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『私はあなたが嫌い』  作者: Tone
本編
39/54

第33話

 パシャリ。


 昼食後に台所で洗っている皿を置いて、鳴るシャッター音に振り向くと、パシャリともう一度シャッター音が鳴る。


「ねぇ、ハカセ……」


 もううんざりとした声を上げた私に、ハカセはにっこりと笑顔を向ける。ハカセの手には小さなデジタルカメラが持たれていた。私が学校に行きたいと言った次の日のハカセがどこからか調達した物で、しかも中々高額な物らしい。高額なだけあって性能も良くて、何よりも使いやすさが抜群であり、何もかもがカメラがオートで設定してくれるのでカメラ初心者のハカセでも簡単に使いこなしていた。そのため、カメラを持ったその日からハカセはいつでもどこでも写真を取るようになったのだ。


「なんだい、フェリ」


 いつものやり取りでも私とハカセで温度差がある。ハカセは気にも留めずにまたカメラを構えた。私が口を動かす前にまたシャッター音が鳴る。何を言っても無駄だと思い、「もういいよ」と一言言って深いため息をつき、食器洗いを再開する。


「いいのかい?」


 そこで不思議そうに声を上げる時点でもう終わっている。「いいの」と答えるとハカセが何かに気付いたように言った。


「それよりももうすぐリリーちゃんが来るだろう。皿洗いは僕がやっておくから準備でもしておいで」


 その言葉にピタリと動きを止めて、部屋の時計に目をやる。時計の針が一時半を指そうとしていた。確かにそろそろ準備をした方がいいかもしれない。


「うん、じゃあ、お願い」


 ハカセの言葉に甘えることにする。


「いいよいいよ。急がないとリリーちゃんが来るよ」


「うん」


 掛けられているタオルで手を拭いて、横目でお昼の番組を流すテレビを見ながら自分の部屋へと向かう。ハカセに「学校に行きたい」と言ってから一週間が経った。今日はリリーと一緒に学校に行くために必要な物やその他もろもろを買いに行く予定だ。行く学校もハカセが気を利かせてくれて、リリーと同じ学校になった。年は、という問題もあるはずだが、見た目ではバレないとハカセに言われ、なにやら手を回して解決したらしい。ハカセ曰く「世の中お金」だそうだ。


 部屋に入って、机の横に置いてるリュックサックに手をやり、開いて中身を確認する。中には小銃と弾の入ったマガジン、ナイフ、ガムテープなどが無造作に詰め込まれている。その中から、マガジンとナイフを一つずつ取り出して、机の引き出しへと入れた。


 少しずつ減らしていこうと思う。学校に行くのだから、勉強をしに行くのだから、武器は必要ない。だけど、怖いという感情を捨てられない。銃を捨てるという考えが、ナイフを持たないという考えが、どうしても恐怖に繋がってしまう。何も武器を持たない事がどれほど恐ろしいことなのか、どれほど死に繋がるのか、身に染みている。


 でも、ここでは違うのだ。ここは武器など持たなくても生きていける。武器を持たないほうが楽しく生きていけるのだということもわかっている。


 スカートの裾をつまんであげて、自分の太ももに巻かれたナイフと拳銃のホルダーに手を掛ける。三種類のナイフに、一丁の拳銃。拳銃にはしっかり弾が込められており、ナイフもきれいに研いでいる。三種のナイフの内、ファイティングナイフを引き抜いて机の中にしまって大きく深呼吸する。


 これでいいんだ。


 心の中で大きく頷いて、ナイフの変わりに机の中から財布を取り出す。人生で初めての私の財布。ちゃんと財布の中にハカセからもらったお小遣いも入っている。その財布をしっかりと握り閉めて、クローゼットの中からグレーのダウンジャケットを取り出した。ダウンジャケットに袖を通している所でインターフォンがなる。


 インターフォンを鳴る音を聞いて、急いでリュックサックを背負い、自分の部屋から掛けだして玄関に向かう。


「いらっしゃい」


 勢いよく開けた玄関の前に予想通りにリリーが待ち受けていた。いつもの赤いダウンを着て、外の寒さに鼻を赤くして笑っている。


「よっす、準備出来てる? 出来てるんなら、さっそくいこう、フェリっち」


「うんっ、ハカセ行ってくる」


 すぐに笑顔で返事して、台所にいるハカセに振り返る。台所にいるはずのハカセが、どうしてか、本当になぜかカメラをこちらに向けていた。それに気付いたリリーがすぐさま私を引き寄せて笑顔を近づける。


