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MIND GAME -心の扉-  作者: 紫逢瑠依
[第三部]黎明編
15/18

逢魔の章

暗闇で呼ぶ声


時空の狭間に迷い込んで


君をさがす


真実は


隠れていることもあるけれど


心を開いて


君を思う気持ちに嘘はないから


もう僕に恐いものはない





 夏廉はゆっくり目覚めた。病室だ記……憶がゆっくり戻って自分が倒れたことを知る。

「トウヤは?」

 その声に傍にいた看護士が答える。

「手術は終わったけど、まだ意識が戻らないからわからないわ。先生が何とも言えないって」

 行かなきゃ、冬耶のところへ。だが起き上がると、とたんに頭痛と吐き気におそわれる。夏廉は病院が苦手だった。こんな所に来るなら死んだ方がいい、でも今はそんなことは言ってられなかった。

 看護士は引き留めようとして、でも諦める。多分何を言っても無駄だろう。さっきの取り乱し方は普通ではなかった。よほど大切な相手なのだとわかる。引き留める変わりに手を貸してやった。

「あ……りがとう」

 でも、夏廉は出来れば自分にさわって欲しくはなかった。さわられると余計に吐き気がこみ上げる、だがその理由は言えないので耐えた。頭痛に目眩に吐き気、すぐにでもここから逃げ出したかった。でもそんなわけにはいかない、今はそれに耐えるしかなかった。

 体を引きずって教えられた集中治療室の前に行く。硝子の向こうに横たわってみえる姿が冬耶なのだろう。白いベッドに埋もれて、頭の先まで包帯に巻かれた頭がかすかに見える。機械に囲まれ管がたくさん伸びている中でそこに近づくことはできなかった。

 ここから呼びかけてもやはり反応はない。眠っている冬耶の意識は深く沈んで夏廉の呼び掛けには応じない。それが麻酔で眠っているせいなのか、それとももう既に冬耶の意識がこの世界から遠ざかって行こうとしているせいなのか夏廉にはわからなかった。

 心身が疲れきって、とてもその場に立ってられなくてそこに座り込んだ。足を投げ出して壁により掛かる。そして意識をただひとつに集めて呼びかける。自分に出来ることはそれだけだった。

「トウヤ、帰って……来い。俺のところに。いつだってお前は俺をすぐ見つけたのに」

 俺を置いていくなんて許さない。死ぬときは一緒に、俺が死ぬときはお前も一緒に連れて行くから。だからお前が死ぬときは俺も連れて行けよ。

 一人は嫌だ、もう一人で置いて行かれるのは二度とごめんだ。幼い頃、母が死んだ時を思う。あの時は意味すら分からなかった『母の死』でもまた自分一人が置き去りにされる。

「離れないって言ったのに」

 何度も心で叫んだ、なのに冬耶は全く答えようとしない。

「嘘つき、お前は本当に嘘つきだ」

 体が震えた。寒いのか熱いのかよくわからない。周りの音も聞こえない。白い壁も霞んで見えた。もう座っている体を支えることも出来無くて体から力が抜ける。冷たい床の感触が頬に当たる。ここは嫌だ、お前の側に行きたい。もう一度お前に触りたい。そう思った意識の向こうで誰かが自分を呼んでいた。

 

「カレン」

 だ……れ?

