第19話
ハカセたちの話が終わり、私はアイタナとガールズトークもといガールズスキンシップをやられ、本題前に挫折しそうな程体力が尽き掛けた。そんな私とハカセの目の前に二つの手帳が置かれた。それを手に取り開く。
「それがパスポートです。失くさないようにしてくださいね」
パスポートとはなんだろうかと首を傾げると、すかさずにハカセが解説してくれる。ハカセの説明によれば国が身分等を証明して外国政府に保護を依頼する文書ということ。とりあえずこれがなければ外国に行けないということ。
開いて見ると“フェリーチェ・バローネ”と記載されていた。
「偽物……?」
「いえいえ、違いますよ。それは紛れもない本物です」
また首を傾げる。フェリーチェはハカセがつけた名前であって本名ではない。それに身分も何も戸籍すら私にあったのかさえ怪しい。身分でさえ言うなれば少女兵、孤児、奴隷、娼婦まがい、その程度だ。
それなのにディーノはこのパスポートは本物だと言う。
「そのパスポートはこれから行く国で発行された物です。これで、これから行く国に堂々と密入国できる訳です。これを密入国と言うかどうかはあなたたち次第ですが。いやぁ、ほんとにめんどくさい手順を踏まされました。あなたの生まれた国のパスポートでなく、これから行く国のパスポートを取らされたんですから。ましてや先進国ですよ。骨が折れますよ。私のお金ではないですけど、結構な額が飛びましたね。それをほいっと出されるんですから、さすがは稼いでいるだけ稼いでいらっしゃる」
「そちらのコネがなければ出来ませんから、お金ぐらいいくらでも出しますよ」
笑顔で話すハカセとディーノ。和やかな雰囲気なのだが、会話の内容は到底和やかとは言えない。おそらくディーノは公的機関と只ならぬ関係にあり、それを利用してこのパスポート──効力のある公的文書──を手に入れた。
「ともあれ、めでたくパスポートを発行できました。このパスポートのおかげで、あなたたちの入国の扱いは帰国となります。つまり、あなたたちは他国に旅行、もしくは出張という形で出かけ帰ってきたという訳です。もちろん、元々いたあの国から帰ってきたということにはしませんのでご安心を。適当な所で、でっち上げております。あなたたちがあの国から出たと言う記録も、あの国から来たという記録も残りません」
簡単な事のように軽々しくディーノは言う。明らかに国の重要な部分触れているというのに。
目の前にいる朗らかに笑うディーノの姿が一瞬にして怖く感じた。その笑顔が怖い。笑顔でにこやかにとてつもない事をやり遂げる。その笑顔からは何も読み取れない。
武器商人とはこれほどまでに怖い存在だったのか。
少しはわかると思ったのに何もわからない。本当に笑っているのか、それとも演技であるのかすら見分けがつかない。
「もう、ボスが変な事言うから、フェリちゃんがドン引きしてますよ」
そう言うのは隣のアイタナ。もちろんスキンシップ付きで。
「あれ? そんなに変な事言いましたか?」
「言いました」
私が言う。それに対してディーノは苦笑いを見せながら「そうですか」とだけ答え、気にもしないで話を続けた。
「とりあえず、このままその国に行ってですね。新しい住まいまで送り届けましょう。できるだけのご要望にお応えしたつもりです。気に入ってもらえれば、こちらとしても嬉しいですが、如何せんあなた方は追われる立場にありますからね。さすがにお金を積まれても豪華絢爛な住居というのはなかなか難しいものでして──まぁこれは見てもらわないとあなた方は何とも言えないでしょうからその時にということでお願いします」
「こちらもそこまで我侭は言いませんよ。これほどの事をしてもらっているんですから」
