終わらぬ劇
銃を向けられる直前、目の前の男たちがしたようにユーリは露子に一瞬目配せをした。意図が通じたかは解りかねたが、露子は大人しく両手を挙げ、その場に膝をついた。手に持っていたデトニクス袋は足元に落ちた。
「ちょっと待ってくださいよ、一体どういう積りなんですか」ユーリはカレンを負ぶさっているため、両手を挙げる事が出来ない。それ位の事は解ってほしいものだが、男たちは強気な態度を崩さない。
「おいお前、静かに両手を挙げろ」
「ふざけないでください、こっちは小さい子供を背負っているんですよ?」ユーリが言ったその言葉に露子はうっかり噴き出しそうになった。男たちが怪訝な顔をしたが、やはり優しさの欠片も無い悪漢たちだったようで。
「ふざけてるのはお前の方だ。ええ? 良いかお父さん、静かにガキを地面におろせ。そして両手を挙げろ。気を付けなよ、ガキが起きて泣き喚きやがったら、どうなるか考えてな」
「わかりましたよ、銃を振りまわさないでください、使い方知ってるんですか?」
「おい、いい加減にしろよ、なんだったら、使い方を教えてやろうか」
「結構です、間に合ってるんで」ユーリはしゃがみ込み、再び露子に目配せをする。
「あ、……すいません、あの、子供を……抱いてもよろしいでしょうか?」露子は両手を挙げたまま恐る恐る、悪漢に嘆願した。
「静かにしてるなら、構いやしねえよ。なあ、旦那さん?」
「ふぅん……こんな所で子供が一人泣き喚いたって、誰も助けに来やしませんでしょう?」ユーリは不敵に笑みを浮かべながら、「それで、どう言ったご用件なんです、不幸な家族を捕まえて?」
「いやぁ不運な所、重ね重ね申し訳ないが、お前ら、金目の物全部をこっちに寄こしな」
「おかしな真似したら、てめーら風穴開けてやるからな、大人しく言う事を聞け、そしたら命だけは助かるってぇ寸法だ」
「相手を良く見てほしいものですね。僕らが何か金目の物を持っているとでも? 夜中にこんな道を歩いている家族が?」
「黙って、身包み置いてけって言ってんだよ」
――さてどうした事か。確かにこの家族は運が悪かったと言えるかもしれないが、別にこの街じゃ珍しい事でもないし。男たちの銃はよくわからないがぎらぎら輝くシルバーのリボルバーらしい。露子が静かに、そぉっとカレンを抱きしめる。改めて見て見ると、本当に子供のようだった。こんな娘と殴り合いをした自分が少し大人げなく思えてしまう程に。少しだけお酒臭いカレンの髪を手櫛で梳かしながら、露子はそっとその頬をつついた。
「あの、じゃあ、解りました。ちゃんと運賃は払うんで――ちょっと僕らを乗せて行ってもらえませんかね、長くは走らせませんよ、その辺りまで」
「お前、本当にぶち殺されてえのか?」
かちゃり、と静かにリボルバーの撃鉄が起こされる。後は引き金を引くだけで、狙い定められたユーリの脳天が吹き飛ぶというだけだ。
「そう言われましても、僕らは文無しのヒッチハイカーなんですから、他に言う事もないですよ。家まで送ってくだされば、通帳でもカードでも持って行ってもらって構いませんけどねぇ」
「おい、埒があかねえよ、こんな奴らほっといて行こうぜ?」
「だが、――甘ッとろい事を言ってんじゃねえぜ、俺たちはこいつらに、顔を見られているんだからな」
「ちょ、ちょっと、誰にも話したりしませんよ!」
――つまりどちらにせよ口は封じておくと言う事だ。
「生憎だが、俺たちは極悪非道な押し込み強盗なんでね」
「ほんとに、後生ですから、そんなことしないでください、撃たないでくださいよ、あなた達のためにならない」ユーリは情けなく泣き喚いた。
「何の心配してやがる、良いからこっちへ来い!」男の一人がユーリの腕を引き、木陰に連れて行く。もう一人が、露子の腕を引き、ユーリの傍へ引き摺って行く。
「やめてください、こんな事!」露子は必死になって、ユーリと一緒に泣き喚いた。「あの子は何も見ていないんです、あの子だけは助けてください!」
