二
「おい、吉木。まだ直らんのか?」
「ちょっと待ってくれよ。急かすと失敗するだろ」
吉木は、塗装ブースの設備不調を修理するのに四苦八苦していた。あちこちバラして、ようやく原因を突き止めたものの、今度はどう直すかで迷って、さらに時間がかかっていた。
「お前なあ、下山さんとか沢田さんならとっくに終わってんじゃないのか?」
「あのふたりと一緒にすんなよ。あの人達は特別だよ、特別!」
吉木の所属する工務課には、向井が辞めた後に別の職人が中途採用されており、下山と沢田はその時にやってきた。どちらも優秀な能力を発揮していた。要領の悪い吉木はふたりの後輩に完全に置いていかれている状態だ。もっとも、ふたりとも実務経験も技能自体も最初からかなりのものだったが。
「全く、使えんなあ……」
塗装担当班長はため息をついた。それを横目で見て、嫌な気分になる吉木。悪戦苦闘の挙句、とりあえずなんとか出来上がった。
「——これでダメなら下山さんに来てもらう」
「結局、他人に頼るんかよ。お前本当にダメだよなあ」
「うるさいなあ。うまくいってるかもしれないだろ」
「俺はまだダメだと思う方に賭けるわ」
「ちぇ、嫌な感じ……」
吉木は聞こえない様につぶやいた。
その晩、吉木は末森と一緒に居酒屋に来ていた。
「あいつらなんだよ! 偉そうに!」
吉木は酒が入ると、さっそく不満が噴出した。
「まったくだよなあ。特に三宅の野郎、何様だよ」
「オレあいつ嫌い。ホントムカつく!」
吉木も末森も次から次へと愚痴をこぼした。
三宅というのは、去年入社して製造課で働いている。<老化>の発症者で、手先の器用さと要領の良さもあって、職場の仲間から一目を置かれていた。そのせいか、少し鼻につく態度が時々見られた。それに、特に吉木とは仲が悪い。
工務課が設備の修理をする際、設備が動かせなくなる為、生産が止まってしまう。製造課は「早く直せ」とうるさい。工務課からしたら「壊れる様な使い方をするな!」と文句が出る。このふたつの課は、どうも仲が悪かった。
「あいつらさ、なんで偉そうなん? 昔だったらさ。オレらの腕で作ってたじゃん。でも、あいつら機械が作ってるじゃんか」
吉木は不満が止まらない。
「だよなあ。お前らのやってる事って、誰でもできるんだよ! ってヤツだ」
末森も吉木に続く。
「まったくふざけた話だ! なあ、吉木!」
「ホントだぜ! ふざけた話だ!」
吉木はビールを高々と掲げて吠えた。
「……おい、吉木。お前大丈夫か?」
末森は千鳥足の吉木を心配そうに見た。
「大丈夫だって。オレんちはすぐそこだぜ」
「だけどなあ……連れて帰ってやるから」
「いいって、いいって。オレは大丈夫」
吉木は、末森を振り切って自宅に向かって歩いていく。
「吉木、ちょっと待てよ」
「待てねえよって!」
吉木は、赤信号を無視して渡って行った。末森も渡ろうとすると、車が来てはねられそうになった。
「おい! 吉木!」
「じゃあな、また明日!」
吉木は渡り終えると、そのまま住宅街の向こうに消えていった。
「ああ、ホントあの野郎……」
吉木はブツブツと愚痴をこぼしつつ帰路についていた。よろよろと右にあるけば、今度は左にふらふらと……。
不意に何かにぶつかった。
「なんだお前? なにしやがる」
どうやら、同じく酔っ払った男にぶつかったらしかった。吉木はすかさず男に向かって怒鳴る。
「なにって、お前が邪魔なんだよ!」
「なんだと! ふざけんな!」
吉木と男は、取っ組み合いの喧嘩をはじめた。
「お、おい、あんたら!」
「誰か! 警察呼んで!」
いつの間にか大騒ぎに発展した。
「吉木、お前何考えてんだ!」
「すいません……」
翌日、吉木は上司の工務課長に怒鳴られていた。昨日の夜、騒ぎを起こして警察沙汰になってしまった事がすぐに会社に伝わり、課長の怒りに触れた。
「まったく、いつもいつも世話のやける奴だ!」
「……」
その後、三十分ほども説教が続いた。なんとか厳重注意で済まされたものの、職場において吉木の立場が一層不利になった事は事実だった。
「吉木、お前なあ……」
末森は呆れた表情で吉木を迎えたが、同時に申し訳なさそうな顔でもあった。
「末森……すまねえ。オレってやっぱダメだ……」
吉木は俯き加減で元気がない。末森はそんな姿を心配そうな目で見ていた。
「何言ってんだ。しょうがないだろ。俺も追いかけなかったのも悪い」
「いや、お前は悪くねえよ。オレが悪いんだ。オレ責任なんだ……」
「まあさ、元気出せよ。気分変えてやろうぜ!」
「……ああ」
やはり吉木は元気がない。