「最後に一つだけ。私たちがするのは新しい住まいまで案内、護衛までです。それ以降は一切の責任も負えません。残念ながらアフターサービスはなしです。今回あなた方が逃げ出した事であの研究所、またはその上の存在は動き出すでしょう。とはいえ、事が事です。公に堂々とは動けないはずです。千を超える子供たちで人体実験をしていた、なんて今の社会で受け入れられる事は間違いなくありません。人権団体が喰い付く格好の餌でしかありません。まして、その子供たちがほぼ百%コクジンだとなれば、人種差別問題にも繋がりますし、民族問題にも飛び火します。
研究所自体はおそらくあなた方の捕獲に動き出します。その上の存在は問題が露呈する前に研究所を処分する方向に動くかもしれませんが、正直どう動くかはわかりません。あの研究所には巨額のお金が舞い込んでいました。それだけ、様々な国が関与していたという事です。国の中には先進国も含まれます。先進国が金と人材を出し、発展途上国が場所と材料を提供する。そういった関係です。隠してもしょうがないので言いますが、上の存在は関わった国の上層部という事になります。研究所の上に国の上層部がいるのは特別な事ではありませんが、今回問題なのは関わった国が多数ある事です。私が予想するに、先進国は問題をなかった事にするために研究所を処分しようとするでしょう。しかし、発展途上国はそうはいかない可能性があります。発展途上国は場所と材料を提供する事で多額のお金を受け取っていた訳です。研究所自体が外貨が入る受け皿だったのですから。それに研究所の成果が生み出す利益は莫大です。そのおこぼれでさえ、とんでもない程の大金なのです。自国の発展のためにお金が欲しくてたまらない発展途上国はせっかくの金のなる木が失われるのをよく思わないでしょう。
発展途上国は先進国と違い、保身に走らないで強行な手段に走る可能性が高いです。例えば、ロレンツォさんを殺してフェリーチェさんを拉致するといった様に、ね。フェリーチェさん事態の価値は国がひっくり返るようにでかい。手に入れ、研究してフェリーチェさんの一端を掴むだけでも大きな利益が出る」
「…………そんなもの掴めるはずがない」
ハカセが弱々しい声で言葉を吐いた。その苦しそうな表情をするハカセに対してディーノは笑顔で続ける。
「あなたが言うならそうなのでしょう。だけど、奴らはそう考えない。掴めるものだと考えている」
ディーノに対する初めての違和感。初めて笑顔のディーノが人を見下した様に言葉を吐き出した気がした。ディーノの言う“奴ら”に対する感情。初めてディーノから嫌悪の感情を見てとれた。それが一瞬強まった。
「それに発展途上国は先進国の意向に従うとは思えません。発展途上国の奴らは『研究所の事を世界にばらす』と先進国を脅す事が出来ます。先進国と発展途上国では先進国が強者と一般的に思われていますからね。自分たち発展途上国は先進国に強いられて研究所を自国に置かれた、というシナリオでも考えているでしょう。今回の事が世界に報道されて困るのは先進国のです。世界の先を行く国が率先して人権無視の研究をしていたなんて、それこそ面目丸潰れにバッシングの嵐なんですから。
それに比べ、発展途上国は弱者を装える。自分たちはしたくないのに強いられたと言えば、世界の目は関わった先進国へと行く。それに先進国の横暴とでも言って先進国への反感を煽り、自国に不満を持つ国民の目も外に向ける事ができる訳です。なので、先進国の奴らは発展途上国に対して下手に出て弱腰にならざるを得ない。
今回の問題は先進国であればあるほど身動きが取りづらく、発展途上国は身動きが取りやすい。だから、これから案内する場所も逃げた痕跡は残しておりませんが、油断などはしないようにお願いします。そして、先進国の奴らも万が一露呈した場合を考えて、生贄としてロレンツォさんを狙うでしょう。スケープゴートって事ですね。ロレンツォさんは研究所で行われた研究の中心人物でもあるのですから、お気を付けください。
