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由衣の冒険3  作者: 和瀬井藤
曇り空の下で
18/32

 二〇二一年一月一日。朝起きた由衣は、自宅のベッドで布団に包まったまま、iPhoneをいじっていた。先ほどファンヒーターのスイッチを入れたばかりで、まだ部屋の中は寒い。まだ布団から出たくなかった。

 ネットのニュースをチェックすると、中国問題が内戦化しつつあると報じていた。この問題は、一、二年前から民主化組織による大規模な反共運動だ。以前から暴動や要人暗殺といった過激な社会状況が度々起こっていたが、とうとう武装勢力どうしが局地的に交戦している。

 この日本近国でこう言った軍事衝突が起こっているというのに、この日本は平和なものである。――多分テレビをつけたら、賑やかな正月番組をやっているんだろうな、と日本に生まれてよかったとつくづく思った。


 しばらくして部屋が暖まってくると、のろのろと布団から出てきた。由衣は、寝るときはいつも、半袖のTシャツにパンツ一枚だけだ。寒がりなわりに、寝る時にはあまり着込むのが好きではなかった。そして寒くない事を確認すると、机にいってMacBookProを開いて、スリープを解除した。

 椅子に座って、iTunesを開くと適当な音楽を再生させた。ブラウザーでよくみるサイトを見つつ、一度キッチンにいって冷蔵庫からペットボトルのカフェオレを取り出し、昨日買っていたパンをひとつ持って、またパソコンの前に戻ってきた。

 ペットボトルのキャップを外して飲もうとした時、手が滑って落としてしまった。

「あっ!」

 自分の太ももに落として、こぼれ出すカフェオレ。慌てて拾い上げたが、腰回りがベタベタになった。床にも溢れているみたいだ。

――はあ……新年早々なんでこんな事に。

 気が滅入りそうだが、床も自分もベタベタなので、すぐに雑巾を取りにいった。

洗面所の隣に置いてあった雑巾を取ろうとしたが、その前にパンツを脱いで洗面所でざっと洗った。それからスリッパも被害を受けていたのでこれも洗う。それから雑巾を水で濡らして机に戻った。

 床はフローリングなので、拭くだけでなんとかなった。これがカーペットだったら……。

 やれやれと思い、替えの下着を取りに部屋の隅に行くと……ない。――あれ? と思ったが、由衣は思い出した。二、三日前から洗濯していない事を。

 これはまずいと思い、タンスの中を探すと懐かしい下着が出てきた。クマの絵柄のついたパンツだ。水色の可愛らしいクマのイラストがデザインされている。

 これは以前母親が買ってくれたものだが、あまりに子供っぽい為、いくらなんでも恥ずかしいので全く履かなかった。引越しの際に持ってきた覚えはないが、下着なんて特に確認もせずに詰め込んでいたので、まぎれていたのだろう。

 由衣は、他にはないかな? と思い、探してみたが、ない。記憶では六枚あったはずだが……そうだ、一枚は前に引っ掛けて破れたから捨てた事を思い出した。またもう一枚は以前、外に干していた際に、あっけなく盗まれてしまった。風に飛ばされたのかもしれないが、どちらにせよ結局、手元に戻ってきていない。

 そして四枚あるはずなのだ。一枚はこぼして汚れた。残り三枚は、洗濯していない。そうだ、そうなのだ。履けるのはもう偶然見つけたこれしかない。

 しょうがないので、由衣はクマのパンツを履いた。――いい歳してこんなのを履こうとは……と恥ずかしくなってきたが、この事態ではしょうがないので、昼に買い物に出て、その際に二枚くらい買っておこうと考えた。

 そしてその前に、たまった洗濯物を片付けておかなくては。


 洗濯物を干し終えると、そろそろ昼頃である。ちょっと出かけてこようと思い家を出た。当然、下着を買わなくてはならないからだ。

 いつもの様に自分の車に乗って、走り出す。とりあえず目的地はない。ただのんびりとドライブする感じである。正月の道路は車が少ない。非常に走りやすくて快適だ。

 会社の近くを通り過ぎた。その際に、工場の建物が横目に見える。――五日からまた、あそこに行かなきゃならないのかあ。由衣はそんな事を考えながら運転していた。


 由衣は街中をしばらくウロウロしたのち、街の南部に去年できたショッピングモールを目指して車を走らせた。もう半年くらいなるだろうか、オープン当初は来客数が凄まじく、近くまで行って引き返した事があった。

 しかし、今日の街はこの有様だ。そんなに混雑していないに違いない。ネットで調べて今日も開店している事は確認済みである。


 ショッピングモールの駐車場に入ると、案の定あまり混んでいない様子だ。あちこちに空きがある。適当なところに車を止めて、店内に入っていく。

 店内も予想通りの少なさで、さすがに一日なだけある、と感じた。正月の音楽がゆったりと流れていた。

 適当に歩いて、どこにどんな店があるのか見て回った。全体的にアパレルが大多数に思えた。服以外だと、靴や鞄の専門店が数軒と、本屋が一軒。雑貨店と百均もある。

 由衣は近くにあった自動販売機で缶コーヒーを買うと、すぐ隣のベンチに座った。飲みながら、どこで買おうかなと考えていると、

「——課長じゃないですか」

 と声が聞こえた。ふと声の方を見ると、岡崎がいた。

「早川課長、新年明けましておめでとうございます」

 そう言って頭を下げた。岡崎は仕事の際の白シャツにタイトなブルージーンズという格好とは違い、ダウンジャケットの下にタートルネックのセーターを着て、下はスカートというゆったりした格好だった。職場での印象と違って柔らかい印象だ。