「カレン、こっちへいらっしゃい」

 髪の長い綺麗な人。自分にそっくりなガラス玉のような大きい茶色の瞳。

「マ……マ?」

 綺麗な人は微笑んで腕を伸ばした。その人は少女のように若かった。

「そうだ……ずっと前に死んだんだもの」

 これは夢なんだ。そう思ったら自分が幼くなっているのに気がついた。 母の膝にあがれるくらい小さな自分。ちょこんとそこに乗り母の胸に抱かれる。

「ママと一緒に来る?」

 優しく聞かれて頷きそうになる。

「ぁ……」

「どうしたの?」

 何か大切な物を忘れてる気がする。

「まって」

「なぁに?」

 なんだっけ?幼い自分が必死に考える。

「大事なの……大事だから持っていきたいの」

「何を持っていくの?」

 母に尋ねられ考えた。

「なんだっけ?」

 考え込んでいる夏廉に母が教える。

「あの子じゃないの?」

 母の指さす方に冬耶が居た。

「ぁ、トウヤだぁ」

 幼いままの自分が駆け寄ろうとしたら、母に止められた。

「あの子が大事なの?」

「うん」

「じゃあの子も連れていく?」

 怪訝な顔で母を見る。

「どこへ?」

「ママが居るところよ、あの子と一緒に来る?」

 思わず母と冬耶の顔を見比べた。

「あの子、とても苦しそうよ。だから一緒に連れていく?」

 うん、と言いたくて。なのに口が動かない。

「夏廉ももう疲れたんでしょ?」

「うん、でも」

「どうしたの?」

「トウヤはどうして寝てるの?」

 冬耶は瞳を閉じたまま横たわっていた。

「死にそうなのよ」

 母が呟いた。

「死ぬの?死んじゃ嫌だ」

「だから一緒に連れていきましょう?可哀想だから」

「やだぁ、トウヤが死んだら嫌だぁ……」

 あとは駄々っ子のように母の腕の中で泣き続けた。母が哀しそうな瞳で自分と冬耶を見ていた。

 

 再び、夏廉は白い壁の中のベッドで目覚めた。妙にリアルな夢だったと思う。涙が流れた。

「カレン?」

 また母の声かと思った。

 だが、違う。

 間違いようのないその声に もっと涙が頬を伝わった。冬耶の声。それもはっきりと夏廉に届くほどの。

 生きている。

「トウヤ」

 意識をのばすと抱き合うときのように意識がからみついてきた。よかった。嬉しくて、安堵した。

 でももう夏廉は自分の体を起こすことは出来なかった。心も体も疲れて動くことすら出来ない。

「ごめん、会いに行ってやれない」

 今すぐ彼の所に行きたいのに。会いたい……また涙が伝う。せめてちゃんと顔が見たいのに。もう一度冬耶の意識を辿ろうとして、神経を集めたが失敗してしまった。今は何ひとつ自分の自由にはならないと思い知らされた。そのことに傷ついた夏廉は瞳を閉じて眠りの中に落ちていった。


 それから半月がたった。

 冬耶の意識が戻っても、夏廉自身がいまは入院している状態だった。あんなに医者の手を拒んだのに。それでも病院の中で倒れたのではどうしようもなかった。余計なことを気付かれないようにするだけだ。

 そんな夏廉に医者も看護士もほっとした顔で言った。どちらが死んでもおかしくなかったと。夏廉も二日間、意識がなかったらしい。

 その間に冬耶の意識が先に戻った。意識が戻ってからの冬耶は順調に回復している。

 むしろ夏廉の方が問題だった。体力が落ちていた上に精神的なショックで、しばらくは起きあがることもできなかった。だがそんな事よりも、夏廉にとっては病院の空気が問題だった。  

 医者と看護婦が近づくとそれだけで、具合が悪くなる。誰にも言えないが、治しているのか悪くしているのかわからないくらいだ。

 小さな頃の思い出が蘇る。施設の人間の手で入院させられたことがあった。あの時も怖くて不快でならなかった。

 そもそも病院には死臭がある。『死』に絶望したり、『生』にしがみついたりしている人間のたまり場なのだ。

 医者や看護婦は日常的にそれらの人間と接触しているせいでその『におい』が取れない。患者が『生』にしがみつき、そして絶望する『腐臭』だった。病や怪我と戦う『苦痛』ももちろんそれに入る。患者だけでなく、それらの人間に接している人間にもそれらは染みついてしまう。普通はわからないそれらに夏廉は吐き気を催す。たとえ人間のいない場所にも『モノ』にも、その意識だけは染みついて離れない。

 病院の中はどこにいても、原始的な最後の『欲』が渦巻いていた。大勢の『死にたくない』という最後の願望。生きている人間のものも、もう死んでしまった人間の残留した思念もあちこちにあって夏廉の気持ちに次々と絡みつく。