先進国の奴らも、発展途上国の奴らもお金や名誉の事が関わると嗅覚が倍増します。一瞬の油断が命取りとなるでしょう。それを頭に置いて新生活を楽しんでください。私も武器商人なのでお金に関しては鼻が利きますからね。私のそれなりの経験談を信じていただければですが。
──最後と言いながら長くなってしまいましたね。ですが、これで終わりです。長々と付き合わせてしまい申し訳ありません」
ディーノは「部屋でごゆっくりとお休みください」と付け加え、見送るために立ち上がる。
来た。待ちに待った瞬間が今ここに来た。
ドクンと脈打つ心臓を落ち着かせるために、一度息を吐き、吸い、立ち上がった。
「あのっ!!」
しんっと一瞬静まり返る。その静寂が緊張に拍車を掛けるが自分を奮い立たせ踏ん張った。
「どうかしましたか?」
静けさが満ちる中でディーノににっこりと笑顔で返される。そのあまりにも自然で作っているのかいないのかわからない笑顔に頬を引きつらせるながら今日の目的をわかりやすく一言で言った。
「銃が欲しいんです」
ほんの少しだけディーノの目が見開いた。きっと隣のハカセはもっと驚いた表情をしているだろう。ディーノの目が私からハカセに移り、また戻して、くすっと笑う。
「銃をですか?」
ディーノをじっと見たまま大きく頷いて応える。ドアの方を向いているディーノは体をこちらに向けた。その事に私は安堵して、ほっと胸を降ろす。体をこちらに向けたということは少なくとも話は聞いてくれるという意思表示だ。子供の戯言で横流しにはされない。
「お金はどうするんです? あなた自身は無一文でしょう」
「ハカセが私の欲しい物を買ってくれるって約束してくれました」
隣で息を飲む音が鮮明に聞こえ、テーブルを叩く音共にハカセが立ち上がった。
「ストップだ!! 僕は確かにフェリが欲しい物を買ってあげるとは言ったけど、銃はダメだ!!」
私の予想通りにハカセは怒った。怒るだけならいいのに、と心の中で呟く。ハカセの顔を見ると、怒りたいのか泣きたいのかわからない複雑な表情をしている。今にも泣きそうな顔で怒らないで欲しいと思う。私が罪悪感で押し潰れてしまいそうになってしまうから。
謝りそうになる口をきゅっと閉める。今回は引いてはいけない。いくらハカセがダメだと言っても絶対に我を通して銃を手に入れないと、これから進む道の中で心休まる日がない。銃は相手に恐怖をもたらすが、同時に自分には安心をもたらしてくれる。逃げる立場として、追われる立場として、追ってくる敵に対して反撃する術が欲しい。何も出来ないまま、敵の良い様にされるなんて考えたくないのだ。
だから、今回だけはハカセに有無を言わせない。
「私はハカセが私のような子供との約束を破るような汚くて卑劣な大人じゃないと心から信じているし、ハカセがこんな私にもやさしくて誠実な大人だって知ってる。まさかとは思うけど、ハカセは私とした約束を破るの?」
胸が締め付けられる。
「いや、そうじゃないけど。だけどね……」
「だけど──何? 約束破るの? 欲しい物買ってくれるって言ったじゃん。それは嘘なの? ハカセなら約束破らないと思ったのに……」
「……うぅ」
ハカセがたじろいだ。あと少し。あと少しだけ押せばきっと買ってくれるはずだ。
ごめんなさい、と心の中で謝る。
騙すような事をして。揚げ足を取るような事をして。ハカセの考える私の欲しい物に銃が入っていないと知りながら。ハカセを傷つけると知りながら。ハカセが悲しむと知りながら。駄々をこねる子供のように。我が侭を押し通す子供のように。子供である事を利用して。ハカセがやさしい事を利用して。
