ルゲン渓谷
クェレスからルゲン渓谷に向けて出発してから3日後、ようやく大きな山が見えてきた。
縦長い奥へ続いた山が2つ並んでおり、間には幅広い川まで流れている。
両方とも麓の方は草木に覆われ緑色だが、中腹辺りから草木がなくなって灰色一色の岩山だ。
高さは1000mはないと思うけど……それでもかなり大きい。
「うひぁ……これまた凄い場所だな」
「大きな山と川でありますよー。魚とか獲れそうでありますね」
「想像していたよりも大きな渓谷だわ。あの上の方の岩山にルペスレクスがいるのかしら?」
「そうだろうな。最初に行く方の山に居てほしい……」
登山の経験なんてあんまりないし、これからあれを登るとなると不安になってきたぞ。
まあ、帰りはビーコンがあるから、その分だいぶ楽だとは思う。帰りも油断できないのが登山だもんな。
こんな山を登ってさらに魔物まで狩ってくるなんて、たしかに狩りに行ける冒険者が少ないというのも頷ける。
それと2つの山を分断するように流れている川も結構な大きさだ。幅は30mぐらいはあるだろうか。
片方はこのまま行けるからいいけど、こっち側の山にルペスレクスが居なかったら川を渡って向こう側に行かないといけないのか……。
これじゃ魔物を倒すよりも山を登る方が大変そうだ。
しかも縦長で岩山の部分も広いし、この中から擬態しているルペスレクスを探すのは骨が折れるな……。
とりあえず目的地には到着したので、自宅で待機しているシスハ達に連絡を入れて現地へと来てもらった。
「はへー、渓谷だとは聞いていましたけど、こんなに大きな所だったんですか。この山を登るなんて楽しそうですね」
「はぁ……これからこの山を登ると思うと、私は気が滅入るぞ」
彼女達を呼び出すと、シスハは興味津々といった様子で山を眺めている。
一方ルーナは山を見上げて、ため息をつきながら眉間にしわを寄せて凄く嫌そうだ。
そして今度は俺の顔をジッと見つめ始め、何か言いたそうにしている。
「ん? どうしたんだルーナ?」
「平八、スパティウムを使ってパパッとあの岩山に移動できないのか? その後ビーコンで私達を呼べばいいだろう?」
「おっ、その発想はなかった。ちょっと試してみるか」
なるほど、視認した物と位置を入れ代わることができるスパティウムなら、ここから一気に岩山まで移動できるかもしれないな。
さっそくスパティウムを取り出し、入れ代わる対象を探す為に双眼鏡を使って岩山を確認する。
目立った物は何もないけど、山の上には岩がいくつも転がっているので、その中の1つ注目しながら入れ代わろうとボタンを押した。
しかし、スパティウムは反応しない。
おかしいな? と思いながら再度ボタンを押してみたけど、やはり岩と位置が入れ代わることはなかった。
もしかしてあの岩は魔物なのかと別の岩も試してみたが、結果は同じに終わった。
あれれ? 視認できる対象なら入れ代われるんじゃないのか?
「……ダメだ。岩をいくつか見ながらやってみたけど反応しない」
「遠過ぎるのか、それとも岩じゃ対象にならないのでありましょうか?」
「いや、この前試した時に石はいけたから、遠過ぎるせいかもな」
「スパティウムもまだまだ全然試していないものね。何かしらの制限があるのかしら?」
うーむ、スパティウムもビーコンと同じで、距離制限みたいなのがあるのかもしれない。
再使用時間とかを調べる為に試した時、石と位置を入れ替えることができたから岩だっていけるはずだ。
距離は試していなかったから、どのぐらいが限界か今度試さないと。
スパティウムでの移動は無理だと諦めた……のだが。
「いや、諦めるのはまだ早い。私の槍を投げ飛ばして目標にしよう」
「いやいや、無理だって。原因はたぶん距離だから。それに遠いから槍自体届かないだろ?」
「気合だ、気合でなんとかする」
諦めきれない幼女様がまだ諦めるなと言ってくる。
普段の堕落っぷりを微塵も感じさせない、意思のこもった熱い瞳で俺を見つめながらだ。
楽をする為にここまで必死になるとは……気合で何とかなる訳ないだろ!