その後、今日は沢田と一緒に仕事をするが、失敗はするわ作業は遅いわで散々だった。しかし落ち込んでるのを知っている沢田は、あまり厳しくは言わなかった。
由衣は工場の方へ向かう途中に吉木と出会った。とぼとぼと、ひとり歩く吉木に声をかけた。
「吉木くん、お疲れ様……って、どうしたの?」
由衣は吉木の元気のなさに気がついた。
「早川さん、オレもうダメかも」
「え? どうして?」
由衣はそう言ったが、おそらく朝に聞いた、昨晩の警察沙汰の事であろう事が予想できた。
「どうにも失敗ばっかで……」
「吉木くん……よかったら相談に乗るけど。そうだ、あっちで何か飲もうか」
由衣は工場の外にある自動販売機のところに吉木を連れて行った。そこで、昨日から今日の出来事を聞いた。
「――やっぱさ、オレって向いてないんかな。昔から不器用でさ、よく失敗したんだ……オレだって一生懸命やってるんすけど」
「確かに吉木くんは、不器用なところはあるけど、まだやる気になって頑張っているんだし全然やれるよ」
「でも、どうしてかうまくできないんすよ。それで失敗しては怒られてさ」
吉木はコーラをひと口飲んで、工場の壁にもたれかかると、ゆっくりと空を見上げた。
「誰でも失敗はあるよ。わたしだって、全然ダメでね」
「早川さんは無茶苦茶仕事できるじゃないっすか。すごいっすよ」
吉木は信じられないと言う表情だ。
「そんな事ない。今だって課長だなんて立場もうまくいってない。部下の揉め事も満足に収められないんだし。やっぱり、わたしは向いていないんだと思う」
「そんなん、放っときゃあいいんじゃないっすか。下の人間で適当にやりますよ。早川さんは気楽に構えてりゃいいんすよ」
「はは、そういう訳にもいかないけどねえ……」
由衣は苦笑した。
「ただ、みんな遅かれ早かれ、どうにかなっていくものだと思う。わたしだってそうだし、向井さんも前に言ってたよ。社会人になってすぐの頃は、とにかくうまく出来なくて怒られてばっかりだったって」
「向井さんも? やっぱ向井さんでもそういう時代があったんだなあ。じゃあオレだって……」
「そう、吉木くんだって」
「……地道にやればどうにかなるかなあ」
そう言って、吉木は由衣を見た。
「大丈夫だよ。少しづつ一歩一歩進んでいけばいいんだよ。自分のペースで」
「へへ、なんかやれそうな気がしてきた」
吉木は次第に元気が出てきた様子だった。単純である。
「そうそう、その調子」
由衣はガッツポーズで吉木に微笑んだ。ふたりはそれからしばらく他愛ない雑談に花を咲かした。
「——じゃあ早川さん、オレもうちょっと考えてみます」
「うん、きっとよくなるよ。一緒に頑張ろう」
由衣と吉木はそれで別れた。由衣も少しだけ元気が出た。
数日後。定時を過ぎて、由衣は工場に用事ができた為、工場に足を運んだ。途中、工務課の人が数人向こうから歩いてきた。末森も
いる。これから帰宅するのだろう。
「あ、早川さん。お疲れ様っす」
末森は、由衣の姿を見つけて声をかけた。
「末森くん。吉木くんは一緒じゃないんだね。もしかして残業?」
「いや……あいつ、辞めるそうっす……」
末森はそう言って顔をしかめた。
「え? 辞める……?」
「ええ、やっぱこの間の警察沙汰を引きずってて。俺も大分、考え直せって言ったんすけど……どうしてもって」
末森は淡々と語る。由衣は、信じられないといった表情だった。胸が締め付けられるような、嫌な気分が湧き上がってきた。
「――この間、頑張ってみるって。もうちょっとやってみるって言ってたのに!」
由衣は狼狽する末森に感情をぶつけた。
「は、早川さん! ちょっと落ち着いて。あいつも頑張ってみるって言ってたんですよ」
「じゃあなんで!」
由衣は末森の両腕を掴むと、訴えかけるように叫んだ。
「でも、やっぱダメで。一昨日だったかに、製造の三宅と口論になって……それでもう辞めるって……」
末森はうつむき加減でゆっくりと言った。その顔には悔しそうな表情があった。
「そもそも製造の連中、いつも吉木を目の敵にしやがって! いつもバカにしやがって! あいつら何様なんだ! クソッ!」
「末森くん……」
「早川さん、俺は絶対やめないっすよ。俺は最後までしがみついて上にあがってやる。そんであいつらをこき使ってやるんだ!」
末森は吠えた。
「――すいません、でも俺はやりますよ。フジイって学歴関係なしに昇進できるし。」
「うん、一緒に頑張ろう」
そう言って由衣は末森と別れた。
由衣は末森を見送ると、ただただその場に立ち尽くしているだけだった。見とれる程に綺麗な空の夕焼けは、今の由衣の目には悲しい色だった。