ハカセは本当に誠実に向き合ってくれるのに、私はこんなにも卑怯な事でしか応えることが出来なくて。
ごめんなさい。本当にごめんなさい。
油断してしまえば本当に言葉を口に出してしまいそうになる。
「約束守ってくれると思ったのになぁ……」
尻すぼみな落ち込んだ声音で最後の一押しと言葉を紡ぐ。言葉はハカセを言い包めるための作り物。だけど、声音は本物。単なる自己嫌悪。大丈夫大丈夫と言い聞かせる。これで銃を手に入れられるはずだ。
「────ダメだ」
ハカセから返されたのはたった三文字の否定の言葉。頭の中が真っ白になる。ハカセの言葉が何を意味しているのか理解にするのに数秒かかった。数秒かかって出てきた言葉は擦れてしまいそうな三文字。
「……なん、で?」
「ダメな物はダメなんだ。銃を持つなんて許さない」
爪が手のひらに喰い込み痛みを感じる程の力で拳を握り閉める。顔が赤くなっている事を自覚しながら俯いて唇をかみ締めた。予想だにしなかったハカセの返答に、別の何かが湧きだして今まで感じていたはずの罪悪感を覆い尽して塗り替える。
「なんでなんでなんでッ!! 何で持っちゃいけないのッ!!」
呼吸を荒げ、湧き出てくる感情のまま吐き出してハカセに投げつけた。
「フェリは子供だからだ。子供が銃なんて持つもんじゃない」
私は声を荒げて言うのに、ハカセは落ち着いて淡々と返してくる。
「子供って──私は兵士なの! 少女兵なんだよッ!! 銃持つのも普通だし、銃で人を殺すのも殺されるのも当たり前なのッ!! 銃の使い方だって、手入れの仕方だって知ってるんだよ! 私たちがいた所ではそれが普通なの! 私には銃が必要なんだよッ!! それなのに何!? 何でそんな事言うの!?」
「フェリはもう少女兵じゃないッ!! 以前の場所にいた時のフェリじゃないんだ!!」
ハカセの大きな声に後ずさる。先程とは違い混じりっ気なしの怒気を含んだ声。反論しようにも、気圧されて「でもっ」の後に言葉が続かず口ごもってしまう。
でも、それでも、銃が欲しい。銃が欲しいはずなのに言葉が出ない。ハカセが今までにないくらいに怒っている。違う。私が本当に怒られている。
自分の思い通りにならない。拗ねたい気分になってくる。どうしてハカセはわかってくれないのか。
私は弱い。どうしようもなくだ。一介の少女兵でしかなかった私には鍛え抜かれた兵士の相手など到底できない。私だって少女兵として、一人の兵士として今まで生き残ってきたのだから、そこら辺のチンピラに負けるつもりはないし、負ける気もしない。だが、本物には勝てない。本物の鍛え抜かれた兵士にとって、私はそこら辺のチンピラと変わらないのだ。エミールに勝ったのも──アイタナはああ言ったが──それはただエミールたちに“怪我人を出してはならない”と制約があったからに過ぎない。まともにやればエミールにだって私は相手にならないのだ。勝手知ったる場所ならば訓練された兵士からも逃げ果せる可能性はある。だけど、今から行く場所は私にとって未開の地。何も知らない場所で囲まれましたでは洒落にならない。しかもそこに武器なしの丸腰で切り抜けないといけないなんて条件を付け加えられてはどう考えたても無理だ。無茶だ。
だからこそ、せめて武器が欲しいのだ。銃が、ナイフが、手榴弾が。それら人を殺す物が私に安心をもたらしてくれる。銃は力に均衡をもたらす。完全にとは言えないし、銃を持ったくらいで歴戦の兵士になれる訳ではない。それでも銃を持つと持たないでは段違いの差がある。一般人が兵士に殴り掛かるよりも銃を撃つ方が断然に兵士を殺せる確率が高い。なんせ銃は弾が当たればいいのだ。当たり所さえ良ければ一発で相手は死ぬ。屈強な兵士に立ち向かい何度も殴りつけるより遙かに簡単で効率的だ。
