已まれぬ酒
「なぁ~に素っ頓狂な顔してんですかぁ坂田ちゃぁん?」
「なんだカレン、起きたのか……ちっ」
「お前ぇその舌打ちはなんだそれ、ええ~?」そう言ってカレンは、おぶさったまま両脚でユーリの腰部を締め上げた。
「あっやめろお前それ内臓捩じれる、ばか、いい加減にしろ、落とすぞこのっ」
「じゃあ、こっちはぁ? カレンちゃんのあんよですりすり~」カレンがユーリの股間部にブーツの踵を這わせた瞬間、ユーリは両手を離して背中のカレンを放りだしたが、カレンは何の苦も無くハンドスプリングを決めた挙げ句、背後から跳躍して軽々ユーリの肩に腰を落ち着けた。
「おい、ほんとに落としたな?」更に太股でユーリの頭を締め上げる。
「くそ、カレン、めんどくさいから寝ていてくれないかな? これから歩いて帰らなくちゃいけないんだから」
「そうだよ、あんたら何で連れ立ってこんな暗い道歩いているのさ! あ、あ、あたしのネイキッドちゃんはどこいっちゃったのォ!」途端にカレンは悲鳴を上げた。既に涙目になっている。
その様子を眺めていた露子は、呆気にとられながらも、カレンの質問に答えようとする。
「えっと、車なんだけど……タイヤが、外れて……」
「あぁ! なんで? 違う、そうだった、タイヤが外れた? あぁんもう、やだぁ、それってつまりあたしのせいだな!」
「うん、そうだと思うよ、僕は」
「きっと、……当たり所が悪かったんだと思う」
「いや見事、大当たり。サッカーボールみたいだったな」
「なぁユーリ、百歩譲ってネイキッドが使えなくなったとして、置き去りにする事ないでしょうがよ。何でこんな、お徒歩で! あたし歩いて帰りたくなんてないよぅ」
「なあお前、まだ一歩も歩いて無いよね?」
「うん、歩きたくないからな!」
肩車されていたカレンはずり落ちて、また負ぶさる姿勢に戻った。
「あぁわかった。よし良い子だ、じゃあ寝ててくれ、ここにかっぱらってきたウォッカがあるぞ」そう言ってユーリはポケットから出した小さな瓶を手渡した。
「うむ、良い心がけじゃ。くそ~、やってらんねぇやい。ぐび、ぐび、ぐび、かぁ~、あったまるね!」
「奥様、良い飲みっぷりです事」ユーリはカレンの手から酒瓶をひったくった。
「ふ、ふひひひ、きもひ~よぉ、ひひひひ」
「よーしよし、寝てろ寝てろ」再びカレンは大人しくなった。
ぼちぼち歩き出す。
「…………それ、盗んできてたの?」
「せっかく酒場に寄ったんだから、飲まなきゃやってられない」
「そう。飲酒運転だなんて最低……、私にもくれる?」
「うん、同感だね。実はまだ一口も飲んでないんだ、生憎ドライバーなもんで。珈琲好きなんだ、お陰で眠くならずに済んでるよ」
「なんだ、そうだったの。今は飲めるでしょ?」
「ああ、まあ確かに」
露子は手渡された瓶の残りの酒を軽く口に含むと、蓋を開けたままユーリに返した。残った酒をユーリは飲みほした。空の瓶を尻のポケットに突っ込んだ。
「こうなる事がわかってたら、もっとかっぱらってきてたんだけどなぁ」
「残念ね。それにしても、……ご夫婦だったのね。仲が良いわけね」
「――夫婦円満の秘訣が聞きたい?」
「ちょっと興味あるかな」
ユーリは少し考えてから答えた。
「お互いの悪い所を隠さない事」
「……意外とまともな答え」
「そして認め合う」
「うん」
「時には喧嘩もする」
「そうね」
「だから、ベッドでは好きにさせてやる事」
「……良く解った」
「いや、こいつ、寝相が悪いんだ。――こういう冗談は嫌い?」
「……んん、笑いどころかは、微妙なとこね」
「ふぅん。――お姉さんとは、喧嘩はした?」
「たまに。でも大体、悪いのは私だから。いつも優しかった。そしていつも」
「正しかった?」
「……そうかもね。そうかもしれない。でも、大好きだった」
「墓参りに行く積りって言っていたな」
「ええ」
「もし迷惑でなければ、俺たちも付き合う。というか、旅費はこっちがもつから、俺たちが露子を連れて行くよ」
「え? でも、そこまでお世話になるわけには……」
「いや、これもうちの福利厚生なんだ。〈厚かましい〉のがポイントね。ちなみに糞アイアトンに殺されちまったうちの仲間な、あいつの葬式もうちでやってやるし、――あいつの別れた元奥さん――と娘さん、聞いたところによるとねぇ、……どうやら日本にいるらしいんだなこれが、だからまあね、とことん余計なお世話かもしれないけれど」
「……そうなんだ。それを伝えに……。辛い仕事ね」
「いや、カレンが秋葉原に行きたいだろうから、連れて行ってやろうと思ってさ」
「……あぁ、それも夫婦円満の秘訣ね?」
「うちは新婚旅行にも連れて行ってやってないからなぁ」
「で、それも冗談なんでしょう? なんとなく解ってきたわ」
露子の言葉に、ユーリは、少しだけ笑った。
「日本まで、行かなきゃならないのは本当だけどな。はぁ、それにしても、歩くのがしんどい」
「よければその袋、持ちましょうか? 銃ばっかり入ってて重いでしょ」
「ああ、そうだね、頼むよ」
その時、遥か後方からエンジン音が響き、遠巻きにヘッドライトがちらつくのが二人に見えた。
「おっと、こんな夜中に車が通るとは丁度いいな。ヒッチハイクでもしようか?」
「……乗せてくれると思う?」露子が袋を持っていない方の手を挙げながら聞く。鏡を見るまでも無く、自分がぼろぼろな姿なのを言っているのだろう。
ユーリは背中で寝息を立てているカレンの位置を正して少し考えた。
「いやぁ、それは、頼み方次第でしょうよ」
やがて道なりに進んできた車は二人を追い抜き、前方5メートル程で停車した。
「停まってくれたけれど」
「ああ、停まってくれたみたいだな」
車からは、男が二人下りて来た。車のテールランプで照らされた道端の連中の様子を見ても、特に眉一つ動かさなかった。
「あのぉ、すいません、車がエンコしちゃいまして……」ユーリが声をかけると、二人の男はなにやら目配せをしたあと、いきなり銃を突き付けて言った。
「動くな、大人しくしてろ」