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由衣の冒険3  作者: 和瀬井藤
氷の城
23/32

 梅雨を前にして、大分暑くなってきた。外を歩けば、汗ばんで不快な気分になる。由衣にとっては苦手な季節の到来であった。


 フジイの開発課――由衣の職場である。最近、開発課のスタッフが二分している。別にふたつのグループが明確に存在するというわけではなく、人の入り混じった中で、なんとなく見えてくる境界線が存在する。

 一方は難波を中心としたグループで、もう一方は岡崎を中心としたグループだ。

 難波はベテランで、後輩の面倒見が良い。岡崎は、とにかく実務能力が優秀だ。人を使うのもうまいし頼りになる為、自然と人が集まる。

 由衣も、このふたりを他のスタッフより一段上の立場として機能させていた。人数が増えていくにつれ、ひとりで全てを把握するのは無理で、やはり細かい部分をそれぞれの裁量で判断できる様にした方がうまくいくのだ。

 ただ、今の状態はよい状態とは言い難かった。どうもこのふたつのグループは、対立状態にある様に思えた。難波と岡崎の仲が悪いという事ではなく、それぞれのグループのスタッフ間で対立しているのだ。

 こういう時、リーダーとして有能な人であればうまく統率するのだろうが、由衣はあまり得意ではなかった。それが次第に、今の状態に発展していった。


「だからダメだって言ってるでしょ!」

「そんなの横暴よ! こっちも急いでるんだから」

「もうちょっと待ってくれてもいいでしょう」

「遅すぎよ!」

 先ほどから言い争っているふたりは、難波派の古賀と、岡崎派の金子だ。どちらも派手に言い争うタイプに性格ではないが、最近の緊張した職場の雰囲気から、こういったいざこざが時々起こっていた。末端のスタッフだけでいる時などによく揉めている。

 そこに由衣がオフィスに戻ってきた。

「あ、課長! あのふたりが……」

 新人のスタッフが由衣の元にやってきて、揉め事の仲裁を求めた。

「——ちょ、ちょっと! どうしたの?」

 由衣はふたりのところにやってきた。

「あ、課長。古賀さんがモタモタして、コピーが使えないんです」

 すかさず金子は由衣に訴えた。

「そんなわけないじゃないですか! 金子かさんが無茶を言ってるんです!」

 古賀も負けてはいない。

「何言ってんの!」

「そっちこそ!」

 険悪な雰囲気に、オフィス内のスタッフは慌ただしくなっていた。

「ちょっと、落ち着いて!」

 由衣は、ふたりをなだめるのに四苦八苦している。そうしているうちに岡崎がオフィスに戻ってきた。

「——どうしたの?」

「あ、岡崎さん。古賀さんが……」

 金子は岡崎に助けを求める。

「何を勝手な事ばっかり言うのよ! 私は……」

 古賀は慌てて反論しようとした。

「まあまあ、あなた達。喧嘩をしない。私達は同じ開発課の仲間でしょ。事情はともかく、仲良くしないと。古賀さん、先に使っているんだからなるべく早く終わらせて。それから金子さん、あなたが後なんだから、ちゃんと終わるまで待ちなさい」

