表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/20

約束

冷たい風が吹き付けるコーヒーチェーン店のテラス。


…こんな寒い中に、何もわざわざ…


素通しガラスの店内から、聞こえるはずのない嘲笑まで聞こえる気がする。かまうもんか。僕は意地のように、毎日同じ時刻に同じ席へと座り続けた。

オーダーは彼女の好きなカフェフラッペ。甘ったるさと砕いた氷の冷ややかさが気持ちまでもを荒ませる。それでも僕の日課は変わらない、変えない、どんなことがあっても。


それが約束だったから。




「待つの、嫌いなの」


つきあい始めて何度目かの待ち合わせに、僕がたったの三分遅れたときだった。目印の建物前にもう彼女の姿はなくて、駅の方へすたすたと歩き始めているのを必死に引き留めた。


「これくらい待てないの?」


僕の声はどこか呆れていたのかも知れない。どこまでお高くとまるつもりだこいつ、とね。


「約束は約束でしょ?遅れてくる方が悪い」


だからたったの三分だって…。言いかけた僕の言葉は、彼女が不意打ちみたいにこぼした涙に途切れてしまった。泣くほどのことか、と思えばよかったのに。僕が抱いたのは深い深い罪悪感。

僕が何度も謝っているというのに振り切るように帰ろうとした彼女を、最後は強引なまでに引き寄せた。女を泣かせてそのままでいられるはずもない。


「この三分、代わりに何でも穴埋めするから」


耳元でささやく。それでも彼女の涙は止まりそうになかった。


「うまいものでも食おうよ。そのあと何かお詫びにプレゼントしてやるから、アクセでも」


食欲と物欲に勝てる女なんていない。高をくくっていたのかも知れないね僕は。


こっちが勝手に握りしめていた手をふりほどくと、彼女は寂しげに僕を見上げて…そのまま踵を返した。ダッシュで走り去る後ろ姿を呆然と見送るしかなかった。




メールと電話で謝り倒すこと一週間。あまりに頑なな態度に、こいつの手口なのかとむかつきもした。遊び慣れているはずの僕が振り回されている。だったらこのゲームには勝ってやると意地になった。

やっと会ってくれたときには、僕の手にはプラチナのネックレス。駆け引きはほどほどに止めておいた方が効果的だよと教えてやりたかったくらいだ。

そんな余裕半分の僕の前に、現れた彼女の目は…泣き続けたかのように赤く腫れていた。


「待つの、嫌いなの」


同じセリフを繰り返す。僕はなぜか急に後ろめたくなって、持っていた小箱をポケットにしまい込んだ。


「いつまで待っててもこなかった。それから待つのが怖くなって」


呟く彼女に僕はわざと茶化した声をかける。それはみんな同じだって、と。


「映画館の前でプレミアチケット持ってる僕にさ、まさかのドタキャン食らわせた子もいたし。フレンチの店の前で一人で待っててご覧よ。切なくなるから」


席に案内される前でまだ良かった。笑えそうなポイントをいくつも用意したのに彼女の表情は硬いまま。


「そんなんじゃない」


「ああええとさ、僕んち親が二人とも働いてたから学童のお迎えっていっつもビリでさ」


子どもの頃の思い出ネタで攻めてみたりもした。へえ意外~と返されるか、だから寂しがり屋なんだねと頭をなでられるか。この手もよく使ったなあ。


けれど彼女の反応はやっぱり薄い。これはもう少し切なげなストーリーをふくらませて押さないとダメかなと僕が思い始めたとき、彼女はようやく話し出した。


「待つのが怖いの。いつまで待っててもこないんじゃないかって。それでも待ち続けてたら、みんな遅れる理由なんて単純で。なに深刻になってるの?って逆に笑われて。でもダメなの。胸がつぶれるくらい待つのが苦しいから」


