六
年が明けて、二〇一九年。藤井工業は四日から仕事始めだ。この年末年始は全国的に寒くなった。岡山県南部は雪の少ない地域ではあるが、大晦日の日にかなり降って、日が暮れる頃には街の景色は真っ白になっていた。由衣も、実家に帰るのも諦めたくらいだ。帰ったのは年が明けて三日である。数時間滞在して、家に戻ってくる途中に護国神社に初詣に行った。そして翌日から仕事なのだ。
「あけましておめでとうございます」
会社の事務所に入った由衣は、すでに来ていた藤井とその妻、恵美に挨拶した。
「おめでとう。早川さん、休みはどうだい。ゆっくりできた?」
「ええ、まあ。のんびりしてました」
「ははは、そうかい」
それから少し談笑して二階の職場に上がった。この部屋にはストーブがある。もちろん暖房の為だ。エアコンがあるのにどうして、と思うかもしれないが、エアコンではあまり暖かくならず、冬はストーブが必須である。要するに建物がボロいという事だ。
ちなみにこのストーブはガス式で、床下にホースが這っている。これが大して気にならない様で、意外に鬱陶しいのだ。でも使わない訳にはいかないので使っていた。この暖かさには変えられなかった。
「新年、明けましておめでとうございます」
部屋に入ってきた難波は、由衣の姿を見つけて挨拶をした。
「新年おめでとう。難波さん」
「やっぱり寒いですね。この休み中、外に出るのが億劫になってました」
難波はコートを脱ぐと、部屋の隅にあるハンガーにかけた。まだ由衣がコーヒーを用意していないのを確認して、コーヒーを準備にかかった。
「雪すごかったし、出ない方がいいよ。もう真っ白だったね」
「そうですよね。大晦日でしたっけ? ずっと降ってましたもん」
「わたしは一日に実家に帰るつもりだったけど、大雪なものだから、結局帰ったのは昨日だったんだよね」
由衣は難波からコーヒーを受け取ると、ひと口飲んだ。
「そうなんですね。私は三十日に帰ったんですが、翌日に帰ってたら私も昨日帰る様な事になってたかも」
しばらく話し込んでいたが、由衣は時計を見ると七時五十五分になった。そろそろ朝のミーティングが始まる。
「おっと、そろそろミーティングに行こうか」
「はい」
そう言ってふたりは部屋を出た。
「えー、皆さん。新年明けましておめでとうございます」
藤井は目の前にいる従業員達に向かって挨拶を言い始めた。
「この年末年始は雪も降って、大変だったのではないかと思います。しかし、我が社も今年は大変な年になるだろう。今年はいよいよ念願である自社製品の第一弾が発売する予定だ。そしてその後も次々と新製品を発売していくのだ! そう今年は我らが藤井工業の躍進の年になるだろう! 皆さんもその点を十分理解し、精一杯頑張って欲しいです」
そう言って、少しの沈黙が続く。まだ何か話すつもりなのかよくわからない為、みんな藤井の言葉を待っていた。そしてようやく目を見開いて、
「みんな、この『プリエ』と、それに続く商品達の売れ行き次第では、ボーナスを期待してくれ! さあ、どんどん頑張ろう!」
藤井は大声で吠えると、みんな口々に賛同し、歓声をあげた。
「『プリエ』どうなりますかねえ」
難波はふと作業の手を止めて、由衣に問いかけた。
「そこそこでも売れたらいいんだけどね。品質はいいと思うけど、ちょっと高級品だから……」
由衣もひと息ついた。
「七千円は結構厳しい値段だと思うなあ。せめて五千円……くらいなら」
由衣には七千円はかなり高いと感じていた。個人向けも厳しいと思うが、特に施設や法人向けには余計に厳しいと考えられた。ただ、五千円だとほとんど利益が出ないとも、前に小宮山から聞いていたので、それもまた厳しいのだろうと考えていた。
「社長、ずいぶんあちこちに営業に行っているみたいですけど……手応えあったんですかね」
「どうかな。でも社長は営業上手いし、ある程度までは上手くいきそうな気もするよ」
「成功してほしいんですけどねえ」
「わたし達はやるべき事はやった。あとは社長の仕事だね」
そう言って由衣は再び作業の続きに戻った。
翌日、藤井は関東に出張だ。東京には営業のほか、業界に知人が複数いるらしく、そういった人達に会うという。ほかにも神奈川、埼玉にも会う人がいるそうだ。
「社長、最近は社内にいない事の方が多いですよね」
「そうだね。県内の役所と学校にも売り込みたいらしいからね。来週から岡山県内を回るらしいよ」
そう言って、由衣は肩をすくめた。
「休む間もないですね」
「よくやるよ。もう何人か事務所の人を増やせばいいと思うけど」
「営業ですか?」
「うん。小宮山さんも色々やってるけど、そもそも頭数が足りてないし」
小宮山は主に資金集めに奔走していた。
「そうですよね。うちも……厳しいですよね」
難波は少し遠慮がちに言った。
「そう。する事が多すぎる。製品の企画だけはバンバン上げてくるけど、わたし達ふたりで全部さばききれる訳ないし」
由衣は、最近の業務状況には辟易していた。現在は『プリエ』の次の次、更にその次の製品の開発をやっていた。もうそろそろ限界といったところだった。
二月に入って、藤井はますます社内で見る事がなくなった。ただ、営業の効果は由衣の予想より良いみたいで、県内三校の体育館用の注文を獲得するなど、一次出荷分はほとんど売れる様な気配だ。店頭販売やオンライン直売も、むしろ商品数が足りない風になっている様子である。二次出荷分をすでに発注し、現在絶賛生産中との事。
近づいてくる発売日に、藤井工業の社員達は不安と期待の入り混じった複雑な感情が渦巻いていた。
藤井工業の製品第一弾『プリエ』が、いよいよ今日発売となった。すでに多くの注文を受けており、一部の色では入荷待ちが出るくらいであった。
シャワーを浴びたばかりの由衣は、ソファに座ってテレビを見ていた。
バラエティ番組の人気特集コーナー「ウワサの〇〇」で『プリエ』が紹介されている。テレビでは藤井がプリエの説明をしている。カメラの前でも相変わらず饒舌で、緊張の色など全く感じられなかった。
――大したものだね、うちの社長も。
聞かれた事は全て完璧に答えて、製品のアピールには余念がない。肝が据わっているし、頭も良く回る。セールスマンとしてとても優れている人物だ。
由衣は立ち上がり、部屋の片隅に立てかけてあった『プリエ』を部屋の真ん中に持ってきた。座面を落として展開すると、そこに座った。
――自分で言うのも何だけど、良くできていると思う。
由衣は座ったまま前後に振れた。後ろに仰け反った際に勢いが出すぎて倒れそうになった。
「あ、危なかった……」
寸前のところで持ち直した由衣は、立ち上がって再び折りたたむと部屋の隅に立てかけた。
――良いと思うんだけどね。
今のところ、非常に好評だとも聞いているが、果たしてどうなるのか。