「ああ岡崎さん、明けましておめでとうございます」

 由衣も立ち上がって挨拶した。

「課長もお買い物ですか?」

「ええ、そうなんだ。ちょっとね」

 少しの間、沈黙が続いた。


「……まあ、なんだけど。うーん、岡崎さん」

 由衣は少し神妙な顔をして、岡崎を見た。

「なんですか?」

「とりあえず、課長と呼ぶのはよそうか」

「すいません。つい」

 岡崎は申し訳なさそうな顔をして謝った。

「いや、まあいいんだけど……」

「かちょ……早川さん。すいません――何を買いに来たんですか?」

 由衣はどう答えようかと思ったが、正直に答える事にした。

「……ちょっと、下着を。洗濯を怠ってると替えがなくなってて」

「そうなんですか、最近は機能性も優れたものがあっていいですよね」

「ああ、そうなんだ。最近は新素材とか多いみたいだね」

「ええ、急速に進化していますね。私も先日買ったのがすごくいいですよ。装着感が自然で。良かったら一緒に買いに行きませんか」

「岡崎さんと? ……まあそうだね。それもいいかな」

 再びどうしたものかと考えた。が、たまにはいいかもしれないと思い同意した。

「じゃあ、行きましょうか」


 ふたりはモール内に出店しているユニクロにやってきた。ここに来たいと思ってきたわけではないが、なんとなく入りやすかった。すぐ近くに見えたのもある。

「岡崎さんはユニクロみたいな割と安い店は買わなさそうだと思ってたけど」

「そんなわけないです。私はよく買いますよ」

「高そうな服着てそうだし」

「高くなんてないです、今着けている下着はユニクロですよ。このセーターもです」

「そうなんだ」

「私は高級品より、機能やセンスのいいものが好きなんです。高ければいいってものではないです。そう思いませんか?」

 岡崎は、由衣の目を見て問いかけた。

「わたしもそう思うよ」

「そうでしょう。そうですよね」


「これなんてどうでしょう?」

 岡崎はスタイリッシュなデザインのショーツを提示した。質感の少し珍しい素材の様だ。

「うん、いい感じだね。触り心地いいな」

「これは、新素材なんですよ。コットンみたいな質感ですが、ちょっと感じが違うんです。ちなみにポリエステル系の素材です」

「詳しいね」

「ええ、最近いろんな素材に興味を持って。あれこれ探しては実際触って確かめてみているんですよ」

 身振り手振りで説明する岡崎は、とても楽しそうだった。

「仕事熱心だね」

「いえ、仕事というか、趣味みたいなものです。興味があってやってますから。そういえば、早川さんは下着だけ買いに来たんですか?」

「いや、そういうわけでも。服なんかも見ていこうかなと思ってるけど」

「あっちのシャツやパンツも見て行きませんか?」

「そうだね」


 岡崎は、少しタイト目なラインのスカートを手に取った。淡い黄色の、綺麗な色をしたスカートだった。

「早川さんは、こういうスカートはよく似合うと思います。体型がスラッとしてますし」

「そうかな、わたしはそんなに服に詳しくないから……」

「試着してみては?」

「そう? ……ちょっとしてみようかな」

 そう言って由衣が試着室を探して、周囲を見ていると、岡崎は「あそこに試着室がありますね」と言って、由衣と共にそこまで行った。

 由衣は試着室に入ると、早速試着を試みる。

 ベルトを外して、脱ぎ掛けたところ、

「早川さん、どうですか?」

 と岡崎の声が聞こえた。それに反応して、振り向こうとしたらバランスを崩して、カーテンの方に倒れこんでしまった。カーテンには当然、由衣の体を支える事などなくそのまま試着室の外に放り出された。尻餅をつく由衣。

「だ、大丈夫ですか?」

 突然の事に驚く岡崎。由衣は「あいたた……」と、体を起こそうとして気がついた。岡崎の視線が自分のお尻に向いている事を。

「……あ」


「――早川さん、可愛らしい下着を履いているんですね」

 岡崎は少し赤面していた。

「いや、これは。たまたま……」

 かなり格好悪いところを見せてしまった上に、あの子供っぽいパンツを見られてしまい、顔を真っ赤にして狼狽していた。

「いつも冷静沈着なイメージでしたが……とても可愛らしい一面も……失礼いたしました」

「あ、いや……まあ」

 由衣はもう何を言ったらいいか、半分混乱していた。


 店舗を出ると、すぐに岡崎の車があった。

「近くに止められたんだね。わたしは向こうなんだ」

 そう言って、その方向を指差した。

「そうですか、今日はどうもありがとうございました。楽しかったです」

「うん、わたしも楽しかったよ」

 由衣と岡崎はお互いに笑顔になった。

「ではまた。今年もよろしくお願いします」

「こちらこそ」

 岡崎の車は、店を出ていった。由衣はそれを見送って、自分の車に乗った。

 ――まったく。新年早々、恥ずかしい目にあったものだ。やっぱりマメに洗濯しておかないと駄目だな。

 由衣はつくづくそう思った。振り返ると、黄昏が眩しくて顔をしかめる。――さあ二〇二一年。がんばらないと。

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