「でも……まだ色々と問題も……」
由衣は、少し小さな声で言った。
「ん、何が? こんなにいいのに」
藤井には聞こえたみたいで、すぐに由衣に聞き返す。
「少し複雑なので、コストが……それから、やっぱり耐久性も……」
「そんなのどうにでもなるだろう! それをどうにかするのが君の役目だ!」
藤井は由衣を指差して叫んだ。
「は、はあ……」
今は商品開発会議の真っ只中だ。会議と言っても由衣と藤井、小宮山の三人しかいない。藤井工業では、とりあえず自社製品の第一号に、先の折りたたみ椅子を発売する方針で計画している。この椅子は藤井がお気に入りで、まだ開発途中にも関わらず早く仕上げろとうるさく言っているのだ。
「まだ様々、検証している試作品だ。これを第一弾にするのは無理では?」
小宮山が藤井に言った。
「いや。できる! できないとダメだ! 何の為に君がいる。僕はこれがウチの第一号じゃないとダメだと思っている」
藤井の強引な推しに由衣は困ってしまった。由衣は第一弾の製品に、ペン立てや小物入れなどのデスクステーショナリーのシリーズを考えていた。これはもうほぼ仕上がっており、由衣も自分で言うのも何だが、まあまあの自信作だった。
この折りたたみ椅子は、確かに見栄えがする。ギミックもあり、センセーショナルな製品になるだろうと思われる。だから藤井が気に入るのもわかるが、小物入れなどと違って割合に大きな商品であり、慎重にいった方がいいと思っていた。
「でも、じゃあない! やるんだ!」
藤井は勢い余って、試作の椅子を両手で叩く。その拍子に全体がギシギシと軋んだ。それを見た小宮山は、ゆっくりと藤井の方に視線を移して、
「まだ耐久性など問題が多い。そもそもこういうものは、破損の際に使用者が負傷する恐れも多い。急かして完成させてもいい事にはならんだろう」
と、慎重論を唱えた。
「それがダメなんだ! 小宮山さんは落ち着き過ぎている。そんなんじゃ追い越される!」
しかし、藤井は否定した。
「もう少し冷静に考えるべきだ!」
小宮山も強く言った。
ふたりの緊迫した雰囲気に、由衣は何も言えなかった。
会議は結局平行線のまま終わった。とにかく強引で突っ走る藤井と、冷静で藤井をなだめる小宮山。まるで正反対だがうまくいっているのだろうか、いや、だからこそうまくいっているのかもしれない。
由衣は今日も残業だ。先週も毎日残業で、土曜日は休日出勤。今日は月曜日だが、多分今週もずっと残業になりそうだった。少しうんざりしていた。
「早川さん、おにぎり作ったから食べましょ」
藤井の妻である恵美が、開発室に入ってきた。恵美は社内では事務仕事全般をやっている。気が強そうな顔立ちで、割とハッキリ言うタイプの性格だ。由衣にとっては苦手なタイプの人だが面倒見が良く、なんだかんだで良くしてもらっていた。
今回もわざわざおにぎりを作って、みんなに配ってくれたり、こういう事をよくしていた。その為か、従業員達からは割合慕われていた。
「ありがとうございます。もうちょっとしたら行きます」
「無理しちゃダメよ、下で待ってるわね」
そう言って、下の事務所に戻っていった。
由衣はすぐに途中の部分を終わらせると、ふぅ、とひと息ついて肩をグリグリ動かしたら席を立って、事務所に向かった。
由衣は一階の事務所で藤井達と一緒に恵美の作ったおにぎりを食べていた。
「日が暮れると涼しくなるねえ。昼間はまだ少し暑いんだけどね」
二つ目を頬張りながら藤井が言った。
「そうねえ、今月も下旬には秋らしい気温になるかしらね」
恵美は窓の外を見ながら言った。
今は十月半ば、少しづつ秋が近づいている。残業を終えて帰る頃には、もう半袖では肌寒く感じる。由衣は昼間は半袖のTシャツだが、帰る際には、長袖のシャツを着て帰っている。
「早川さん、来月中にはどうにかなるかい?」
「一応、なんとかします」
「年が明けて、三月中には販売を開始したいんだ。来月には僕はあちこち飛び回らないといけない。忙しくなる」
――前から時々言っているが、本当に大丈夫なのだろうか? と由衣は思った。藤井の計画だと、来年早々には本生産に入らないと厳しいのではないだろうか。設計は来月中に完成させても、これからする事は山ほどあるだろう。特にセールスが大変だろうと思う。聞いた事のないメーカーの新商品なんて、どうやって売り込むのだろうか。ただ、その辺りは何か考えがあるのかもしれない。
