序章 いきなり一兵卒③
序章の③
おまけに、外からドカドカと足音が接近してきて、武装した女性兵士みたいなのが、大勢飛んで来た。ざっと見ても十名近くはいただろう。
「マヤ様、何事ですか!?」
「ご無事でっ」
「……別に」
マヤは、今度は冷静に答える。
「この者共に礼儀を教えただけ。いいから下がりなさい」
途端に、レザーアーマーみたいなのを着込んだ女性達(美人ばかり!)は、頭を垂れて恭しく下がっていった。誰も疑問一つ述べなかった。
おそらく、マヤのやり方に慣れているのだろう。
彼女達が素早く下がってから、マヤは改めて俺を見た。真紅に染まっていた瞳は徐々に元の薄赤い色に戻りつつある。
どうやら、気分が平静な時はこういう色らしい。
悠然と歩いてまた前に立った彼女を、俺は少なからず緊張して見上げた。
どういうことで怒り出すか見当がつかない以上、緊張せざるを得ない。というか、俺は本当に異世界に飛ばされちまったのか……しかも、魔王やら魔王の娘やらがいる、こんな世界に。
「マヤがこわい?」
考えていたら、いきなり尋ねられ、俺は考えた末に微かに頷いた。
嘘ついてもしょうがない。
「恐怖は感じますが、ただそれだけではないです」
「ほう?」
マヤは関心を持ったのか、可愛らしく小首を傾げた。
「他には、何を感じる?」
「貴女は……いえ、マヤ様は綺麗な方だと思いました」
思わず素の感想を洩らしてしまい、俺は臍をかんだ。魔王の娘に「あんた美少女や!」とか言っちゃう俺、だいぶネジが緩んでる気がする。
それもこれも、気が動転しているせいだが。
だがしかし……怒鳴られるかと思いきや、マヤはびっくりしたように瞳を見開いたかと思うと、次の瞬間、微かに笑った。本当に笑ったのだ。
そうやってちゃんと笑うと、実はこの子、だいぶ幼い少女かもしれないと思った。大人っぽいせいで同年代くらいに見えたが、本当はもう少し年下かも。
「マヤは、正直にものを言う男は嫌いじゃない……もちろん、相手によるが」
「は、はい……すいません」
「あやまることはない」
なぜかマヤは、そっと腰を屈めて俺と視線を合わせた。
日本じゃ絶対見られない、薄赤い瞳が、こっちの心の底まで貫き通すように見つめてくる。なにやらよい香りまで漂ってきて、俺はだいぶ頭がくらくらした。
「おまえの名前は?」
「ま、松浦直也――です」
「ではナオヤ……マヤは以前より、何度かおまえの夢を見た。全て同じ夢で、ここでおまえと会う予知夢だ。こうして実際に会い、その意味がやっとわかった。ナオヤ……おまえには巨大な才能がある」
「ええっ!?」
我ながら疑り深い声が出てひやっとしたが、これにもマヤは怒らなかった。ただ、余裕の笑みを広げただけだ。
「今はわからずともいい。しかし、覚えておきなさい……このマヤが、おまえに期待しているという事実を」
「は、はあ」
いや、なんかもう俺がこの子の部下になるというのは規定の事実のようになりかけてる気がするが……俺の意志は無視なのか。
「マヤのために戦うのは……いやか?」
ふいに訊かれ、俺はぎくっとした。
目を上げれば、いつの間にか、鼻と鼻がくっつきそうな近くに彼女の顔があった。嘘みたいに真っ白な肌で、しかも綺麗な瞳をした子だった。
実際、香しい呼気まで頬にかかっている。
それに……今はさっきほど冷たい視線には見えない。
むしろ悩ましげな目つきに見える。俺の返事を恐れてるような? ま、まさかな。
「ナオヤにも思うところはあるだろうが、もはやおまえを元の世界に戻すことはできない。これは一方的な召喚術にすぎぬからな。それに、おまえがここに来たのは偶然ではない、必然なのだ」
「……どういう意味でしょう」
俺が尋ねると、マヤはあっさりと種明かしをしてくれた。
「この魔法陣は、元の世界に不満を持つ者を呼び寄せる。召喚に応じ、今ここにいるということは、ナオヤは元の世界に嫌気が差していたということだ。だからこそ、ここにいる……運命に導かれ、ナオヤを必要とするマヤの前に」
うわっ。それって、なんか力業で自分の責任を豪快に投げた気が。
……しかし、今の説明はなんかいいな。万事に緩い俺は、不覚にもそう思った。運命に導かれてってトコが特にいい。
マヤがさらに言う。
「だからおまえは選ぶしかない……生か死か、言い換えれば普通人か戦士か、どちらかの道を」
「ええと」
展開早すぎだろっと思うが、さすがにそれを指摘するのはためらいがあった。
俺も鬼みたいに叩き付けられたらシャレにならない。
「秘密を守れるか、ナオヤ」
またいきなり訊かれた。
この子は何事も果断速攻である。弛緩することが全くない。
「守れます」
さすがに、それくらいなら即答できる。こう見えても、自分では義理堅い方だと思ってるんだ。
俺の返事を聞くと、マヤは高級なペルシャ猫みたいな豪勢な微笑を浮かべ、頷いた。
「では打ち明けよう。マヤは将来、父を助けて外敵と戦わねばならない。この召喚はそのための準備でもあるが、将来的にはさらに精鋭を選んで親衛隊を作りたいのだ。そして、密かにそう決めてから初めて、その時に迎えたい相手を一人見つけた。マヤの言いたいことがわかるか?」
悪戯っぽい笑みで見られ、俺はにわかに焦った。
魔王の娘の配下で、しかも親衛隊? お、俺のこととか?
「マヤは人を見る目には自信がある。だからこそ、おまえには期待している、ナオヤ。ぜひ最初の地獄をくぐりぬけ、一人前の戦士となってわたしの元へこい」
斬り裂くような声と共に、マヤはまた背筋を伸ばして立つ。
豪奢な金髪を背中に払った後、手を伸ばして俺の頬に触れた……これがまた、嘘みたいに柔らかい手で、とてもついさっき、二匹の鬼をとっちめた同一人物だとは思えなかった。
まだ全然混乱状態だったし、そもそもこの子は俺がこっちへ飛ばされた元凶らしいのだが……それでも俺はこの時、「ああ、この子のために戦うのもアリかもしれないな」などと考えていた。
無論、一時の気の迷いだ。
とりあえず鬼に食われるのが嫌だから、そう思っておくだけだ……多分。
しかし、彼女は大胆にもまた身を屈め、俺の頬に今度は自分の頬を寄せた……まるで恋人同士のように、ぴったりと頬と頬をくっつけたのだ。
「え、ええと」
「期待している、ナオヤ」
マヤが少女にしては低い声で囁きかけた。
「おまえが最初の地獄を生き抜くことを……そして、戦士となってマヤと再会することを期待している。今日からおまえは生まれ変わるのだ、マツウラ・ナオヤ」
さ、最初の地獄ってなんだよ。
呆れるほど現実味のないセリフなのに、マヤはどこまでも真剣な口調だった。
クラス内でボッチで、しかも万年帰宅組の俺が、戦士だとー!?
夢じゃないだろうな、えっ。