拾われた命
「そゆわけでね、坂田はもう復讐何かに振りまわされなくっていいわけなのだー。でんででん。じゃあどうしようかってお話。簡単だよね、これからどうするかって話だよ。ちゃんと聞いてね、解ったかな、お返事はぁ~?」
「っく、――そんなの、知るもんか……ッ」
不意に揺れる車体。
全員の身体も一瞬浮き上がり、また席に落ち着く。
「ふぅー」ユーリはパンクしたら面倒だなどと思いながら、考えを巡らせる。
事務所に着けばタイヤくらい取り換えられるが、辿りつけなかった場合、面倒な事になる。
ユーリの耳には坂田の嗚咽だけが届いている。ミラーに映るのは伏せった姿のみ。カレンはと言うと、後部座席に移動して坂田にしがみついて、頬を擦り寄せて何言かを甘く囁いている。
やれやれ、溜め息を一つ。
後部座席シート下やらに、ユーリの趣味であるデトニクス拳銃が何丁も仕込んであるのは先にも述べたとおりである。カレンもそれは承知だ。
ユーリの懸念は一つ、車内での発砲騒ぎだけは無しにしてもらいたいと言う事だった。
もっとも、この車ネイキッドを愛するカレンがそんなご無体をなさるとは思えない事だったが、坂田も殺し屋だ、一つ機転を利かせればどうなるか。
そうなった場合、ユーリは躊躇い無く坂田を殺すだろう。
――ユーリはカレンよりは上位に常にあり手綱を掌握しているつもりではいるが、どうにもならない時、つまり引き際は心得ている。カレンは滅多な事では怒ったりしない。
それが今だった。よほど坂田が気に入っていると見える。無邪気な子供と同じく頑固で融通が利かないと言う事だ。
ユーリは喋る事をやめた。後で可愛がってやればすぐ機嫌は直るわけだし、どうにでもなるだろう。
素直な子だし好きにやらせておけばそれでいいのだ。気の済むように。ここまでの経過、どうしても坂田と仲良くなりたいと思っているのだろう。
ただただ単純に、それだけ。本心でそう思っているのだ。
なら、放っておけば良いのだ。坂田を殺したらそれこそカレンは怒るだろうが、その時――危険が起こるまでは放っておけば。
しかし。
同時に、カレンがその放埓な言葉で説得なんかしようとして通じる状況でもないな、と思い返していた。自分が出る幕ではないとユーリは思っていたが、普通は逆ではないのか。
「アイアトンは、私が殺さなきゃいけなかったんだ……ッ」
その時、繰り返される坂田の言葉が、カレンのそれより早くついにユーリの琴線に触れた。
「…………俺だってこの手で殺したかったけどな」
「ユーリ……」再び口を開いたユーリをカレンは睨みつける。しかし、ユーリは意に介さず言葉を続けた。
「アイアトンは本当におめでたい野郎でよぉ。わざわざ俺たちに殺されたがってる馬鹿だった。……それ聞いてどう思う? そんな下らない理由で、俺のダチもお前の姉さんも殺された――いや、やつの殺人欲求も方法も考えると、副次的な目的だったかもしれないが、結果的に奴の思い通りになってるわけだ。煮え切らないだろう、どうしたって。……俺のダチが殺されて俺が復讐したいと願う以上に、お前が復讐のために費やした時間を思うと、――俺たちに邪魔された事は腹立たしいだろう。比べるべくもない事かもしれないが。でもな――そんなクソッたれを殺しても、それじゃあ結局あいつの思い描いた通りになるってだけなんだぜ。それじゃあ、あいつに殺された奴らは納得できねえって思う訳よ
。復讐を望むと望まざるとに関わらず。――もちろん坂田、お前の場合でもそうだ、元からお前も、そこそこの殺し屋だろう? って事で、あいつが喜ばない、望まない、そういう形でお亡くなりになってもらうのがいっちばん望ましかった訳だ。――だからな、お前が殺しててもそれは変わらなかったね。――きっと誰も納得できないさ。だが俺は清々したよ。あいつは苦しんで悔しい思いをして死んでいった。納得できなくても満足はしてもらうしかないな、あいつはもう死んだんだから。死様みたらきっとこう思うさ、ざまあみろ、ってな」
