道ならぬ道
「……と、言うのが、まあ我々WNTの活動な訳だけど。ここまで来たら本音を言わせてもらうしかないんだが、仲間が殺された、つまり欠員が出てしまったって事なわけだな。だから、露子が仲間になってくれればとても助かる」
「……私で務まるかは、解らないけれど」
「いやー、大丈夫だろう、うちのカレンちゃんとステゴロできるだけで充分、十分。それ以上を望むべくも無い。君は優秀だ。仕事を選べば問題は無い」
パンクだけなら良かったのだが、タイヤごと外れて川に落ちるとは、打つ手なしであった。ユーリは仕方なく、カレンを負ぶさって徒歩帰宅をすることにした。露子も一緒についてくる事になった。ユーリはカレンの代わりに、と言っては何だがWNTへの積極的な勧誘を怠らない。露子が仲間になればカレンの望みは果たされるだろうし、トレーシー亡き今の欠員の補充にもなり一石二鳥である。
ただ、仲間になってくれなくても、少なくとも一宿一飯くらいは世話してやらなければならない所なので、事務所にはついて来てもらう積りであった。仕事の実情などかなり深い所まで打ち明けてしまっていたが、断られた場合もまあ、なんとかなるだろう。今の所は良い返事が聞けそうである。問題は無い。
それにしてもこの状況、ぐっすりのカレンが起きてしまったら相当面倒な事になる。ネイキッドが置き去りになってしまったからだ。何と言っても彼女のお気に入りの車だから、車体に少しの傷が付くだけでもかなり騒ぐというもので、普段のユーリの運転は乱暴ではないが、町の区間を移動する際には回り道をする事が多く、ここらは道が整備されていないエリアもかなりある。泥が跳ねたり木の枝に擦られたり、車体はどうあっても傷付く事になる。そのぶんカレンの心も傷付いて行く次第。そこまでこだわるほどでもないが、手に入れた頃の事を考えると今は車の事では随分大人しくなった。一度ならず大破したこもあるのである。それでも愛車に対する愛着は、子供の頃から大事にしているぬいぐるみをいつまでも取っておいたり、買って貰ったおもちゃを枕元に置いて寝たりするのに似て、変わる事の無い思いの一つに数えられるだろう。その車が古ければ古いほど、思いの丈は強くなると言うものだ。燃費の悪さなど当然の犠牲、いやオールド・カーを愛する者たちは犠牲などとは言わないかもしれない。エコカーなどクソ喰らえである。部屋を散らかし放題にするぐうたらのカレンであるが、洗車は欠かす事が無い。車を使わない日などは専ら、庭に出てオーバーオール一丁で洗車している。車に話しかけながら。
――夫婦の自宅は別荘地に小奇麗な二階建て屋根裏付きの住宅が一軒と、北側にある山の麓に避暑用のバンガローを所持している。山と言ってもこちらは小さなもので、登山するというほどの規模でもなく、ちょっとしたハイキングコースとして利用できる。自然は豊かでありバードウォッチングなどの穴場もある。周囲にはコテージなどもたくさんあり、テニスコートやバスケットコートなどもある。頂上まで行けば、別荘地が一望できるのでなかなかの景観であり、川の先のならずものの巣窟の淀んだ街並みまで見渡せる。昼間アリアと店長が買い出しに出ていた隣り街は、かなり栄えた町であり、観光地としても有名だ。……悲劇に見舞われた露子の姉が旅行に来ていた所でもある。
「うー、うにゃー、すぴぃ~、すぴぃ~、……うひ、うひひひひ」
ユーリの背中では幸せそうによだれを垂らしながら、赤い鼻ちょうちんを膨らませてカレンが眠っている。どんな夢を見ているのか、しまりの無い笑顔を浮かべていた。呼吸に合わせてちょうちんが膨らみ、縮みを繰り返す。かつて天使と呼ばれた少女の寝顔ではない。
しかしユーリにはそんなカレンの様子は見えない。
露子はカレンを見遣り、あれほど熾烈な殴り合いを繰り広げた相手の有様を目の当たりに、複雑な表情を浮かべていた。
「うん、カレンがどうかしたか?」
「…………よく寝てる」