素手より遙かに簡単に人を殺す力を手に入れる事の安心感を、力強さを、広がる可能性をどうしてハカセはわかってくれないんだ。
言葉を呑み込む。これはハカセに言ってはいけない言葉だと自分でもわかる。ハカセにとって、私はただの少女なのだから。そう思ってくれるのは、嬉しい。言ってくれるのは、もっと嬉しい。だけど、ただの少女では逃げ切れない。少女兵としての私が言っている。ただの少女では何も出来ないと。
その事を否定したい。ただの少女でも大丈夫なんだと証明したいとは思っている。それなのに私が孤児として、少女兵として生きてきた時間が、使ってきた頭が、鍛えた体が、培った経験がその否定を否定する。
何もしなければこちらが蹂躙される。嫌という程、身に染みている。孤独も、暴力も、陵辱も、拷問も、この身に受けた。抵抗する事も、立ち向かう事も、逃げる事もせずに。ただただ受け続けた。受け続けたが故に、私は自分では出来もしないくせに死にたいと希うようになったのだ。
ただの少女に何が出来る。ふざけるな。ただでさえ後手に回る可能性が高いのだ。最悪な状況に陥った時、銃すら持たないただの少女がどうやって乗り切れる。
ただの少女がどうして追手からハカセを守り切れる。
「…………ハカセは、……何もわかってない」
沈黙した中、やっと出せた声は苦々しく押し潰した声だった。
「何を言ってもダメなものはダメだ」
ハカセは無慈悲に拒絶する。ハカセは私が銃を持つ事に徹底抗戦するようだ。
そこまで拒まなくていいのに、と思いながらずずっと鼻をすする。目には涙が溜まり始めた。涙を零さないように気を付ける。ハカセに思い通りにいかない時は泣けばいいと私が思っていると思われるのは避けたかった。
ハカセに出会ってから涙腺がゆるい。どうしてここまでゆるくなってしまったのか私にもわからない。
もう一度鼻をすする。ここまで拒絶されるとは思ってもいなかった。ハカセを言い包めたくとも何も思い浮かばない。
何をどうすればハカセが私の銃の所持を認めてくれる? その疑問に答えてくれる人はいない。私自身も答えを出せない八方ふさがり。手詰まり。
本当に何もないのか。自分の頭をフル活用して道を切り開けないのか。
「じゃあ、ハカセなんかに頼らない……?」
何を言っているんだろう私は。訳も分からず言葉を紡ぎだしたせいで言い終わりが問い掛けるみたいになってしまった。
「僕を頼らないでどうするんだい? お金もないのに」
「ほぅ。それは気になりますね」
ハカセが意地悪にも言ってくる。ついでに、ディーノまで乗ってきた。でも、ハカセの言うとおり私は無一文でお金がない。だからこそハカセを頼ろうしていたのに。
言ってしまった手前何かを言わなければならない。頭を必死に働かせる。
「──か」
「か?」
「────体を……売る」
「っぶ」
私の言葉にハカセが噴き出した。
「フェリ、変な事言わない。ふざけるのはやめなさい」
「ふざけてないっ!」
大きな声を出すしかなかった。ふざけてはいない。だけど、これがあまりにも安易で馬鹿な考えである事は認めざるを得なかった。それしか考え付かなかった私の頭に腹が立つ。そして、大きな声でごまかすしか出来ない事に腹が煮え繰り返りそうだ。
「残念ながら、私たちは人身売買、売春等はしておりませんので……」
「買った──と言いたい所だけど、私はそういうのは胸糞悪く感じるのよねぇ」
案の定だ。ディーノのみならずアイタナにも断られた。当然だ。ここは私のいた国ではないのだから。私のいた国での当たり前はここでは通じはしない。孤児が物乞いのために哀れみを受けやすくするためにわざと手足失くす事も、自分の食い扶持のために適当に子供を産んで売る事も、子供が武器を持ち戦場を駆ける事さえも理解される事はない。
