乗馬訓練
魔石集めが終了してから数日後。
ハードだった狩りに疲れて、狩りをせず休む日々を過ごしていたが、ついに恐れていた日がやってきてしまった。
「さあ大倉殿! 今日は乗馬の訓練でありますよ!」
「あっ、お構いなく」
「そんなこと言っても逃がさないでありますからね!」
「くっ」
朝食を終え自室に逃げ込もうとしたが、その前にノールが目の前に回りこんできた。
完璧なディフェンス……俺の行動パターンが完全に読まれているぞ。
「さ、先にレベル上げする狩場探しをしないか? シスハも狩りがしたいだろう?」
「いえ、今は乗馬訓練の方に興味がありますから、そちらを優先してください」
無理矢理狩りをする方向に持っていこうとしたが、シスハは微笑んで乗馬をしましょうと言う。
こいつは狩りも楽しんでやるけど、俺を弄るのも好きみたいだからな……なんて悪趣味なんだ。
「大倉殿、見苦しいのでありますよ! 魔石集めを始める前に約束したじゃないでありますか!」
「うぐっ……わ、わかってるさ。俺も男だ、約束は守ろう」
「むふふ、それなら安心したのでありますよ」
ノールが腰に手を当てて満足気に笑っている。
そこまで俺に乗馬をさせたいのか……仕方ない、魔石集めを手伝ってもらったんだから約束通りにしよう。
「そんな不安そうになさらないでくださいよ。私がいるんですから、ご安心ください。何が起きても治してさしあげますよ」
「シスハの出番がある時点で、ご安心できないんですが……」
シスハが必要になるってことは、怪我してるってことじゃないか。
一体俺にどんな訓練をさせるつもりなんだよ……。
縄で足を結わいて馬で引き摺り回されたりしないよな? 訓練じゃなくてもはや拷問だぞ。
「もう、お兄さんがせっかく練習するつもりになったのに、怖がらせるようなこと言っちゃ駄目よ」
「むぅ、別に怖がらせるつもりはないのであります」
「前に大倉さんが馬に乗ろうとしてボコボコになったと聞いたので、安心させようとしただけですよ」
……どうして俺がボコボコになったの知っているんだ。
前に言われそうになった時に妨害したはずだが……まさか。
「ノール、お前言いやがったのか」
「お、大倉殿が今どの程度なのか知るのは必要でありましょ? だから教えたのでありまして……そ、その手を下ろしてほしいのでありますぅ!」
ノールの返答に両手をワキワキと動かしながら近づいていくと、彼女はエステルの後ろにささっと逃げていく。
そこに逃げるのは卑怯だぞ!
「お兄さん、頑張ってみましょうよ。馬に乗れなかったのは最初の話なんだから、ノール達に教えてもらえばすぐ乗れるかもしれないじゃない」
「うーん、それはそうなんだけど……」
「そうですよ。大倉さんの、ちょっといいとこ見てみたいです!」
飲み会のコールみたいなノリで言わないでもらいたい。
だけど俺としても、このまま馬に乗れないのはどうかと思っている。
乗馬ができるノールとシスハがいるんだし、教えてもらう環境としては最高だろう。
エステルも期待しているみたいだから、ここはひとつ頑張ってみるか。
●
ノールが事前に町の人から情報を集めて、乗馬の練習ができるという施設へやってきた。
ブルンネの端っこの方にある場所で、柵で囲まれた緑色の平原に馬がいるのが見える。
さっそく近くにある白い建物に入って乗馬の練習をしたいと頼み、お金を払って柵の中に入る許可を貰った。
「おお! 色々な馬がいるのでありますよ!」
「ここなら遠慮なく練習できるわね」
町の中だから大平原というほど広くはないけど、走り回るのなら十分なぐらい広い。
馬は十数頭ほどいて、その中から選んで店の人に言えば乗れるように鞍などを着けてもらえるみたいだ。
「どの馬にするか迷ってしまいますね! さっそく見て回りましょう!」
シスハは平原に入った途端、目を輝かせて馬の方に駆け寄って行った。
相変わらず元気が良いというか……何をしても楽しそうにしているよなぁ。
その姿勢は見習いたいけど、人を弄って楽しむのだけは止めてほしい。
「それより大倉殿。いつまで戦闘状態の格好でいるのでありますか?」
「いつまでもだ! これなら落馬しても怪我しないだろ!」
「お兄さん、落ちる前提で考えているのは駄目だと思うの……」
俺は今戦闘用の鎧とヘルムなどをフル装備していた。
これならいくら落馬しても怪我はしないぞ! 店の人が凄く怪しい目で見てきたけど、怪我をするよりはマシだ!
