一
「そうですか。それは残念です。いや、できることなら考え直して欲しいのですが」
クラテックの石川は、残念そうな顔をして言った。クラテックはフジイの製品の委託生産を請け負っている工場だ。いっときは総生産の六割を請け負っていたが、最近では三割程度にまで減らされていた。
「悪いけど、これ以上はもう難しいね」
「いや、残念ではありますけど、考えも色々とありましょうから……」
悲しい様な目を藤井に向けて、すぐに目を伏せた。
藤井は、今年いっぱいでクラテックとの委託生産の契約を完了し、来年度以降は更新しないと通告した。
いつか見た光景で、クラテックも無情にも契約を打ち切られる事になった。
しかし、クラテックは小関工業と違って、特に慌てたりはしなかった。フジイが設備を整え、またアウトドア事業に手を出し始めているのも知っていた。
その為クラテックは、フジイとの契約も今年くらいまでだろうと予想していた。なのですでに別の企業から新しい受注契約を獲得し、来年以降の穴埋めをしていたのだ。
そもそもフジイからの仕事は減る一方であり、次第に当てにできなくなっていた為、クラテックとしてはいつ縁を切るかという事だけになっていた。フジイの仕事はおいしいが、すでに当てにはしていなかった。それほど痛手ではなかったのだ。
「藤井社長、今までどうもお世話になりました。また良いお話がありましたら、よろしくお願いいたします」
石川は笑顔で頭を下げると、社長室から出て行った。
クラテックとの関係解消を決めた後、フジイは倉敷市児島にある繊維加工メーカー「児島繊維産業」という会社の買収を発表した。昔から繊維の町として知られる児島でも割合規模の大きい企業だが、最近は業績は下降気味だった。
この企業を買収したのは、アウトドア事業に関係する。児島繊維は三年ほど前から「SETO」というアウトドア用品のブランドを作っていた。ジャケットの他に、ザックやテントなどを中心に商品展開をしていた。
品質が非常に良いことで高い評価を得ていたが、経営陣の頭の古さからくる販売戦略のまずさ、生産能力の貧弱さからくる供給能力の弱さ、立ち上げ時のデザイナーや職人の退職による人材の不在などから、厳しい状態に陥っていた。
藤井は、このブランドの事を聞かされて、すぐさま独自に調査し買収を決定した。
藤井は経営陣に対して、「SETO」ブランドを徹底的に前面に押し出して売り込んでいく、基本的に製品の開発はうちの開発課で行い、製造を児島繊維の工場で行う、と今後の経営戦略を演説した。
児島繊維の経営者達は、敏腕で知られている藤井の意向に一切逆らうつもりはなさそうだった。
「――早川課長。営業としてはこの方針でいきたいのです」
営業課長の柚木は、資料として用意した「SETO」のブランド戦略の書かれた用紙を差し出した。
「ふむ……」
由衣はそれを受け取ると、内容をじっくりと読み始めた。
来年から販売が開始される、フジイで開発したアウトドア用品は、すべて「SETO」ブランドにて販売される。第一弾として、ハードシェル三種、ソフトシェル三種、インナー五種、それに、レインウェア、ザック、シューズなど、基本的に身につけるものを中心に置いて、それに他の用品をならべる様なラインナップとなった。
フジイ製のものをメインに、フジイで用意できないものを、児島製で代わりに用意するといった感じで、明らかにSETOのオリジナルの扱いが悪かった。
「これ……あんまりじゃないですか? これじゃあブランド名だけ奪い取って、製品は捨てちゃう様なものじゃ……」
由衣はこういうやり方が気に入らない為、文句を言った。
「人聞きの悪い言い方はしないでほしいですね。しかし我々は買収したのだから、それをどうするかは我々の考え次第でしょう」
柚木は「これは意外な言葉が返ってきた」と言わんばかりに反論した。
「でも、オリジナルに対する敬意は必要でしょう。ブランドのファンもいるのだし。わたしとしては、一定期間は残しておくべきだと思います」