無論、そこに私のような子供がお金のために体を売る事が理解されない事も含まれている。肉体的な意味、性的な意味、両方ともだ。
「──う゛ぅ、っず……ぅう゛──」
濁った呻き声が響いた。必死に泣くまいと堪えた末に出てきたのが獣の唸り声のような潰れた音だった。
悔しかった。
自分の無力さを呪った。頭の悪さが憎らしかった。今この状況をひっくり返すことも出来ずに立ち尽くす自分を罵ってやりたかった。
そんな事をしても何も変わらない。そう、何も変える事が出来ない。無力な自分に武器を持たせる事も、これから起こるであろう闘争の準備も自分だけでは整えられない。無力な自分を変える事が出来ない無力さに歯噛みした。自分の無力さを味わう事は何度もあった。子供たちが戦場で死んだ時、餓死した時、不老不死に失敗した時。そして、私が生まれた事でお母さんが嬲られ自殺した時も。幾度となく自分の無力さを味わった。味わらされた。
だけど、これ程までに悔しさを味わった事などなかった。
無力な私は無力さをそのまま受け止めていた。何も感じずに、それこそ、それが普通なのだ思って。何かをした所で何も変わらないと諦めて。自分を許した。だが今の私にはそれが出来ない。無力で何も出来ない自分が許せない。諦めるなど到底出来ない。自分の無力でハカセを失うなんて考えたくもない。
許せない。諦められない。それなのに私は何も達成出来ていない。それが悔しさに繋がっている。
それが自分にとって進歩なのか、退歩なのか、よくわからない。しかし、わかった所で何にも繋がりはしない。現状を変える力になりはしない。
「フェリ、今日はもう休んで頭を冷やすんだ」
ハカセがため息と共に言って、ハカセが部屋を出た。今の言葉はハカセ自身に対しても言った事かもしれない。ハカセが出て行ったのに続き、ディーノもこの部屋から出て行ってしまった。
──終わった。
ただ立ち尽くして、何も出来ないままに、呻く事しか出来ずに。
「──ぅう゛う゛う゛ぅう゛」
大事な交渉相手を失った。この場で銃を手に入れるにはディーノから買うしかないのに。一番大事な大元が断たれてしまった。
ハカセに付いて来た意味も、ハカセに反論した意味も、武器を手に入れる機会も、全て失くしてしまった。
ハカセに「頭を冷やせ」と言われ出て行かれ、ディーノにも出て行かれた今この時を以って私は無力さを突き付けられた。堪らなく悔しさが膨れ上がった。私の決意は交渉をする前に砕け散ったのだから。
この後、ディーノに交渉を持ち掛けても、膠も無く断られるだろう。相手は商人なのだから、無一文の私に商品を売るはずもない。一人でお金も稼げない、お金を持ち合わせていない私など相手にしない。
もし私が一人前にちゃんとした方法でお金を稼ぐ事が出来ていたなら、と仮想するも、すぐに頭を振り払う。出来るはずもない事を考えたって無駄だと悟った。研究所にいながらどうやってお金を稼ぐのか。それが出来る方法があるのなら教えて欲しいくらいだ。
気が付けば、エミールとオイゲンの姿もなかった。その他の人も姿を消していた。会議室の中で一人──ではなかった。
アイタナがいた。
いつの間にか私の目の前に移動しており、アイタナはしゃがんで私の目元にハンカチを押し当てた。
「ロレンツォさんが大事?」
アイタナの問いかけに答えなかった。何故か。ただ答える気にならなかった。俯くしかなかった。
「だから、銃が欲しい?」
無言で頷いた。アイタナは私の頷きを見て微笑んだ。その微笑みは兵士のものとは違い、女性らしい包み込んでくれるようなやさしさを含んだ微笑み。
「でも、きっとロレンツォさんはあなたが銃を持つ事を認めないでしょうね」