「頑張ったからな。俺は今日は殆ど何もしていないし」
「そう、なの?」
車が使えなくなって、仕方なく放置して行くしかないという状況。放置なんてとんでもない。とんでもないのであるが、だからと言って背負っていくなど無理な話である。露子にも手伝って貰い、何とか木陰の目立たない所にまで運んで行く事が出来た。それだけでかなりの重労働であったのに、事務所まで押して帰るなども論外である。その際ユーリはちゃっかり、車内に仕込んでいた大量のデトニクス拳銃――七挺を布袋に押し込め手首にぶら下げたのだった。一仕事終わるころには露子もすっかりユーリと打ち解けていたのだった。前髪が長く暗い表情だった露子も、重労働に際し髪を耳に懸け、後ろ髪をまとめていた。そうすると印象はがらりと変わり、スポーティで爽やかな雰囲気となる。サークルでの敵意剥き出しの無気力な面影がもうそこには無く、ころころ表情が変わる。
そんな露子の視線は、ユーリがぶら下げている布袋に向けられていた。ずっしりと垂れさがっているその袋の中身に意識が移る。人殺しの道具。それもたくさん。
「ああ、今日の仕事はアイアトン探しだけだったし、サークルに潜り込む手筈を整えた位だったなぁ、俺がやったのは。殆どカレンが――まあ、サークルの連中も俺が何人か殺したけど」
「…………ひどい連中だった、本当に」再び露子の表情が曇った。ユーリとカレンが加わるより少し早く潜り込んだ露子は、連中の行いをより多く間近で見ていた。
「俺やカレンもまあ似たようなものさ。楽しんでいるかいないかの違い位しか無い。――まあ、殺さなければ殺される世界だ。それは何も特別な事じゃない。それが苦では無くなってる。それも特別な事じゃない」
「でも、あいつらは死んで当然だったわ」
「そうだな、悪い奴らをやっつけた。良い事をしたわけだ。でも、俺たちは正義の味方じゃあない。悪い奴を守る事もある。その時は正義の味方を殺すことになる」
しかし同時に、ユーリの〈殺した〉に何の感慨も込められていないのを感じ、まるで殺気も邪気も持っていない事に気付いた。自然、一つの疑問が湧きあがってくる。
――この男に、本当に人が殺せるのだろうか?
起き上がる時に手を貸してくれたユーリの掌はとても温かかった。今も、話しかけてくれるユーリの横顔は優しく、その視線、瞳に宿る何かが露子が今まで出会ってきたどの男たちとも決定的に違うのを感じた。不意に、その顔をじっと見つめていた事に気付き、少し恥ずかしくなってしまう。
「……どうかしたか?」
「な、なんでも、ない」慌ててそっぽを向いてから、失敗したと思った。変に思われてしまうのではないか。身体が妙に熱っぽい。殴り合ったし、その後、車を押して汗をかいたし、火照ってるのはおかしな事では無い。いやいや。――そして思いなおす。どうかしたか? と聞かれた。何でも無いと答えた。それは違う。
実際どうかしているのだ。その事を露子は自覚していた。そんなはずは無いのであるが。確かに彼らに命を救われたのは事実だが、それを実際に行ったのはカレンであり、彼では無いのである。だが、確かにこの男に惹かれている自分の存在も確かだった。それに気付かないほど初心なネンネではない。ただ不思議だった。命を救われたから、とか、そんな理由では無いのだろうけど。自分にそんな気持ちが萌そうとは。
しかし、これから生き方を変えられる訳でも無い。それは姉が死んだ時から解っていた。だから復讐を遂げたら死のうと思っていた。だが今は、死に向かう事は止めた。であるならば。殺し屋として生きるより、傭兵として生きる方がほんの少し、前を向いていられそうな気がする。
――この人について行こう。今はそれで良い。
露子の覚悟は決まった。
「そう言えば、ユーリはカレンと長く組んでいるみたいだけど」
「そらまぁ、長ぁい付き合いだからなぁぁ。夫婦だってのもあるけど」
「――――――…………ふぇ?」