五
「小関工業との契約は今年いっぱいまでだ。これ以降の組立の委託はクラテックに任せる」
藤井は由衣達会議の参加者をぐるりと見渡すと、
「クラテックが組立も可能なラインを用意すると言っている。小関はダメだ。品質が悪い。クラテックが部品の加工と組立の両方を担ってくれるなら、それに越したことはない」
と言い放った。
「ちょ、ちょっと待ってください! 小関は何も問題ありません。私が保証します! 更にコストダウンも望めます」
そう言ったのは、営業課長の木村だった。彼は、小関工業の専務と釣り仲間であり、個人的に親しいと噂されていた。木村が小関とどこまで繋がりがあるのか不明だが、小関を切り捨てるのは不味いのだろう。
「問題があるからやめるんだ。木村さん、あなたが保証する? それが何の保証になるんだ? あの程度の仕事しかできないヤツに用はない!」
「しゃ、社長! 待ってください!」
木村はどうにか考え直してもらおうと、説得を試みるが、藤井は全く意に介さない。
会議室に怒号が響く。もちろん藤井の声だ。
「社長、そういった事は、我々にも一度相談してから決めてほしい」
小宮山は緊張の色を見せつつも、意見を口にした。
「相談して何になる? クラテックは全てできると言ってるんだ! これが全てだろう。もう小関に委託する事自体が無駄だ!」
「しかし……小関は業績が苦しいと聞いている。こんな時こそ……」
「小宮山さん、下請けに同情してもしょうがないだろう。そもそも自業自得だ」
「あ、あの。 そんなに簡単に切り捨てる様子を、他社がどう見るかっていうのもあるんじゃ……」
由衣は少し控えめながらも発言した。
「まあ、確かに印象が良くないのは理解している。だが、こちらが突如契約を破棄するというのではない。来年度から契約しないと言っているんだ。まったく問題はない!」
「でも、やっぱり信頼が第一じゃないですか? 苦しい時だからこそ信頼を見せる時では」
由衣はなおも食い下がった。
「早川さん、君ね。これは君の仕事じゃないんだよ。しつこいね」
「……」
藤井に睨まれた由衣は、萎縮して言葉を失ってしまった。
「そういう事だ。君達、なんの為にこれだけの設備を揃えていると思う? それを考えれば、もう言うまでもないだろう!」
会議室は静まり返った。もはや誰も意見を口にする者はいなかった。
「ではこれで終わりだ。以上」
藤井は平然と部屋を出ていった。皆、重くのしかかった空気に押しつぶされそうで、しばらく席を立つ事が出来なかった。
「藤井社長! どうして!」
小関工業の担当者は、哀れみを乞う様な目と、憤りを感じる様な声で藤井に問いただした。
「どうしてもこうしても、今回で最後にする。それだけだ」
藤井は感情など全くないかの様な、極めて冷静な言葉を発した。
「そ、そんな……」
「そういう事だから。僕も忙しいんでね。じゃあ、これで失礼するよ」
「藤井さん! ま、待ってください」
しかし藤井は一切振り向く事なく、部屋を出ていった。
フジイは、これまで製品の組立を委託していた、小関工業との契約を更新しないと宣告した。
以前からそういう気配は感じているはずで、実際に通告されてから慌てている小関工業の甘さには同情の余地はない。
しかも、小関工業は今年に入ってそもそも仕事の受注が激減していた。フジイだけでなく、他のメーカーからも打ち切られていたのだ。
小関工業は生産設備の古さが目立ってきていた。それ故、加工の仕事は滅多に取れず、頼みの組立も、すでに組立のみでは仕事の受注は難しかった。
近年、特にレーザー加工の設備が普及し始め、フジイでも四台導入している。特に3Dマルチプロセッサと呼ばれている、本来複数工程を順番に加工するのを、一度に複数箇所を同時に加工する事ができるレーザー加工機が急速に普及していた。高額な設備だが、加工効率と精度の向上が凄まじく、持っている企業と持っていない企業では、その差が歴然としていた。
これらを普及させる原動力となったのが、やはり<老化>及び<若返り>の発症者達である。彼らの中でも特に優秀の者達は、様々なところで、その常識を超えた頭脳で活躍していた。
小関工業は数年前から、資金繰りも厳しく、設備投資に予算を投入する事が難しかった為、近年の設備の進化に置いていかれていた。
フジイの仕事は大口の仕事で、厳しい時期に突如もたらされた幸運だった。しかし、それも失う事になった。小関工業の未来はとても暗いものになると予想された。
「木村さん……」
由衣は目の前に立つ、元営業課長を悲しそうに見つめた。
「今までお世話になったね」
「は、はあ……」
木村は先日、大阪支店への転勤を命じられた。これは大阪支店長という、社内では部長に相当する地位である為、いわば栄転でもあった。しかし、支店は大きな決定権を持たされていない。基本的に本社の決定を実行するだけのスピーカーでしかない。実質的には左遷だった。木村はこれに反発して退職する事にしたのだ。
「別の会社に転職されると聞いたんですが……」
「そうだ。私の腕を見込んでくれる人がいてね。その人が是非にと紹介してくれた」
「そうですか。さすがですね。すぐに仕事が見つかるって」
「ははは……とはいえ、給料はさっぱり駄目な会社だけどね」
木村の笑いはどこか乾いていた。
「早川さん……最初はね、うちの娘と変わらない様な子供がどうして? なんて思っていたんだ。失礼な事だと思うけどね。無理を言う事もあったけど、今では君と仕事ができてよかったと思う。じゃあ」
「……そんな、木村さん」
由衣は言葉が出なかった。少しの沈黙の後、
「――新しい職場でも頑張ってください」
そう言って木村と別れた。
軽く手を上げて去りゆく木村の背中には、とても寂しい空気が漂っていた。
入れ替わる様に新しい営業課長がやってきた。柚木という男だ。この人物は<若返り>の発症者だ。非常に計算高そうな顔立ちで、まさに営業という雰囲気を持っていた。
小耳に挟んだ噂だが、彼は有能な<若返り>というだけではない。どうやら官公庁にも顔が効くとも言われる。特に防衛省と文部科学省とは親密だとも言われていた。
由衣は、藤井がこの先どういう方向に会社を操縦していくのか、薄っすらと透けて見える様な気がした。
「――もう割と寒くなってきましたね」
難波は自分の席にやってくると、近くの席に座っていた由衣に声をかけた。
「そうだね。今日から十二月だし、もう冬だなあ」
「そういえば、聞きました?」
「何を?」
「小関工業……もしかしたら倒産するかもしれないって……」
「え? 倒産?」
由衣は驚いた。その可能性は予想していたが、やはり実際にその言葉を耳にすると衝撃的だ。
「前に、うちからの委託をやめるって話になってたじゃないですか。この間も、もしかしたら時間の問題かなあ、って話してたら……」
「ちょっと決断が早すぎる様な」
「まあ噂なんで、決まったわけじゃないみたいですけどね。やっぱり、ちょっと寂しいなあ……」
「そうだね……」
顔には出さなかったが、暗い気持ちになった。こういう事はよくある事だ。そう、よくある事なのだけど……。
由衣は目の前のディスプレイに向き合うと、浮かない気分を吹き飛ばす様に、仕事に集中した。