「またそういう考えですか。早川課長はそういうのがお好きですねえ」
「どういう事ですか?」
由衣は柚木を睨んだ。
「オリジナルに対する敬意。作者やファンに対する感情を考慮。こういった感情論はメーカーには不要だと思いますが」
「どうしてですか! すべて人が関わるものなんだから、感情抜きにはできないでしょう!」
「製品はどこまで行っても製品です。それ以上でもそれ以下でもない。ただ消費する為だけのものでしょう」
「そんなもの、誰が買いますか!」
由衣は机を叩いて怒鳴った。
「まったく……怒りっぽい人ですね。とにかくこれが営業の考えですから。これは社長の考えでもありますよ。その事をよく考えてください。では」
柚木はそう言って部屋を出て行った。
由衣は、今のフジイが自分とはまったく考えの違う会社になってしまっている事を、改めて思い知らされる事になった。
――どうしてこうなったのだろう? そして、わたしはどうしてここで働いている? 不本意な事ばかりなのに……
最近はとにかく会社の方針と意見が違った。そして由衣の考えとは反対の方針で進んでいく。
由衣は、体から仕事に対する意欲が急激に抜けていくのを感じていた。
アウトドア事業の担当である岡崎は、由衣からSETOのブランドの元に、フジイの製品をうまく組み合わせる様に指示を受けた。
「……そういう事でよろしく頼むよ」
由衣は、どこか気の抜けた声で岡崎に説明した。
「はい。ある程度はすでに考えがありますので、今週中にはまとめてみます。来週の会議に間に合わせるつもりです」
岡崎は資料に目を通しながら、淡々と語った。
「……相変わらず、すごいね。岡崎さんは仕事が早い」
「――そうでしょうか?」
岡崎は資料から目を離すと、由衣の顔を見た。
「わたしには無理だなあ……」
「――それは、課長が本気になっていないからではないでしょうか」
岡崎の顔が少し険しくなった。何か言いたい事がある様な、そんな顔つきだ。
「そ、そんな事ないけど……」
「――言わせてもらいます。課長……課長は本当にやる気があるのですか?」
岡崎は、由衣を見て静かに言った。その目は鋭かった。
「やる気……うーん、そうかな?」
ただ事ではない雰囲気をごまかす様に、由衣は苦笑した。
「以前の課長は、何にでも真面目に取り組んでいました。私とは意見は違っても、仕事には懸命に取り組んでいたし、素晴らしい仕事をしていました。仕事に対して、強いこだわりが感じられていました」
岡崎は由衣を睨んだ。
「しかし今は! どこか上の空でやっていませんか。まったく真剣さが感じられません! あれだけ素晴らしい仕事をこなしていた課長はどこにいったのですか? それに課長は、私達スタッフから距離を置いている様に感じます。私達を統率する立場にありながら、私達を全然見ていない。いや、見ようともしていない!」
確かに岡崎のいうとおりだった。次第に、一生懸命頑張っても思い通りにはならない、会社と自分は、目指す方向が違うと考え始めて以来、仕事に対するモチベーションが下がった事は否めなかった。
それに、難波も辞めていき、岡崎を慕うスタッフが大半になった、この開発課では居心地が悪く、他のスタッフから距離を置いてきた。
仕事も自分自身では開発の作業せず、他のスタッフにやらせて監督役に徹していた。なので、由衣は事務処理ばかりをやっている感じだ。別に自分なりに新商品や技術の企画や研究などを、合間で少しづつやってもいいのだが、それも最近の由衣を取り巻く状況の変化が、由衣のやる気を奪っていった。
また、そういった事務仕事ばかりでは当然面白い仕事ではなく、由衣はますます仕事に意欲を見出せなくなっていった。
由衣の机と他のスタッフの机は、もともと並べてはいないが、今ではその間にさらに透明の壁でもあるかの様に隔てられている様に感じられた。
岡崎は、由衣に背を向けたまま、静かに言った。
「課長、やる気がないなら……ここを去ってください。あなたの様な人がいるとチームがまとまりません」




