出世を目指す――その10
ていうか、ひどくまずいことに、俺はマヤ様の身体に馬乗りになり、しかも両手で胸を鷲掴みにするという暴挙に及んでいた。決してわざとではないが、押し倒した方向と勢いのせいで、こうなってしまったらしい。
それにしても、なんという絶妙な大きさ! そして柔らかさ!! つか、この感触ってどう考えても、ブラジャーとかそんなのは着けてない気がする。
おまけに、ちょうど俺の掌にすっぽり収まるサイズで、年齢の割には十分大きい――
「なんの真似だ、ナオヤ!」
あ、ヤバい。当たり前だが、怒ってる。
真紅の瞳と視線が合い、俺はチビりそうになった。
(むちゃくちゃ惜しかったが)俺は慌てて手を放し、とっさに捲し立てた。
「すいませんっ。間に合うように進言しようと駆け寄り、途中で蹴躓きました。とんだ失礼をしました」
「な、なに?」
怒りのボルテージがやや下がったのを見計らい、素早く立って手を差し伸べる。
「ご無礼はどうかお許しを……決してわざとではありません」
ホントはわざともいいトコだが、そう言っておく。
勢いに飲まれたのか、マヤ様は不服そうな顔ながら、素直に俺の手を取って立ち上がった。
「それにしても、主君を突き飛ばすとは、普通は無事に済まないぞ!」
ぷりぷりしながら俺を睨んだ。
とはいえ、ギリアムに向ける殺気まみれの目に比べりゃ、全然マシだ。
睨み方も、上目遣いでむしろかわいい(そう言うとぶっ飛ばされそうなので言わないが)。
意外にも、胸を鷲掴みしたことについては、そう根に持ってないようだった。あるいはマヤ様は、男に対する警戒心が薄いのかもしれない……まあ、セクハラするような命知らずが、今まで周りにいなかったからだろう。
そこはラッキーだった!
ついでに何となく振り向き、俺は青ざめた。……とんでもない勢いで振り下ろした大剣は、俺がマヤ様を突き飛ばしたせいで、手からすっぽ抜けていた。
どうやら寸前でギリアムの頭を掠めたらしく、そのすぐ脇の石床に、半ば食い込んでいる。なんという剛力!
もちろんギリアムは、魂を飛ばされたような顔で呆然としている。
「粗忽者のナオヤ。妙なところで邪魔をするものではない」
マヤ様がつかつかと歩き、また大剣を引き抜こうとしたので、俺は焦って止めた。
「お待ちを……先程も申し上げたように、ちょっと進言が」
俺はマヤ様を伴い、わざとらしく皆から離れた。
「このようなタイミングで、何の進言か」
訝しそうにしつつも、一応マヤ様は俺の話を聞くためについてきた。
皆から十分離れたのを確認し、俺はささっと考えたことを申し出た。
「ギリアムのことですが……どうせ殺すおつもりなら、あの命を俺にくれませんか?」
「どういうことだ?」
お、これは脈があるな。即、ノーと言わないからには、何とかなりそうだ。
「マヤ様も先程仰った通り、俺は奴隷上がりです。奴隷を集める分にはともかく、それ以上の階級の兵士を得るのは、非常に苦労するでしょう。この際、経験豊富で忠実な戦士が一人くらいはほしいわけです」
「……ふむ」
とっさにひねり出した俺の与太話(まあ半分は本気だが)を吹き込まれたマヤ様は、真面目な顔で少し考え込んだ。既に押し倒した怒りはすっかり消えているようで、俺は内心でほっとした。
「そうだな、ナオヤの言い分もわからなくはない……あやつの無礼は許せぬが、おまえが使いたいというのなら、今回だけは見逃してやってもよい」
「ありがとうございます!」
「ただし、いかにナオヤの進言といえど、そのまま許すわけにはいかない」
マヤ様はきっぱり言うと、まだ控えたままのギリアムの前に歩み寄った。
「ギリアム」
「はっ」
「……マヤは気が変わった。二階級降格して、ナオヤの臣下となるならば、今回の無礼は見逃そう。今後はナオヤを助け、ともに任務をこなすのだ。よいな!」
最後は叱声だった。
ギリアムは驚いたように顔を上げ、まずマヤ様の背後に控える俺の方を見た。
俺が「頼むから余計なことは言うな!」という意味の目線を必死で送ると、しばし目を合わせた後、また俯いた。
「どうした、不服か? ならば、改めて首を刎ねるが」
マヤ様の言葉に、ようやくギリアムがやや顔を上げる。
「いえ……ありがたきお言葉。今後は、ナオヤ――いえ、ナオヤ様のために働きます」
「よろしい。では、この件はこれで終了だ」
マヤ様が頷いた途端、俺はどっと肩の力が抜けた。
いや、俺だけじゃなく、ヨルンも大きく息を吐いている……まあ、誰だって人の首が刎ねられるトコなんか、見たくないよな。
「ナオヤ」
脱力している間に、またマヤ様が俺の前に来ていた。
「は、はいっ」
「考えたのだが……」
と言いつつ、マヤ様は俺に目配せして、また少し皆から距離を取った。
「今回の件はこのマヤにも責任があるようだ」
「いえ、まさか。全ては俺の不手際で」
「いや。階級を上げただけで、その後のことを考えなかったのは、やはりまずかった。今後は、おまえも自分の臣下を持つことになるだろうし、その俸給も払わないといけない」
え、そうなのか!
俺は今更ながらにそこに気付き、焦った。自慢じゃないが、今の俺は素寒貧である。
マヤ様は俺の慌て顔を見て、くすりと笑った。
「案ずるな。後で、おまえの部屋に必要なものを届けよう。今後も、必要なものがあれば、遠慮なく申し出るといい。忘れるな……おまえは、このマヤの直臣なのだ、臣下として恥ずかしくない体裁を整えよ」
「ご配慮、ありがたく……しかし」
そこで俺は、マヤ様の凛々しい顔をじっと見つめた。
「なぜ、俺にそこまでしてくださいます?」
「忘れたのか、ナオヤ。前に言ったであろ?」
マヤ様はほのかに笑い、俺の頬に手を当てた……一年前にそうしたように。
「マヤはおまえの才能に期待している。旧臣に全て暇を出したのも、もはや自分で選んだ新たな臣下ができたからだ。このマヤの期待に、見事応えてみせよ」
「はっ」
俺は胸が一杯になり、らしくもなく元気一杯に答えていた。
長くなりましたけど、第一章が終わりました。明日から第二章の予定です。




