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MIND GAME -心の扉-  作者: 紫逢瑠依
[第三部]黎明編
13/18

宵闇の章

闇が穴を開けている


それは未来なのか過去なのか


それとも自分の心なのか


闇を彷徨う孤独は


また深い闇を呼ぶ


置き去りにされた僕の心は


ただ君を求めてその名を呼ぶ――





 退屈だから働きに行く。そんな風に言ってしまったことを、冬耶は後悔することになった。夏廉の具合が悪くなったのだ。

 高熱が続いていた。医者を呼ぼうとしたら、またダメだと言われさすがに喧嘩になった。

「いい加減にしろよっ!!」

 怒鳴った冬耶の腕を信じられないくらい強い力で掴んで夏廉は言う、

「そんなことをしたら、おしまいだからな……俺たちの、俺のことが知れたらどうする。たとえ死にそうでも医者は呼ぶな、俺と一緒にいたかったら勝手なことをするな。そんなことをしたら俺はおまえの前から消えるからな」

 熱い手で掴まれ、有無を言わせない強い瞳に、冬耶は同意するしかなかった。

「おまえが居てくれれば大丈夫だよ、そのうち治るから」

 そうは言われてもどうしていいかわからない。熱に浮かされた夏廉のそばでただ見つめることしかできなかった。二週間後、やっと微熱も下がったときは、永遠にも感じた時間に冬耶の方が倒れそうだった。

 久しぶりにベッドの上に起きあがった夏廉を見て、冬耶は安心する。

「医者も呼ぶななんて無茶言うなよ、死んだらどうするんだよ」

「たとえ死んでもダメだ。ついでに言うと、もし死んでも俺のことは放っておけ」

「おい」

 さすがに声にならない。その物言いに驚いた冬耶に向かって夏廉が両手を伸ばした。

「ここへきて」

 子供のように言われ、夏廉の隣に滑り込むようにして入る。

「痩せ……た」

 二週間ぶりに抱きしめて冬耶が呟いた。

「おまえもだろ、同じだ」

 微笑むように夏廉が答えた。夏廉の看病で食事も睡眠もとれなかった冬耶も同じだった。

「いいか俺が死んだらそのままにしておけ、死体は海にでも捨ててくれればいいさ。どうせ葬式も何も出せないんだから」

「なんで、なんでそんなこと」

「よく考えてみな? おれには公式の書類なんて無いんだから。そういう生活はしてなかったって言ったろ」

「住民票とかか?それにしたって戸籍くらいあるだろ?」

「知らない……」

「知らない……って」

「俺は母親の名前も知らないんだ、小さな頃に死に別れて誰も母親の名前なんて教えてくれなかったから、自分の本当の名前だって……母親がカレンて呼んでいた記憶があっただけだ。もとはちゃんとした籍があったのか、その後わからなくなっただけなのか。調べればひょっとしたらわかるのかも知れないけど、そうするとちょっと厄介なことになるから」

「だって引き取られたんだろ?そこで何か聞いてないのか?」

「その時、引き取ってくれたのは親戚かも知れない、でも本当のところはわからない……そのあとすぐ捨てられたから」

「えっ?家出したんじゃないのか?」

「それはその後引き取られた施設から抜け出したんだよ、だから俺はまともに学校も行ってない」

 母親と早くに死に別れたのは聞いていたが、その当時の詳しい話は初めて聞いた。夏廉の子供の頃の話に冬耶は言葉を失った。想像していた以上に酷かった。夏廉は顔を背けたまま話を続ける。

「母親が死んだ後、確かに引き取ってくれた人間が居た、夫婦で引き取ってくれた。どっちかが俺と血の繋がりがあったのかも知れない。でもただの知り合いで他人だったのかも知れない。小さかったから覚えてないんだ。でもその後すぐに捨てられた、と言うより知らないところに置き去りにされた。小さかった俺はそのせいで自分が生まれた場所も親や周りのこともほとんど覚えていない。近くで捨てられたのか、遠くまで連れられてきたのか。そのあと保護されて施設に入れられたけど……でもそこが嫌で逃げ出した。まだ小学生の時」

