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由衣の冒険3  作者: 和瀬井藤
曇り空の下で
21/32

「やあ、いらっしゃい」

 中村は由衣の来店を笑顔で迎えた。

「どうも、中村さん。なんだか――繁盛していますね」

「はは、ありがとう。でも初日だからね。このままずっとこうだと嬉しいんだけどね」

 由衣は、中村の新しい店『カフェ Y&H』にやってきた。店名のY&Hは中村の妻、裕子のYと、中村の名前、博之のHであるらしい。

 客の多い時間帯は嫌だったので、おそらく少なくなるであろう、午後四時頃に行ってみた。案の定、割合空いている感じだ。

「いらっしゃい。由衣ちゃん」

 中村の妻、裕子が由衣に気がついてやってきた。

「どうも。開店おめでとうございます」

 由衣は笑顔で対応した。

「ありがとう。ゆっくりしていってね。あ、はーい」

 裕子はすぐに別の客に呼ばれていってしまった。そろそろ夕方の時間帯とはいえ、なかなか忙しそうである。


「それにしても、ここは家から近くていいですよ。なんとか歩いてもこれる距離だし」

 由衣はコーヒーをひと口飲んで微笑んだ。

「ははは、それで頻繁に来てくれると嬉しいなあ」

「当然。そのつもりですよ」

 そんな事を話していると、入り口のドアが開いた。

「――よう、ヒロ。どうだい?」

 そう言って、男が来店してきた。口ひげが特徴的な中年男性だ。歳は四十代くらいだろうか? 小柄で彫りの深い顔つきである。

 ちなみに「ヒロ」というのは中村の愛称であろう。

「やあ、貴男。来てくれたんだね」

 中村は男に答えた。貴男と呼ばれた男は、ニコニコしながらやってくる。お互い親しそうな様子だ。

「あら貴さん、いらっしゃい」

 裕子は男に挨拶した。どうやらこちらも顔なじみの様子である。

「やあ、裕子ちゃん。相変わらず美人だねえ!」

 男は終始笑顔である。そのまま中村のところまでやってくるつもりなのだろう。次第に近づいてきた。

 由衣は、――一体何者だろう? 中村さんの友人っぽいが……と思った。


 貴男と呼ばれた男は中村のそばにいた由衣に気がついた。おもむろに由衣の方を見る。由衣は少し緊張した。じっと由衣の顔を見た。少しすると、何かを思いついた様に表情を変えた。