「ハイ、チーズ」


 また、カメラが音を鳴らす。嬉しそうにするリリーは映っただろうが、きっと私は不機嫌顔だ。


「いってらっしゃい、遅くなり過ぎないようにね」


 不機嫌顔であろうがなかろうが関係ないというようにハカセが笑みを浮かべて見送ってくることにため息で返す。リリーが私の不機嫌顔に対して不思議そうにしているが、それに今答える気にもなれず、「いってきます」と手短に声を落とし、リリーを追いやって外に出てドアをそっと閉めた。


 燦々と降り注ぐ太陽の光が冬の寒さを和らげてくれ、積もっていた雪も光を返して輝きながら溶けだしていた。だけど、息を吐けば白くなり、まだまだつんとする冷たさは残っている。雪かきを終えた道をリリーと共に歩いて、学校に必要な物──もとい友達とお買い物のためにお店の並ぶ商店街へと足を進めて行く。


「えー、写真ぐらいいーじゃん」


 リリーが気楽そうに私に語り掛けてくる。それに対して私はリリーにジトリと目を向けて、細く息を吐いた。


「毎日、毎日毎日なんだよ……」


「気にするとこでもないと思うけどね」


「リリーはされていないから、そんなこと言えるんだよ」


「んー、そうかもね」


 力強く発した私の言葉を興味なさそうに聞き流して、自分の話に持っていく。


「とりあえず、そんなことよりも──」


 そんなこと扱いにムッと口をへの字に曲げるが、リリーは楽しそうに続ける。


「大事なのは学校に行く準備でしょ。やっぱさ、文房具とかも可愛いのがいいし、もっとおしゃれなカバンとか必要だよ。それに──」


 リリーが満面の笑みを形作った。


「──新しいケーキ屋さんができたんだよ」


 思わず頬がひくつきそうなるのを抑え、「だから、食べに行こうよ」というリリーに「しょうがないなぁ」と呟いた。それを見たリリーがニヤついているの見て、「何で笑ってるの?」と不機嫌な声で尋ねたが、「なんでもないよー」とかわされてしまった。


 仕方なく、そこでこの話を打ち切りリリーと一緒に歩いていく。商店街に近づいていくほど、人の活気が溢れていった。道行く親子連れに、カップルに、私たちと同じように友達同士で来ている人達が、買い物をして、おしゃべりをして、楽しそうに笑顔でそれぞれの時間を過ごしている。賑やかな喧騒も次第に広がっていく。


 真っ直ぐに続く道を、左に曲がるとそこにはまた長くて大きい一本道が続いていた。そして、その一本道に沿うように様々な店が立ち並んでいる。眩しいほどに色鮮やかな商店街に立ち止まってしまう。閑散とした私の家の周りなどと比べものにならない。何もかもが煌いていて、輝きを放っているように見えた。


 楽しそうな笑い声が聞こえてくる。こんなに寒いのに皆が皆、笑顔で幸せそうである。今までの私ならここで踏みとどまった。こんな場所に踏み入れる事なんて出来はしなかった。だけど、今なら──。


「いきなり止まってどうしたの? 早く行こうよ」


 きっかけとなった少女に手を引かれる。たったそれだけでその楽しい雰囲気に踏み入れることが出来る。前に足を出す事が出来る。それがどれほど私にとって驚くべき事なのか、きっと少女は理解していないだろう。でも、だからこそ、私は引かれる手に応えて歩き出す事が出来る。


 私は変わった。変わることができた。きっと、良い方向に。


 引かれる手に応えるようにグッと握り返した。一瞬、リリーはぽかんと気の抜けた表情になり、ふっと優しく微笑んだ。


「よしっ、んじゃ行こうっ」


 引っ張られるままに足を動かして、私もここの一員なんだと堂々と商店街に踏み入れた。




 少し寂しくもあるが、きっとこれで良かったのだ。


 そう思いながらロレンツォ・バローネは皿を洗い終えて、コーヒーを入れてソファに座る。テレビでは一人のコメンテイナーがなにやら話していた。ぼんやりとその言葉に耳を貸しながら、先ほど楽しそうに出かけて行った彼女(、、)──フェリーチェを思い浮かべた。