「なんで……?」

 『引き取った人間に捨てられたのか?』とは聞けなかった。

「気持ち悪かったんだろ?ガキだった俺は自分の能力がよくわかってなかった。こっちも怖かったんだよ。見知らぬ他人の感情が絶えず入ってきて、もう何が何だか解らなかった、それを説明して庇ってくれる母親も居なくなって、事情を知らない人間は妙なことを口走る俺を持て余したんだろうな。今なら俺にもわかる。それは施設に行ってからも同じで、周りの大人も子供たちも気味悪がるし、俺自身もいろんな感情が渦巻いて、大勢が一緒に寝起きしている場所なんて眠ることも出来なきゃ、気持ち悪くて食べることもできなかった。」

「そうだろうな……今だって」

 今でさえこんなに苦労しているのに。冬耶はその当時の夏廉が守ってくれるべき保護者も居ないままよく生きてこられたと、むしろ奇跡にさえ思った。

「医者に……」

「うん?」

「施設にいるときに医者に連れて行かれたんだ。普通じゃないからって。その時の医者が言った。神経が正常じゃないからだって。入院させられて検査されて。聞かれたことを正直に言うと異常者だと思われた。今思えばそれも仕方ないか……」

 思い出したように笑う。

「よせ、もういいよ」

 冬耶が遮ったが、

「ここまで話したんだから聞けよ。一旦施設に返されたところをまた逃げ出した。けど、すぐに見つかって連れ戻されて、今度は部屋に鍵が掛かる病院に入れられた。すごく恐かった。どうもそこの医者が何か気づいた気がするんだ。頭がおかしいんじゃなくて、何かあるらしいって。医者だからまさか俺のチカラを信じたわけじゃないだろうけど。色んな実験されて恐かった。逃げるしかないと思ったけど、病院からはとても無理だった」

 夏廉の言葉を止められない冬耶は、代わりに夏廉を抱きしめた。出来ることなら幼かった夏廉を抱きしめてやりたかった。

 まだ小さくて自分のことも周りのことも判らない彼が、庇護してくれる大人も居ないままどんなに心細かったのだろう? 思いやりも愛情もかけてもらえなくてどんなに淋しくて辛かったのだろう? 彼に人間としての感情が欠落していたとしてもそれは彼のせいではない。

「バカな俺にもやっとわかった、本当のことは言わない方がいいって。代わりに演技したさ、『普通』だって、他のヤツと同じように振る舞ってやっとそこを出してもらって、俺はまた施設から逃げ出した。医者は施設の人間に俺の異常を話してたみたいだし、施設に引き取られたときに戸籍とかって作られたかも知れないけど、そんなもの問い合わせて自分の居場所を知られて連れ戻される方が恐かった。もう二度とあの医者のとこに戻るのはイヤだった。今度は絶対見つからないように、居場所を変えることを覚えたのはその時からだ」

「それいくつ?」

「十二……」

「病院に何年居たの?」

「十歳から二年くらい……かな?」

「二年も、そんなところに」

「施設と病院どっちがましだったんだろう。病院は鍵がかけられて外へは出られなかったし、人間扱いされないのは一緒だったけど。個室にいられたのは楽だったかも。少しはな……どっちもどっちだけど。俺は病院を抜け出せたら絶対に一人で生きていこうと決めてた。たとえ道端で死んだってその方がずっとましだと思った。あんな奴らと一緒にいるくらいなら一生ひとりのままの方がましだと思ったよ」

「十二か……」

「ほんとはわからない」

「え?」

「多分、てことだ。俺は誕生日も知らない、多分母親と死に別れたのが五歳だったと思いこんでるだけで、本当かどうかわからない。親のこともわからなけりゃ、自分のこともなにひとつ知らない。今更知りたいとも思わないけどな。どこの誰かわかったって今の俺が変わるわけじゃない」

 冬耶はあまりのことに返す言葉がなかった。冬耶は夏廉を抱きしめたまま、外を見た。もう何日も青い空を見ていない。外はどんよりと曇り、海は荒れていた。

「夏廉」

「俺の戸籍とか、見たこともない父親だとか、そんな物がどうなっているのか調べようと思ったこともないから、どこで生まれたのかも知らない。多分施設に引き取られたときには作られたと思うんだ。でもあんな所にいなくちゃいけないならそれもいらないと思った。ただ……」

「ん?」

「覚えてる。こんな所に住んでいたんだ、母親といた頃は……」

 外を見つめほっとため息をついて、やっと肩の力が抜けた夏廉に

「そうか」

 冬耶も安心した。

「十二で飛び出してから、ずっと都会にいた。よく生きてこられたよな、自分でもそう思う。いつ死んでも構わないと思っていたからそのせいかもな。何でもやったし、人に言えるようなことじゃない。前にちょっと話したっけ?まぁ、いつかみたいなあんな事があるくらいだからわかるだろ?俺のしてきた事なんて。聞きたい?」