 どの部屋にも廊下にも、壁にも。あるもの、ふれるものすべてが不快だった。そんなところに寝かされていても、具合が良くなるはずがなかった。それでも我慢するしかなかったのは、いまの夏廉は一人で起きることもできないほど弱ってしまっていたのと、そこにいれば冬耶と意識で会話が出来たからだった。

 夏廉が弱っているせいでそれは会話とも呼べない、本当に互いの存在を確認できる程度の物だったが、それでも満足だった。

 夏廉が呼びかけると、冬耶も自分の存在を示してくれる。それで顔が見れなくてもすごく安心した。だから自分が動けるようになったとたん、夏廉は病院を出てしまった。

 あそこにいるのはもう限界だった。冬耶を毎日見舞う時は仕方ない。けれど自分があそこに寝かされるのは、もうごめんだった。

 神経が休まらない。朝一番で病院を抜け出た。呆れた看護士には後で会いに来るからと冬耶に伝言を頼んだ。

 それからの日々、夏廉は苦手な病院へ毎日通った。どんどん元気になる冬耶を見るのはすごく嬉しい。けれど、ちゃんと話をできるほど長居はできなかった。

 日ごとに元気になる冬耶とは反対に病院へ向かう夏廉は弱っていく。ただでさえ調子の悪くなりはじめていた身体に病院という場所は悪すぎた。やっとの思いで病室へ行き、冬耶の顔を見て安心してもそれが限界だった。その場で立っていることもままならない状態の夏廉を見て冬耶は、

「もう来なくていい」と何度も言った。

 けれど、夏廉は翌日になるとまた病院へ向かう。起き上がることもままならなくて、病院のことを考えただけで、死ぬほど辛くなるのに向かわずにはいられない。

 家に居ても冬耶は居ない。冬耶の姿を求めて苦手な病院へ向かってしまう。五分と居られない場所なのに、たった一目冬耶の顔を見る為に毎日重い足を運んだ。そうせずにはいられなかった。

 自分が行くのを辞めてしまったら冬耶が居なくなってしまいそうで。そんなありえない妄想にとり憑かれてもいた。

 帰ると二階へ上がる気力もなく、ソファーに倒れて眠る。部屋もずっとあの時のまま片づけてもいない。

 喧嘩したままの部屋だった。今日ものろのろと起き上がりだるい身体をやっと支える。毎日往復するだけで精神をすり減らし、体力を使った。ここへ帰ってくるのがやっと。それでも、

「トウヤに会いに行かなくちゃ」

 いまもその思いだけに囚われる。けれどすでに限界を超えていた体力が言うことを聞かなかった。ほとんどまともな食事もしていなかった。

 ただ眠るだけの毎日。ふたたびソファーに倒れる。

「ごめん、もう少し休んだら行くから」

 聞こえるはずのない冬耶に向かってそう言って、夏廉は目を閉じた。


「カレン……」

 また懐かしい声に呼ばれた。

「ママァ」

 幼い自分が駆け寄る。

「ママと一緒にいらっしゃい」

 いつもと同じ言葉をかけられる。

 ん?いつもと同じ?

 夏廉は夢の中で気づく。いつも同じ夢だ、自分が母に駆け寄りそして母が言う。

「カレン」

 優しい母が腕を広げて待っている。

 母と別れたときは、記憶に残っていないくらい小さかったのだ。母が死んでから、夏廉を抱きしめてくれる人間など居なかたし、誰にも甘えた記憶がない。

「ママぁ~」

 何度でも抱かれたかった、ずっとその腕の中にいたかった。

「ママのところにいらっしゃい」

 いつもと同じに誘われる。小さな夏廉がその腕を求めたとき、

「かれん」

 違う声に優しく呼ばれた。

 声の主を捜す。大好きな人の声だった。小さな夏廉は考える。

 どっちに行こう? 違う方向から聞こえるのだ、どうすればいい?夏廉は固まって動けなくなった。

 母に抱かれたい、でもさっきの声の持ち主にも会いたい。優しい母の顔を見て泣きそうになった。記憶の隅に薄れていた母がやはり恋しかった。 たくさん話したいことがある。でも……