だけどこの様子だと何を言っても止めるのは無理そうだな。
仕方ない、ここは1度やらせてみて納得してもらおうか。
「あー、うん。やるだけやってみてくれ」
「うむ、平八は話がわかる良い奴だ」
「ルーナさん、頑張ってくださいね!」
「任せろ。それではいくぞ」
シスハの声援を浴び、ルーナは自信満々に槍を取り出し、一旦後ろに下がってから勢いよく駆け出した。
そして地面を蹴って飛び上がり、空中で岩山に向かって渾身の投擲を繰り出す。
手から放たれた真紅の槍は岩山に向かい、一直線に飛んでいく。
しかし段々と勢いが衰え始め、最後は岩山のだいぶ手前で失速し森の中へ姿を消した。
……うん、やっぱり届かないよな。気合でどうにかなるような距離じゃないもん。
「……ふむ」
「届かなかったでありますね……」
「そうね……普通に歩きましょうか」
「ル、ルーナさん! 落ち込まないでくださいね!」
「まだだ、まだスキルが――」
「おい! それは止めるんだ!」
自動回収で戻ってきたブラドブルグを構えて、ルーナがスキルを使ってまで届かせようとし始めたので慌てて止めた。
これから山を登るっていうのに、無意味にスキルを使って消耗されても困る。
俺としてもスパティウムで一気に登ること自体は賛成だったけど、無理なんだから仕方がない。
ルーナは口を尖らせて不満そうにしていたが、槍が届きすらしなかったので渋々諦めてくれた。
まだ山に登る前だというのに一騒ぎ起きてしまったけど、ようやく岩山に向けての登山が始められそうだ。
●
地図アプリで岩山の方角にマークをしてから、俺達は岩山の麓にある森の中へと入った。
木や草が生え放題の道なき道を、俺が先導しながら進んでいく。
エステルとシスハに支援魔法を全員に掛けてもらいつつ移動しているのでだいぶ早く進めるけど、それでも休憩を挟みつつ注意しながら地道に山を登っていく。
人の手があまり入っていない道のない山は歩き辛いなぁ……地図アプリがなかったら方向さえわからなくなりそうだ。
「ふぅー、やっぱり山登りは疲れる……」
「よっとっと………そうでありますね。竹林とかで多少は慣れているでありますけど、上に登っていくとなるとまた違うのであります」
最近はアルデの森や竹林によく足を踏み入れていたから、全員こういう場所での歩き方にはだいぶ慣れている。
それでも上に登るとなるとまた少し違うのか、俺でもちょっと疲労感が増してきた。
そんな場所だからこそ、特にエステルに対しては気を使ってあげないと……って、思ったそばから踏み外しそうな段差が。
「ほら、ここは足場が悪いから気をつけるんだぞ」
「あら、ありがとう」
エステルの手を取って背中を支えながら段差を越えさせた。
言っていた通りだいぶ彼女も逞しくなってきたみたいだが、ノール達に比べるとまだまだ足取りが危なっかしい。
ノール達も注意はしてくれているだろうけど、俺もしっかりと見守っておいてやらないとな。
「それにしても、全く魔物と遭遇しませんね。この森の部分にはいないのでしょうか?」
「そういえばそうだな。地図アプリにも反応がないし」
「いいことだ。山登りだけでも辛い。むしろ動くことが辛い」
「ルーナは少しぐらいエステルを見習うでありますよ……」
今のところこの山登りで唯一救いなのは、この森の部分では魔物と遭遇しないことだ。
もちろん擬態した魔物がいるかもしれないから、その点は気をつけている。
特に進行ルートにある太い木なんかは、絶対攻撃を加えてから進んでいるぐらいだ。
それでも動き出す魔物はいないし、地図アプリでも魔物の反応は見られない。
この山を登ることが今の俺達にとっては1番の敵のようだな。
それから数時間、着々と中腹目指して通りやすそうな場所を選び進んでいたのだが……。
「うーん、これは迂回しないとダメそうだな」
ようやく中腹近くまで来たかと思ったら、50mぐらいはありそうな壁のような岩の崖にぶち当たった。
「登るのはきつそうでありますよ。真っ直ぐに行ければ楽そうなのでありますけど……」
「ここまで来て迂回……お家帰りたい」
「もう少し、もう少しですから頑張りましょう!」
左右を見渡してもこの崖がずっと続いている。
岩山を目指してできるだけ真っ直ぐ進んでいたのだが、ここで大きく迂回をしないといけなそうだ。
でもここを登りきったら岩山はすぐ目の前みたいだし……俺がなんとかして登るか?
ウォールシューズとか使えば行けそうな気はするけど、高過ぎてちょっと怖いな。
それに途中で魔物が来たりしたら……なんて色々と考えていると。
「それなら私に任せて」
エステルが自分の胸をトンっと叩きながら任せてほしいと言う。
「おお、何か良い案があるのでありますか!」
「ええ、真っ直ぐ進めないのなら、進めるように道を作ればいいのよ。この程度の高さならいけると思うわ」
「……えっ?」
何をするつもりなのかわからずに困惑している俺達を他所に、エステルは杖と黄色いグリモワールを取り出し始めた。
「いつもより少し気合を入れなきゃ……」
エステルが目を瞑って両手で杖を持ち、そのまま崖の目の前に立って集中している。
い、一体何が始まるんです?
「……ん! えーいっ!」
俺でも違いがわかるぐらい気合の入った掛け声と共に、エステルは杖を崖にコツンと当てた。
すると杖の当てた部分の崖が、下から上までだんだんと縦にへこみ始めている。
下の方はある程度したら止まったが、上の方は止まることなくへこみ続け、垂直だった崖の一部が斜めになっていく。
そしてあっという間に崖の上まで続く、緩やかな坂道が出来上がった。
「ふふ、どうかしら? これなら登れるわよね」
「さ、流石はエステルだ。やっぱり困った時は頼りになるな」
「相変わらずエステルさんの魔法はとんでもないですね」
「うむ、魔法は凄いな……やったぞ、楽ができる」
「これで一直線に進めるでありますね! エステルは頼りになるのでありますよ!」
「ふふふ、もっと褒めてくれてもいいんだからね」
この高さの崖をへこませて坂道を作るなんて……やっぱりエステルの魔法は凄まじいな。
俺達の言葉を聞いて、彼女はニッと歯を見せて笑っている。
ここまでちゃんと登って笑える余裕もあり、さらにはこうやって助けてくれるとは……本当に頼りになりますエステルさん。
さっそく彼女が作り出した坂道を進み、俺達は目的地である岩山へと向かった。