「奥さん安心しなよ、娘さんは俺たちが、有効活用してやるからよ」
「あれ、あのガキ、どこへ――」露子を引っ張っていた男は、次の瞬間後頭部に鋭い一撃を喰らってその場に昏倒した。同時にユーリは残った男の銃を奪いその場に蹴り倒した。口ほどにも無い。
「なっ――てめえら、何しやがる、畜生! くそったれ!」
「ユーリぃ、なんら、こいふらぁあ?」よだれを垂らしながら、罅の入った酒瓶を名残惜しそうに眺めているカレンが言った。ユーリの尻ポケットに突っ込んであったウォッカの瓶である。酔っぱらいにしてはスマートな一発だった。
「あー。こいつらね。そう、たまたま見つけたタクシードライバーさんだから、あんまり乱暴しないように。僕たちを乗せて行ってくれるんですからね」
「おっけー、わかったー。これで歩かないですむぜぇ~、ひっく」
「おい、ふざけてるんじゃねえぞ、何言ってやがる!」
露子はカレンに殴り倒され気絶した男のポケットを探って見つけた結束バンドで、丁寧に男を梱包して車のトランクに放り込んだ。
「これで三対一。素直に言う事を聞いておいた方が、あなたの身の為じゃないかしら?」露子は、実に面白そうに笑った。「……悪い事をするのって楽しい♪」酒が入っているせいか、その声は踊るようで、小悪魔じみていた。紛れもなく、露子は悪人なのである。しかし、その言葉をユーリは優しく否定する。
「いやいや、これは全然悪い事では無いよ露子。なぜなら僕らはこれから彼らに家まで送って貰うわけだからね、悪事を重ねた悪い強盗さんに、最後に娑婆での善行を積ませるわけだ。実にすばらしい」その悪人らしい論理で。
「か、勝手に決めるな! 誰がそんな事――」わめく男の喉元に、ユーリはカレンのナイフを突き付けた。「……くそ、まさかてめえらの方が山門芝居を演じてやがったとはな」男は素直に大人しくなった。殺されるか運転手か選べと言われたら、早く殺せと言う奴はいない。そう言う事だろう。
「良い心がけだ。名演技を間近で見られた感想はどうだい?」ユーリは男を助け起こしながら、車まで連れて行った。「良く解ってる事だろうけど、変な事したら命がないかもよ?」
「うるせー、くそが」
「まあまあ。お前らと違って僕らは優しいんだ。親切だからね、観劇代の方は運転でチャラにしてもらおうって言うんだからさ」
「憎たらしい野郎だ。そんなに演技が好きなら、なんで舞台で演らねえんだよ?」
「ふぅん、カレン、答えてやれ」
いきなり振られきょとんとしつつも、空の酒瓶を大仰に抱いてカレンは質問に答える。
「世界こそが、一つの舞台なのであってぇ、ここではぁ、男も女も~ぉ、みな役者なのだぁ~」
「As You Like It」露子がぽそりと呟いた。
「そう、そう。思いのまま生きようじゃないか露子、俺たちと一緒にな。俺たちは最後までこの舞台に立ち続けるのさ」
「は、ははは、あはははっ」露子は呆れて物が言えなかった。
一体この夫婦は、自分たちの立つ場所を全て劇場に変えてしまうとでも言うのだろうか。全くの偶然で現れた強盗も、すっかり舞台の端役――いや、小道具扱いである。さっぱり理解しがたかったが、素直に面白い、と思った。
露子はデトニクス袋を抱えたまま後部座席に腰を落ち着け、隣に座ったカレンとそっと手を繋ぐ。カレンはまた酔いも冷めたのか、露子の手を握り返して、そこへそっと口づけた。
「これからよろしく、露子ちん」
「こちらこそ、カレン」
ユーリは助手席でナイフを弄びながら、元強盗の運転手にこれからの道行きの指示を出す。
「……あぁ~、……ったく。ところでお前らよ」
「なんだね運転手君?」
「……なんで車を奪っちまわねえで、俺に運転させてるんだ……?」
「まったく、冗談の通じない奴だなぁ。僕らは役者だが、生憎と今晩は飲み会帰りなんだよ。すぐ飲酒運転する連中と一緒にしないでくれ」