ユーリは言葉を紡ぎながら、パーカーの前ポケットに入れてある、坂田の拳銃を左手で握る。何人もの命を奪ってきた、殺し屋の銃だった。触れただけで、ユーリには、それが解った。
「ユーリ……?」カレンも、ユーリを黙らせる事は出来ないと判断してか、少し大人しくなった。ユーリの押しが強ければ身を引くと言う事だ。
「坂田、ついでに言ってやるけどな、アイアトンは撃ち殺されたんだよ、それも〈お前さんの銃で〉さ。――触ってみるだけでも、こいつは使い込んである銃だってのが解るもんでね、グロックってのは好きじゃないけど、丁寧に、手入れされてるんだよなぁ。グロックってのは好きじゃないけどな」
ユーリの言葉を訝りながらも、坂田は黙って耳を傾けていた。
「お前さんは、そういう、自分で使う道具を、得物を大事にしてる奴だ。仮令殺しの道具でも自分の物に愛着持ってる。確かに、お前の思い、宿願と言っても良いな、それは果たされなかったかも知れない、でも。こう考えられないだろうか? お前の銃はきっちり、お前の見て無い所で役目を果たした。お前の銃があいつに引導渡したんだ。――それで充分じゃないか? と、俺は思うんだ」
声には出さなかったが坂田は俯いたまま、何事かを考え、噛みしめるように頷いた。
「そして、しかしだ、お前さんは復讐が終わったらお姉さんの墓参りをして、『終わったよ姉さん』――そんで今までの罪を償って〈死のう〉とかな」
結局は似た者同士――ユーリとカレンがである――なのかもしれない。ユーリなりの説得も、次第に言葉の調子は変わって来ていたからである。
坂田の反応は、突然変わった。震えだしたのだ。
全てが終わったら自らの命を断ち決着を――
「ああ、解るよ、それ位の事は俺にもね。――感傷的になるとすぐそうだ、大方そんな所だったんだろう。都合のいい話だよな、アイアトンを撃ち殺したあの娘も、このグロックで自ら幕を斬って落としたんだ。もう手遅れだったってのもある――賢い娘だったよ。……だがお前は、死んで償える程度の罪しか背負って無いのか? 〈殺し屋〉さんよ。どちらにしろ、姉さんに会わせる顔は無い。行き先は地獄が相応しい、違うか? 折角〈命拾いした〉ってのに、死んで何になる――」
「もういい! 戯言は充分だ! お前らも許さないからな、邪魔をしたんだ、くそ、どこへ連れて行く気だ! くそ、クソくそ糞クソクソォッ――」
「――ユーリ、車止めろ」
「あ?」
「橋を渡る所で、ネイキッド止めて。一度さ、そこで降りよう。――坂田、あんたとあたしで、決着つけようじゃないの、あんたの復讐なんて甘っちょろい覚悟だったって事を教えてあげるわよ」
カレンの声は無邪気な少女のではなく、――年相応か、しかし冷たく重く響いた。先ほどのユーリに向けられたものより、一層、鋭く。
今は静かに怒りを坂田に向けていた。なかなか坂田が言う事を聞かないから痺れを切らしたのだろうか、とユーリは考えたが、それにしては珍しい事もある。――そうではないのだ。
橋と言うのはこの穢れた町、危険区域から抜けて安全区域に入る境界線、川を渡った先を行けば、二人の仕事場旅行代理店『Worldly Nights Traveler』の事務所とお馴染みのカフェ『frighten fou』がある高級住宅地に進路をとれる。
ユーリは橋の手前で車を停めた。
車を降りると、カレンが後部座席から坂田を引っ張り、放り出した。
縛られていたロープはすでに解かれている。カレンのナイフによって。
「――っく、…………何のつもり?」
身体が自由になった坂田は、辺りを窺いつつ、怒りと困惑の視線をカレンに向ける。
ユーリはネイキッドのボンネットに腰掛け、成り行きを眺める事にした。
「――あたしも、この際、ハッキリ言ってあげよう、あんたはねぇ、あの時あたしが蹴り飛ばしてなかったら、アイアトンに〈殺されてた〉んだよ?」