 ママが死んだあと誰も僕を抱きしめてくれなかった。

 自分を通り過ぎていった人間は沢山いる。そいつらは自分の欲望のためにだけ夏廉を抱いた。

 ママ以外に初めて僕を愛してくれたのは……今の自分を愛してくれているのは─────

「かれん」

 懐かしく呼ぶ声に今度は迷わず歩みを向けた。子供ではなく大人の、今の夏廉の意識が答える。

「トウヤ!」

 自分で呼んだ声に目覚めたと思った。

 眠りすぎてしまった。部屋はもう暗くなり始めている。はっとして起きようとしたとき、信じられない物を見た。

「トウヤ、なにやってんだ?」

 彼が自分の上に屈み込んで心配そうな顔で見ていた。どうやら自分で起きたのではなく起こされたらしい。

「大丈夫か?」

 その声に

「なにが大丈夫だっ、お前こんなところでなにしてるっ」

 まだ事故から一ヶ月だった。医者には治るのに三ヶ月はかかると言われた。見れば冬耶は杖をついていた。頭には包帯。

 すごい出血だったが、これは切っただけで脳に異常が無くて良かった。 意識が戻らなかったときは、医者も諦めたらしいが結局その後の検査ではなんともなかった。腹部も縫っていたし、抜糸は終わったものの動けばまだかなり痛いはずだった。

 問題なのは足で、事故の時に『膝蓋骨しつがいこつ骨折』をしており、元どおりに歩くまでは大変だと医師に言われた。リハビリにそれなりの日数をかけなければいけないそうで、とくに大腿部に負担がかかる骨折をしてしまったので、きちんと予後をしないと後遺症が残ってしまう。

 だからなかなか退院ができなかったのだ。

「お前ももう病院は限界みたいだし、俺も出て来ちゃった」

 なんでもないように笑っている。前と変わらないその笑顔に、胸が引き裂かれたように痛くなった。

「お前一人じゃ心配だったから」

 俺は子供じゃないぞ、怒りたいのに怒れなかった。なに考えてんだよ、バカなヤツ。もちろん冬耶は自分がいる限り病院へ来ることを辞めないだろう夏廉のことを心配したのだ。

「ほんとにバカなんだから」

 上手く文句が言えないと思ったら泣いていた。隣に座った冬耶に触る。 傷に触れないようにそっと。

 一ヶ月ぶりだった。毎日冬耶を見舞ったけれど、ベッドで横になったままの冬耶に話しかけ、その手を握ったくらいだった。冬耶の怪我に差し障りがあると思うと抱き着くのも恐かったし、それほど長い時間そばに居ることもできなかった。

 毎日顔を見るのが精いっぱいだった。壊れ物でも触るようにしていた夏廉の腕を引き寄せて冬耶が抱きしめた。

「おい」

「大丈夫だよ、これくらい大丈夫。そうでなきゃ帰ってこれないよ。」

 以前よりさらに痩せて折れそうになってしまった夏廉の体を冬耶は思い切り抱きしめる。

「痛くないのか?」

 夏廉の不安そうな声に

「痛いよ、でも確かめたい」

 冬耶が答えた。

 お互いここにこうしていることを。あまりにいろんな事があって、言葉が無くて。ただ抱きしめて安心したかった。

「よかった」

 どちらからともなくそう呟いて、唇を合わせた。それは一ヶ月ぶりの仲直りのキスだった。

 暗くなっていく部屋の中で明かりも付けずにしばらく寄り添っていた。 言葉なんか無くて、お互いに相手が夢でなく本当に自分の腕の中にいるんだと確かめ合った。

 病室で何度も会っているのに、二人ともここに帰ってこれたのが夢のようだった。もっとも他の人間の目があったから、向こうではろくな会話もしてなかった。それでなくとも夏廉の取り乱しようは噂になっていて、好奇の目に晒されていた。