「——社長、クラテックとは話はついたのか?」
小宮山は思い出した様に言った。
「まだ正式契約じゃあないけど、内定している。今月中に正式な図面が出ればできると言ってるよ」
「クラテックが全て引き受けてくれるなら問題ないが……」
クラテックは、倉敷市にある部品加工の会社だ。中小企業としては規模の大きい工場を持っており、高品質な加工も得意である。金属のみならず、樹脂、木材の加工もできる。
クラテックは以前から、国内の様々な業種のメーカーの下請けをやっていた。比較的業績は安定しているとはいえ、まだまだ景気がいいとも言えない。藤井工業の様な小さな会社の仕事を受けてくれたのは、由衣からすると意外だった。
「組み立ては小関で決まったし、今のところは順調だねえ」
藤井は両手を上げて笑った。ちなみに小関というのは小関工業といって、メーカーの組み立て委託をやっている会社だ。
実は以前、自社の製品を製造販売するメーカーだったが、業績不振により、十数年前に製造販売から撤退、現在は他メーカーの委託製造のみでやっている。まだ「OZEKI」というロゴの入った、事務用の机や椅子を使っている会社があるかもしれない。地方の中小メーカーであり、バブル崩壊後の不況に泣かされた過去のある会社だ。
とりあえず、クラテックに部品を作らせて、小関工業に組み立てさせて、藤井工業で販売する、というやり方でいく様である。
熱いお茶をひと口飲んで、由衣は思った。――前からそうだけど、結構無茶な事を言う人だ。そもそも開発設計の部分をわたしひとりでやってて、来月中にとかいうんだから……。
「ああ、そうそう。小宮山さん、新人の件はどうなった?」
ハッと思い出して、藤井は小宮山に尋ねる。
「大丈夫だ。ひとりは十一月一日からこれる。もうひとりは今週中に返事すると言っている」
「新人が来るんですか?」
由衣は初耳だった。
「そうだよ。早川さんのところにひとりと、事務所にひとり」
「わたしのところにも?」
「そうだよ」
「——よかった。ひとりじゃあ大変で……」
そう笑顔で言っている由衣だったが、自分の仕事に仲間が増えるのが、少し複雑な気持ちだった。ひとりでするのが自由にできて、気を使わなくていいという利点があったが、やはり全てをひとりでするのは大変だ。これで利点は失われるが、仕事の負担は減る。
「事務所も増やすんですね」
「ああ、そうだよ。恵美だけじゃあやっぱり厳しいし。それにネットは重要だしね」
「ネット? もしかして会社のサイトを作るんですか?」
藤井工業は自社サイトを作っていない。小さな町工場だし、まあ当然だった。
「それもある。もうひとつ、オンラインショップの用意もする予定だ」
「会社で通販もやるんですか?」
「そうさ! 僕らみたいな新参者は販路に困るからね。できることは何でもやる」
「もう何か作ってるんですか?」
「いや、これからだよ。期待の新人に任せるのだよ。この新人は凄いよ。最高の仕事をしてくれるはずだ!」
――大丈夫かなあ。由衣は藤井のやり方にいつも危うさを感じていた。大風呂敷を広げて高らかに語るが、ちゃんとやっていけるのか? しかし経営者の経験がない由衣には、偉そうな事は言えないのだろうけども。
「そういうわけだから。早川さんも、より一層の活躍をお願いするよ!」
「え、ええ……」
「それじゃあ、お疲れ様です」
「お疲れ様」
由衣は、まだ机に向かっている藤井や小宮山に挨拶して事務所を出た。
――わたしにとって、この会社は夢のある会社だ。でも、色々と問題も多く抱えている。今までやっていない事を、これからやろうとしている。初めてする事はいつも綱渡りだ。それも真っ暗な中で、目を瞑って。不安と期待を抱きながらずっと歩いている。
会社を出て、近くのバス停の辺りまできて、会社の方を振り返った。事務所の窓はまだ灯りがついている。
――とりあえず、できるだけの事はやっていこう。ダメな時はその時また考えたらいいさ。そう考えて会社を後にした。




