BIRD
【ブログネタ小説】 <BIRD> 北川 圭
「先輩方にとってのアイドルといえば?」
ネタに困った飲み屋で、おれと松下に振られた質問。相当酒は入っていたから、出てくる言葉はみな本音。上司の愚痴に客の文句。さすがにマズいと思ったのか、取引先の若い兄ちゃんは当たり障りのないことを言い出した。
大声を出さないとお互いの声も聞こえないほどの喧噪の中、二人は目の前のオンナノコの気を引こうとかそんなことさえ忘れて、大声で叫んだ。
「森高千里!!」
「パーカー!!」
二人の声がぶつかり合う。兄ちゃんはまず無難に、松下の森高千里に食いついた。
「え?あのレースクイーンの?」
「それは森下千里!!」
ただの酔っぱらいオヤジたちから同時に突っ込まれ、兄ちゃんの目は泳ぎ始めていた。
「森高千里様と言えばだな、たぐいまれなる作詞のセンスの良さと、あの脚線美に決まってるだろうが。ああ、一度でいいからあれだけの引き締まった足首で蹴られてみてえよ。ずんぐりむっくりの足ばっかじゃ」
その先を言おうとした松下の後頭部を平手でぶん殴る。目の前で不機嫌そうに酒をつぐお姉ちゃんの、脚線美とはほど遠いそのスタイル。取引先のガキより、お姉ちゃんに気を遣えよ!!
じゃあ、ってんで兄ちゃんはおれに向き直る。パーカーって誰ですか?外タレ?
「アーノルド・パーカーに決まってんだろうが」
松下の茶々に兄ちゃんは必死に絡もうとする。え?杉本さんってゴルフ好きなんですか?
「バカか!!あれはアーノルド・パーマー!!」
「こう書き味が最高でな、嫌味な文学青年崩れのジジイが持ってるのが」
「それは万年筆のパーカー!!」
何でこいつと掛け合い漫才をせにゃならねえの?と思いつつ、おれは水割りをさらに飲み続ける。
接待係の兄ちゃん、もとい相田は身体をこっちにぐいっと乗り出してちょっとだけ真面目な目をした。
「あの、違ってるかも知れないんですけど。失礼かも知れないんですけど」
いいから早く言えよ。オヤジと化したおれの声。無駄に歳は取りたくないね。
「パーカーって、もしかしてチャーリー・パーカーっすか?」
おれは飲んでいた水割りを吹き出しそうになって、むせにむせて咳き込んだ。
そもそも「idol」とは、偶像や偶像視されるもの、崇拝する対象という意味を持つ。
もちろん現在では、外国でも普通に「アイドル」と言えばきゃーきゃー騒がれる存在には違いない。
ただ、おれにとって常に憧れというよりも崇拝するものといえば…ジャズ界の巨匠<チャーリー・パーカー>の他にはない。
こんなところで叫んでも誰も知らないだろうし、飲んでた勢いで秘密を明かしてしまったというのに、正解を言い当てられておれはとたんに挙動不審になった。
「なあんだ、杉本さんってジャズマニアなんだ」
急に馴れ馴れしくくだけた口調になる相田に、ふてくされた顔で睨み返す。
「ダメですよ、今さら。あれでしょ、でっかいスピーカーとご自慢のアンプとかでレコードとか聴いちゃうタイプなんだ。真空管とか言わないですよね~」
まだまだ青いな、若造。語るに落ちとるわ、アホ。
「そこで真空管なんつう言葉が出てくるということはだな!相田!!こっちに来い!!」
やや怯えた顔つきの彼をふんづかまえて、素直に吐け!と脅した。このこっぱずかしさを一人で耐えるだけの気力はない。この若い兄ちゃんも、どうせおれと同類だ。
「聴くだけか?演る方もか?白状しろ!!」
「や、止めてくださいよぉ!!頭頂部を重点的に攻めるのは!!それでなくても最近抜け毛が…」
そう言いながら相田も、少しばかりにやけている。ったく、これだからジャズ好きってのは。
「僕は学生時代にですね、ジャズ研でウッドベースをかじった程度で。杉本さんは、もちろんサックス?」
おれたちは松下を見捨ててカウンターへと場所を移すと、水割りをこぼさないように勝手に祝杯を挙げていた。
「おれ、学生の頃にさ『バード』っつう映画を見たんだよ。町の図書館がタダで上映会をやるって企画があって、その月がたまたま…」
粋な町ですねえ。チャーリー・パーカーの伝記映画じゃないですか。相田が嬉しそうに合いの手を入れる。
ああそうだよな。バードの愛称で親しまれた偉大なサックス奏者は、後世に残る音楽の才能を持ちながらも酒と麻薬に溺れて34歳までしか生きられなかった。
その生涯を、ぞくぞくするような音楽シーン入りの映画に仕上げたのはクリント・イーストウッド。
「あれできっぱりとブラバンを止めてだな」
「道を踏み外したと」
違いねえ。いくらバカ笑いをあげても、ざわめきの中では目立たない。
「そのときにね、チャーリー役のウィテカーが呆然と呟くシーンがあったんだ」