 初めから危ぶんだようにこの狭い町では、二人がどこからやってきて、どんな関係なのか取りざたされはじめていた。夏廉がさっさと退院したのはそのせいもあった。  

「おまえ、戻らなくて大丈夫なのか?」

「強引だけど、ちゃんと医者の許可も取ったから大丈夫だよ。薬もいっぱいもらってきたし」

 冬耶は自分の顎の下にある夏廉の髪にそっと触れる。夏廉はそっと安堵の息を漏らした。正直言って、病院へ毎日行かなくていいのにほっとした。

「お前、病院は嫌だったんだろ?辛かったか?」

 冬耶の言葉に甘えて、彼のシャツを掴んだ。無言の肯定。本当に恐くて気持ち悪くて、思い出すだけで気分が悪くなりそうだった。

「ごめんな」

 冬耶の言葉に、

「なんでお前が謝るんだよ。俺のせいでこんなに早く出てきて、なにかあったら俺のせいだ。ごめん、ごめんな……もうお前のこと……」

 言わなくちゃいけないことが沢山あるのに言葉が出ない。涙が出てるわけじゃないのに、声が震えて話せなかった。

 気付くと冬耶が泣いていた。

「かれん、お前の気持ちが分かるから。今ね、俺の中で……切なくて、寂しくて、でも暖かいお前の気持ちだ・な?」

 抱きしめて合わさったお互いの胸へ伝わるように、冬耶の胸に夏廉の感情があった。あんなに知りたくて、知ることが出来なくてもがいていたのに、こんなにあっけなく自然にわかってしまった。

 夏廉が自分の心の鍵を冬耶の為に開けたから、自分の扉を開けてくれたから。その嬉しさで冬耶は泣けてしまった。またしばらくの間、二人は無言だった。

 暗闇でどちらも抱き合ったまま動かずに、起きているのか眠ってしまったのかわからないほど、時が過ぎていた。

「ほ……し」

「あぁ」

 夏廉の言葉に目を上げると、暗闇の中で満天の星が輝いていた。前に二人でこうして見たのはいつだったか?

「お前の言うとおりだった。あの日買い物に出て、店のオヤジたちに掴まって、いろんな事聞かれた。俺一人だったからかなぁ?どっから来たのかとか、この家のこととか」

「ん?」

「おまえとの関係とか。俺、あせっちゃって。早く店から出たくてそれで……」

「飛び出したのか?」

「あぁ、ごめん。ガキみてーだな。でもホントにあせっちゃって。俺、お前みたいに上手くごまかせねーし」

「人を詐欺師みたいに言うな」

「でもお前は上手いじゃんそういうとき。俺はだめだなぁ」

「お前はこんなことしたことないから仕方ないんだよ。お前は正直で、そこがお前のいいところなんだから。おまえは嘘が付けない奴なのに、俺が巻き込んだから」

「そういう言い方はよせよ。お前が来るなって言うのを追いかけたのは俺なんだし俺は後悔なんてしてない。お前にもして欲しくない。俺はお前が好きでお前が大事で離れたくなくて、だからこうやって一緒にいるのに。そんな簡単なことも忘れてたんだ。もっと素直に正直になればよかったのに」