「…どうして?って訊いて、いい?」


おおよそいつもの僕らしくもなく、そうっと彼女に問いかける。それくらい目の前の彼女は壊れそうにはかなげだった。





答えを聞かせてくれたのは、それからもっとずっと後のことだったね。僕らの距離がうんと近くなって、ささやき声でも届くくらいになってから。


「お気に入りの公園のブランコにね、私が座ったの。母親は『待っててね』って言ったからそこにいたの。赤い軽が走っていくのが見えたけど、すぐに帰ってくるって信じてた。ブランコを百回数えてこいで、立ちこぎもして、そのたびに道路の方へ行って見てた。次の車はきっと赤いよ、って。ブランコじゃ足りなくて滑り台でも遊んで、もう一度道路を見に行って。そのうちにずっと道路ばっかり見るようになった。あと十台待つと来るはずだ。あの影は小さいから軽だ。この次は絶対ママの車だ。ライトがつくようになっても私はそこにいて、何十台も車を見送って」


赤い軽は来たの?たまりかねて僕が口をはさむ。彼女の首がそっと横に振れる。


「来なかった。通りかかった人が、迷子だって交番に連れて行こうとしたのを、待ってるんだから!って泣いて叫んだのは覚えてる」


今みたいに携帯もないし、きっと急用ができたんだね。とりつくろうように付け加える僕へ寂しく笑いかける。


「それっきり母親は来なかった。児童相談所に送られて、母親と連絡はついたのだけれど『あの子が嫌がるから、一緒に暮らせない』とだけ言われて。私はずっと待ってたのにね」


ごめん。こんな面倒くさい話、あなたは嫌いだよねと彼女が呟く。


軽いノリでその場を楽しむ付き合いしかしてこなかった僕は、彼女のために掛ける言葉なんかありはしなかった。


ただ抱きしめた。彼女の持つ陰に惹かれた訳じゃない。手管に巻かれた訳でもない。理由なんか何もなく、愛おしいと思ったから。


待たせちゃいけない人だ。待つことを信じ切れないのなら僕が信じさせてやる。何度でも何度でも約束を守り、必ず待っていたら来ると安心させてやる。


それほど大切にしたいと思った初めての人だったから。




なのにあの日、約束の時刻よりずっと前に出発したのに、渋滞に巻き込まれた。動かない車の中で気持ちばかりが焦る。僕の乗る赤いスポーツワゴンは約束を破っちゃいけないってのに。

止まったままの車内から携帯で連絡を取ろうとしても、電波さえ届かない。彼女の待つテラスからは道路がよく見える。赤い車を待ち続けさせちゃダメなんだ!


車をその辺に捨てて自分の足で走ろうか。どこかの店から彼女の待つ店に連絡を取ろうか。どんな方法を考えようとも、一ミリも動かない道路では実現不可能なものばかり。



ようやくたどり着いた店に、当然のように彼女はいなかった。メールも電話も着信拒否。店に伝言もない。住んでる部屋さえ知らなかったんだとそのときに気づいた。


もう逢えない?彼女の約束を守らないままで?そんなことできる訳がない!





それ以来、僕は毎日テラスに座る。約束した日は夜のとばりが心地よい初夏。

今は真冬。夜の八時に北風あびてフラッペか。こんなことをして何になるんだろう。

それでも僕は待ち続けた。何の約束もないままに。幼い彼女がしたんだろう、あの角を曲がる人影こそ待ち人だと信じながら。


吐く息が白くなる。何度も風邪を引いた。夜は誰とも約束を入れず、今夜待ったらやめよう、明日までは待ってみようと迷いながら。


彼女の気持ちを、ほんの少しだけ追体験。人影を見続けすぎてひたすら見つめすぎて…確かに僕の胸もつぶれそうだよ。


でも、約束なんだ。守りたいんだ、僕自身が。


バカみたいに寒い夜空に待ち続ける間抜けな男がいるって、噂にでもなればいい。彼女の元へ届けばいい。ほんの気まぐれにのぞいてみようと思ってくれればいい。


あきらめきれない気持ちと、もう無駄だよという自分の中の声との争いが続く。いつもみたいに一時間待って席を立つ。残暑の頃に余裕で飲み干していたフラッペは、今は手つかずのまま。


飲み干せば心が冷えるからね。ただでさえ僕の心は凍り付いているのに。彼女に逢えなくなってから。




気休めのマフラーをかけ直し、見上げる僕の目には透明な夜空と星。

明日も待つのか。明日こそ来るかも。交錯する想いをため息と一緒に吐き出す。



歩き出す僕の視界に飛び込んできたのは……真っ赤なコートの小柄な……。




                      <了>


北川圭 Copyright© 2009-2012  keikitagawa All Rights Reserved

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