「なんで……?」
「それはあなたが一番わかっている事じゃない?」
「………………」
「それがわかっているならいいのよ。それがわかっているならね」
そう言い、そっと私の頭を撫で始める。
「ハカセは……甘いんだよ」
「そうかもしれないわね。でも、彼は甘いというよりもやさしいのよ」
「でも、でも──」
「あなたが元々少女兵であった事は私たちも知っていたわ。事前にあなたたちの事は調べてある。あなたが『気高き戦士』に所属して、少年、少女兵たちをまとめていた事もね。フェリちゃん、あなた結構有名だったのよ。子供たちをうまく統率して奇襲、待ち伏せを成功させ続け、何よりも引き際を知る少女兵がいるってね。他のグループの少年兵たちとは一線を隔していたわ。あなたたちの所はただ突っ込むだけの使い捨ての駒ではなく、部隊として機能していた。『気高き戦士』が壊滅に追いやられた作戦の部隊に聞いたわ。打ち上がった信号弾と共に攻撃の手がピタリと止んでうまい事逃げられたって。
そんなあなただからこそ、武器をよく知っている。きっとフェリちゃんなら銃も、ナイフも、地雷もうまく使いこなすでしょう。だけど、それじゃダメなのよ」
地雷。アイタナたちは本当に知っている。その事にドキリとしながらも、また否定された事に落ち込み噛み締める。
「──どうして……?」
「大人の事情よ。そう大人の事情、いや大人のくだらない意地ね。もっと酷く言えば、ただの我が侭よ」
「私がなんで、なんで…………私だって……」
「言いたい事はわかるわ。私も応援したいのは────ねぇ」
アイタナの言葉が濁り、私に向いていた顔も俯いた。
「──非人道──、怒られ…………やでも頭下──、減給確──三ヶ……半年──」
何やら小さな声で独り言を呟き始める。所々聞こえる単語もよくわからない。と思っていると、アイタナが盛大にため息を吐いた。
「とりあえず、男もバカで、女もバカ。要するに大人は大バカって事よぉ。フェリちゃんもこんな大人になっちゃダメよ」
まったく意味がわからない。それになっちゃダメも何も私はこれ以上成長しない訳で。背が伸びる事も、胸が大きくなって女らしくなる事も。正直言えば、こんな体になって胸が萎んで、元々小柄──ハカセに言わせれば、栄養状態が悪かったから同じくらいの年齢の子供に比べ小さいらしい──も相まって体型が余計子供らしくなったということを気にしないように努めていたのに。どうして、今思い出すのかと自分を叱りたくなる。
アイタナは何かに吹っ切れたように顔を上げた。
「よしっ! ここに居ても仕方ないし、子供は寝る時間だし行きましょう」
「でもっ……!!」
「それまでっ! 今、話を続けても意味ないわ。それに『頭を冷やしなさい』って言われたでしょう。その事には私も賛成よ。だから寝ましょう。寝れば頭も冷えるし、頭の中も整理されるわぁ」
有無を言わせずに捲し立てられる。すると、アイタナは何か閃いた様にパンッと手を合わせた。
「そうだ! あなたの部屋はロレンツォさんが居ると思うから、きっと気まずいわよね。他の部屋は男どもが使っているし、私の部屋で寝ましょう。うん、それがいいわ。そうしましょう。決定よ、決定ぃ」
そう言うと、アイタナは戸惑う私を抱き上──担ぎ上げた。アイタナの体格からは想像できない程、簡単にひょいっと軽々担がれてしまった。どこにそんな力があるのだろうと疑いたくなる程に。
そして、アイタナは“会議室”を出て、私を担いでいるのに関わらず、スキップをしそうな勢いで歩んでいった。
「ねぇ、フェリちゃん。フェリちゃんは寝たい? それとも、私と寝・た・い?」
アイタナが嬉しそうに声を上げるのに対して、私はとりあえず頭を切り替えてこれから陥るピンチにどう切り抜けるか考える事にした。