「お前が素直で正直でなかったら、俺はどーすりゃいいんだよ。嫌味か?それは」

 いつもの夏廉の調子に戻ったことを知って、冬耶が微笑んだ。

「ずっと二人で居ような」

 その言葉に夏廉はぴくんと反応する。

「俺、ずっと叫んでたよ。俺を置いていったら許さないって。でも……」

 自分はどうなのだろう、いつまでこうしていられるのだろう。冬耶の傷は怪我だから治ってゆく、心配はない。でも自分は─────

「夏廉、もう話すよな。ずっと何考えてたのか?どうしたのか、俺に全部話すよな?頼むから隠したりするなよ。いったい何が起きてるんだよ」

「よくわからない、でもわかっているのは」

 夏廉がもう一度冬耶のシャツをぎゅっと掴んだ。

「死ぬかも知れない」

「どーして?」

 感情のこもらない夏廉の声と同じように冬耶も感情のない声で返す。今更なにを言われても驚かない。それよりも真実が知りたかった。

「具合悪いのか?この間からのもそうか?」

 自分のシャツを掴んでいる夏廉の手をその上から握ってやる。

「それに変な夢ばかり見る」

「わかったのか?夢のこと、思い出したのか?」

「最初はわからなかった、お前に言われて、でも全然覚えて無くて。はっきりわかったのはお前が死にそうになってるときだ」

「おれが?」

「うん、お前が助からないかもっていう時に俺も倒れて。その時に見たんだ。もう夢って言うより、現実みたいにはっきりしてる夢だった」

 夏廉は冬耶に細かく語ってみた。

「お前は、寝言でいつもママって言ってた。その喋り方が子供みたいだったよ。多分いつも同じ夢だったんだ」

「なんでそんな夢なのかと思った」

「さっきもそうか?」

「そうだよ、彼女は死んだ人間だ。その彼女があんなにはっきりと自分の所に来いなんて普通じゃない」

「毎回呼ばれて、お前どうしてママのところへ行かない?」

「おまえが、お前が呼ぶんだよ。いつも」

「俺がタイミング良く起こしてるって事か?でも俺が居なかったときは?」

「お前が呼んだ、夢の中でもお前が呼ぶんだ」

「それでお前は、毎回ママより俺を選んでくれてるわけだ」

 ちょっと浮かれた冬耶の声が頭の上で響く。

「いい加減にしろよ、俺は真面目なんだ」

「俺も真面目だよ、いいか?それって俺の意識がないときだな?」

「そう」

「俺も見た」

「えっ?」

「死にそうになってる時、お前の夢を見た。お前が俺を見て泣いてるんだ、だから俺はお前のところに行かなくちゃと必死だった」

「ちょっと待て、もしかしてその俺って?」

「そうだよ、子供だった」

「どういうことだよ」

「こっちが聞きたいな、同じ夢ってか?」

「なんだろ?」

「簡単に考えれば、お前の思考が流れてきたんじゃないのか?お前の夢が俺に……」

「でもあの時は」

 自分も弱っていて、冬耶も意識が無くてあんなに呼びかけたときはなんの反応もなかったのに、意識がなくなってから同調したのか?離れていてもあんなにリアルに同調できるんだろうか?

 そういえば、最初にそうなったときは冬耶が夏廉を庇って体が密着してた時だった。次が、事故にあったときだ。あんなに離れていたのに。今思えば、あれは冬耶が事故にあった痛みだったわけだ。

 なにか?なんだろう?そういえば!?

「冬耶、最初に俺が夢を見たとき、いつだった?」

「あ?何日前だったかな?」

「ちがうよ、日にちじゃない、時間だ」

「時計なんて見なかったよ、ただ薄暗かった気がする。夕方なのは間違いないな?」

「さっきもそうだったよな?」

「そう言えばそうだな」

「お前が跳ねられたのもそうだ、お前が夢見ていたのもおそらくその時間だな。もちろん俺も同時に」

 夏廉が確かめるように言う。

「どう言うことだよ」

「話してもいいけど、お前、信じるかな?」

 立ち上がると、夏廉は部屋の明かりを付けた。  

「逢魔ヶおうまがときって知ってるか?」

「はぁ?」

「黄昏時のことだよ」

「黄昏は知ってるよ、夕方だろ?」

「黄昏時って言うのは、次元が歪むって言われてる」

「次元が歪む?って」

「昔話とか神話とかによく出てくるあれだよ、この世とあの世の扉が開くとか、入り口が現れるとか、そういう類の話だ」

「黄泉の国とかいうやつか?」

「それもひとつの話ではあるな。もう少し言うと、人と人ならざるものが出会う時間だとも言われる」

「人ならざるものって?」

「まぁ簡単にいやぁ化け物って事か?」

「化け物って?映画じゃないんだから」

「じゃ、幽霊って言ったら?」

「それだっておなじ……」

 言いかけて、

「それってもしかしてお前の?」

「俺の母親が登場する時間がいつもその時間だったら?ただし、夢の中だけだけど」

 冬耶は黙ってしまった。笑ってしまいたいが、笑えないなにかがあった。

「夢の中でよかったけどな、今のところは。実際に目の前になんか現れたらいくら何でも腰抜かすだろ。ん?どうした?」

「ほんとに?」

 思わず部屋を見回してしまった。

「もしかしてこういう話に弱い?」

 夏廉が面白そうに言う。

「部屋、電気付けて良かったな。暗いと嫌かな?と思ってさ。こういう話の時は」

「ふざけてんのか?そうなら早く言ってくれよ」

「ちがうよ」

 思いの外真剣な顔で夏廉が言う。

「よくは判らないけど、偶然だけじゃないみたいだ。死んだ母親があの世から俺に来いって言ってるんだぜ?」

 冬耶は妙に醒めている夏廉の腕を掴んで引き寄せた。

「渡さないからな、絶対に。いくらお前の母親の頼みでもダメだ」

 その言葉に夏廉が微笑んだ。

 