そう意気込んでいると、平原に入って早々に走っていったシスハが、馬具に紐を繋いだ馬を連れてきた。
「大倉さん大倉さん、この馬なんてどうですか。ずっしりとした体格をしていますよ」
「お前は俺を殺す気なのか?」
黒い毛並みのガタイが良い馬で、近くで見ているだけでも圧倒される雰囲気がある。
たてがみが逆立っていて、まるで世紀末に出てきそうな迫力のある馬だ。
こんな馬に乗って跳ね飛ばされたら、怪我じゃ済みそうにないぞ。というか乗れる気がしない。
「おー、良い馬でありますね。ちょっと乗ってみたいのでありますよ」
「いくらノールでもこの馬を乗りこなすには時間が掛かるだろ……」
「そんなことないのでありますよ。仲良くなっちゃえばすぐでありますから」
ノールはそう言うと、よしよしと声を掛けながら馬の斜め前方から近づいていく。
鼻息を鳴らして警戒している馬に、彼女はゆっくりと腕を伸ばして手の平を嗅がせている。
そしてある程度馬が匂いを嗅いでから、首筋を撫で始めた。
すると馬は目を細めながら鼻を伸ばし、ノールに首を擦り付けている。
「おー、よしよしよし。ね、簡単でありましょ?」
「俺はその台詞を言う奴は信用しないようにしているんだ」
「いくらなんでも早過ぎますね……」
普通ちょっと撫でただけで、ここまで懐かないだろ……。
モフットもそうだったけど、ノールって動物に好かれやすいのか?
こんな怖そうな馬まで即懐くなんて……シスハまで驚いているぞ。
「お兄さんは初心者なんだから、もっと大人しそうな子を選ぶべきじゃないかしら?」
「大倉さん馬に乗る時ビクビクしていましたから、その方が良さそうですね」
「分かっててあんな馬連れてくるなよ!」
「いやぁ、あまりに立派な馬だったのでつい」
確かに立派な馬だとは思うけど……立派過ぎて初心者の俺じゃ釣り合わない。
ノールなんかは軽々乗りこなすだろうから、それはある意味羨ましいな。
ゴツイ馬をノールが愛で終わってから平原にいる馬を見て回り、体の小さ目な人懐っこい馬を選んだ。
この馬なら俺でも乗れそうな気がしてきたぞ。
「さて、それじゃあ今日の目的だった大倉殿の特訓を始めるでありますよ!」
「ノール、始める前に言っておくけど、ほどほどにしてあげてね。この前足腰が立たなくなるほどやるとか言っていたけれど、そんなことしたら本当に乗れなくなっちゃうわ」
「むふふ、安心してほしいのであります。あれは私なりの冗談でありますからね!」
あれ冗談だったのか……ノールなら本当にやりかねないから、全く冗談に思えなかったんだけど……。
ま、まあ、ほどほどにしてくれるって言うなら喜んでおこう。いきなり全力全開でやられてもできる気がしないからな。
「さっそく乗馬……といきたいところでありますけど、まずは慣れるところから始めるのであります」
「うん? 乗るんじゃないのか?」
「そのつもりでありましたけど……大倉殿が緊張気味なので、それを落ち着かせてからにしようかと。そのまま乗ったらこの子まで怖がっちゃうのでありますよ」
この俺が緊張しているだと……。そう言われてみれば、ちょっと体の動きが鈍い気がしてきた。
こんな乗りやすそうな馬だっていうのに、落馬するかもしれないと無意識に体が反応しているのか?