「は、はい……」

 岡崎のキビキビした発言に、ふたりは大人しく引き下がった。

 由衣は、その様子をただ見守るだけだった。


「――なんかさ、最近はもう岡崎さんが課長みたいなものよね」

「早川課長って、ちょっと頼りないんだよなあ」

「もうさ、岡崎さんが課長になったらいいんだよ」

「あはは、それ言えてる」

 最近、この種の話をしているスタッフがいる。もちろん大きな声ではなく、内緒話だ。

 由衣もトイレに入っている際に、偶然耳にした事があった。その為、そういう声がある事を認識していた。

 当然だが、由衣にとって面白い話ではない。そうであろう事は薄々わかっていたが、やはりショックな話だった。

「――あなた達。なにを馬鹿な事を言ってるの!」

 ふたりのところに現れたのは難波だった。

「あ、いや……その、すいません」

「仕事に集中しなさい!」

 しばらく小言を言うと、ようやく難波はいってしまった。

「……難波さんも大変だよね。今は副課長的な立場にいるけど、岡崎さんが有能すぎて立場ないんじゃ」

「ま、しょうがないんじゃないの? だからって、あたしらに八つ当たりされてもね。ははは」

 ふたりはそう言って笑った。


「……難波さん、どうします? ちょっと修正が難しいかも……」

 スタッフが難波に話しているのは、本生産に入る直前の製品に強度不足が判明し、それにどう対応するかだった。場合によっては大変な失敗だった。

「まいったわね。この部分を改造するとしても……駄目か。下手をすると、部品からやり直さないとまずいかもしれない」

「今更それは……何かいい方法ないですかね」

「そうね、どうしたら……」

 難波は困ってしまった。そう簡単にはいい解決法が思いつかない。かといって、このままではいけない。

「とりあえず、晩まで考えてみましょう」

「はい」


「あら、難波さん。どうしたんですか?」

 作業ブースに岡崎が入ってくると、難波と数名のスタッフが頭を捻っているのを見つけてたずねた。

「ああ、岡崎さん。実はねえ……」

 難波は岡崎に事情を話した。

「ははあ、それで。何かいい修正案は?」

「それを考えているんだけど、なかなか浮かばなくて」

 岡崎はしばらく考えて、ふと口にした。

「こうしたらどうですか? これとこれを変えて、この箇所を……」

「でもそれじゃ、反対側が……」

 難波は岡崎の説明が理解できなかったのか、聞き返した。

「いえ、それはこうする事で問題ないんじゃないですか?」

 岡崎はさらに噛み砕いた説明をする。そうするとようやく理解できた様子だ。

「あ、そういう事か……」

「ええ、まず問題なくいけると思いますよ」

 岡崎は微笑んだ。

「ありがとう、多分うまくいくと思う。助かったわ」

「いえ、何とかなりそうで何よりです」

 岡崎はそう言うと、自分の用件にとりかかった。

 岡崎の能力の高さは次第によく知られるようになり、社内においても皆高い評価をしていた。さらにこういった出来事が、岡崎の評価を余計に高めた。


「難波さんもやっぱりダメよね」

「岡崎さんがすごすぎるわ」

「やっぱり<若返り>の人ってすごいよねえ」

「そうだけどさ、課長もそうじゃん」

「あの人、前は優秀だったのかもしれないけど、今は全然ダメだよね」

「あんまりはっきり言うなよ、一応上司だぜ」

「あはは、あの子供がね。行くところ間違ってるよね。会社じゃなくて、学校に行ってよって感じ」

 そう言って、みんなで大笑いである。難波も彼らより明らかに優秀ではあるが、岡崎と比較されて勝手な事を言われている始末だ。

 組織も大きくなれば人も増えてくる。様々な性格や、考えの人がいる。

 初期の頃の由衣は、優れた能力とセンスを存分に発揮して多大な実績を作った。しかし管理職になるにつれ、由衣の能力の高さをわかりやすく周囲に見せる機会がなく、どこか曖昧な立場になって行った。その姿しか見ていない部下達からしたら、<若返り>とはいえ、子供の様な姿の上司など、当然侮るものがでてくる。特に開発課の中でも、岡崎に近いスタッフは、ひそかに由衣を見下していた。


 日が暮れて外はもう真っ暗だ。開発課のオフィスには由衣と難波が残っていた。

「難波さん、まだするの?」

「いえ、もう帰りますよ。ちょっと計画書が手間取って……」

 難波は苦笑いして、由衣の方を見た。

「そう。わたしもキリのいいところで帰ろうと思う」

 由衣はそう言って、一度手を止めると大きく背伸びした。

 それから十分くらい経って、難波が片付けをして「もう帰りますね。お疲れさまでした」と言った。

 由衣も「お疲れさま」と言って、作業を続けた。

「……早川さん。あの、岡崎さんすごいですね」

「うん? まあ、そうだね。わたしなんかの下にいるのが勿体無いくらい。なんてね」

 由衣は笑った。その笑顔を見た難波は――難波には辛かった。何か言おうとするが、言葉が出なかった。

 ――しばらく沈黙が続く。

「……難波さん、お疲れさま」

 由衣は再び言った。

「……お疲れさまです」

 難波もそう言って部屋を出た。いつもより足早に出ていった。

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