 夜遅くなりやっとベッドに横になった。今までは二階に上がるにも怠い体だったが、冬耶の顔を見て少し元気になったのか夏廉も心地よくベッドに体を伸ばした。

「やっぱり病院よりここがいいよなぁ」

 冬耶が不自由な体を横たえていった。

「なぁ、本当に大丈夫なの?」

「大丈夫だよ、それよりちょっとさぁ不思議なことがあるんだけど?」

 冬耶の問いかけに夏廉が横を向く。冬耶の綺麗な瞳が目の前にあった。 大好きな冬耶の黒目がちの瞳に自分が映る。こんな風に他の誰かの瞳を見つめたことはなかった。深く誰かと寄り添って触れあったことはなかった。夏廉は深い思いに囚われた。

「なぁ、俺の怪我、変だと思わない?」

「事故のことか?」

「いや、事故はともかく、怪我が軽い、いや重いか?」

「なに言ってるんだよ?」

「だからさぁ、医者にも言われたんだよ、死にそうになった割には怪我が軽いって。そうでなけりゃ、大した怪我じゃないのに死にそうになったってさ。骨折は酷かったけど、命取られるようなものじゃないし、他の怪我も死ぬほどじゃなかったって」

「つまり?」

「どっちだと思う?俺、本当は死ななきゃいけなかったのかな?」

「何が言いたいんだ、死ぬようなことじゃないのに死にそうになったってことか?」

「医者に言われたときはなに言ってんだって思ったけど、今、お前の話を聞いててそういう事かな?なんて」

「そんなことある分けないだろう?」

「そうだよな?医者も頭打ったから仕方ないって言うんだけど、検査してなんでもないって言うのも変だってさ。あんな反応だったら普通は頭潰れてるらしいぜ?」

 呑気な冬耶の声にあの日の冬耶の血だらけの姿が重なった。だが出血の割には傷は表面的なものだったらしい。それでもあのときは冬耶の頭から大量の血が流れて、いくら呼んでも答えなかった。

 何を見るよりも恐ろしかった。思い出した一瞬で夏廉の体の血が凍り付く。震える手で冬耶の腕を掴んで夏廉が呟く。

「やめろ」

「思い出したのか?ごめん、気持ちいいものじゃないもんな」

「ちがう!そうじゃなくて、お前の死んだ姿なんて想像もしたくない」

 胸のあたりで叫ぶ夏廉の頭を上げさせて、冬耶が覗き込む。夏廉が怯えた瞳をしていた。きっと自分が死にそうな間、ずっとこんな瞳をしていたのだろう。軽い冗談半分の会話だったが、彼を傷つけてしまった。

 だがそれは夏廉の傲慢というものだ。彼は何も判ってない。冬耶は反対に覗き込んで聞く。

「だったら、お前に死なれるかも知れない俺の気持ちも分かるよな?」

 静かな声だった。

「お前に会った頃から、お前の体のことは聞いていてこの目で見てもいるし、はっきりお前に言われなくてももしかしたらって、ずっと思ってきたんだ。お前が居なくなったらどうしようって、思わない日はなかったよ。おまえは無茶ばかりしてたけど。そういう俺のこと考えたことあったか?」

 夏廉は黙って首を振った。今だから判る、冬耶がどんな思いで自分を見てきたか。自分はどれだけ彼を振り回してきたか。

「責めてるんじゃないからな。ただ判って欲しいんだ、俺だって恐いんだよ、お前が居なくなるのが恐いんだ。だからどうにかしたい。でもダメなのか?俺には何もできないのか?」

「トウヤ」

「ん?」

「俺、死にたくない。ずっとお前の傍にいたい」

 それは夏廉が冬耶に初めて見せた『生』への執着だった。




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