出世を目指す――その9
そばに控え、「実はこういう事情で~」と、簡単に経緯を説明する。
黙って全部聞いた後、マヤ様はおもむろに遠くへ控えるギリアムを指差し、尋ねた。
「あの者が当事者だな。それで、ヤツの名前は?」
「ぎ、ギリアム様です」
「様付けなど、いらぬ。もはや、死人も同然だ」
さらりと恐ろしいことを言うと、マヤ様はいきなり叱声を放つ。
「ギリアムっ、ここへ来るがよい!」
「は、はいっ」
あれほど傲慢かましていたギリアムが、それこそ叱られた子犬みたいな勢いで飛んで来た。
マヤ様のそばで例のかっこわるい拝礼のポーズを取り、小さくなっている。さすがに震えてはいなかったが、露出している肌は血の気が引いて見える。
「ギリアムとやら」
マヤ様が厳しい口調で申し渡した。
「はっ」
「貴様はこのマヤの直臣を不当に辱め、いわれなき疑いを掛けてその名誉を傷つけた。それはつまり、ナオヤの主君たるこのマヤの顔に唾を吐きかけたのと同じことだ! 死ぬ前に、何か言い訳があるなら、聞こう」
「えっ」
驚きの声を洩らしちまったのは俺で、ギリアムはただ大きく息を吸い込んだ。
一度だけ、微かに背中が震えた。
「……ま、まさか、本当にマヤ様の直臣だとは思わず、念を入れようと」
「愚か者っ」
言い訳の途中で、マヤ様が一喝する。
「心して答えよ、ギリアムっ。貴様は、ナオヤが冴えない奴隷上がりの風貌ではなく、自分と同じ魔族の純血だったとしたら、果たして同じ疑いを抱いたか? どうなのだ!」
いたたっと俺は心の中で盛大に呻く。
冴えない奴隷上がりの風貌って……いや、その通りなんだけど。どっちかというと、ギリアムよりマヤ様の方がきっつい。
「いえ……マヤ様の仰る通り、純血の魔族なら疑いませんでした」
しかも、このギリアムがまた、馬鹿正直に答えるのだな。
自分の死刑執行文書にサインしたようなもんである。実際、マヤ様は大きく頷き、その場で裁断を下した。
「では、やはり貴様の判断は単なる私情に過ぎない。……覚悟はよいか、ギリアム?」
訊くと同時に、マヤ様が小さく呪文を唱えて、右手を水平に伸ばした。
すぐにその辺りの空間が揺らぎ、彼女に手に長大な剣が現れていた。これがまた、ご自分の身長ほどもあるとんでもない特大の剣で、漆黒の剣腹を薄く赤い輝きが覆っていた。
両手持ちの大剣だが、大の男が二人がかりでも持ち上げるのが精一杯であろう代物だった。それを、マヤ様は細身のくせに軽々と頭上に振り上げた……しかも片手で。
この人、俺の想像以上にとんでもない。さすがは魔王陛下の一人娘だ。
「お待ちくださいっ」
さすがに焦ったギリアムが叫ぶ。
「陪臣とはいえ、私は魔王陛下の家臣です。せめて、先に陛下のご裁可をっ」
「ほう? すると貴様は、今の判断は不当だと申すか。このマヤの決定が不当だと? ますますマヤを怒らせたようだな」
一応、大剣を下ろしはしたが、マヤ様の切れ長の瞳は、薄い赤から真紅に染まっていた。怒ってる……むちゃくちゃ怒ってる。
相変わらずほれぼれするほど綺麗な立ち姿だが、全身から怒りのオーラが立ち上ってる気さえした。全然関係ない、ヨルンまでびびって震えている始末だ。
マヤ様が引き連れてきた侍女達の怯えはさらにひどく、啜り泣いてる人までいた。
「臣下の名誉を守るは主君の勤め。しかし、貴様はそれを不当だと言う。どうしてもというなら、父に訊いてやってもよい。しかし……万一、父がマヤの判断を是とした場合、貴様にはさらなる厳罰を下す。そっ首を刎ねた後、むこう半年の間、貴様の首を魔界の門に掲げて全軍に晒す! それでもよいのだな?」
完全に本気の口調だったし、この場にいるほとんどの者が、マヤ様の言葉を疑わなかったはずだ。もはや、ギリアムの顔は青いのを通り越して白っぽくなっていた。
数秒ほど唇を震わせて考えていたが、やがて諦めたように声を絞り出した。
「……失言をお詫びし、前言を撤回します。どうぞ速やかなる処断を」
え、ええっ!?
「いいだろう、即座に謝罪したことに免じ、最後の無礼だけは忘れてやる」
鷹揚に頷き、マヤ様は改めて大剣を持ち上げた。
「遺言があれば聞こう」
「ま、魔王陛下並びに、ダークプリンセス万歳!」
「うむ。苦しむことだけはないから、そこは安心するがよい」
言下に、マヤ様が漆黒の大剣を振り下ろした。それも、剣自体が霞むような勢いで。
実は、この瞬間まで俺は「た、多分、ギリアムを諫めるための脅しだよな?」と半ばは思っていたのである。
しかしこの方は、俺が思うより遥かに強烈な人だった! 全盛期の信長も裸足で逃げそうな苛烈さである。
ともあれ、最悪の可能性も考えていた俺は、ここでとっさに動いた。
「――っ!」
マヤ様が剣を振り下ろした途端、その身体にタックルして、押し倒したのだ。
後のことを考えたら怖いどころではないが……その一瞬だけは、マヤ様の香りに包まれて柔らかな肢体を抱き締めていて、俺は陶然となった。