最初の頃に何度も転げ落ちたのが、既にトラウマになっているみたいだ……。
こういう恐怖心って、馬にも伝染するもんなんだな。
「確かにガチガチになっていますね。一緒に乗った時も私にガッチリと抱き付いていましたけど、そこまで怖いのですか?」
「いやぁ……最初に乗った時に何度も地面に転がされたからな。いつ落馬するかと体が勝手に身構えてるみたいだ」
「そんなに最初の乗馬で落馬したのね。ノールにちゃんと教えてもらえばよかったのに」
「あの時は急いでいたでありますから……」
あの時は緊急依頼の為に馬に乗ったから、ノールに手解きしてもらう時間なんてなかった。
それに俺も意地になって何度も何度も乗ろうとして、無駄に心が砕け散ったからな。
その後すぐに解決せずに放置した結果がこれだよ。
「でも今回は大丈夫でありますよ。ちゃんと私達が指導するでありますから、安心してほしいのでありますよ!」
「う、うーむ……」
「落馬しても私が受け止めてさしあげますから、安心して落ちてくださいね」
「それは安心していいのかよくわからん……」
落馬して怪我する心配はないんだろうけど……受け止めてもらえるとはいえ落ちるのは怖いぞ。
だけどこのまま乗れずにいるのは男が廃る。ここは覚悟を決めて挑戦しなければ。
「よし、やろうか」
「ふふ、ようやくやる気になったみたい。お兄さん、応援しているからね」
「おう、せめて乗って歩けるようにはなってやるぞ!」
エステルも期待しているみたいだし、本当にちょっといいとこ見せておきたい。
まずはノールが馬の頭に着いている馬具に紐を繋いで先導して、俺はその馬に乗って歩く感覚を掴むところから始めることになった。
さっそく止まっている馬の左側に近づいて、手綱を持ちながら足を鞍からぶら下がる輪に入れる。
そして輪に入れた足を支えに跳び上がって鞍に座った。
「おっ、おぉ……乗れ――うおっ!?」
乗った途端にバランスが崩れて落馬しかけたが、すぐ近くにいたシスハが体を支えてくれた落ちずに済んだ。
「大倉さん体に力を入れ過ぎですよ。もっと肩の力を抜いて、背中を真っ直ぐ伸ばしてください。馬の背中の中央部分に乗って、足と背中が真っ直ぐなるように乗るんです」
「そ、そんなこと言われても……こ、こうか?」
ちょっと前のめりになっていた体を起こして、シスハの言うとおり背筋をピンと伸ばした。
そして輪に引っ掛けている足と同じ位置になるように座ってみると……グラグラしていた体勢が安定し始める。
「おお、難しいけど安定してきたぞ」
「うふふ、お上手ですよ。もう少し慣れて来ましたら、ノールさんに任せながら歩いてみましょう」
シスハのことだからまたからかわれるかと思っていたけど、今回は本当に真面目に指導してくれるみたいだ。
それからも体重の掛け方や力の抜き方なども教えてもらい、ある程度してからノールが馬を引っ張り歩かせ始めた。
「おぉ……歩いてる、俺が乗って歩いてるぞ!」
「興奮するのはいいですけど、しっかり感覚を覚えてくださいね。その内自分で操ることになるんですから」
俺が操っている訳じゃないけど、1人で乗って馬が動いていることに感動した。
だけどこれをその内1人でやるのかと思うと……不安で仕方がないぞ。
しばらくゆっくりと馬を歩かせ続け、時折バランスが崩れそうになったがシスハに支えてもらい歩き続けた。
そしてある程度歩くのに慣れ始めた頃になると……。
「それじゃあ大倉殿、次はちょっとそのまま立ってみるのでありますよ」
「えっ、立つって……この足引っ掛けているところだけで立つのか!?」
「そうですよ。あっ、手綱は持ち上げないでくださいね。馬の負担になってしまいますから」
座っていてもバランス崩しそうになるのに、この上で立つだと!?
しかも手綱を持ち上げちゃ駄目って……腰だけ浮かせってことか?
一旦馬を止めてもらい、言われた通りに足を入れている輪に力を入れて立ってみたのだが……足がプルプルと震えて今にも前か後ろに倒れそうになった。
「こ、こんなことできるのかよ……」
「できますよ? 私が乗りますからちょっと見ていてください」
シスハと交代して手本をみせてもらうことにした。
馬にひょいと乗り込んだ彼女は、すぐに鞍から尻を離して腰を伸ばすと……手綱から両手を放してそのまま立ち始めた。
そして足を少し動かすと、馬は反応して早歩きで駆け始める。
「うっそぉ……」
「後ろに乗っていた時は動きをよく見ていなかったけど、ノール達って凄いのね……」
「あれぐらい出来ないと馬に乗って走るなんて無理でありますからね。慣れてくれば出来るでありますから、頑張るのでありますよ!」
あれが出来ないと馬に乗れないって……そんな無茶な。
シスハの手本を見た後、夕暮れまで馬に乗って特訓を続けたが、最後まで俺は立ちながら動くことはできなかった。
だけど今日の練習で落馬する恐怖が薄れたのか、終わりの方には乗っているのが楽しくなり始めていた。
この調子で続けていけば、俺も馬に乗れるかもしれない……いつまで掛かるかわからないけどな!
本当に優しく教えてもらえたし、狩りの合間を見てまたノール達に指導してもらうとしよう。