天性のひらめきでアドリブを紡ぎ出せる彼の最盛期は、そう長くは続かなかった。時代の流れってのも残酷だよな。パーカーらが作り出したあの音楽は、もっと単純でもっとわかりやすいものに取って代わられた。
「ロックン・ロールの演奏を聴いたバードがひとこと言うんだよ」
… なんでB♭だけなんだ…
ジャズはどんどん進化を遂げ、陽気なダンス音楽から内面を抉るように深く音を追及するようになった。しかしそれは、大衆に親しまれるというものではなくなっていく。今でも愛され続けている音楽には違いないのに。バードの仕事は、本人の不摂生のせいもあって激減してゆく。
自分自身は複雑に絡み合ったコードを追いかけていた彼が目にしたのは、たった一つのコードで延々と演奏し続け、踊り狂う若者たちの姿。
「切ないシーンっすよね」
しんみりと相田が呟く。思い出し笑いの昔語り。若いヤツには嫌われるよなあ、きっと。それでもおれは、久々にできるジャズ話に心をほぐしていった。
「それがさ、集まった客ってのが時間もてあました学生か家にいるおばちゃんだろ?タダで映画が見られるからって来たような暇人ばかりだ。ジャズなんて全然縁もゆかりもないようなおばちゃんたちは、ぽかーんとしてて…おれはそのセリフを聞くなりつい」
吹き出しちまったんだ。B♭だけねえ。さぞかしバードはがっかりしただろうよ、と。
「したらさ、横の列にいたやっぱ学生みたいなヤツが、おんなじようにそこで笑いをこらえてんのよ。何十人も入る町の図書館の視聴覚室で、反応したたった二人の客」
六十数年も前に一世を風靡した音楽は全く色褪せることなく、遠く離れた異国の田舎町の学生を夢中にさせた。
たまたま居合わせたそいつと、その日のうちにバンドを組んだ。テナーとアルトでどうやってジャズをやれってんだよ。それでもカセットに合わせて吹き続けた。公園で、海岸で、道路下の騒音の元で。
「まだ続けてるんですか?杉本さん」
まさか。狭いマンションじゃ吹けねえし、一人で吹いててもつまんねえし。第一、もう仲間もいない。
「……やりませんか?僕んとこにはピアノ弾きがいるんで。仕事抜きでお願いしますよ」
いくつ年が違うと思って。言いかけておれは視線を落とした。
もう一度吹く。仲間がいるのなら、たまになら、一回くらい合わせてみるんだったら。
急に心拍数が上がってしんどい。パーカーの名曲が勝手に脳内再生されてゆく。
ドナ・リー。ビリーズ・バウンス。ナウズ・ザ・タイム。コンファメーション。
「じゃあ、一回目の音合わせは。スタジオ押さえときますね。けっこう探すと安い貸しスタってあるんですよ。三人ならそんなに広くない部屋で大丈夫だから、と…」
有能な営業マンらしく、早速携帯のスケジュール表を開ける相田。それに忍び寄る背後からの影。
「ぎゃああ!!何すんですか!?あれほど頭頂部は止めてくれって!!」
「なああああああにが三人だ。四人にしろ四人に」
仏頂面で突っ立っていたのは、すっかり目の据わった松下だった。
「いや別にね、ほら松下君さあ…お姉ちゃんたちと盛り上がってたし」
仲間はずれが気に障ったのだとばかり思ったんだ。いい歳のオヤジだって放って置かれれば寂しいんだろうとね。
「そうじゃねえ。ついでにセットが置いてある部屋を取れ。いいな相田!!」
「はっ!?セット??」
おれたち即席のジャズセッショングループ二人は、その言葉と目の前の松下がどうしても結びつかなかった。よほど間抜けな顔をしていたんだろう。おれまでヤツから頭をぐしゃぐしゃにされた。
「セットっつったらセットだよ!ドラムセット!!この松下様がジャズドラマーで何が悪い!!」
「やったことあんのかよ!?」
今まで一言だってそんな。絶句するおれに、訊きもしなかっただろ、と平然と応える松下。
「だって松下さんは森下千里だって…」
森高千里!!気の毒な若手営業マンは、さらなるオヤジのつっこみに首をすくめた。
「敬愛する森高千里様は、あの華奢なお身体でドラムを演奏なされるのだぞよ。美しいおみ足がだな、キックを踏むお姿は神々しいとまで言えようぞ」
それが動機か。呆れて呟くおれの首をがしっと掴むと、いいから俺も仲間に入れろーと松下は吠えた。
アイドル、か。
たった一言だけ口にした、ここにいる誰もが知らないと思いこんでいたジャズプレイヤーの名前は、おれたちの時間を一気に遡らせ、そしてまた、新しい場所を用意してくれた。
さあて、どんなセッションになるだろうか。仕事と家庭の往復しかなかったオヤジの生活に、突然刷毛で塗り込まれたセピアで渋い差し色。
明日の休みは、取り敢えず楽器を磨いて…リードでも買いに行くか。
脳内で再生される名曲たちは、鳴りやむ気もなさげにエンドレスリピートで響き続けた。
<了>
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