「話したいのか?」

 夏廉は首を振った。

「ならいいよ、でも話したいんだったらいつでも聞いてやるから」

 冬耶は微笑んだ。すべて夏廉が話したら、彼の気持ちは楽になるんだろうか?ただそれを聞くのは冬耶にも勇気が要ることだった。

 たった十二歳で学校へも行かず、住むところも持たず、街をうろつきながら生きてきたことは想像にあまりある。普通なら警察に保護されて連れ戻されているはずだ。

 それがなかったと言うことは、ほとんどまともな場所には居なかったと言うことだろう。冬耶が今知っていることは、多分ほんの一部に過ぎない。ここの家に忍び込んだとき、呆れた冬耶に夏廉は言った。人を殺す以外は何でもやってきたと。おそらくそうなのだろう。

 そして周りの女や男が生きる糧を与えてくれれば、その相手に自分を与えたのかも知れない。彼はそうしなければ生きてこれなかったし、そうでなければ今こうして冬耶の前には居なかった。切なさの次に苦しさを覚えて冬耶は夏廉を見つめる。

 そして以前より多分軽くなってしまった夏廉の体を包み込んで冬耶は横になった。

「疲れたろ?」

 夏廉の髪を撫でながら呟いた。自分の腕の中で瞳を閉じたその体を折れるくらい強く抱きしめる。

「苦しいじゃないか」

「夏廉に会えて良かった」

「また、俺が呼んだとかワケわかんないこと言うなよ」

「いけない?」

「おまえって変なヤツ」

 なんでもいい。過去がどうであろうと、二人が出会った理由がどうであろうと。夏廉に会えたことだけでいい。必然でなかったとしてもその偶然に感謝する。

 しばらくすると夏廉の寝息が聞こえてきた。その呼吸に合わせるように、冬耶も久しぶりに安らかな眠りに入った。

 

 声が聞こえた─────

 それは悲鳴のようにも聞こえる。ゆっくりと冬耶の意識が眠りから覚めた。

 真っ暗な部屋。一瞬、時間も場所も見失う。部屋には夕闇が落ちていた。

 再び、声が聞こえて冬耶は飛び起きた。隣で夏廉が息を喘がしたまま座っていた。

「どうしたんだ?」

 汗で髪が張り付いていた。ゆっくり冬耶の顔を見て思い出したように強ばった表情が戻る。

「怖い……」

「夏廉?」

「ママが……ママが迎えに来る、ボクを連れに来る……おいでって呼ぶんだ」

「おいっ!、夏廉ってばっ─────」

 焦って夏廉の肩を掴む。

 ママって?死んだ母親か?

 喋り方が、普段の夏廉の口調ではなかった。どこか舌っ足らずな幼い喋り方だ。連れに来るって、死んだ人間がか?そこまで考えてはっとした。 ここ最近の夏廉のおかしいわけと、どこを見つめているのかわからない瞳を。

「おい、夏廉!」

 強く揺さぶって強引に自分に向かせる。

「俺のこと見ろっ!!」

 やっと夏廉の体に力が入る。

「冬耶……?」

 ほっとして、今度は冬耶の力が抜けた。

「脅かすなよ、頼むから」

 冬耶にそう言われて、夏廉は怪訝な顔をする。

「なに?」

「覚えてないの?今の事」

 笑い事ですまそうとした冬耶の背中が寒くなった。

「夢……見てたんだろ?」

「ん?そうかも……覚えてない……」

 口調は間違いなくいつもの夏廉に戻っていたが、さっきのあれを覚えてないなんて。

「怖かったんじゃないのか?」

「わからない、ひょっとして起こしちゃった?」

 起こしたどころじゃないだろうと思いながら、本当に覚えてないんだと確信する。

 なんでだ?夢は目覚めると正体が無くなる物だ。だがあれだけ怖がって起きたのにまったく覚えてないのは?普通は怖い夢を見た、くらいは覚えてるものだ。

 ─────あれは夏廉じゃなかった─────

 とんでもない考えが浮かんで首を振る。でも確かに今の夏廉でないことは確かだった。どこかに暗闇が口を開けていそうな気がする。正体の分からない物に飲み込まれそうな不安があった。  




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