 ここに来た頃に比べれば、随分と明るくなった。そしてよく泣いて、よく笑うようになった。そのことを言えば、おそらく彼女は恥ずかしそうに反論するだろう。だけど、それがまた微笑ましくもある。研究所の頃の彼女に比べれば、本当に人間らしく──子供らしくなった。彼女の年齢から言えば、本当ならば子供を卒業して大人へと変わろうとする時期かもしれない。もしくは、子供と大人の間で揺れ動く時期かもしれない。しかし、今まで過酷な環境で生きてきたフェリには、今だけでも──今だからこそ、子供であって欲しい。彼女自身は子供扱いされるのは嫌かもしれないが、やはり子供として過ごせる期間は大切だ。楽しいことを楽しいと、嫌なこと嫌だと、正直に素直に言えることが重要なのだ。


 今までの彼女にはそれがなかった。それが許されなかった。助けを必要とする正真正銘の子供の時代でも彼女は耐えに耐えて、自分の感情を殺して、苦しいことも嫌なことも受け入れるしかなかった。それが自分の大切なものを壊してぼろぼろになるのだとしても、生きるためにそうする他なかったはずだ。


 子供が銃を持ち、殺しあう。本来ならば守られるべき存在が率先して死の淵へと進んで行く世界。言葉にするだけでぞっとする、そんな世界で生きてきた彼女。そんな世界を作ってしまった大人たち。そして、それを利用した自分。考えるだけで、罪悪感で押し潰れされそうになる。


 子供は未来に対して大きな可能性を持つが、現在に対しては現状ある環境で生きるしかないのだ。その環境を作るのは子供ではない、大人だ。子供が例え未来に対して大きな力を持っていても、現在に対してはひどく脆弱だ。


 だからこそ、大人の責任は重い。特に自分の責任は取り返しが付かない。悔いた所で自分がやってしまった行為が許される訳がない。それなのに取り返そうと躍起になっている自分がひどく滑稽に思えてしまう。馬鹿らしくて、どうしようもないと思っているくせに、自己満足だとわかっているのに。


 フェリの笑顔を見るだけ、ほっとしてしまう。


 心の中でどこか安心して、許されたような気分になってしまうのだ。もちろん、全部が許されたなんて思っていない。だけど、少しは責任を取ることができたのではないかと錯覚してしまう。これも自分自身のために彼女を利用しているを理解しているのにだ。


 いつの日か、浪瀬が言ったように自分を保ちたいがために彼女を自分に依存させてしまった。そして、それが心地よくて自分も依存してしまっていた。だが、それも浪瀬とリリーという少女のおかげで少しずつだが正常に戻りつつある。自分はもうお払い箱なのかもしれないと思うと少し寂しく感じるが、フェリが幸せになるのならそれでもいい。彼女のためなら何でもしようと、とっくの昔から決めていた。彼女が幸せになるのなら、今でも昔でもその方針は変わらない。それだけは変えられないのだ。


 少し冷めたコーヒーを口に運んだ時、静かに玄関が開いた。フェリが帰ってくるには早すぎる。もしかしたら、何か忘れ物をしたのかもしれないと玄関の方に目をやると──。


 ──そこには、彼女(、、)がいた。


 今日の気温にしては薄い服をきた彼女が頬を赤くして玄関に立っていた。それを見て、ロレンツォは少し目を丸くする。


「──ああ、そうか」と呟いて、ロレンツォは彼女に語りかけた。


「そこじゃ、寒いだろう? 中に入っておいで。温かい飲み物も用意するよ」


 ロレンツォは優しく語りかけたつもりだが、彼女の表情は固く、動こうとはしなかった。


「お菓子もあるけどいらないかい?」


 ロレンツォはソファから立ち上がり、台所へと向かう。彼女もようやく部屋に一歩踏み入れた。無言の彼女は部屋を見渡して、自身の腰に手を伸ばす。彼女の手に握られるものを見て、ロレンツォはふっと表情を弛めて微笑む。


 彼女(、、)のためなら何でもしよう。例え、それが命を落とす事になろうとも。


 それが、臆病で、取り返しの付かない罪を犯したロレンツォ・バローネの心に決めた、決して曲げる事のない信念だった。

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