「……ああ、もしかして彼女が由衣ちゃん? へえ、この子が……」

 男は満面の笑みで中村に話しかけた。

「そうだ、彼女が由衣ちゃんだよ。前に話した<若返り>の可愛い友人だ」

「ど、どうも。はじめまして……」

 一応、挨拶をする由衣。

「ほほう、こんなカワイ子ちゃんだったとは」

 男はどうやら由衣の事を伝え聞いているらしかった。もしかしたら自分が元は男である事も知っているのだろうか? 少し不安に思った。


「彼は小野田貴男と言ってね。僕の友人だよ。昔からのね」

 中村は由衣に男を紹介した。どうも高校時代からの友人らしく、同級生だという。要するに由衣とも同い年だという事だ。

 「しかしまあ……<若返り>前はさぞかし美人だったんだろうなあと思うと、ちょっと惜しい気もするなあ」

 小野田はそう言って、まじまじと由衣の顔を見た。とても残念そうな顔である。

「そういえば<若返り>って歳をとらないんだよなあ。ずっとそのままって……そりゃあないよなあ」

「……いや、まあ。うーん」

 由衣は何て答えたらいいか詰まってしまった。ただ口ぶりからすると、<性転換>については知らない様子だ。

「彼女は藤井くんの会社で働いているんだ。それにね……」

 中村は、小野田に由衣の事を説明した。

「へえ、こりゃあ懐かしいね。藤井くんか」

「知ってるんですか?」

「以前はよく仲間内集まっては、よく喋っていたよ。暑苦しい男だよねえ。いつでも夢ばっかり語って」

 小野田は苦笑していた。


「……もう馬鹿じゃないかって。今まで大きな失敗はなかったけど、いよいよ年貢の納め時が来たかなって思った」

 由衣はコーヒーをひと口飲むと、仕事の愚痴がつい出てしまった。どうやら不満タラタラの様子だ。

「新しい事に手を出すのはいいけど、いきなりすぎるんだよ。下の人達はみんな振り回されてる」

 よほど不満がたまっているのか、やたらに饒舌に愚痴をこぼす由衣。中村はそれを「それは大変だねえ」などと言いながら聴いている。

「――随分とまあ、ご不満の様子だね。君は」

 由衣の愚痴を隣で聞いていた小野田が言った。由衣の顔をじっと見て小さく笑う。

「だって、あんなのうまくいくはずが……」

「うん、確かにっていうか、僕は勤め人じゃないし、経営者でもないから、何が良くて悪いのかはわからないけど……由衣ちゃんはどうしたいわけ?」

「わたしは……まあ、社長の経営方針自体は間違っていないと思うけど、あまりにも方向転換が急すぎる。新しい分野に手を出すのもいいけど、常に綱渡りな感じがして……」

「ああ、なるほどね。由衣ちゃんって、割と安定志向なんだねえ」

「そうでしょうか?」

「僕はそう思うね。まあ安定してるのは、やっぱりいい事だと思うけどねえ、それじゃあ先細りになっていくんじゃないの?」

 小野田はいつの間にか真剣な表情で、由衣を見ていた。どこかひょうひょうとした雰囲気だったのが一転している。

「うーん、確かに新しい事に手を出すのは当然といえば当然ですが……極端すぎるんですよ」

 由衣は反論した。

「会社の状況を知らない僕には、勝手な事しか言えないけどね。やっぱり重要なんじゃないの。そういう事って」

「ですかねえ……」

「僕は挑戦する人の方がいいね。藤井くんが今どうしてるのか、久しく会ってないから知らんが、僕は藤井くんが面白いし好感が持てるよ」

 小野田は相変わらずニコニコしていた。

「……そうなんですか?」

 由衣は少し不満げな表情だった。理由は言うまでもない。

「由衣ちゃんさあ。まあちょっと話は変わるけど……仕事の愚痴もいいんだけどねえ」

 そう言って、小野田はニヤッとした。

「なんですか?」

「君は笑顔を見せている方が素敵だと思うんだよ」

「は?」

 由衣は怪訝な顔をしている。

「いやねえ、由衣ちゃんみたいなカワイイ子がさ、そんな顔してちゃもったいないんだよねえ。さあ、笑って笑って!」

 小野田はそう言って、由衣の脇をくすぐろうとする仕草をした。

「ちょ、ちょっと!」

 由衣は慌てて体を後ろにかわした。かわしたのはいいが、すぐ後ろにあったカウンターで跳ね返って、反動で小野田に抱きついてしまった。

「おやおや、これは嬉しいハプニングだ!」

「す、すいません!」

 慌てて離れる由衣。

「もうちょっと、こう抱きしめてくれると、もっと嬉しかったんだけどねえ」

 小野田は抱きしめる様なポーズをとりながら、ニヤニヤしている。

「お、お断りします!」

 由衣は顔を真っ赤にして叫んだ。

「貴男……」

 中村は呆れていた。


「まあ、なんでもそうだけどさ。何か大きい事をやる時はね、そういうもんだよ」

「それは理解できるんですが、急展開すぎてリスクが……」

「でもリスクを恐れてちゃあ……って話に戻っちゃうんだけど、なんか結論がつかないねえ。って、うん?」

 小野田は鳴り出した着信音に気がついてポケットから携帯電話を取り出すと、嫌な顔をした。どうもあまり好ましくない人物からかかってきた様子だ。

「はは、奥さんからだな」

 中村が言うと、小野田は中村をチラッと見て電話に出た。どうやら図星だったらしい。


「――君に興味があってね。また今度、二人だけで話したいな。どこか素敵なところで」

 小野田はニコニコしながら由衣に微笑みかける。

「……ご家族に知られても知りませんよ。お父さんが未成年を口説いて、デートしてるとかって冷ややかな目で……」

「なかなか厳しい事言うなあ。でも由衣ちゃんは未成年じゃないだろう?」

「事情を知らない人にはどう見えるか……って事だねえ」

 中村が言った。

「ヒロも厳しいなあ……じゃあ、また来るわ。由衣ちゃん、また今度食事でも行こうよ。こんなしょぼい喫茶店なんかじゃなくて」

 そう言って、中村の顔をチラッと見た。

「遠慮しときます……」

 小野田はニヤニヤしながら店を出て行った。


「――いやはや、変わり者ですね。小野田さんは」

 椅子にもたれかかったままつぶやいた。

「昔からだねえ」

「そういえば、小野田さんって仕事は何をしているんですか?」

「うん? ――彼はねえ、小説家だよ」

「小説家?」

 由衣は意外な言葉が返ってきて驚いた。

「うん、彼はね。作家として、「瀬戸一郎」という筆名を名乗っているね」

「……え? ええっ? あの瀬戸一郎? ベストセラーを何作も書いてる……」

「そうだね。売れっ子作家だねえ。いつの間にやら著名人になってしまって」

 瀬戸一郎はとても有名な小説家だ。個性的な性格とその風貌が受けるのか、テレビ等のメディアにも割合よく出てくる。そういえば由衣も何度もテレビで見ている。

 サングラスにテンガロンハットといういでたちが有名だ。二年前に発表された、宇喜多直家を主人公とした歴史小説が、二百万部のベストセラーになり一気に著名な人気作家となった。それ以前から人気の作家でもあったが、これで国民的な人気作家になった。

 悪いイメージもあって、あまり人気のある戦国武将ではなかったが、一躍人気の戦国武将の仲間入りさせたという、宇喜多人気の立役者である。ちなみに由衣も読んだ事がある。

「全然気がつかなかった……まさかあの瀬戸一郎だとは」

「テレビだといつもサングラスしてるし、結構印象が変わるからねえ」

 中村はニコニコしている。

「それにしても、著名な作家と初めて話ししてしまった……」

 由衣は、信じられないという表情で中村を見た。

「ははは、時々来ると思うよ。気まぐれな男だけどね」

「今度会ったらサインもらおう……」

「次来たら言っておくよ。由衣ちゃんがサイン欲しいって言ってたって」

「お、お願いします」


 窓の外はもう日が暮れていた。由衣の休日も終わり、また明日から仕事が始まる。

 由衣はコーヒーの最後のひと口を飲んで、そろそろ帰る事にした。

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